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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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ルームアウト・メリー 後編[R-15]

 
運び込まれた病院で目が覚めたその日、警察にごく簡単な事情聴取を受けた。俺はいま軽度の心身膠着状態らしいので手短に済まされた。一通り話をして、警察は帰っていった。俺を疑っているのではなく、一応話を聞いただけだったようだ。つまり、2人とも自殺と断定したのだろう。

実感がわかない。
まだ両親が死んでいたあの光景がどこか遠く、ドラマのワンシーンのようにどこか現実味の欠けた映像として思い出された。
まだ、帰れば2人とも家出したあの時と同じ姿でいるのではないかとさえ思える。きっと母さんは、その顔や手の怪我はどうしたのかと訊いたろう。親父は、どうせロクデナシ相手に喧嘩でもしたんだろうと鼻を鳴らすはずだ。事実、会社帰りに絡んできたチンピラの喧嘩を買った代償ではあるのだが、あの喧嘩を買ったのは、親父から電話が来てフラストレーションが溜まっていたからだ、と心の中で怒り狂ったに違いない。

もう、起こらないのだが。あの大嫌いだった日々は、戻りたくても戻らない彼方へと消えてしまった。

あの後、俺は泣き疲れて眠ったようだった。目覚めたら病院で、女の子からの匿名の通報でやってきた警察と救急車が俺をここまで運んだようだ。なんとなく、通報したのはあの人形じゃないかと思った。俺自身、あの時のことをどう解釈していいか分からなかったから、人形の事は流石に言わなかった。
今になって思えば、あれは何だったのだろう。本物の都市伝説だったのか。実際には誰かに話を聞いて欲しいと強く願った幻覚で、通報した女の子は別人かもしれない。常識的に考えたら、その方が可能性は高い。包帯の巻かれた自分の右拳を眺め、ため息をつく。

真実は何も分からないままだ。
何故母は自殺したのか。
俺の到着を待たずに親父が自殺したのは何故か。
メリーさんは実在したのか。
いくつかは後で分かるかもしれないが、改めて両親の死を思うと良い感情は一切湧いて来ない。

確かに両親は嫌いだった。エラそうな事ばかり言って勝手な理想を押し付ける父と、その父の決定に諾々と従うだけの母。どちらもが許せなくて、家を出た。いわば邪魔者で、もう二度と会うまいとさえ思っていて、ナイフまで用意して家まで行ったのだ。
でも、本気で殺すことは出来なかったのだろう。ああして実際に死んだ2人を見て悔しかったから。悔しかった理由は何だろう。ナイフを突きだして、何を叫びたかったんだろう。あの時の俺は何かに取りつかれたようにあのナイフを購入して、懐に忍ばせた。ちゃんと切れ味があるのか自分の指で確かめたりもしていた。

向こうの生活はそんなに憑りつかれるほどよい生活だったろうか。高卒の俺を採用し、仕事を与えてくれたのは有り難かったが、一人暮らしは苦労の連続だった。あそこの生活は、築いた人間関係は、本当にナイフを振りかざしてまでして守る価値があったのか。他に何か思う所があったんじゃないのか。考えて、一つだけその思う所に行き当った。

「認めてほしかったんだ、一人の人間だって・・・親父と母さんの所有物じゃないんだって」

俺はマリオネットは嫌だ。自分の意思がある。リードで繋がれて与えられるだけの犬とは違う。あんたたちの都合にだけ振り回されるほど子供じゃないんだ、と。俺はきっとそれを認めてほしくて、俺が本気だと思わせたくて、あんなことを思いついたのではないか。

ただそれだけか、と青年はため息をついた。余りにも稚拙で、短絡的だ。
言ってしまえば今までのは餓鬼の癇癪で、一人前だって認めろと言ってやりたかっただけ、なのかもしれない。

「もう二度と認めてもらえなくなったな・・・・・・こんな事なら、もっと早く帰ってくるんだったよ」

親父はなぜ今になって、力づくでも俺を呼び戻したのか。母さんは何故首を吊っていたのか。結局疑問は振出しに戻り、何度も何度も往復を繰り返した。

と、病室の扉が開く音と女性の声がした。

稜尋(いつひろ)さ~ん!入りますよ~!」
「あ、はい!」

声に聞き覚えがある。確か看護師の人だ。
何かこれから検査でもあるのだろうか。ベッドの周囲のカーテンが閉まっているから見えないが、返事は返した。やがてカーテンがめくられ、看護師の人が入ってくる。
ここの看護師はきっと質がいい。こうして家族を失った俺を腫れ物扱いせず、むしろその仕事に対する熱意を陽のエネルギーとして放出しているような明るさがある。とても言葉を交わしやすい。すぐに用件を聞いた。

「なにか用事ですか?また検査、とか」
「いいえ、面会です。病室が何所か分からないと言うので・・・」

言いながら、看護師は後ろにいるらしい誰かの方を向く。
今、俺に面会とはいったい誰だろう。職場には有給を取ってあるし、この事件はニュース沙汰にはなっていない。ひょっとしたら地元の友達かもしれないが、所詮親父に選定されたうわべだけの友達だ。そこまで義理堅いかは疑問だった。

いや、職場の知り合いも友達も決してありえないことではないのだが、ともかく俺には誰が見舞いに来たのか見当もつかなかった。看護師の人は身をかがめて話をしている。態々屈めるという事は、相手は余程小柄なのだろうか。

「じゃ、私はお仕事に戻るね?帰りの道は分かるでしょ?」
「うん。アリガトね、看護師さん」

そういって看護師は病室を去り―――そこで俺は、あっ、と声を上げてしまった。
その姿を見て、その声を思い出し、まさか、と思った。
そして、面会に来た人間はこう告げるのだ。

「私メリーさん。いま、貴方の病室にいるの」

そこにいたのは小学生くらいで、可愛らしいフリル付きのドレスを着た金髪碧眼の少女。
変わらぬ無表情で、彼女はそこにいた。
そう、彼女は興味が無い時には何もしないし、興味も持たない。ただ、次に興味が湧いたその時にだけ行動を起こす。それが結果的に、連続した現象のように映る。それが、メリーさん。



 = =


 
「私メリーさん。いま、貴方の病室にいるの」

言葉が出なかった。何となくだが、勝手に「もう会うことはないのだろう」と考えていた。いや、それよりも少女の姿であるのに「この子はあの時の人形である」という確信を持っている自分にも驚いているが。
驚く俺を尻目にメリーはこつこつと音を立てて歩き、ベッドから上半身だけを起こした俺に何やら風呂敷を差し出した。

「はい、これお見舞いの品」
「あ、これはどうもご丁寧に・・・・・・って、コラ」

受け取ってみると妙に重いから中身を確かめると、それは鉢植えに植えられた赤いシクラメンだった。昔から語呂合わせを重んじる日本では病室に鉢植えを持ち込むことは「根付く=寝付く」を連想させ不吉だと言われている。しかもシクラメンは4と9、つまり死と苦を連想させるため縁起が悪い。流石都市伝説、嫌がらせが一級だ。

「シクラメンの花言葉は『疑い』。赤いシクラメンだと『嫉妬』」
「最悪じゃないか・・・って、何か刺さってるな。栄養剤か?」
「貴方の取り落したサバイバルナイフ。現場からちょろまかしておいたわ」
「え・・・」

慌てて鉢から引きずり出すと、腐葉土の付着した銀色の断面が見える。確かに、現場に持って行ったナイフだろう。全く同じデザインの別物の可能性もあるが、それよりは現場から拾う方が早い。警察に見つかれば何故こんなものを持っていたのかと疑われていたところだ。いや、それより先に銃刀法違反か?

「というか、どっちにしろ病院に持ち込むものじゃないだろう・・・・・・」
「知らないわ。私がそうしたいと思ったんだから、誰かが悪戯好きな私を願ったのよ」

興味なさ気にベッドの隣にある椅子へ座ったメリーの横顔を見る。
肌理(きめ)が細かく艶のある白い肌。手入れの行き届いた美しい金髪。
ほんのりと桜色に染まった唇と宝石のような青い瞳。
幼さを残す頬の丸みと、顔の要所に見える女性らしい色気が見え隠れする。
最初にあった時の人形姿とは、特徴の一致する場所があっても別人と言って差し支えなかった。

それにその顔には生物的に見ると余りにも欠点が少なすぎる。無いと言っても過言ではない。言ってしまえばイラストやアニメの世界の人間のようだ。そう思い、メリーの言っていたことを思い出す。

「君のその姿も誰かが望んだ物だと言われれば、妙に納得できるな。何というか、理想を求めすぎた女の子って感じがする」
「そう?私にはよく分からないし、興味も湧かないわ。ただ、そうね・・・貴方の事を妙にお兄ちゃんと呼びたくなるのも、納得できる?」
「理想の妹像か何かを君に押し付けているんだろう。一人っ子だからその辺は分からないけど。難儀な体だな」
「そうでもないわ。意識が反映されればそれに従うだけで全てが進む。私と私の周囲の因果律は全て人の理想が動かしているの。だから、とっても楽。今回は初めて人間の姿になったから歩いてみたけど、やっぱり歩くのは面倒」

それで看護師に部屋を聞いたのか。随分と人間らしい存在のようで、本当の子供みたいだった。それとも、これもまた人間の無意識が集合した結果なのだろうか。恐怖を支配することでおのれを強く保とうと言う願望が、本来恐怖を想起させるものに逆の特性を与えようと考えた結果なのかもしれない。

それにしてもおかしな話だ。
都市伝説を作るのも、実行するのも、それを怖がり対処法を作ろうとするのも人間だ。そうならばメリーさんは人間の自作自演(マッチポンプ)の縮図で、人間の願望そのものだということになる。メリーさんの中には殺す者もいる、という事は、誰かの無意識がどこかの自意識を殺していることになる。無責任な願いが殺人を冒しても、都合のいい無意識が全てを無かったことにしてくれる。

なんとも残酷で、人間の業を感じずにはいられない。だが今はそんな話はいいだろう。俺は改めてメリーに問うた。

「それで、妹キャラを体系づけられようとしているメリーさんは、俺の因果律に何をお望みなんだ?・・・お前はもう、俺の後ろに一度辿り着いたじゃないか」

それが、解せなかった。俺の知るメリーさんの話は、細かい差異はあれ背後に辿り着く辺りで話が終了する。このメリーは一体これ以上何を望んで俺の前に姿を現したのか?その答えを、端的に示された。

「これ」

メリーは、何所から取り出したのか資料の束を俺に押し付けた。警察の捜査資料のようで目を剥く。何でもありなのだろうか、と思ったが、理想そのものなのだから何でもありだろう。内容は親父と母さんの日記から推測される家庭状況の解析だった。思いがけず事件の真相に近付く手がかりを握り、生唾を呑み込む。
横からメリーが無言、無表情で見ていた。これを俺が読むことが、求められているのか。無為なる意識の集合体に。だが、俺もこの内容を知りたい以上は拒否する理由もない。一息ついて、ページをめくった。


―――それは、長い長い経緯をかいつまんだ物だった。

俺が家出した後に、親父と母さんは大喧嘩をしていた。
しばらく社会経験を積ませてもいいだろうと俺の家出を許容する親父と、今すぐにでも家に連れ戻して大学に行かせるべきだと主張する母。正直、親父が俺の家出を許容していたのは意外だった。実際には親父も若い頃、重圧に負けて家を出奔したことがあったらしい。蛙の子は蛙と言う訳だ。
もっとも父親としての矜持なのか、死ぬまで黙っていたようだが。

今更になって、俺は親父と話がしたくなった。もう何もかも手遅れだが、親父にも俺と同じようなことを考えたことがあったのかもしれないと思うと、不思議と話をしたくなった。今までずっと最悪の父だと思っていた親父を少しだけ理解できた気がした。それだけに、余計に親父が死んだことが今更に悲しくなった。もうそれは、叶わない事なのだから。

母さんは、日記などから世間体やしきたりを凄く気にしていたようだ。名家だと思って嫁いだのにこれでは妻としての立場が無い、と言った旨の事が日記に書き記されていたそうだ。貞淑で真面目なだけが取り柄だと思っていた母にも溜めこんでいたものがあったのかと思うと同時に、知ってはいけない側面を見てしまった気がして少し悲しい思いがあった。

母さんにも、話を聞きたくなった。親父に従うだけの人とは言っても、母親として俺に接してはくれていた。俺がいなくなって悲しくなかったのか、とか。世間体と家庭のどっちが本当に大事だったのか、とか。真実を知るのもまた怖いような気がして、それ以上考えるのは止めた。

俺の意思を尊重したい親父と、世間体を求める母さん。
2人の言い争いは、結局家長の父に軍配が上がった。
だがこの頃から貞淑だった母さんの精神の均衡が崩れ始めたようだ。断定は出来ないが、司法解剖や日記の内容から見るに、母さんは麻薬の類に手を出し始めていた。親父が気付いて病院に連れて行った頃には完全な中毒者で、要介護者となってしまった。

親父は政治家だったが、母さんの姿を世間に知らせる訳にはいかないと第一線を退き、母さんの介護を始めた。ごく一部の信頼できる人間だけ真実を知らせ、介護を少しずつ手伝ってもらいながら。世間体を気にする母さんが麻薬中毒者になったと知られれば、崩れた精神に止めを刺しかねない。そう思って、母さんは病気になったのだと周囲には偽っていたらしい。

後は、何の事はない。一向に精神が安定せずに禁断症状で暴れる母さんを世間から隠し続ける毎日に、親父の方も精神が参ってしまったんだろう。次第に介護を手伝っていた人間に連絡も取らなくなり、最後の手段で息子を呼び出す手紙を送るもそれと前後して母さんが首吊り自殺。


自殺の理由を断定するには至っていないが、何となく想像がついた。

「そっか・・・親父め、きっと意地張ったんだ・・・・・・・」

親父は自分の弱みを他人に見せるのを極端に嫌う。妻も亡くし、政治家としての立場も捨て、これ以上生きる気力さえも亡くした親父に最後に残ったのは、父としてのプライドだったんだろう。根拠などないが、俺はそう思った。


つまり、俺を呼び戻さなかった親父の所為。

麻薬に手を出し駄目になった母さんの所為。

そして、全てのきっかけになった俺の所為。


何故、全てが重なってしまったのだろうか。
一つでも重ならなければ、こうはならなかったろうに。
どうして人間というのは、ままならないのか。
言い訳がましく、呟く。


「何で・・・・・・なんでこうなる前に、もっと早く教えてくれなかったかなぁ」

俺の行方が分からなかったからだ。


「何で俺は、親父にも母さんにも連絡取らなかったんだろうなぁ」

俺が二人を勝手に嫌っていたからだ。


「何で・・・何でこういうことになっちゃうんだ。家族だったはずなのに・・・どこで掛け違えたんだよ。メリーさん・・・・・・君は、分かるか?」
「貴方が悲しんでいる事くらいなら、分かるわ」

メリーはそれだけ言って、俺の頭を抱いた。優しく、泣く子をあやすように。厳しい教育に耐えられずに泣いた時に、そっと励ましてくれた母さんみたいな―――結果を出した時だけ、頭を撫でてくれた親父みたいな―――そんな、感触だった。

「なんだよ・・・もう、何もかも滅茶苦茶だ・・・君が、君がこんなもの持って来るから・・・滅茶苦茶だ・・・・・・・」
「望んだのは、貴方よ。真相を知りたがったでしょ?願望を叶えるのが私だから」
「俺は励ましてほしいとは・・・・・・思って、ない!甘えたいと願ってもない・・・!!」
「なら、きっとあなた以外の誰かが願ったんでしょう」

そう言いながら、メリーは優しく俺の背中を撫でた。
俺はそれを拒絶しようと手を振り上げたが―――止めた。メリーだって俺に殴られるためにこんなことをしている訳ではない。どこかの誰かが寄越した押しつけがましい同情の代弁者としてこんなことをしているだけだ。

諭すように、メリーが囁く。

「貴方の涙を受け止めるメリーさんがいてもいい。人の無意識の中に、そんな無償の優しさがあってもいい。だから、どこかの誰かが決めた優しさに、今は甘えてもいいの」
「・・・・・・ッ!ぅ・・・うぁああ・・・!くっ、ひっく!ぐぅ・・・ぁあああああ・・・!」

病室には、暫く俺の嗚咽としゃくりあげる声だけが響いた。
メリーはそれ以上、何も言わなかった。

今になって思えば、こうも思うのだ。ひょっとして、それを望んだのは俺自身なのかもしれない。俺が、このずっと無表情だったメリーにも人間らしい感情があって欲しいと望んだのかもしれない。

それとももしも、結果が先に用意され、それを俺とメリーが辿っただけだったとしたら―――きっと、俺とメリーは同じ場所に立っているのかもしれない。



 = =



結局俺は職場に諸事情を伝えて改めて休暇を取り、家族の葬式や遺産配分や、様々な事を片づける事になった。どうやら親父は死ぬまでに自分の墓作りから遺書作成まで一通りのことを済ませたうえで自殺していた。死んでまで俺に迷惑をかけたくないという心遣いなのか、子供に尻拭いをさせるのが嫌だったのかは分からないが、心の内で感謝した。

葬式には多くの人がやってきた。大多数が父の知人で、後は母の同級生とうわべだけかと思っていた友達と、ご近所の人達で執り行われた。
顔だけ悲しそうにしている人もいれば、本気で悲しんでいる人もいる。割合として後者の方が多かったのは、親父の人徳だと思いたい。今更掌を返すようだが、そうであってほしいと思える程度には父を認められた。

火葬後の母さんの骨がバラバラでほとんど残っていなかったのは、麻薬に体を蝕まれた所為なのだろう。少し悩んだが、辛うじて残った骨を親父の骨壺に一緒に入れる事にした。もう2人とも何も悩むことはないのだから、親父も母を負担に思う事はないだろう。俺は一人で立派にやっていける。もう世間体も気にせず、安心して旅立ってほしいと願った。

葬式後も友達やご近所に色々と訊かれたり、励まされたりした。家出のこともあり、今までどこにいたのかと言ったことも多く聞かれたが、話していればしんみりした空気も少しまぎれて、内心で感謝した。例え形だけでも友達ならば、友達として接することが出来る。

互いに無意識化に友達像を作り上げておけば、相互コミュニケーションはとれる。それはきっと人間関係全てにおいていえる事なのだろう。ただ、俺は両親に対してだけそれを失敗したのだと思うと、それが切なかった。





そして、あらかたの事が終了し―――数年が経ったある日。


ハンバーガーショップで呑気にチキンを齧っていた俺は、油の付着した指をウェットティッシュできれいにふき取りながら、極めて自然に、自分の鞄の中に手を突っ込んだ。そのまま中にある財布を探す風に見せながら、鞄の底にいた「あるもの」を指先で二度突き、ぼそりと呟く。

「売人は右端の席にいる帽子の奴だ。追跡と情報収集、お願い」
『確認したわ―――私メリーさん。今、貴方を追っているの』

その鼓膜を直接振動するような他の人間には聞こえない特殊な音と共に、鞄の中の「あるもの」が消滅する。その影響か、鞄の中に突っ込んでいた手が財布を捉えた。これはラッキーだと財布を取りだし、そして「そういえばハンバーガーショップは前払いのシステムだった」と迂闊な自分に呆れる。代金はとっくに払った後だった。

ついでだから財布の残金を確認して、余裕があることが判明してもう一度鞄に財布を放り込む。
ちらりと右端の席に座っていた男を見ると、目に見えて動揺したまま逃げるように店を後にしていた。片手にはスマートフォンが握られている。その背中を眺めた後、慌てる訳でもなくトレーの上にある紙袋を開け、中にあったハンバーガーを一口齧った。ジャンクフードと分かってはいるが、これがなかなか美味しいからやめられない。

まぁ接種分のカロリーをちゃんと使い切れば問題ないし、毎日食べている訳でもない。これくらいでメタボリック症候群になるほど不健康ではないから、気にせず食事を続けることにした。
「相方」の分の飲み物とパイもあるのだが、果たしてこれらが冷めてしまうまでに戻ってくるだろうかと心配する。ここのパイは作りたてがとても美味しいのだ。相方もそれを気に入っているだけに、冷めてしまっては自分だけ作りたてのものを食べたことが申し訳なく感じてしまう。

それから数分後―――トイレから一人の少女が俺に近づいてきた。金髪碧眼で、可愛らしい女の子だ。外国人の、しかも子供が一人で歩いているのを物珍しがって周囲の目線を集める。

もしもこの店を四六時中観察していた人間がいれば、異常に気付いただろう。
店が定時にオープンしてから金髪碧眼の女の子など「一人も来てはいない」のだから、当然トイレから彼女が現れる訳が無い。だが人々は気付かない。おかしいと思っても、それは現実に起きているのだから気のせいだろうと勝手に思い込む。
それこそが、この世界に「怪異」の入り込む隙間を形成しているとも知らず。

少女は当たり前のように俺の隣に座ると、トレーの上にあったポテトを一つつまんだ。一気に口に入れられないのか、先端からちまちまと食べている。

「早かったな?」
「まぁね」

そう言って彼女―――相方(メリー)はトレーの飲み物に手を伸ばした。
食事も必要なければ排泄もしない彼女の身体だが、食事自体は楽しめる。
「臨時収入」もそれなりにある以上、食事代をケチって彼女の楽しみを減らしたくはない。
もう彼女とも、それなりに長い付き合いになるし、俺とメリーは独りぼっち同士だ。同僚とも仲間とも家族とも違うが、友達ともちょっと違う、そんな関係だ。

メリーは、あの日以来俺と一緒にいる。
彼女の発現する都市伝説は、迎えるべき「終了」・・・つまり物語におけるオチを失った未完のストーリーと化しているらしい。原因は、集合無意識がイメージするゴールを見失ったからと思われる。
着地点を見失ったメリーは人間と人形の境さえ曖昧になり、今までとは違い自分の起こす事象をある程度自分でコントロール「しなければいけない」事になった。当然ながら、次のターゲットも指定されなくなったからやることが無い。集合無意識という首輪が突如消失して寄る辺も従う者もいなくなった彼女は、家族を失って一人ぼっちの俺とつるむようになったわけだ。


そして暇を持て余す彼女の力を借りて、俺はある存在を追いかけている。


「思った以上のお間抜けさんだったわ・・・隙だらけだったし電話にひどく怯えてたから、簡単に押収出来たの」

ポーチの中からメモリーカードと白い粉末、そして一見して用途の分からないプラスチック製の小さな板や、メモ用紙などをひとまとめにして俺に見せ、もう一度ポーチに仕舞った。俺が小さくサムズアップして微笑むと、彼女もぱちりとウィンクをして微笑んだ。

彼女の見せたそれが何の品か。答えは簡単―――とある麻薬売買の証拠品一式だ。

周囲はそんな俺達の会話や行動を、物珍しげに見つつも疑問には思わない。何故ならメリーは都市伝説であり、望まれた者だ。彼女は彼女の集合無意識にそれを望まれているのだから、それに即した都合のいい解釈が周囲にばら撒かれる。メリーさんの都市伝説が実在しながらも表だって気にする人間がいないのは、そういった都合のいい現実歪曲が起きているからだ。事実、俺の周囲の人間は未だにメリーが俺の親戚の子か何かだと信じて疑わない。

しかし、目の前で待ちかねたパイに舌鼓を打っていたメリーの目が不意に鋭くなる。何となく、次に続く情報を悟った。

「喜んでばかりでもいられないけど。”今回も”使い捨ての末端ね。親へと辿っていこうとも思ったけど、やっぱり3,4人梯子した辺りでぷっつり途切れるの」
「メリーの追跡でも追えないとなると・・・・・・都市伝説級の怪異、若しくは未知の存在か」
「都市伝説と都市伝説はその本質が同じであることが多いから、伝説同士が敵対することはまずない。今回のこれはその例外にも含まれない。完全に未知(アンノウン)ね」
「―――ヨクジン、か」

俺達がこんな真似をしている理由は、葬式が終わった頃に遡る。

家族を失った俺が人形に姿を変えたメリーと共に行動するようになってから、俺はふとテレビでやっていた麻薬関係の事件を見て思いついた。

母さんに麻薬を売った相手に、彼女の能力で復讐できないだろうか。

母さんが死んだのは誰の所為、と一概には決めつけられない。
だが、少なくとも麻薬の売買人はその一端を担った筈だ。
御咎めなしでは母さんも未練が残るかもしれない。そう思って俺は、メリーと一緒に探偵の真似事を始めた。メリーの超常的な力で警察の資料を調べた所、既に母さんに薬を売った男は逮捕されていた。しかしそこで俺とメリーは思わぬ事実を発見することになる。

母さんが買ったというその薬物・・・売人の間では「マヌタラ」と呼ばれているその薬物は、いったいどんな材料を使い、どんな方法で加工された薬物なのか、更には一体どこからこの薬物が国内に流入しているのか一切不明だというのだ。
「マヌタラ」自体は、強力ではあるがその効用や副作用は他の薬物とそう変わらない。だが、この薬物が日本で発見されるようになってから既に10年近くたっているにも拘らず、未だに詳しい事は一切わかっていないというのだ。

麻薬捜査官が何度危険を冒して探っても、大掛かりな組織には決して辿り着かない。物理的にではなく抽象的に情報や人間関係の糸が途切れてしまうのだ。人間が死んで糸が途切れる訳ではなく、皆が皆、薬を流してもらったブローカーを覚えていないという。それ所か中には自分の流す薬物が「マヌタラ」だと知らなかったという奴までいるという。

幸い追跡型怪異であるメリーの力はこの手の捜査に最適であり、俺はノーリスクに等しい形で彼女のサポートに回りながら情報を整理できた。その過程で漸く掴んだ名前、それが「ヨクジン」である。

「ヨクジン」が組織なのか、個人なのか、何を目的として何故その名前なのか、それも一切不明。本当に「マヌタラ」と関係があるのかさえも不明。ただ噂話のように名前が挙がっただけで、それが何なのかは分からない。その分だけガセの情報も多く、まるで都市伝説を追いかけている気分だった。

例えば、この名前はイースター島の伝承に伝えられる「タンガタ・マヌ」という鳥人の伝承をモチーフにした名前ではないかという話がある。
「マヌタラ」というのはイースター島に来る渡り鳥の名前で、「タンガタ・マヌ」は伝承によると創造神マケマケの化身。マケマケはマヌタラに居場所を与えたともあり、鳥人儀礼という「タンガタ・マヌ」に近づこうとする儀式においてマヌタラの卵を最初に見つけた者は卵の霊力に身を守られる。この儀式にはいろいろと続きもあるのだが、つまりその鳥人こそが「翼人(ヨクジン)」ではないかという説だ。
だが言い伝えによるとタンガタ・マヌには翼など生えていない。顔だけが鳥で、他は人間と殆ど変わらなかったと思われる。名前は符合するが、それだけなのだ。

兎に角、何もかもが謎。政府がこのヨクジン対策の組織を立ち上げたとか、その組織が壊滅させられたとか、その生き残りが社会に紛れ込んで反撃のチャンスを待っているとか、いよいよ都市伝説の様相を呈してきている。

だが、こいつらは確かにいるのだ。でなければ「マヌタラ」が見つかる訳が無い。その名前がはっきりと売人たちの間で認知されている訳が無いのだ。何より、メリーの力を以てしても全容が掴めないという事実が、いっそう疑いを強くしていた。

「取り敢えず今回の情報は”羅生門”の姉さんに渡しておいて・・・この辺りも一通り調べ尽くしたね?さて次はどこで動き回るか・・・・・・」
「会社には行かなくてもいいのかしら?」
「いーのいーの。産業スパイ部門の仕事はこなしてるんだから」
「私の能力でね?そしてその働きで得たお金を人間の貴方が受け取って、その財布で私はゴハンを食べる、と。人間と都市伝説の共存関係なんて聞いたことないわ」
「あれ、あの話知らないのか?」

俺は、あの噂をメリーが知らない事を意外に思った。最近はメリーさんの噂にこんな話が追加されているのだ。

「最近のはお菓子あげたら満足して帰るらしいぞ?名付けてハロウィンメリーさんだ」
「・・・・・・最近のメリーさん(私たち)はどういう目で見られてるのかしら」
「さあ?うちにはアウトドアなメリーさんもいる事だし・・・もう何でもいいんじゃないか?」

いつぞやベランダから落下して死んだ女性を思い出し、なんだかな、と呟いたメリーだった。時代は今やギブアンドテイクだ。それは人の無意識の煽りを受ける都市伝説でも例外ではない・・・・・・のかもしれない。

だが、それでもメリーはメリーさんという存在で居続ける。だから俺も、両親の死のきっかけの一つを追う。例えそれが都市伝説のように形を成さない、誰かの無意識が生み出したものだったとしても。

もしも結果が先に用意され、それを俺とメリーが辿っているとしたらどうする。

その自身に対する問いかけに俺は・・・いや、俺達はこう考えた。

その答えを用意するのが集合無意識だったとしても―――


―――見つけるのは此処に立っている俺達なんだ。



fin.   …But, their tale will last.
  
 

 
後書き
謎の存在「ヨクジン」を追う青年と追跡型怪異メリーさんの物語が始まってしまいました(続きは無いんですけどね)。なんかメリーさんの特性がそのまま舞台装置みたいになっているような?
初期案ではイツヒロの両親は彼の家出を切っ掛けに家庭環境が急激に悪化。母が自殺、父が責任を感じて後追い、そして原因はイツヒロという形で終わり、孤独にさいなまれる彼の隣にメリーさんが来て一緒にいてくれる、みたいなのを想定してました。

”羅生門”の姉さんというのは・・・次回で登場キャラの簡単な説明を行うので、そこで触れておきます。 
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