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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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ルームアウト・メリー 前編[R-15]

 
いつものように、不法投棄のゴミに紛れて私は曇天を見上げていた。
その身体が汚れる事を気に留めず、見るべきものを空とも雲とも定めず、ただ瞳の先に映る景色を享受していた。事情も理由もなく、そこにいて上を向いたからそうなっただけだった。

私はメリーさん。
いつからここにいて、何故メリーなのか。そんなことは知らない。
私が科学的にどういう存在で、これからどうなるのかも知らない。ただ私はなんとなくそこにいて、薄汚れた路地の、人の目につく程度の場所にうち捨てられるように存在する。それが、”私というメリーさん”の役割(ロール)。メリーさんの在り方の一つ。

西洋人形というには少々可愛らしい見た目をしている、と昔どこの誰とも知れない人間が私を評価した。その人間は、私を恐れてベランダからマンションの下に転落して、コンクリートに頭を打ち付け脳髄と血液をばらまいた。他の人間の話によると即死だったらしい。
何故彼女は私を怖がったのかに興味はない。私はただ、「望まれるがままに」彼女の後ろに行っただけなのだが、人間が何故そんな行動を取るのかは理解できなかった。自分自身、何故自分が「こう」であるか知らないのだから疑問にも思わなかったが。

烏が飛び、小学生が自転車で通り抜け、行きかう人々や動物が通り過ぎていく。
この小さな不法投棄場所に、図々しい主婦が燃えないごみを追加したりもした。
皆、私には見向きもしない。私も興味はない。

ここは前に誰かが不法投棄したごみを中心に、いつしか形成されていた不法なゴミ捨て場だった。ゴミは決められた日に決められた場所へ決められた方法で出さなければいけない、という社会的制約を疎ましく思う人間の無意識がこんな場所を形成した。きっとそれは、私の存在と似ている。

私は人間が望む「メリーさん」、都市伝説の存在としての行動しか取れない。それはつまり、私の自意識自体がそうした人間社会に渦巻く無意識の流れがぶつかった地点で発生しているからなのだろう。メリーさんに親がいるとしたら、それは集合無意識を西洋人形に集めたその「点」を決めた人間なのかもしれない。そう、無意識がぶつかり合って出来たこの不法投棄のゴミは、私とよく似ている。だからこそ私は、ここに打ち捨てられているのかもしれない。


そんなゴミ捨て場の前に、一人の青年が通りかかった。
ジャージにジーパンというラフな格好をしたその青年の頬には湿布が貼られている。私には分からないが、人間は怪我や疲労と言うものを持っているらしい。それを治療するために、あんなものを顔に張り付けているらしい。やはり理解できない。だが、やはりこれといって意味はなく、私は次に電話をかけるのは彼だと考えた。理由もロジックも知らない。ただ、そう思ったから。

集合無意識がせめぎ合って保たれる私の精神に何かしらの流れが生じてそうなったのかもしれないが、興味が無い。ただ、その青年を見つめる。見つめれば、彼がこちらを振り向くと知っているから。予想通り、彼はこちらを振り向き、少し驚いた顔をした。西洋人形など、そうむき出しで置いてあるものではないから驚くのもロジカルに理由を導き出せるだろう。

「・・・こんな所に人形?」

都市伝説も物語も「きっかけ」から始まる。そして「きっかけ」は大抵、人間の予期せぬところからだ。逆を言えば、都市伝説が人間を選んでいるとも言える。人間の意識が生み出した存在なのに、人間は選ばれる側とは皮肉が効いている。つまり、人間の無意識は赤の他人が面白おかしいストーリーで恐怖に陥れられることを望んでいる訳だ。
それは潜在的に「スリリングな死」をして欲しいと期待を抱いているのだ。もし自分と、同じメリーさんが出会ったら、私はそのメリーさんに「スリリングな死が訪れたら面白い」と考えるだろうか。その疑問に興味は湧かなかった。どうせ会うことはない、と思ったから。

男が近づき、私を覗き込む。よく見れば頬以外にも指に怪我をしていた。何の傷かは皆目見当がつかなかったが、どうでもいい。

「綺麗な金色の髪だ。眼は、碧眼って奴かな。作りはしっかりしてるし別段悪いデザインでもないのに、何で捨てられてるんだろう」
「・・・・・・・」
「古くなったか、それとも・・・邪魔に、なったのか・・・・・・」

青年は暫く考えるそぶりを見せた後、何かを思い出したように沈んだ顔をした。私は、答えない。ここで答えるのはメリーさんではないからだ。きっとやろうと思えばここで喋ることも出来るのだろうが、する気にはならなかった。人間と一緒で、実現できるとは思っていてもやらない。例えば殺人も、やろうと思えばできるが実際にやる人間は非常に少ないだろう。それと同じで返事を返さなかった。

「・・・馬鹿だな俺。そんなの気にする暇があったら・・・・・・緊張で余計なこと考えるなよ、俺」

一人で何やら呟いた青年は、手に握る鞄に一瞬だけ目を落とし、また歩き出した。自分の考えに飲まれて私の事を完全に忘れているようだ。これも別段悲しくは感じない。私の行動は―――私が決めているのではないのだから。

彼は「メリーさんの電話」の都市伝説を知らないか、そこまで思いが至っていないだろうと思った。いや、彼に限らず私が選んだ相手は皆都市伝説の事を知らないか、心のどこかで絶対的に信じていない。つまり、そんな相手をターゲットにしろと人間の無意識が望んでいるからそうなるのだろう。私は人間の願望を、論理の世界から飛躍して叶えているのだ。願望の実現、理想の顕現、思考の出現。それが私だ。

そして、しばらく時間が立って夕焼けが地平線に沈んだ時に、私は「何となく」動き出す。
まるで決められた手順を繰り返すルーチンワークのように、いつものように、それを口にした。

「私メリーさん。いま、ゴミ捨て場にいるの」


 = =


「私メリーさん。いま、ゴミ捨て場にいるの」
『・・・誰だい?親父の・・・・・・知り合いかな?』

その音声は空間的、空気振動的、電気信号的な束縛を越えてあの青年に届く。
電話など必要ない。ただ言えば、もうその言葉の前に電話は既に掛かっており、彼はそれに出ている。そこに私の声が流れる。そういうことになっていた。そして彼の声もまた、あらゆる物理的制約を越えて私の元へ届く。姿も何も見えないのに、彼がまるで目の前にいるような感覚があった。ターゲットを決めると、いつもそうなる。

私は移動しない。ただ結果が見えないだけで目の前に存在する。
だから後は段階を踏んで見えない現実を自分に近づけ、最後に結果だけが目の前に現れる。人間の感覚では逃げているつもりらしいが、それは間違いだ。人間の背中の後ろに既に結果が存在しているのだ。電話自体は形式的なもの、儀式でしかない。本当はもうそこに至るまでの事実は決定している。

男の声は聞こえない。私はただ事実を伝えればいい。だから向こうが不審に思ったり気味悪がって受話器を置いたら、その時に私はなんとなく次の言葉を喋りたくなるのだ。だが、まだ喋りたくならない。青年がこちらと会話しようと言葉を選んでいるのだろう。

『君は、親父のなんだ?まさか、あの糞野郎・・・変な関係じゃないだろうな』
「私メリーさん。私がお話をしてるのは貴方。お父さんじゃないわ」
『えっ・・・・・・?でも、だって君は親父の家に電話をかけて来たんだ。俺は親父とは縁を切ってるんだぞ?ここに電話がかかってくるわけないじゃないか』

戸惑いがちに答える青年の声。都市伝説メリーさんとは違った、些細な違和感。それの理由が分からず、私は暫く黙った。喋る必要を感じなかったから。周囲を包む暗闇が、時間がたつにつれ少しずつ濃さを増していた。

頭上の電灯に数匹の蛾が光に釣られて群がっていた。本能に導かれるがままに無意味な行動を重ねてエネルギーを浪費している、高熱の電灯に何度も羽根をぶつけては、鱗粉を意味もなく撒き散らす。私が人間をターゲットに定めるのも、本質的にはあれと変わらないのかもしれない。人間の無意識こそがあの蛾にとっての本能で、今考えている私は理性の私だ。もっとも、メリーさんに理性は必要ないが。

やがて、何となく喋りたくなった私はまた言葉を発する。その時、私の世界は青年の世界に一歩近づいた。ゴミ捨て場から、商店街の一角に私の身体は投げ出されていた。

「私メリーさん。いま、閉店したお肉屋さんの前にいるの」
『・・・・・・また、君か・・・けほっ、けほっ!』
「ねえ、聞いていい?」

会話を成立させる気もないのに、話しかける。言って気付いたが、これはメリーさんの本能ではなく私のロジカルな思考から導き出された疑問だった。私の意志と本能の境は曖昧だが、自意識と意志は似ているようでまったく異なるものなのかもしれない。
それはいい、興味が無い。ただ、疑問の答えには興味があった。時たま、私の意志は人間に興味を持つことがあった。そんな相手は結局死なずに終わることが多い。記憶する限り、メリーさんを始めた頃にはそんなことは起きなかった。これは私の意志の変化か、それとも集合無意識が望むメリーさんの変化か。矢張り、興味はない。

『なん・・・だい?声を聞く限り、君は子供だろう。こんな時間に知らない人に電話かけてちゃお母さんが心配す・・・・・・母さん・・・・・・』

突然彼の声のトーンが下がった。声色が含む感情は後悔か、悔恨か、恐らくはマイナスに位置するネガティブなもの。だが、構わず疑問をぶつけた。

「貴方、さっき自分の父親の家に電話がかかってきたと言ってたじゃない。でも、貴方と父親は絶縁関係だとも言ってたわ。あなた、どうしてお父さんの家にいたの?」
『・・・・・・・・・ぅああ、あ・・・!』

息が乱れるような空気音と、言葉にならない嗚咽が聞こえた。何となくだが、「お母さん」のワードを発した時から何かを思い出しているように感じた。目の前の現実がぼんやりと虚像を形作る。彼は頭を抱えていた。

『俺は・・・俺はぁぁ・・・ッ!』

喋る気が失せた。向こうが電話を切った・・・いや、拳で電話機を叩き割ったようだ。何が彼の激情を駆り立てているのかは分からない。だが、彼の激情の原因を暴きたい、という欲求が沸き起こってきた。これほど急に行動をしたく感じるのは初めてだった。ここに至って私は、今、私の意志と集合無意識の求めるものが重なっているのではないかと推測した。でなければ、これほどの意思の流れを説明できないとも思った。

私はメリーさん。メリーさんは私。互いの意志が交錯しても矛盾が起きない存在。だから、私の考えは正しいと言う確信があった。私は今、相手が何を考えているのか知りたがっている。

「私メリーさん。いま、交差点の前にいるの」

口を開いた瞬間、私は交差点前に投げ出されていた。車が行き交い、人も少なからず歩いているが、私の存在に気付いても気に留めて調べたり拾おうとはしなかった。「誰かが何とかしてくれる」という集団無意識から、誰も自分から手を付けようとはしないのだ。
私も、興味が湧かない物には思考を使わない。私は人間を理解できないことが多いが、ひょっとして人間に近い思考なのかもしれないと、何とはなしにふと思った。

『そんな・・・・・・こんなのを見たかったんじゃないだろ!俺はそんなつもりで・・・ッ!!何でなんだよ、いつもいつも勝手に!!』

彼は、メリーさんとは話していない。まるで自分に話しかけている風だった。私が家に接近している事さえちゃんと把握していないのかもしれない。錯乱しているということだ。それも、私に起因するものではなく、彼の周辺に起因するものだろう。私の起こす「電話という結果」すらしっかり把握していないと思った。

「ねえ、なにが『そんなつもりで』なの?それは、貴方の周囲で起きている事ね?」
『俺は・・・・・・なんで、あと一日早く決断しなかった!!くそっ、くそぉっ・・・!!こんなんじゃ、俺はどうして・・・・・・』
「お話だけじゃ分からないわね。私、今からそこに行くわ」
『・・・・・・えっ?』

身体が宙に投げ出される。くたびれた印象を受ける木造の一軒家が視界に映った。門構えは客観的に見て立派と言えるものだと思うが、塀の向こうにある木々に生命力が感じられない。長く世話をしていないようだ。

『ま、待ってくれ。来ちゃ駄目だ・・・今は駄目だ!!絶対に来ちゃ駄目だ!!』
「私メリーさん。いま、貴方の家の前にいるの」
『見ちゃいけない!!開けるんじゃない!!絶対に開けては駄目だ!!聞いているのかい!?』

私を怖がっている訳ではないな、と分かった。むしろ私がその場所に来るのを怖がっているようだ。それは自己防衛か、それとも私を気遣ってか。そのどちらとも付け難い強い衝動が彼を動かしている。


「聞いていないのは貴方よ。貴方、どうして私の行動に疑問を抱かなかったの?商店街から交差点まで、交差点からここまで、移動にどれくらい時間がかかるのか考えた?」
『そんなことは後でいい!!お願いだ、中には・・・・・・』

必死の声色で訴えてくる。でも、メリーさんはターゲットの言い分を聞くことはない。ただ淡々と、自分がターゲットの後ろにいるという現実を引き寄せるだけだ。手繰って手繰って、私はもうすぐ全ての束縛を乗り越えた現実に辿り着く。メリーさんになり、私の答えを知る。彼の真相を全て知る。


「私メリーさん。いま、貴方の後ろにいるの」



 = = =


 
目の前には奇妙な光景が広がっていた。その場には3人の人間がいた。

一人は眠るように目を閉じたまま、ピクリとも動かない中年の男性。
口元から泡を吹きだし、その肌は血が通っていないかのように青白い。いや―――血が流れていないのだと私は気付いた。肺が、心臓が、横隔膜が、生命活動に必要な運動が一切起きていない。中年の男の生命活動は完全に停止していた。
テーブルに目が行く。いくつかの、用途の分からない錠剤が数種類転がっている。薬については詳しくないが、カプセル剤は自作に見えた。隣にはそこに僅かな水の溜まったコップ。薬を呑んだのが死の遠因・・・若しくは直接的な原因だろうか。あまり興味は湧かない。

一人は、ロープに首をつられた形で天井からぶら下がっている中年の女性。
こちらからでは顔は見えないが、死後に垂れ流した糞尿と体液が身に着けたズボンと床のカーペットにシミを作っていた。私に嗅覚はないが、きっと目の前の青年にとっては耐え難い悪臭をばらまいているのだろう。
その身体はまばらな黒い点に覆われており、よく見ればそれは体に張り付いた無数の蠅だった。何匹かはぶんぶんと不快な羽音をたてながら室内を飛び回り、また女性の身体へ戻ってゆく。蠅が止まった途端に、周囲の黒い点が一斉に蠢いた。黒い斑点の隙間に見え隠れする白い何かは、蠅の卵かもしれないと思った。これにもあまり興味は湧かない。

そして最後の一人。
右手に大きく割れたワイヤレスの電話を、左手にサバイバルナイフを握った、あの青年。
部屋の入口に立ちつくし、たった今受話器を取り落してそっと後ろを振り向いた青年。その顔面からは血の気が引き、たった数時間で一気に老け込んだように生気が、エネルギーが無かった。生きる人間が持っている筈の決定的な生存本能さえも揺らいでいるように、体がふらふらとおぼつかない。青年はかちかちと歯を鳴らしながら私の声をした方向を振り向いた。

床に立つ私の姿を、彼の目が捉える。眼球に私の姿が反射された。激しい動揺が見て取れる目だった。瞳孔がすっと開き、身体がぐらついた。

その動揺は、後ろに人形が出現したことからか。それともその人形が独りでに立っている事にか。それとも声の主が見つからないからなのか―――どれも違う。いや、既に青年は平静な精神状態を保っていないのかもしれない。激しい息切れに、震える肩。だがやはり、彼が何故そうなっているのかに興味は湧かなかった。ただこの部屋で何が起きたのかに、興味は向かっている。無意識的自意識が真実の究明を望んでいる。

「あなたがやったの?」

問うのは、もちろんこの状況。
一人は首吊り、一人は服毒、そして生きている一人は手にナイフを握っている。
安直な帰結だ。だが、恐らくはそうではない。彼は予想通り、否定した。

「違う!!」
「貴方は関係ないの?」
「それは・・・ッ、でも、俺は!俺は・・・・・・こんなことになるなんて、思わなかったんだ」

感情的な反論から一転、抑揚のない声でそう返した。溜めこんだ感情を吐露して気を紛らわせようとしているのかもしれないが、彼の言葉に興味が湧いていた。メリーさんを形作る無意識の真実を暴く、まるで探偵メリーだ。まるで推理もしなければ、背後へ自動で辿り着く尾行だが。そう考えれば、私は人探しに向いているかもしれない。青年の自白染みた話が始まった。

「俺は、この家から逃げたんだ。親父はいつだって自分の名声と周囲の評価しか考えてないし、母さんはいつだって親父の味方しかしやがらない。こんな家に買い殺されるのは嫌だったんだ!!」
「貴方はお父さんとお母さんが嫌いだったのね」
「ああ、嫌いさ!習い事も友達も成績も・・・何でもかんでも一方的に道を押し付けて!だから、家の金をぶんどって勝手に出て行ってやったのさ!!」

そう叫んだ後、青年は苦しそうに口元を抑えて嗚咽を漏らし、私の横を通り過ぎて台所のシンクまで走った。取り落としたナイフが私の横すれすれに落下し、髪の毛を切りながら、とん、と小気味のいい音を立てて床に刺さった。
青年は換気扇のボタンを押し込み、蛇口をひねり、水が出るよりも先に口から吐瀉物を撒き散らす。現場の臭いか、それとも人が死んでいるという異常な状況に耐えられなくなったのだろう。歩いて彼の後ろまで移動しようと思い、面倒になって儀式を行う。彼の背後に体が投げ出された。

「私メリーさん。いま、台所にいるの」
「メリー・・・メリーさん。メリーさんの、電話・・・・・・?」
「知ってたんだ?まぁ、どうでもいいけど」
「俺を、殺すのか?」
「私は見ているだけのメリーさん。殺すメリーさんは、どこかの誰かを殺していると思うわ。私は見ているだけを望まれてるから、見てるだけ」

青年は返事を返さず、もう一度シンクに向かってむせた。
それをじっと見つめ、待つ。メリーさんは急がない。ただ淡々と、目的を果たすだけだ。蛇口から漏れる流水と彼の咳だけが、驚くほど音の無い家の中に響く。
もう、メリーさんの存在すら考えたくないほどに動揺しているらしい。親の死に目にこんな形で会えば、こうもなるのかもしれない。やがて肩で息をしながらも落ち着きを取り戻した青年が、またぽつぽつと語り始めた。

「親父が・・・・・・一度帰って話をしなきゃ、力づくで連れ戻すって言って・・・嫌だったんだ、どうしても。ここにいると俺の心は鎖で縛りあげられて、自分で動くことも出来やしない。だから、向こうにある生活を奪うくらいなら刺してやるって」
「それで、いざ家に着いたら死んでいたのね」
「おかしいと思ったんだ!」

突然、台所を拳で殴った。揺れで立てかかっていたまな板が倒れる。震える腕を2度、3度と叩きつけて、それでも抑えきれない感情を押さえつけるように自分の拳を掌で包み、目をつむる。どこか悔いているように見えた。

「電話が鳴ったんだ。君からだ。でも、親父も母さんもちっとも出やしない。人を呼んでおいて、呼び鈴を鳴らしても返事一つ返さない上に、電話にも出ない。おかしいと思って、試しに電話に出た」
「あの後に電話に出た貴方は冷静じゃなかったわ」
「リビングから酷い匂いがして、電話を持ったまま入ったら親父がソファに座ってたよ。声をかける前に床に落ちて、確認したら死んでるようだった。訳が分からなくて、とにかく母さんに救急車でも呼んでもらおうとして、もう一回君から電話がかかった」

肉屋に着いた時の会話だろう。咳込みながら電話に出て、途中で急激に様子がおかしくなった。好奇心を抱いたのもその時だ。

「電話に出てすぐお母さんに気付いたのね。咳込んでいたのは腐臭の所為?」
「臭いが強くなったと思って横を見たら、天井からぶら下がってた母さんと目があったんだ。これで人間なのかと疑った・・・うっ・・・げふっ、ごほっ!!」

もう一度、シンクに向かって激しく咳込んだ青年は、不快感を放出するようにもう一度胃の中身をシンクにぶちまけ、そのまま力なくずるずると床に崩れ落ちた。ずり落ちる過程で台所にあった箸やお玉、果物ナイフが床に転げ落ちた。漏らすのは嗚咽と吐瀉物と、瞳より零れ落ちる滴だけだった。

ずっとずっと、彼は何かを悔いている。一体何に、と訊こうとして、止めた。それはきっと今から彼が喋る。そんな気がした。彼も今この瞬間だけは、メリーさんの都市伝説の一部として取り込まれているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。はたして、彼は予想通りに心中の吐露を再開した。

「母さんの死体は、あれは死後何日か経ってる。でも親父が死んだのは多分今日だ。死後硬直が、まだ頭の辺りにしか起きてない」
「詳しいのね。お医者さん?」
「親父は、俺を医者にしたかったのさ。自分が昔そうなれなかったから・・・・・・だから、毒なんて持ってたんだろう」

そう言って、彼は床に戦慄いた拳を叩きつけた。

「ちくしょう、何なんだよ・・・・・・あいつは結局何がしたかったんだ!何で、何で両方死んでるんだよ!!俺に言いたいことがあったんじゃなかったのか!?なのに死んだのは今日か!!俺はもう家族でないから、自分たちの事は何も伝えないって言うのか!!」

叩きつけた拳が果物ナイフに当たり、指に真赤な切れ目がいくつも入ってゆく。
曇りの無かったナイフの断面は瞬く間に皮脂と血液の混ざり合った奇妙な文様を描かれた。
それを止めようとは思わない。どうせ拳から出血した程度で人は死なない。

私の好奇心も、半分ほどは薄れていた。今回のターゲットは、とても奇妙な結末を迎えたようだ。涙を流しながら、自分が嫌いだったという両親の死を悼み、恐らく止められなかった自分を責めている。メリーさんの都市伝説とは関係のない、既にただの事件となったこの現場に留まる理由も、もうないような気がした。

「・・・母さんが死んだんならそう言えよ。自殺したいくらい悩んでるなら、連絡くらい入れても良かっただろう。それを何で死体と何日か一緒に過ごして、人が来る前に・・・見せびらかすように・・・・・・勝手だよ、親父はさ!!」
「嫌いじゃなかったの?両親の事」
「知らねえよ!!知らねえけど、悔しいんだよ・・・どうしようもなく悔しいんだよぉ・・・・・・ぉ、ああぁ、うわぁぁぁぁあぁああああ!あぁぁぁああああああああああ!!」



泣き叫びながら、青年は、昔に読んだ絵本の内容を思い出した。

大嫌いな友達を傷付ける自分を想像して悦んでいる少年。

だがいつしかその嫌いな友達に同情している自分に気付く。

気付いてしまえば、嫌いと憎いは別の物だった。
  
 

 
後書き
※この作品はpixivにも別人名義で投稿しましたが、後半を書き直しています。 
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