ヴァレンタインから一週間
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第25話 夢
前書き
第25話を更新します。
次の更新は、
8月2日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第9話。
タイトルは、『眠れる森の美少女だそうですよ?』です。
その次の更新は、
8月6日 『蒼き夢の果てに』第68話。
タイトルは、『再び夢の世界へ』です。
ここは……。
僅かに開いた目蓋の隙間から、人工の照明が産み出す温かみの薄い光が入り込む。
普段ならば不快に感じる事もないその人工の光源を何故か異常に眩く感じ、顔をしかめ自らの右手で目の部分を覆おうとする。
しかし――――
その際に、かなりの違和感。身体が異常に重い。
更に、軽い酩酊状態にも似た曖昧な記憶と、焦点の合わない瞳。
そして、大量に掻いた汗で下着が肌に張り付いたように成って居て非常に不快。
少し首を右に動かす。しかし、矢張り瞳の焦点は合わず、意識は未だ朦朧としたまま。
背中に感じる柔らかな感触は、ここがベッドの上で有る事を示している。
それに、僅かに香るこの甘い香りは、病院特有の消毒液と、清潔な……。しかし、無個性なシーツの香りなどではなく、まったく別の香り。
ただ、この香りは、何処かで嗅いだ事が有るような気もするのだが……。
まるで他人の身体のようで、少し動かすだけでもかなりの疲労感を覚えながらも首を動かし、周囲の確認を行う。
その俺の瞳に映ったのは……。
家具や調度品のシルエットを感じさせない、柔らかい白系統を基調とした部屋。
そして、人影。華奢なイメージ。かなり、小柄な雰囲気。
俺が、訳もなくその人影に向かって伸ばした右手を、その人影はそっと取り手の平同士を合わせ、……指と指を絡めるようにして繋いで来る。
その華奢な手の感触。それに、異常に熱を持った俺の手と比べて冷たい手は……。
「――――蓮花」
俺は、自らの救い出した人工生命体の少女の名前を呼んだ。その瞬間、彼女と繋がれた手に少しの力が籠められる。
そうか、俺はまた……。
「倒れたのか」
俺の問い掛けに、シルエットのみのショートカットの少女はやや躊躇った後に、微かに首肯いて答えてくれた。
俺は、そのシルエットを確認した後に、彼女の方向から明かりを放っている室内灯の方向に視線を向ける。
いや、逸らせたが正しいか。
そう。その理由は当然、動かすのにさえかなりの労力を要する身体故に、首だけを彼女の方向へと向けて置くのが辛かったから。
そして……。
そして、言葉を発しようとしない彼女の視線が想像出来て、視線を合わせる事が出来なかったから。
見えなくても判る。感情が籠る事のない瞳に、何時ものように責められて居る俺の姿が。
そう。念動や電撃を使用する分には問題はない。
しかし、瞬間移動を多用した翌日にはこうやって倒れ……。
「目が覚めたら、必ずお前が居てくれたんだな」
仰向けになり、目を瞑りながらそう呟く俺。
尚、酷く疲れたような口調になったのは、この場合は仕方がないだろう。実際、身体がだるく、無理に意識を保って居ても良い状況ではない。
本当は、汗を吸った下着を変えたかったのだが……。
その俺の言葉を聞いた蓮花が、繋いだ手を少し強く握って来る。
そして、そのまま俺の直ぐ傍。右肩の横にまで近寄って来る気配を感じた。
「大丈夫」
普段通り、彼女に相応しい口調でそう話し掛けて来る蓮花。そう。無機質で抑揚の少ない、感情の籠る事のない口調。
しかし、口調とは裏腹に、彼女の手は柔らかく……。
そうして、俺と繋ぐ事に因って温かくなっていた。
「今は、何も心配せずに眠って欲しい」
僅かに屈み、耳元でそう囁くように話し掛けて来る蓮花。しかし、彼女との実際の距離に反して、声から感じる距離は酷く遠い場所からの声に聞こえていた。
そうして……。
そして、その声を聞いた瞬間、俺の意識は再び、眠りの世界へと誘われて行ったのだった。
☆★☆★☆
何かが身体の中心を貫いた。
激痛? いや、異常に熱を持つ何かを押し付けられたような感覚。
その瞬間、意識を取り戻す。
嫌な夢? いや、その割にはリアルな感触が、あれが現実の出来事で有った事を示して居る。
しかし……。
保安灯にのみ支配された室内は薄暗く、自分の置かれている状況がイマイチ理解出来ない。
身体は嫌な夢を見たから――――
――汗を掻いていて非常に不快。そう考え掛けてから、しかし、その考えを直ぐに否定。
そう。この汗の掻き方は少し異常。嫌な夢を見たから汗を掻いた訳ではなく、大量に汗を掻いたから嫌な夢を見た。こちらの方が正しいような気がする。そして、現在の状態を、自らの乏しい経験から推測させて貰うのなら、解熱作用を伴う痛み止めを使用した際に、このような寝汗と、更に嫌な夢に因る覚醒を繰り返した経験が有る。
但し、魔法が実在している世界で痛み止めや、それに類する作用を及ぼす薬品を使用する怪我と言うのは……。
ぼんやりと、暗い夜の色に覆われた天井を見上げながら、そう考える俺。
更に、俺を困惑させて居るのは、この右手が伝えて来る優しい感触。
この優しく、華奢な手の温もりは……。
「ごめんなさい」
自らの右手が握る柔らかな手の感触を確かめていた時、突然、掛けられる言葉。
しかし、何故か、その声はかなり遠くから響く声のように。……まるで、薄い膜の向こう側から聞こえて来る声のような、酷く聞き取り辛い声で有った。
そう考えた刹那、まるでこの瞬間に目の前で起こった出来事で有るかのように、何かの映像のフラッシュバックが起こる。
これは――――
空は忌々しい程に晴れ上がり、冷たい風がひとつに成ったふたりの身体に吹き付ける。
その世界の中心で……。
俺が、一人の少女を抱きしめていた。
身長差からか、俺の胸に顔をうずめるようにしたショートカットの少女の背中に、優しく両の腕を回すようにして。
そして、その少女の手を濡らす紅き彩と、俺の身体の中心から流れ出して行く生命の源。
そう。俺の身体を貫く、少女が手にした短剣。
彼女と、俺の身体を伝って大地に零れ落ち、紅い色の水溜まりを更に大きくして行く。
「いや、あれは、お前……。綾が悪かった訳じゃない」
俺は、まるで独り言を呟くようにそう答える。いや、明らかに、先ほどの少女からの謝罪の言葉に対しての答えではなく、今の言葉は、フラッシュバックされた記憶に対するもの。
その瞬間、俺の右手が握る手から少しの緊張感が伝わって来たような気がした。
この右手に因って繋がっている相手は、綾ではないのか……。
俺は、そんな微かな疑問に囚われながらも、それでも尚、彼女への言葉を続ける。
「あれは、カナーンの戦士の神。バールに操られた結果」
瞳を閉じて、彼女の気配と手の柔らかさ、そして体温を感じようとする。
そう、視覚情報を自らカットする事で、より傍に居る少女を……。少女の心を掴もうとしたのだ。
しかし……。
ゆっくりと、二人の間に時間だけが過ぎて行く。
感じるのは、繋いだ手の温もりと、彼女の吐息。
続く沈黙に少しの不安に感じた俺が身体を起こし、彼女が居る場所……。何時も、俺の右側に居る彼女の姿を自らの瞳で確認しようとする。
しかし、その刹那。
ゆっくりと繋がれていた右手が解かれ、代わりに彼女の繊手が俺の未だ閉じられたままの目蓋を覆った。
そう。普段よりも彼女は一歩余分に近付いて居たのだ。
そうして、
「未だ傷付いた内蔵の処置と、失った血液の補充が終了した段階」
吐息の掛かる距離で囁かれる彼女の言葉。少しの違和感が有りながらも、何故か、不思議な安らぎを得られる。
そう。彼女が無事だった事が……。
「わたしはあなたの傍に居る。だから……」
もう少し、眠って居て欲しい……。
その言葉を右の耳が捉えた瞬間、再び俺の意識は眠りの領域へと落ちて行った。
☆★☆★☆
まるで縫い付けられたかのような重い目蓋を開く俺。
見覚えのない、少しクリーム色がかった天井。灯された室内灯の明かり。
足元の方に存在する大きな窓。そして、外からの視線を遮る為に施された薄い紗のカーテンと、その外側に有る厚手の花柄のカーテン。
本棚だけが存在している殺風景な室内。その一方の壁に押し付けられるように配置されたベッド。
その柔らか過ぎるベッドを占拠しているのが俺。
………………。
…………。
間違いない。ここは、新しいマンションの有希の寝室。
しかし、何故、ここに俺が寝かされて……。
曖昧な記憶。確か、俺は化けムカデと戦って――――
そう考えながら、ベッドの脇に視線を移す。
その俺の瞳に映ったのは、椅子に座った姿の……透明な表情をした女神さまで有った。
俺が意識を取り戻した事に気付いた少女が、自らの手にしていた和漢に因り綴られた書籍から、ベッドの上で横に成る俺へと視線を移した。
その瞬間、室内灯の明かりを反射した銀のフレームが、僅かに冷たい光を煌めかせる。
「すまなんだな、有希。ちょいと、ヘタを打った見たいや」
そんな、少し無関心を装うかのような少女に対して、上半身のみを起こしながら、最初に謝罪の言葉を口にして置く俺。
表面上は普段通り、清澄な湖にも似た落ち着いた雰囲気を装う彼女。しかし、彼女と視線を交わした瞬間に発せられたのは大きな安堵。そして、それに続く軽い落胆。
安堵に関しては、俺が目を覚ました事について、本当に安心したから。
そして、軽い落胆については……。おそらく、俺が目を覚ました事に関して。
そう。俺がこのまま眠り続けて、羅睺星と俺が直接戦う事が回避される事を彼女が望んだ。多分、そう言う事。
「わたしの事など護る必要はない」
俺の事をその瞳の真ん中に映したまま、彼女は少し冷たい……。いや、哀しい雰囲気で、そう独り言のように呟いた。
手を伸ばせば抱き寄せられる位置に存在しながら、何故か永遠にも等しい二人の距離。
そして、その彼女の言葉の中に含まれて居るのは、微かな怒り。
まして、その怒りの理由を推測する事も簡単。
何故ならば、彼女はあの時の俺の状態を、誰よりも確実に知って居たはずですから。
霊的に繋がり、俺からの霊気の補充を受けて居る彼女ならば。
真っ直ぐに俺を見つめる彼女と、それを見つめ返す俺の視線が、二人の丁度中心で交わる。
彼女のそれは、何時もの如き怜悧な、と表現すべき瞳。
俺の瞳は……。俺の瞳に関しては、自分では判らない。
「ありがとうな、有希」
唐突に感謝の言葉を口にする俺。但し、俺の意味不明の言葉など既に織り込み済みなのか、普段通りの視線で俺を見つめた後に、微かに首肯く有希。
そう。この感謝の言葉は、以前に行われた問答の繰り返し。
彼女が自らの生命を護る必要などない、と言った事に対して、
俺が護りたいと思っただけだから、有希に止められようと、誰に何を言われようとも関係ない。俺がやりたいようにやるだけだ、と答えた時と同じ状況。
そして、双方の思いは同じ。
更に、俺の生命が、有希のそれに比べたら軽い事は今回の例で彼女は気付いたはずです。
俺が、こうやって無事に目を覚ます事が出来たのは、俺には蘇生魔法の効果が有った証明ですから。
そうして、
「俺が、こうやって無事に目を覚ます事が出来たと言う事は、有希が水晶宮に連絡をしてくれたと言う事やな」
……と、そう問い掛ける俺。
そう。蘇生魔法が有って、天が定めた命数が残っている限り。そして俺自身が、冥府の食事に手を出すようなマネをしない限りは、一度や二度死亡したぐらいでは、俺自身がこの世界から完全に消えて仕舞う可能性は低い。
魂の入れ物。つまり、肉体が完全に失われていたら復活出来ない可能性も有りますが。
もっとも、大前提。俺の命数が残されている。……が、絶対に必要な条件なのですがね。
無言で首肯く有希。但し、その首肯きの中に、多少の不満が隠されている。
――成るほど。確かに彼女の不満の意味は判りますよ。但し、彼女の不満や怒りはもう少し後。それよりも先に聞いて置きたい事が有りますから。
それは……。
「その前にひとつ質問。俺の瞳の色は、どうなっている?」
俺と有希の間で、最初に確認を取るべき内容はこの部分と成るでしょう。
俺に取って彼女は、受肉した存在として初めて契約を交わした相手。それに、もし、あのムカデと戦った時に死亡していたとすれば、それも初めての経験。
その自らの死と言う状況が、契約にどのような影響を及ぼすのか、俺には想像が付きませんから。
例えば、相手の真名を奪って縛るようなタイプの式神契約の場合には、真名を奪った契約者が死亡した時に、その契約は自動的に解除されるような仕組みと成って居ます。
もし、彼女との契約が解除されているのならば……。
「大丈夫。黒と紅のオッドアイに変わりはない」
有希が透明な表情のまま、そう答えた。自らの左手の甲の部分に刻まれたルーン文字を俺に見せながら。
「良かった」
彼女の表情と、その仕草を確認した瞬間、我知らず、本当に安堵したような呟きを漏らす。
もしも、彼女との繋がりを失えば、有希に自らの生命を維持する方法が無くなる可能性も有り、俺の方には、また一人の家族を失う可能性が出て来ていた。
色々な意味で……。
有希は何も答えようとはしない。相変わらずメガネ越しのやや冷たいと表現される瞳で俺を見つめるだけ。
……表面上は。
そう。見た目に関しては、普段の……。出会った当初の彼女と、今の彼女との間に差は有りません。しかし、伝わって来る心の内側に関しては違っていた。それは多分、俺の言葉の意味を理解出来たから。
二人の絆が断たれずに、本当に良かった、と言う言葉の意味を……。
目覚めた直後に比べると、ずっと優しい気配を伴った時間が二人の間と、彼女の寝室内に過ぎて行く。
さて、それならば。……彼女が俺の帰還を待っていてくれたのならば、俺の口から直接説明しなくてはならないでしょう。
あの時。化けムカデが顕われた瞬間に、何故、有希を遠くに排除してから、俺一人でムカデに対処したのか……、の理由について。
「あれはムカデ。基本的に龍の天敵となる存在や。
基本的に龍とは、ほぼ無敵の存在。ただ、当然のように何事にも絶対はない。
弱点の逆鱗や、有希に死ぬ直前……。命数が尽きる寸前に教えてやる約束の弱点なども有る。
それに、天によって用意された天敵が、あのムカデと言う存在やな」
俺の説明。そして、その説明によって、せっかく和らいでいた有希の不機嫌度が、もう一度跳ね上がった。
いや、簡単に彼女の雰囲気が表面上に現れる違いから判るほど変わる訳は有りません。
僅かに上げられた眦と、微かに感じる雰囲気の中に、普段の彼女とは少し違う部分が存在している、と言うだけです。
「それでは何故、自分の天敵と判っている相手に、自分一人で立ち向かおうとしたの」
普段通りの口調なのですが、それでも雰囲気が違う有希の問い。
それに、これは当然の疑問でしょう。何故ならば、俺が逆の立場なら、間違いなく問い掛ける質問でも有りますから。
「ヤツの武器は、強力な顎とその巨体。そして、龍と互角か、それ以上のスピード。せやけどその程度のモンなど、龍に取っては大した脅威とはなり得ない。ホンマに恐ろしいのは、その毒腺から吹き出される毒液。
並みの龍……。東洋の龍の格は、基本的には指の本数で決まる。
俺は五本。格で言っても、龍神クラスや。
並みの龍なら、一息で行動不能に出来たとしても、俺ならば、しばらくは持たせられる」
彼女の質問に対する答えを行う俺。そして、その答えに因って、有希の不機嫌度が更に上昇した。もっとも、それも当然の話ですか。
そう。この台詞は飽くまでも、しばらくは余計に持たせられるで有ろう、と言う曖昧な憶測で動いた、と白状したのですから。
そして、現実に俺の身体は、あのムカデの毒を浴びた瞬間に致命的な被害を受けたのは動かし様のない事実。この部分を変える事は出来ません。
化けムカデの毒と言うのは、普通の人間ならば間違いなく一呼吸。おそらく肌に触れるだけでも死亡に移行する猛毒ですからね。
「更に、俺は純粋な龍ではない。かつて……俺の御先祖の中に龍神に繋がる血を引く人物が存在していた。その血の中に潜んでいた因子が、以前に死に掛かった時に活性化して龍種としての能力に目覚めた存在。
故に、純粋な龍と比べると能力の上では劣る部分も有るけど、当然、弱点の部分も薄められている」
一応、ここまでの説明は、あの場での俺の行動に対する説明の前段階。基本的な事実に対する説明。
これ以降が、あの場での俺の行動に対する判断理由の説明。俺に取っては非常に重要な部分。
「俺には、あの場で……。あの瞬間の判断では、有希があのムカデの毒に耐えられるとは思わなかった」
有希の身体の組成は、人間とほぼ同じ材料から思念体によって造られた存在。故に、人間以上の耐久力が備えられているとは思えない。
俺は、三年ぶりに出来上がった新しい家族に対してそう告げた。
そして、
「有希が死亡した場合、今の俺には、オマエの魂を呼び戻す術がない」
……と続ける。気負う訳でもなく、ただ、事実のみを説明する口調で淡々と。
但し、この部分に関しては。……今年の七月七日が過ぎて、俺が、彼女の記録をアカシック・レコードから、俺が望む過去を間違いなく読み取れば、そんな心配も無用となるとは思いますが。
俺が、水晶宮を通じて依頼して有るのはその部分ですから。
羅睺星の再封印を俺が行う代わりに、彼女に未来を創る手伝いをして貰いたいと言う願いを……。
もっとも、俺の方が死亡しても二人の絆が断ち切られる事がないのなら、有希を失ったとしても、同じような理由から彼女の魂を呼び戻す事は可能なはずです。
当然、彼女自身が黄泉竈食いを行っていない、と言う条件が付きますがね。
ただ、可能性が有るとは言っても、現実には絶対にそんな実験を行う事など出来る訳など有りませんが。
「前にも言ったけど、俺と、有希の生命の重さを比べたら断然、有希の方が重い」
そして、俺の中の大前提。この部分だけは絶対に譲る事の出来ない事柄を口にする。その他の部分は例え譲ったとしても、この部分に関しては譲る事が出来ません。
それに、理由をすべて話したら、彼女には納得して貰えると思いましたから。
但し……。
但し、納得出来たとしても、受け入れられるとは限らない。
俺を見つめる深い湖にも似た瞳が揺れた。
先ほどまでの少しの不満を発して居た雰囲気は鳴りを潜め、哀しげな瞳。……これは、俺が彼女の瞳を見つめた時に感じたイメージで有り、俺自身の彼女に対するイメージの投射に過ぎない。
しかし、
「貴方と、本当の意味で共に生きて行く事が、わたしには出来るの」
普段通りの口調で、普段通りの表情で、俺にそう問い掛けて来る有希。
彼女の望みは判る。そして、あのムカデと戦った夜も、彼女は最初、機嫌が良かったではないか。
俺が、結界の要石に霊気を籠めていた際に、彼女に傍に居て欲しいと言った時。
さつきを助ける為に、共にがしゃどくろと戦った際も同じ。
「今は難しい」
俺は率直な意見を口にした。その言葉は、当然、彼女の求めている答えでは有りません。
しかし……。
「未来は判らない」
そう続ける俺。
実際、依頼して有る彼女の過去は人工生命体。水晶宮関係の人工生命体で有る以上、おそらくは那托。蓮の花の精となる公算が高い。
このような通常の生命体と比べて異常な能力を持った存在が、俺と共に歩めないような存在と成るとは思えない。
但し……。
「未来は未来」
俺は、右手を伸ばし、彼女の頬に手を当てる。
その手の平が伝えて来たのは温かさ。彼女が、今そこに生きて、存在している証。
「今は異常事態。故に、俺と有希は一緒に居る。
しかし、この事件が終れば、こんな人間関係に縛られる必要はない。
オマエさん自身にやって見たい事が出来る可能性は有るし、それ以外の人間関係が出来上がる可能性も高い」
その時まで、有希が自らの思いを殺してまでそんな事に拘る必要はない。
俺は、そう彼女に語り掛けた。
まして、今、彼女が抱いて居る感情は吊り橋効果のような物。更に、消えるしかなかった自らの生命を助けて貰った事に対する感謝の気持ちも大きい。
そんな物で、未来まですべて決めて仕舞う必要など何処にも有りませんから。
しかし……。
「大丈夫」
有希は頬に当てられた俺の右手に、自らの左手をそっと添えながらそう答えた。まるで、愛しい物を包み込むような優しさを籠めて。
「あなたは最初から、わたしに自分で考えて行動する事を求めた。
わたしには、それがとても新鮮な体験だった。
わたしは、わたしの意思と判断で、あなたの考えに賛同している。
それは決して強制されたからでも、そう思うように調整されたからでもない」
其処まで一言一言に力を籠めるかのように。言葉に魂を籠めるかのように紡いで来た少女が、其処で一度、ゆっくりと瞬きをする。
そして、次にその瞳を開いた時には、その瞳には決意にも似た色を浮かべていた。
「わたしは、わたしの意思と判断で、あなたと共に有る事を望んだ」
彼女に相応しい声で、その瞳に俺を映しながら。
………………。
…………。
伸ばされた俺の右手は未だ彼女の頬と左手の間に。
そのどちらからも、彼女の温もりと優しさを伝えて来て居た。
「ありがとう、な」
俺は短く。しかし、真っ直ぐに、その時の気持ちを言葉にして、彼女に伝えたのだった。
☆★☆★☆
「それでな、有希。さっきのムカデの話なんやけど、実は、全部終わった訳ではないんや」
俺の右手が解放され、但し、永遠にも等しいと思っていた二人の距離が近付いた後の俺の言葉。
確かに、先ほどの会話だけで、有希が求めて居た部分の説明は終わったと思います。しかし、実はもっとも危険な部分の説明が終わっている訳では有りません。
取り敢えず表面上に変わりは有りませんが、俺の言葉を聞いた有希からは、真剣な、そして、やや緊張したかのような雰囲気が伝わって来ていた。
この反応は、俺の言葉を聞く準備はちゃんと整っていると言う事。
「あのムカデは、おそらくやけど、自然発生した化生ではない」
有希の様子は……。雰囲気だけで説明すると、流石に驚いている。
但し、それも当然の反応。そして、自然に発生した存在でないと仮定すると、
「先ず、蠱毒と言う外法を知っているか?」
俺の質問に、ひとつ首肯く有希。そして、
「蠱毒とは、古代に於いて用いられた呪術の一種」 と答えた。
「正解。まぁ、虫や小動物を用いて共食いをさせ、最後に残った一匹を用いて呪詛を行うと言うのが蠱毒の法やな」
蠱毒とは、毒や怨念などの、負の気の集まった危険な呪法の事。正や陽の気の神獣である俺とは、非常に相性が悪い。
「それで、古来より、化けムカデの出現例はない事もないと言う程度の存在。そして、そのどれもが、単体のみの出現で、複数体の化けムカデが同時に現れた例を俺は知らない。
普通、ムカデはツガイで現れる、と言う話が有るにも関わらず」
普通は、その本性がムカデであるのならば、それが例え化生となったとしても、ムカデとしての属性から逃れられる事は有りません。
いや、むしろ化生と化した後の方が、化生と化す前に持っていた属性が顕著に現れる場合の方が多いはずです。
しかし、ムカデだけは、その例にイマイチ当て嵌まる事のない珍しい存在。
「単独で存在している、自然のムカデなんぞ、俺は見たことがない。ウソやと思うのなら、森の中で腐った木や、何層にも重なった枯葉の層を掻き分けて見たらええ」
もっとも、見つけたら、見つけたで、そんなに気持ちの良い物では有りませんが。
「それに、そんな目撃例の異常に少ない化けムカデが、ソレを偶然苦手にしている龍種の俺の目の前に現れるやなんて、確率的に言うとかなり低い確率と成るのは間違いない」
これは普通に考えると、偶然の出来事と考えるよりは、必然と考えた方が正しい。
まして、俺には敵が居ますから……。
ただ……。
ただ、これは羅睺星が直接、策を弄した結果とも思えません。何故ならば、ヤツが顕われるのは、もっと先のはず。
それに、そもそも、龍種の俺が動いている事を、羅睺星や計都星が気付いているとも思えませんから。
羅睺星や計都星が気付いていない。更に、俺の周りを奴らの配下の魔星君が嗅ぎまわっていたのなら、俺か、少なくとも水晶宮の方が気付いて、俺たちに対して警告を発して来るはずです。
そう考えると、今回、あの場所に化けムカデが顕われた理由は……。
「一応、この部分は有希の頭の隅にでも置いて於いてくれ。
今回のこの羅睺星が顕われた事件は、涼宮ハルヒが偶然に起こした学校中に呪符を貼りまくった事に因り発生した事件」
しかし、その事件に介入した存在の目的が、この世界にクトゥルフ神族の邪神シュブ=ニグラスの因子がハルヒに植え付けられる事件自体の発生を阻止させる事なら、
その事件を起こす存在。今年の七月七日に、この世界のキョンと未来人朝比奈みくるが過去に向かって旅立って貰わなければ困る存在からの介入も有り得る、と言う事を……。
俺の言葉に、かなり緊張した面差しで首肯く有希。
そう。今回の介入が最後の可能性は低い。これから先にも、この程度の介入。直接、自らが介入している、と言う尻尾を掴ませないタイプの介入ならば、ヤツも行って来る可能性は高いと思いますから。
今回の化けムカデと遭遇した事件の黒幕が、這い寄る混沌と呼ばれる存在ならば。
一通りの説明が終わった後、再び、世界は俺が目覚めた時と同じ。冬の夜に相応しい静寂の支配する世界へと移り変わっていた。
ただ、世界を支配する雰囲気が変わって居ましたが。
最初は、俺が目覚めた事に対する喜びと、それに相反する目覚めた事に対する不安。更に、俺が倒れた時の経緯の説明不足に因る不満などから、やや雰囲気が重かったのは事実。
しかし、
「トコロでな、有希。俺はどれくらい寝ていて、後、どれぐらいで回復出来るか知らへんかいな?」
今の有希から感じる気は、少し緊張しているけど、柔らかな雰囲気になって来て居ます。
そして、現状での俺の身体の動きはかなり悪い。おそらくは、ムカデの毒が霊道にまで入り込み、多少、霊気を練る霊道自身が穢されて仕舞ったのだと思いますが……。
その刹那。有希の雰囲気が変わった。
俺に取っては悪い雰囲気ではない。むしろ、彼女は俺の事を思って、これから先の言葉を続けようとしている。
その事が確かに伝わって来る雰囲気で。
「あなたは何も心配する必要はない」
夢に顕われた少女たちが口にした台詞を、彼女も口にした。
いや、もしかすると、あの夢だと思った場面はすべて彼女の台詞だった可能性も……。
「今はゆっくりと休んでいて欲しい。その間に」
有希はゆっくりと。俺を納得させるかのように、本当にゆっくりとそう言った。
その言葉に含まれて居るのは安堵。彼女の今の心の状態を強く表している。
そうして、続けて、
「すべてが終わって居る」
後書き
この物語は輪廻転生を重要な要素として持って居る物語です。
故に、微妙な人間関係と言うのは、実はアチコチに転がって居ます。
尚、カナーンの戦士の神バール云々に関しては、『蒼き夢の果てに』第64話内のモノローグ。魔界の湖深くに鎮めたヤツの息子、……と言う部分と繋がって居ます。
これは流石に判らないでしょうから、ネタバレをして置きました。
ただ、ゼロ魔二次も、そして、こちらのハルヒ二次の主人公に関しても、未だすべての記憶を取り戻して居る訳では有りません。
まして、双方の主人公は完全に同一人物と言う訳では有りません。時系列的に言って、ゼロ魔二次の主人公の方が一年ほど後の時間に存在して居る異世界同位体です。
それでは次回タイトルは『わたしも一緒に』です。
ページ上へ戻る