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ヴァレンタインから一週間

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第26話 わたしも一緒に

 
前書き
 第26話を更新します。

 次の更新は、
 8月14日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第10話
 タイトルは、『目覚めたのは、天上天下唯我独尊的美少女だそうですよ?』です。

 その次の更新は、
 8月18日 『蒼き夢の果てに』第69話
 タイトルは、『シャルロット』です。
 

 
「今はゆっくりと休んでいて欲しい。その間に――」

 彼女はゆっくりと……。俺を納得させるかのように、本当にゆっくりとそう言った。
 その言葉に含まれて居るのは安堵。彼女の今の心を強く表している。

 そうして一呼吸。まるで、自らの精神を落ち着かせるかのように、ひとつ息を吐き出した後、俺が何か言い出す前に自らの言葉を続けた。
 出会いの夜から一度も変わらない起伏の少ない彼女の心の中に、少し強い感情の色を隠して。

「すべてが終わって居る」

 ………………。
 …………。

 優しさと言う名の沈黙の妖精が世界(ふたりの空間)を支配し、俺の視線と、彼女のメガネ越しの視線が、二人の丁度中心点で小さく絡み合った。

 その瞬間。

「すまない。それは出来ない」

 俺は、少し居住まいを正した後に、そう、有希に対して答えを返した。彼女の視線に耐えかねて根負けした訳でもなく、ごく自然な雰囲気のままで。
 そんな俺の答えに対して、こちらも普段通りの表情で俺を見つめ返す有希。その感情の部分も、大きな揺れのようなモノは存在しない。
 つまり、彼女の方も、この俺の答えを完全に予想していたと言う事に成る。

「有希や、そして、水晶宮の仲間たちが俺の身体の事を考えて、そう言ってくれて居る事は理解出来る」

 一応、そう答えて置く俺。
 そして、呼吸を整えると同時に精神の安定を図り、もう一度、彼女を見つめる俺。
 室内灯の蒼白い光を彼女の容貌を構成する重要なパーツに反射しながら、彼女はただ黙って俺を見つめ返すのみ。俺の言葉に口を挟んで来る事もなく、ただ、俺が言葉を続けるのを待つのみの姿勢。

 少し哀しげな雰囲気をその身に纏いながら……。

「それに、その事については素直に嬉しいし、有り難い事だと思っても居る」

 俺の答えに対して、少し迷った後に微かに首肯いて答えてくれる有希。この迷いの意味も、これに続く俺の言葉の内容に察しが付いて居るから。
 それでも尚、俺が素直に感謝の言葉を口にした部分は受け入れてくれたと言う事。

 これは、彼女の優しさの表れだと思います。

 但し、有希の優しさとは違い水晶宮の思惑の方は、もう少し辛辣な理由が存在する可能性も有ると思いますけどね。

 何故ならば、元々今の俺の能力は、水晶宮に所属する能力者の中で跳び抜けて優秀な能力者と言う訳では有りません。
 その俺が今回の事件の解決に重要な役割を担う事が許された理由は、この西宮に残されて居た伝承が、俺や有希の存在と被る部分が大きいから。

 しかし、その一点を除けば、今の俺は単なる駆け出しの仙人に過ぎず、今回、化けムカデを龍種が倒すと言うやや規格外の働きを見せたにせよ、その所為で回復に時間の掛かるダメージを受けた事は間違い有りません。

 そんな手負いの状態の俺に、普通に考えるのならば世界の命運を託す事などが出来る訳は有りませんから。

 但し……。それでも尚、俺にはやらなければならない事が有ります。神話……この世界の西宮に残されている伝承通りに事態を推移させない限り、消す事の出来ない呪いが彼女に降りかかって来る可能性が有る限りは。

「身近な人間を失った人間がどうなるか、有希は知って居るか?」

 俺のかなり真剣な視線の後に発せられたやや意味不明の問い掛けに、少し迷った後に、微かに首を上下させる有希。
 そう。この時の彼女は間違いなく俺以外の人間にも判る形で答えを返して来ました。それ程の強い思いを、彼女はその身近な相手を失った時に感じたと言う事なのでしょう。

 しかし……。

 成るほど。彼女も、経験が有るのならば……。

「……判るな。残された人間の心の動きは」

 あの時にこうして置けば良かった。こうして居たのなら。たら、れば、たら、れば、たら、れば、たら、れば。
 結局、ずっとその思いに囚われ続けるだけ。

 そんな後ろ向きな状況に陥るのはもう沢山。
 立ち止まったままで、ずっと動けずに居る状況など……。

「もう沢山」

 そんな状況に陥るぐらいならば……。

「わたしの事を気にする必要はない」

 俺の生命を賭けた大博打を打つ方がまし。そう言い掛けた瞬間に、有希が俺の言葉と思考を遮った。
 出会いの夜から今までの間、一度も発せられた事のない口調で。

 そう。今まで同種の言葉を発して来た時のような、無機質な平板な言葉使いなどではなく、初めて、彼女自身の優しい心に触れた。
 そう言う口調で……。

 そして、

「わたしは、あなたが傷付く事を望んではいない」

 ……と、続けたのでした。

 思わず、笑って仕舞うような簡単な答え。
 俺が彼女を見つめるのならば、彼女も俺を見つめ返していると言う事。

 彼女……有希が人間の生と死について理解している事に関しては、薄々気付いては居ました。
 そして、先ほど、残された者の気持ちが判るとも答えた。
 それならば答えは簡単。彼女も俺と同じように、俺が消える……死亡する事を恐れたとしても何ら不思議な事はないと言う事。

 しかし、それ故に、

「オマエさんの考えが判った以上、有希に害が及ぶ可能性が有る事。人魚姫のルーンと言う物を放置する訳には行かない」

 誰が止めようが、何が起きようが、今回の事件は俺の手で解決する。
 その上で、彼女の左手甲に現れたルーンが消えるのならばそれで良し。消えないのならば、消えるまで考えられるだけの方法を試して見るだけ。
 彼女の答えで、この想いが更に強く成っただけです。

 もっとも、羅睺(ラゴウ)星を俺自身の手で再封印出来なければ、其処から先の俺の未来は存在しなくなるのですが。

 有希が、滅多に見せる事のない表情で俺を見つめる。
 これは、決意。もう二度と引かない者の決意。

「――わたしも明日、あなたと一緒に連れて行って欲しい」

 彼女がそう口にした。理由は判るし、連れて行くのは簡単。
 そして、この羅睺(ラゴウ)星の復活で出来上がる異界に侵入可能なのは、おそらく俺と有希の二人だけ。伝承に残されて居る登場人物だけに成ると思う。

 ただ、羅睺(ラゴウ)星が顕われるのは明日。……つまり、俺は丸々一日の間眠って居た、と言う事に成るのか。

 俺の視線を受け、しかし、俺の答えを待たずに、彼女は、淡々とした普段の口調のままに更に続けた。

「あなたが倒れた時、わたしの心の中に今までに発生した事のない感覚が起こった。
 朝倉涼子を情報統合思念体の指示に従い処分し続けた時に感じたものとは違う、もっと大きな喪失感。
 初めての感覚では有った。ただ、たったひとつだけ判った事が有る」

 彼女は、俺を瞳の中心に据えたまま続ける。
 起伏に乏しい彼女独特の口調で。

「もう二度と感じたくはない。そう思ったのは間違いない感覚だった」

 しかし、彼女の決意に相応しい想いを言葉に込めて……。

「そして、もうひとつ判った事が有る。
 わたしはあなたが傷付き、倒れる所は見たくない。けれども――」

 ここまで一気に話し続けて来た有希が、ゆっくりとひとつ息を吐いた。
 これは、自らの考えを口にする為の空白。

「同時に、わたしの知らない所であなたが傷付き、倒れる事は、もっと考えたくはない」

 その言葉が有希のくちびるから発せられた瞬間、彼女の姿に重なる異なる少女たちの姿。
 異なる……。今はもう何時の会話だったのか思い出せないような、遙かな記憶の彼方に存在する、少女たちのくちびるから発せられる異なった声。
 そして……。

 そして、同じ意味の言葉。
 ならば、続く言葉も……。

「わたしは未だあなたに感謝の言葉さえ告げてはいない。
 もしも羅睺(ラゴウ)星との戦いの後にそのまま……。そのまま、あなたが元々暮らして居た世界に帰って仕舞ったのなら、わたしはあなたに別れの言葉を告げる機会さえ失って仕舞う事と成る」

 彼女の言葉がすべて終わった後、少しの沈黙が二人の間に流れる。
 二人の間に存在するのは、夜と静寂と人工の光。

 右腕を伸ばし、そっと彼女を抱き寄せた。
 軽い驚き。しかし、彼女からそれ以上の抵抗のような物を感じる事はない。

 言いたい事は色々有ります。確かに、彼女の今の感情は単なる刷り込みに等しい感情の可能性も高いでしょう。
 当然、吊り橋効果や、式神契約の際のルーンに因る影響の可能性も有ると思います。
 しかし、

「ありがとうな」

 抱き寄せた彼女から、甘い香りが俺の鼻腔を(くすぐ)り、
 何故か、俺の腕の中にしっくりと来る彼女の柔らかな身体と、妙に落ち着く彼女の心音を自らの身体で感じた。

 そして、そのまま彼女の耳元に、

「ええで。一緒に行こう」

 そう、いともあっさりと伝えた。

 抱き寄せた彼女に直接触れた部分から、彼女の心がダイレクトに伝わって来る。
 それは間違いなく驚き。
 確かに、彼女からしてみると、俺がもう少し彼女の同行を渋ると思って居たはずですから。

 何故ならば、俺が有希を羅睺(ラゴウ)星が顕現する異界化空間に連れて行きたくない理由が、彼女の事を傷付けたくない、でしたから。

 しかし、

「最初から言って有るはずやな。
 何故、俺に着いて来たいのか、自分が考えて居る事を俺に伝えてくれたら良いって」

 俺は最初に言った言葉を再び口にする。
 あの時の彼女には口にする事が出来なかった言葉を口にした彼女に対して。

 そうして、

「それに、さっきの有希の言葉を否定する事は、今の俺には出来ない。
 何せ、オマエさんの目の前で、羅睺(ラゴウ)星ドコロか、ムカデを相手にして殺され掛けたんやからな」

 俺は、其処まで彼女の耳元で囁いた後に、彼女を身体から少し離し……。それまで彼女が座っていたベッドの脇に置かれた椅子から、俺が横に成って居たベッドの上の開いたスペース。つまり、俺の傍らに座らせた。
 そして、最初から比べるとかなり近い位置に存在するように成った、やや作り物めいた彼女の容貌に少し笑い掛けた。

 もっとも、これは照れ隠しの笑い。あまり、格好の良い物ではない。

「ホンマにすまなんだな、有希。ムカデに単独で相対したのは、流石にムチャやったかも知れない」

 結局、最初の言葉に戻る俺。ただ、俺としては、あの時の判断はアレ以上の判断は無かったと未だに考えて居るのも事実ですが。
 要は、俺自身の能力が足りなかった。ただ、それだけの事でしたから。

 絶対の能力が有れば、相討ちなどと言う無様な結果と成りはしなかったのですから。

 有希が少し迷ったかのような空白の後、微かに首肯く。
 そして、同じ寝台の上に腰を下ろした二人の間に、微妙な雰囲気の時間が流れて行く。

 何か妙な雰囲気。但し、この奇妙な空白の意味は……。

「何か、聞きたい事が有るのか?」

 彼女の雰囲気を察して水を向ける俺。
 そう。この雰囲気は何か聞きたい事が有って、しかし、聞き辛い事が有る時に人が発する雰囲気。

 俺の言葉に、矢張り、少し迷ったかのような雰囲気を発した後に、首肯く有希。
 そして、

「今のわたしには判る。今のあなたと、倒れる前のあなたとの間には確かに差異が存在する」

 ……と、問い掛けて来た。
 口調は普段通り。しかし、今の彼女の発する気は、明らかに俺の事を心配しているのが判る雰囲気。

 成るほど、流石に気付いたと言う事か。
 俺の傍らに居て、俺から直接、気を受け取っている有希が霊気……。俺のそれを正確に表現するのなら、龍気と言う方が正しいか。彼女が、俺の龍気の質を明確に感じる事が出来るようになったとしても不思議では有りません。
 まして、仙骨が存在する事から考えると、仙術の才能と言う点から言うのなら、彼女は希有な才能を秘めて居るはずですから。

「まぁ、その事については、隠しても意味はないか」

 現状の俺の能力では、回復度合いは五割程度。こんな状態では、とてもでは有りませんが羅睺(ラゴウ)星を相手に戦える状況にはないと思います。
 それならば、

「すまんけどな、有希。綾……。玄辰水星と連絡を取って貰えるか?」


☆★☆★☆


「目が覚めたのですね」

 有希の寝台に、上半身だけ起こした姿勢で彼女を出迎えた俺に対して、かなり、落胆したかのような雰囲気を纏った彼女が言葉を投げ掛けて来た。
 部屋に入って来たそのすぐ後に……。
 ただ、今と成っては、彼女のこの反応も納得出来ます。
 何故ならば、彼女も有希と同じように、今回の羅睺(ラゴウ)星との戦いに俺が関わる事を望んではいないはずですから。

 いや、もしかすると、有希よりもその想いは強いかも知れない相手ですから……。

「目が覚めただけで、完全に復調した、とは言い難い状態ですけどね」

 本来の彼女への対応としては、かなり丁寧な……他人行儀な対応。ムカデと戦う前と変わらない言葉使いで対応する俺。
 それに、現在の俺の状態がこの言葉通りの状況で有るのも事実。
 まるでキツイ鼻詰まりのような状態と言えば伝わり易いですか。気の巡りが異常に悪い状態で、身体のスムーズな動きに不都合が発生するレベルの状態ですから。

「この状態はおそらく、ムカデの毒に霊道が穢されて、気の循環が阻害されている状態だと思います」

 有希の寝室内に入って来て、俺の座るベッドの脇の椅子に腰を下ろす玄辰水星。そんな細かな仕草にも、彼女の清楚な雰囲気と、妙な既視感にも似た強い何かを感じる。
 そして、俺の語った推論に対する、彼女の答えを聞く前に更に続けて、

「そこで、出来る事なら。……完全に体調を回復させる方法が有るのならば教えて貰いたいのですが」

 ……と問い掛けたのでした。

 但し、この問いに対して、俺の望む答え。俺を完全に回復させる方法が返って来る可能性は、高く見積もっても四割程度だと思います。そもそも、蘇生魔法が有るから舞い戻って来られた可能性が高いような状況からの帰還を果たしたばかりで、明日の夜までに完全回復させてくれ、と言う事自体がナンセンス。
 病人は素直に寝て居ろ、と言われる可能性の方が高いはずですから。

 但し、そんな事を言われたトコロで、はいそうですか、と言って大人しく寝ている人間でない事は、彼女……。玄辰水星ならば嫌と言うほど知って居るはずですから。
 彼女が、かつて俺の知って居た、あの少女と同じ存在ならば……。

 玄辰水星が、彼女の属性に相応しい瞳で俺を見つめる。その瞳は、まるで探るような瞳。
 それはかつて彼女の傍らに存在して居た俺を見定めようとしている行為。夢の世界の俺が愛した瞳で、俺の事を見定めようとして居る。

 今回、死に瀕した際に俺の身に何かが起きて居ないのか、確認する為に……。

 俺の視線と彼女……玄辰水星の視線が、下界の喧騒から隔てられ、夜の静寂と人工の照明によって支配された世界の中心で交わった。
 夢の中と同じような雰囲気で……。

 僅かな拮抗。妙な重苦しい雰囲気の空白の後、まるで根負けしたかのようにひとつ大きくため息を吐く彼女。これは、間違いなく諦めた者の証。
 そして、

「流石に一番簡単な方法は、試す訳には行かないわね」

 ……と、そう聞いて来た。
 一番簡単な方法か。

 そう考えた後、玄辰水星の後ろに着いて部屋に入って来て以来、扉の傍に立ち続けて居る少女に一度視線を送り、少し首を横に振る俺。

「流石に難しいですね」

 当然のように、そう答える俺。
 確かに、その一番簡単な方法と言うのも概要ぐらいなら知って居ますし、詳しい内容が知りたいのならば、すべての知識を授けてくれる式神。ソロモン七十二の魔将の一柱、魔将ダンダリオンに方法を問い掛ければ間違いなく教えてくれるでしょう。

 但し、流石にそれを実行するのは俺には無理ですから。

 先ほど、一瞬だけ彼女を見つめた事に対して、少し訝しく思ったのか俺の事を真っ直ぐに見つめる有希。
 その視線は、少し問い掛けるような雰囲気。

 俺は、小さく首を左右に振る事に因って答えと為す。
 更に、

「後、大きな霊気を霊道に一気に流す方法も難しいので……」

 完全に穢れを浄化出来ないのなら、詰まっている穢れを一気に流す、と言う荒っぽい方法も確かに存在するのですが……。
 しかし、その方法は、俺と霊的に繋がって居て、俺から霊気の補充を受けて居る有希に結果として穢れを押し流す事に成る可能性が高く、更に、許容量以上の霊気を有希が受け取る事にも成りますから。

 これでは、彼女に何らかの悪影響が発生する可能性が高く成りますからね。

「故に、現状の私では手の打ちようがない状態なのです」

 ……と、そう自らの現状の推測を口にする。

 但し、実はひとつだけ方法が有るには有るのですが……。
 それでも、時間を弄る。現在の状況は、おそらく時間さえ使えば回復する類の状態だと思いますから、それならば、壺中天のような異世界を作り上げて、その中の時間の流れを早めると体調を回復させるのは簡単だとは思います。

 しかし、それはあまりにも現実を歪める行為。現実を歪めすぎると、何処に悪影響が現れる可能性も少なく有りません。
 もし、余計なトコロに歪みのような物が現れると、以後、その歪みの修正に追われ続ける事に成りかねません。

 そうなるぐらいなら、現状のままで羅睺(ラゴウ)星の相手をした方がマシですから。

 其処まで考えて、この部屋に戻って来てから、ずっと部屋の入り口付近に立ったままで俺と玄辰水星のやり取りを見つめる少女に、再び視線を移した。

 そう。その歪みと言う物が確実に俺を襲う、と言う事が判っているのならば、万全の状態で羅睺(ラゴウ)星の相手をする為に、魔将アガレスの能力を使用して時間を引き延ばします。元々、かなり勝算が低い戦いに成る事が確実な戦闘の勝算を、これ以上低くする訳には行きませんから。
 しかし、もし、その現実を歪めた反動が彼女に襲い掛かった場合は……。

「……難しいですね」

 かなり難しい顔をした後、首を左右に振ってそう答える玄辰水星。
 発明神にして、医療神の側面を持つ玄辰水星でも、今回の件は流石に難しかったのか、答えは芳しい物では有りませんでした。
 まして、霊道と言う物は曖昧模糊とした存在で、その穢された場所の特定などと言う事も出来る訳は有りませんか。

「そうですか」

 差して残念そうな雰囲気を見せる事もなく、そう答える俺。
 それならば仕方がないでしょう。そう考えながら、

「わざわざ、呼び出した挙句、無駄足を踏ませて……。すまなんだな、綾」

 最後の最後で、さらっと流すように、彼女の名前を口にする。
 あの頃の俺……夢の中の俺と同じ口調で。
 その瞬間、当代の玄辰水星。俺の知って居た頃は水輪綾(みなわあや)と言う名前だった元少女から、何とも言えないような気が発せられる。

 今にも泣き出しそうな。しかし、陰の気に染まった気ではない、複雑な気。

 やや潤んだ瞳で俺を見つめる玄辰水星。そんな仕草はあの頃のまま。そして、彼女の方から何か言葉を発しようとして――――
 しかし、彼女はその後、ゆっくりと首を振った。

 これは……拒絶か?

 俺は、玄辰水星を能力の籠った瞳で見つめる。彼女の心を完全に掴むのは今の俺では無理。しかし、彼女の考えを知りたい。俺は今、無性にそう感じていた。
 ――――――
 ――――
 いや、拒絶ではない。彼女、玄辰水星から感じるのはいたわり。そして、達観。
 これは、俺を止めようとして、しかし、彼女の言葉では止められない事に気付いたと言う事。

 あの時と同じように……。

「ホンマに、すまなんだな、玄辰水星」

 色々な意味を込めて、再び同じ言葉を口にする俺。
 まして、彼女との別れは確か……。

 彼女が微笑みを魅せながら首を横に振った。但し、その表情ほど彼女の心が平静だったとは限りませんが。
 そして、もう一度俺を見つめた玄辰水星。その瞳は、元の……。この部屋に入って来た当初の物へと戻っていた。
 かつてお互いが交わし合った瞳ではなく、親しい知り合いたちに向けるそれと同じ瞳に。
 その瞬間に俺と彼女の間に存在する、住むべき世界の違いと、そして、お互いの間に流れて来た時間の差を感じずにはいられなかった。

「それじゃあ、また明日ね」

 それだけ告げてから立ち上がり、振り返って扉の傍に立つ有希を見つめる……綾。
 その綾と有希の視線が短く交錯した瞬間、有希から驚きに似た気が発せられる。そして、綾と俺の間で視線を彷徨わせた後、静かに。しかし、強く首肯いてくれたのでした。

 これはおそらく、綾と有希の間で……。


☆★☆★☆


 一瞬の感傷にも似た想いを残して、玄辰水星。いや、今の俺からすると、有り得ない記憶の彼方に存在した少女、水輪綾が去り行き、有希の寝室に、冬の夜に相応しい静寂が訪れていた。
 しかし……。

 僅かに、口角にのみ浮かべる類の笑みを浮かべる俺。
 そう。かつて、この世界に存在していた俺と、
 今、この有希専用の寝台の上に存在する俺。

 どちらが、本当の俺なのかが判らなく成りましたから。

 そんな長い夜に相応しい堂々巡りと成るしかない、……答えを得る事の出来ない自問自答を開始して居た俺の思考を遮るタイミングで、カチャリ、と言う音の後、この寝室の主が、彼女に相応しい希薄な存在感と共に入室して来た。
 その後、そうする事が当然と言うように、俺が上体のみ起こして座っている寝台の横に置かれた椅子に腰かける有希。

 そして、二人の視線が同じ高さで今、交わった。

「何か聞きたい事が有るのか?」

 俺を見つめたまま、微妙な気を発し続ける有希にそう問い掛ける俺。
 但し、彼女の疑問に関しては、判っている心算でも有ります。玄辰水星が去り際に、彼女に何を託して行ったのかも含めて。

 ほんの少しの空白。これは、明らかに躊躇いの証。
 しかし、

「あなたが何度か目を覚ました時に口にした名前。蓮花(レンファ)や、綾と言う名前の女性に関して教えて欲しい事が有る」

 ……躊躇った割には、かなり思い切った台詞を口にする有希。
 もっとも、

「それに、俺が玄辰水星の名前を。――彼女の名前の方を口にした瞬間の彼女の不自然な反応についても明確な答えが欲しい、と言う事やな?」

 俺の言葉に、少し考えた後に微かに首肯く有希。ただ、既に俺が少々、彼女の思考を読んだ様な事を為したとしても驚くような気を発する事は無くなりましたが。

「輪廻転生。この言葉の意味を知って居るか?」

 行き成り、一番重要な部分の質問を行う俺。ただ、今までの彼女。長門有希と言う少女が示して来た知識の量から考えると、こんな初歩的な質問など意味はないでしょう。
 案の定、あっさりと首肯いて答えてくれる有希。

「この星の思想の中に存在する死生観。一度死亡した生命体の魂が何度も生まれ変わって来る現象の事を指し示す。しかし、情報統合思念体が集めた情報内には、明確に輪廻転生が起きたと表現出来る事象は存在しない」

 そして、冷静な有希の答えが返された。確かに、明確に。科学的な事象として輪廻転生が起きたと表現される事象が報告された例はないとは思います。
 何故ならば、普通の輪廻転生の場合は、前世からの記憶の継承などは行われませんから。

「あのムカデの毒に因り生と死の狭間を彷徨っていた時に、俺は妙にリアルな夢を見た」

 その夢に出て来た少女の名前が綾で有り、蓮花だったと言う事。
 そして、その綾と言う名前の少女が、何故か、玄辰水星と名乗った女性の少女の頃の姿だと言う事が当たり前のように理解出来た。

「それで、一応、鎌を掛ける意味から、少し仕掛けてみただけ」

 まして、有希には都合の悪い情報を遮断していた情報統合思念体では、本当に収集した全情報を有希に公開していたとは思えません。
 何故ならば、輪廻転生などの情報は、この星の現実(人間)界と繋がる異世界。神界や、その他の存在が暮らす世界の情報に直結する可能性が高い情報です。故に、彼女に対しては恣意的に遮断されていた可能性も高いと思いますから。

「あの夢が俺の前世だったと言う確実な証拠はない。しかし、俺の妄想が産み出した偽りの記憶だと言うには、あの時の綾……。玄辰水星の対応は有希の知っての通りの内容」

 俺の言葉に、少し考えた後に、有希は僅かに首を上下させた。
 科学的な論拠は何一つ上げる事は出来なかったけど、それでも、輪廻転生など存在しないと完全に否定出来る情報も存在しない、と言う事ですから。

 それに、有希から見ると、俺たちは仙術と言う謎の技術(魔法)を行使する人間です。彼女が知って居る狭い範囲内での地球人の規格では理解出来ない人間で有る事は既に知って居るはずですか。
 そんな人間が目の前に存在する以上、輪廻転生など存在しない、……と一刀の元に切り捨てられる訳はないでしょう。
 流石に。

 さて。彼女が納得してくれたのなら、今日のトコロはこれで良いでしょう。
 まして、俺の能力が完全回復していないのなら、睡眠は重要。少しでも余計に霊力の回復を図るべきですから。



「納得してくれたのなら、俺は、俺の部屋に帰らせて貰うな」

 そう言って、有希が眠るべき寝台から立ち上がろうとする俺。未だ、完調とは言い難いけど、それでも、この身体自体がまるで他人の身体のように感じていた時ほどの違和感が残って居る訳では有りません。
 まして、何時までも俺が、彼女の寝台を占拠し続ける訳にも行きませんからね。

 しかし……。

 しかし、軽く肩に手を置くだけで、その俺の動きを封じて仕舞う有希。
 そして、

「あなたは未だ完治して居る訳では無い」

 ゆっくりと、一言一言を正確に発音するかのように、そう話し掛けて来る有希。
 普段よりも優しく、更に、俺の心の何処かに響く彼女の声は、何故か非常に心地良く……。

 そして少しずつ、目覚めた時の状態。つまり、有希のベッドの上に仰向けに成って寝かされて仕舞う俺。
 先ほどまでは感じて居なかった眠気と、そして、室内の照明が妙にぼやけるような感覚の向こう側から響く彼女の声。

「今晩までは、わたしの傍で眠って欲しい」

 その声と、シルエットと成った彼女の姿を瞳に感じた後に、俺の意識は再び、深い眠りの世界へと旅立って行ったのでした。

 
 

 
後書き
 何か全体的に微妙な内容及びエンディングと成って仕舞いましたが……。
 ただ、輪廻転生を主要な題材とする物語ですから、これぐらいは起きて当然でしょう。

 それでは次回タイトルは『龍の巫女』です。
 また、微妙なタイトルなのですが……。
 
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