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ヴァレンタインから一週間

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第24話 悲鳴

 
前書き
 第24話の更新を行います。

 次の更新は、
 7月21日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第8話。
 タイトルは、『次は北の森だそうですよ?』です。

 その次の更新は、
 7月25日 『蒼き夢の果てに』第67話。
 タイトルは、『疫鬼』です。
 

 
 重厚な、と表現すべき扉に対して二度、ノックを行う俺。

 先ず、西宮の図書館から麻生探偵事務所へと転移魔法で跳び、其処に施されている魔法陣からこの場所……。おそらく、壺中天と言う仙術で造り上げられた異空間に存在する、現在に蘇えった水晶宮へと移動した俺。
 ここは、間違いなくかなり厳重な結界の内側。そんな場所に、簡単に転移魔法などを使用して潜入する事は出来ませんからね。そもそも、俺の能力では場所をイメージする事さえ難しい場所です。

 其処から、廊下を辿って、ここに到着するまでに、何度か微かな違和感を覚える見えない境界線のような物を越えた事から考えると、有希の傍に直接転移する事は、かなり難しい場所と言う事なのでしょう、この水晶宮と言う場所は。

 ノックの後の一瞬の空白。そして、内部(なか)から、了承を示す答えが返された後に扉を開く。
 其処は今朝、玄辰水星(ゲンシンスイセイ)や和田さんを待っていた応接室。その部屋には現在、有希と、その隣に座る神代万結。そして、ソファーのホスト側に座る玄辰水星。このふたりの少女と、一人の……元少女が存在して居た。
 但し、普通に考えると会話が成立するとは思えないメンバーなのですが、何故か、玄辰水星が少し微笑みながらこちらに向いた時の雰囲気は、明らかに何らかの会話が為されていた様子。

 まして、何故か、彼女の正面に座る二人組からも、俺に対する良く判らない視線を向けられて居るのですが。

 一瞬の空白。そして、奇妙な疎外感……。いや、違うな。少女二人から注目されているのは間違い有りませんが、それでも、少し登場のタイミングが悪い、と言う非難にも似た視線を浴びている、と言う状況。
 これは、ガールズ・トークが興に入ったトコロに乱入した招かれざる客状態に、俺が成って仕舞ったと考えるべきですか。

 それにしても……。

 有希(彼女)と、真面に会話を交わす技能が有るのは俺だけだと思っていたのですが。
 俺は、玄辰水星から神代万結。そして、短いながらも、初めての同棲相手となった少女を順番に瞳に映しながら、非常にくだらない感想をグダグダと考えた後、

「有希、遅く成ってすまなかったな。もしかして、待たせたか?」

 ……と問い掛ける。
 但し、現在の時刻は午後の六時過ぎ。図書館の閉館時間からすると、そんなに遅れた訳では有りません。この言葉は軽い挨拶のような物。

 そんな、ガールズ・トーク真っ最中の現場に入り込んで仕舞った俺に対して、

「問題ない」

 ……と、普段通りの答えを返して来る有希。
 もっとも、メガネ越しの冷たい視線、と言う物を感じる事は有りませんでしたが。

【情報統合思念体に因る、長門さんへの精神的な支配や、その他の危険と思われる部分は全て解除しました。もう、問題はありません】

 そんな、俺と有希のやり取りを慈母の如き微笑み、……と言うべき微笑みを浮かべながら見つめていた玄辰水星が、【念話】で有希の検査の結果を伝えて来る。
 成るほど。矢張り、通常の空間でチェックを行って居た訳では無く、時間と言う支配の及ばない壺中天のような異空間で行って居た、と言う事ですか。

 表情に表す事もなく、そう考えていた俺に対して、更に続けて、

【内容に付いて、説明しましょうか?】

 ……と、問い掛けて来たのでした。
 不意を突かれた上に、実際、有希を視界の中心に据えていた瞬間で有った為に、少し平静を装う事に失敗する俺。

 そんな俺を、訝しげな、……とまでは言わないにしても、少し、不審な様子で見つめる有希。但し、これは非常に微妙な違い。表面上から見た雰囲気は、先ほどこの部屋に侵入した時に彼女が発した気も、そして、今、俺を見つめて居る彼女が発して居る気にも、明確な差を感じる事は難しいでしょう。
 現在、俺が感じて居るのは、もう少し深い部分の物ですから。

 これは、俺と彼女の間を通して居る霊道を通じて、感情が伝わり易く成って居ると言う事なのでしょうね。
 まして、俺は受肉した存在との契約は初めてですから、その部分がどのように影響しているのかがまったく判りませんから。

【その部分に関しては、聞きたくありません】

 先ず、玄辰水星の問いに関しては、そう答えて置く俺。
 いや、これは間違いなく逃げの一手。本来ならば知って置くべき内容。

 何故ならば、俺は相馬さつきと約束したから。
 彼女。長門有希がもし人類に取って仇為す存在ならば、俺が間違いなく彼女を滅する事となる、と……。

 ただ……。
 銀のフレームに囲まれたガラスの部分と、濃褐色の虹彩部分に映り込む俺自身のマヌケな顔を確認した後、あからさまにため息にも似た息をひとつ吐き出す俺。

 そう。その部分を俺が知る事は、何故か、彼女自身が望まないような気がするから。

 少し。いや、かなり挙動不審となった俺を見つめる有希と万結。

「なぁ、有希」

 そんな微妙な雰囲気の中、少し間が持てなくなった俺が、次の動きを開始する。

 ただ、今問い掛けようとして居る内容は、本来は焦って聞くべきではない内容なのかも知れない。しかし、そう遠くない未来に俺は、元々暮らして居た世界に帰らなければならない人間。
 そして、彼女はこの世界で暮らして行かなければならない人間でも有る。

 向こうの世界に彼女を連れて行く(召喚する)事が難しい以上、考えて置く必要の有る内容でも有りますから。
 これから行う問い掛けは……。

 俺の問い掛けに対して、明確に、答えを返して来る事は有りませんでした。しかし、否定的な雰囲気を発する事もなく、彼女は俺の事を見つめ返したので、これは肯定のサインと受け取ったとしても問題はないでしょう。

 それならば、

「俺が向こうの世界に去った後。有希はどうしたい?
 有希が望むのならば、瑞希さんが通った高校の方に通う道も有る」

 そう問い掛ける俺。
 そして、当然、其処で仙人の見習い道士として修業を積んで、ここ水晶宮の仕事を手伝うと言う選択肢も存在しています。

 これはつまり、現在の、情報統合思念体の軛から解き放たれた彼女の目の前には、有りとあらゆる可能性が広がって居ると言う事です。

 確かに、人工生命体で有る以上、特殊なメンテが必要な可能性も有ります。それでも、それは有償でここ水晶宮ならば受ける事は可能。
 ここは別に、生き方を強制して来るような組織では有りません。所詮は互助会程度の組織ですからね。

「有希が望むのならば、この世界で一般人として。涼宮ハルヒや情報統合思念体。歴史の改竄を行う未来人などとは関係のない、普通の人間としての暮らしを手に入れる事も可能なんやで」

 思念体の本当の目的が自律進化なのか、それとも、ハルヒに訳の判らない能力を授けた神と同じ目的なのかは判りませんが、そんな連中に関わり合うのが嫌ならば、それも可能な未来を選ぶ事が、今の彼女には許されているのですから。

 そんな俺の問い掛けに対して、玄辰水星は何も口を挟んで来る事は有りませんでした。
 その理由は、彼女は、俺が有希に対して問い掛けている言葉の意味を理解しているから。

 有希(彼女)の心や身体に刻まれていた楔について、有希以上に知って居る存在だから。

 そして、神代万結も、俺と有希のこのやり取りを見つめるだけで、何も語ろうとはしませんでした。
 その理由は、彼女が有希と同じ存在だから。
 しかし、おそらく万結は自らの意志で、ここ水晶宮の仕事を手伝っている存在でも有るから。

 彼女(万結)が自らの意志でこの道を選んだのなら、有希にも自らの意志で未来を選ぶ権利が有って当然だと思って居るはずですから。

「問題ない」

 しかし、彼女(有希)は、首を左右に二度振った後、短く、そして簡潔に答えた。
 拒絶。……いや、其処までは強くない。しかし、否定の言葉を。

「そうか。有希がそうしたいのなら、俺はそれで構わない」

 成るほどね。その方がより彼女らしいか。そう考えながら、何気ない答えを返す俺。
 しかし、その刹那。

 彼女のその瞳が微妙な揺れを示し、
 同時に彼女の感情が、何とも表現出来ない微妙な気を放った。

 その瞬間。俺は自らの迂闊さに、心の中でのみ軽く舌打ち。
 俺の方としてはそんなに強い意図は無かったけど、取り様によっては、先ほどの俺の答えは、思い通りに動かない彼女の事を突き放した、と取られる可能性の有る一言。
 要は、言葉と配慮が少し足りなかっただけなのですが……。

「やれやれ。ホンマにコミュニケーション能力が不足しているみたいやな」

 そう、有希に話し掛けながら、入って来て以来、ずっと立ちっぱなしに成って居た、扉の傍から歩き始め、彼女の正面。玄辰水星の隣に腰を下ろす俺。
 そして、応接用テーブル越しに彼女へと右手を差し出した。

 その俺の右手を、戸惑いの視線で少し見つめた後、しかし、ゆっくりと。いや、おずおずと差し出した自らの右手を重ねるようにして、繋いでくれる有希。
 その繋がれた彼女の繊手は、彼女の名前に籠められた呪いの如き冷たさ、そして、何故か、普段とは違う、何か堅い感触を俺に伝えて来ていた。

 まるで、現在の彼女自身の心を示すかのように……。

【俺は、俺が死亡した後の魂をやる、……と約束した。そんな相手に、今更、何か隠さなければならない事はない】

 見事に意味不明。更に性急な【念話】。しかし、そんな事はお構いなし。俺は更にその【(接触型の念話)】を続ける。

【魂を渡す、と言う事は、その魂を手に入れた後はどう扱っても良いと言う事。
 そのまま直ぐに手放して、転生の輪に還そうが、
 ぼろぼろになって消滅するまで使役しようが――――】

 俺は、其処まで告げた後、柔らかく重ねるだけで有った右手を少し強く握る。
 彼女の手が、俺の心を受け取り易いように。

【それとも、その魂を胸に抱いたまま、懐かしい、醒めない夢を見続けようが……】

 その【言葉】を聞いた彼女の心が揺れた。
 表情は変わらず。但し、その一瞬だけ視線が揺れ、そして、心が……。

【ちゃんと有希が考えて、自分で決めた事ならば俺は反対しない。
 俺の方に、反対する明確な理由が無ければな】

 そう、強く彼女に【心の声】で伝える俺。
 但し、それは無暗矢鱈と肯定するだけではない。俺が、俺の判断で彼女の判断が間違っていると思うのならば、彼女が自ら決めた事で有ったとしても反対をする。

 それが、友達と言う物だから。

【まして、俺の命令に従わなかったからと言って、有希の存在を消して仕舞ったり、罰を与えたりするようなマネはしない】

 先ほど、有希が発して居たのは寂寥感。俺が、不用意な発言をした為に、彼女の事を突き放したように感じて仕舞った可能性が有ると思った。
 故に、少し回り道のような話に成ったけど、この一連の流れの【会話】を行ったと言う事。これならば伝わったと思いますから。

 一瞬の空白。繋がれたままの右手はそのままに。
 そして、

「それならば、もう一度聞く。俺が元の世界に行った後に、有希はどうしたい?」

 改めて問い直してみる俺。但し、既に改めて答えを聞く必要はないとも思いますが。
 それに、彼女の瞳も、そして、雰囲気も先ほどまでとは違って居ますから。

 彼女は小さく首肯いた。そして、

「わたしは、わたしの意志で涼宮ハルヒの監視任務を続行する」

 先ほどと同じ内容の言葉を淡々と続けた。

「そうか。有希がそうしたいなら、俺はそれで構わない」

 俺も当然、先ほどと同じ答えを返す。

 しかし、先ほどとは違う。彼女の瞳が違う。彼女から発せられる雰囲気が違う。
 そして何より、繋がれたままの右手が違う。

「理由は……」

 必要最小限の言葉で問い掛けて来る有希。但し、繋がれたままの手を彼女の方から放す心算はないらしい。
 確かに、強く繋がれている訳では無い。
 しかし、彼女の瞳とその指先が、離される事を拒否している。

「理由の説明なら、必要はないで」

 俺は、実際の言葉にしては、そう答えて置く。
 しかし、【念話】の方で続けて、

【涼宮ハルヒの監視任務。それが、俺と有希の出会いの理由。
 それならば、それを続ける事が俺との絆の確認となる。そう考えたんやろう?】

 ……と問い掛ける。
 微かに。今度は本当に微かに首肯く有希。しかし、先ほど小さく首肯いた時よりも、彼女の手は、温かい方向へと動いていた。

【最初から、その程度の事ならば、実際の言葉にせずとも判っているから、心配する必要はないで】

 それに、先ほどの小さく首肯いた時と、微かに首肯いた時の違いの理由についても、判っている心算でも有りますから。
 そうして、

「言葉にするのならば、もっと大切な言葉を、もっと大切な相手に対して伝えてやれば良い。重要なのは、それだけ」

 最後の部分だけ、本当の言葉()で伝える。

 もっとも、彼女に取って、俺が大切な相手なのかは、それとも違うのか、については定かでは有りませんが。
 先ほどの反応は、迷子に成った子供と同じような雰囲気でしたから。

 おそらく、俺と彼女の間に有る信頼度と言う物はそんなに高い物ではないと思います。
 いや、完全に信頼し切るには、未だ積み重ねて来た時間も、経験も足りなさ過ぎると言う事。
 其処に、少し突き放したような言葉を俺が使って仕舞った。

 彼女……。有希は未だ人との接触の経験が浅い為に、俺の言葉の表面上を流れる雰囲気だけを感じ取って、妙に不安にさせて仕舞った。これが、先ほど有希が微妙な気を発した経緯の真相と言う事でしょう。

 つまり、彼女、長門有希と言う少女は、態度や口調などから推測出来るよりはずっと繊細な、傷付き易い心を持って居る、と言う事なのでしょうね。



「えっと、それで、御話は終わったかしら?」

 俺が、有希の心が意外にも。いや、見た目通り繊細で傷付き易い物だと推測を纏めた瞬間、俺の左隣に存在していた女性から、少し抑揚を欠いた口調で話し掛けられた。
 その声に籠められた雰囲気は微妙。呆れている部分が大きいように感じますが、それ以外にも何か籠められて居るような気がします。

 ただ、具体的にどんな物かと問われると、どうにも表現し辛い物なのですが……。

 その声のした方向に視線を移す俺。其処……。応接セットから一歩踏み出した地点に立ち、其処から俺と有希を少し呆れたような視線で見つめる女性と視線が交わる。
 そう。有希と会話を交わして居る間に立ち上がって、その全員の顔が見渡せる位置に、何時の間にか玄辰水星が移動していたのだ。

 もっとも、呆れられる意味なら良く判りますか。
 俺は、立ったままで微苦笑と表現すべき表情を浮かべる女性から、成長途上の曖昧さのない、作り物めいた有希の容貌と、繋がれたままと成って居る右手へと視線を移した。
 そして、その俺の頬に浮かぶのも、玄辰水星が浮かべる表情とおそらく同じ種類の物。

 流石にこの状況では呆れられて当然でしょう。状況はちょいと違うのですが、傍から見ていると、人前で平気でイチャついて居るバカップルその物。

 もっとも、この繋がれた手に関しては、自分から差し出した手ですから離すタイミングを逸して仕舞った、と言うのが状況としては正しいのですが。

 そんな、俺の苦笑にも似た表情をじっと見つめる有希。
 吸い込まれるような深い湖にも似た瞳で俺を見つめ、それまで彼女の方からは柔らかく乗せられているだけで有った手が少し強く握られた。
 何時の間にか温かさ、普段通りの柔らかさが戻った繊細で、華奢な彼女の手を感じた。

 そして……。
 そして、俺の感情を読み取ったのか、有希の方から解放してくれる俺の右手。
 何となく、離れ難い。そんな微妙な余韻を残しながら……。

 その事を確認した玄辰水星の表情が、少し変わった。

 それまでは、かなり柔らかい微笑みを浮かべていた彼女が、真面目な……。判決を告げる裁判長の如き表情、と言えば伝わり易いですか。
 その真面目な表情を浮かべ、

「貴方……。忍くんが帰った後の長門さんに付いては、私の管理下に置かれる事と成ります」

 ……と、そう告げて来た。
 管理下ね。少し皮肉の籠った思考が先に立つ俺。もっとも、これは想定内。ここに有希の身体のチェックを行う為に彼女(玄辰水星)が現れた以上、これから先の有希のメンテナンスに関しても彼女が面倒を見る事と成るのは当然。
 そして、その流れから、玄辰水星の管理下に有希が置かれるのは当たり前でしょう。

「はい、判りました」

 俺は短く答える。
 その俺の想定通りの答えに小さく首肯いた玄辰水星。

 そして次の瞬間。彼女は俺の待っていた台詞を口にしてくれたのでした。
 それは、

「そして、忍くんには、これから先に何回か、こちらの世界に来て貰う事が決まりました」


☆★☆★☆


 闇の蒼穹より降り来たるは銀の氷雨(あめ)
 アスファルトを濡らす雨の日独特の香りが周囲を包み込み、
 厚き雲に閉ざされた昏い世界を冷たく濡らして行く。

「有希、寒くないか?」

 パラパラとひとつの傘を叩く雨音が二人の耳に届く距離。俺の右肩の前に存在している少女に、そう問い掛ける俺。
 その俺の口元を、真冬の雨に冷やされた大気が、白くけぶらせた。

 そんな俺の問い掛けに対して、俺の右肩の高さで、彼女の首が左右に振られた。これは当然、否定。
 そして、

「問題ない」

 彼女に相応しい言葉に因る答えが返される。その彼女の元からも、白い吐息が発生して、直ぐに消えた。

 但し、その素っ気ない言葉に反して、現在の彼女からは楽しげな明るい陽の気が発せられて居るように感じられる。
 更に言うと、この状態は、俺がこの世界に度々帰って来る事が判ってから、ずっと続いて居るのですが……。

 これは、彼女自身も、この奇妙な同居人()の事を、少なくとも邪魔だとは思っていないと言う事なのでしょう。
 もっとも……。

 俺は、そう考えながら、自らの探知の精度を上げ、更に彼女を強く感じようとする。
 そう。俺に詳しい回数は知らされてはいないのですが、それでもこの世界……。彼女の元に帰って来る必要が有ります。

 彼女の未来を創り上げる為に……。



 過去の歴史の改竄が行われなくても、涼宮ハルヒと言う名前の少女の監視任務を帯びた人工生命体。……長門有希と言う名前の少女が存在して居ても良い状況を創り上げる為に、俺は絶対に帰って来る必要が有りますから。
 それが、今の俺の願い。
 彼女に、消えて欲しくない、と言う願いを叶える方法ですから。



 結界材を打ち込む場所。高いフェンスに囲まれたその場所は、夜の闇と、音もなく降り注ぐ冬の雨に濡れた、廃墟のような感覚を抱かせる場所で有った。
 そう。日の有る内は其処に通う生徒たちの活気に満ちた生命力に溢れる陽の世界に。
 しかし、それを失った陰の気に沈むこの狭間の時間帯は、昼間とは正反対の異なった顔を見せる事になる。

 そう。それは正に異界。そう呼ぶに相応しい空間。

 深夜。五メートルは有ろうかと言うフェンスを有視界に転移する仙術を駆使してすり抜け、かまぼこ型の屋根を持つ体育館の裏側へと潜入に成功する俺と有希。
 其処。外部からの視界の妨げと為すかのように植えられた銀杏(イチョウ)の木々が、しかし、真冬のこの季節故にすべての葉を落とし、その根元を深い落ち葉の層に因って地面を隠している場所。

 隣に走るアスファルトにて覆われた自転車置き場まで続く道は掃除が行き届いているのですが、この銀杏の木々の根本が落ち葉で埋め尽くされていると言う事は……。
 ここは学校の裏手に当たる場所。故に、教師の目の届かない事を良い事にして、掃除の手間を省いて、銀杏の落ち葉を全てその発生源。銀杏の木の根元に送り込んで来た。……と言う事なのでしょうね。

 しかし、自らの使う、まして、自らが学ぶ場所の掃除ひとつ真面に出来ない……。

 いや、今はそんな事はどうだって良い事ですか。
 かなり冷たい。それでも、湿った夜の大気を取り入れる事で思考を切り替える。警戒モードから、戦闘モードへと。そして、俺は持って居た傘を有希に差し出した。

 少しの戸惑いを発した後、その傘を受け取る有希。

「結界の要石を待機状態にする際に必要な導引は、傘を持って居る状態では結ぶ事が出来ないから」

 説明を求めている彼女の瞳に対して、傘を渡した理由を口にする俺。
 そして、彼女の瞳に了承を示す色が浮かぶのを確認した後に、闇の中で、ぼぉっと淡い光を発する、結界の要石に視線を向けた。

 そう。其処に存在していたのは、昨夜と同じ、何の変哲もない石。学校の敷地内に有る元々の地面を利用した土がむき出しに成った場所にならば、間違いなく見つける事が出来る堆積岩。但し、光って見えるのは霊気を発して居るから。
 おそらく、見鬼を使用出来ない普通の人間から見ると、何の変哲もない、普通の石にしか見えないでしょう。

 一応、雨に濡れた地面から見えている部分は拳よりは大きく、足よりは小さいレベルですが、その石が感じさせる存在感だけは、他に転がって居る石とは比べものにならない位の大きな物で有る事は間違いない。

「そうしたら、すまんけど、傍に居て、俺のする事を見て置いてくれるか?」

 その問い掛けに、微かに首を上下に振る有希。
 その心は、……知的好奇心が四割。後の六は色々な感情が集まった雑多な物。

 おそらく、昨夜は少し離れた位置から見つめていた作業を、今晩は隣から見つめる事が許された事に対する喜びと、知的好奇心に対する心を示しているのでしょうが……。
 もっとも、実は彼女に傍に居て貰う理由は、雨が精神の集中を乱すから、傘を差しかけて置いて欲しかっただけなのですが……。

 正直に告白すると、彼女が傍に居られると、別の方向に思考が向かって仕舞い、少し精神の集中を妨げられるのですが……。それでも後方からの有希の視線を感じながら、更に冷たい冬の雨に晒されて意識の集中が乱れる事の方が、霊気を籠める作業への影響が大きいと判断してのこの依頼ですから。
 かなり、情けない理由で有る事は間違いないです。



「我、陣の理を知り、大地に砦を描く」

 昨夜と同じように口訣を唱え、導引を結ぶ俺。
 その刹那。これもまた昨夜と同じように結界材に籠められて行く俺の霊力。

 そうして、ここの経緯も昨夜と同じ経緯を辿り、有る一定以上の霊気が籠められる事に因り、ゆっくりと立ち昇り始める蒼白い光輝にも似た霊気。
 昨夜よりも世界が暗闇に閉ざされている為に、より大きな光を瞳に感じ……。

 次の瞬間、一際大きな柱にも似た光輝を発して、その後、結界材は元の、ただの少し大きめの石。堆積岩へと戻って行った。

「これでふたつ目」

 これで後、残りは三か所。伴星や妖魔どもから直接的な妨害が行われる様子もない事から考えて、意外に楽な――――
 意外に楽な任務。俺がそう考え始めた瞬間。周囲の雰囲気が一変した。

 これは、間違いなく異界化現象。
 そして――――


☆★☆★☆


 さわさわ。さわさわ。
 黒い何かが草の影から、落ち葉の中から、土の中から這い出して来る。

 がしゃがしゃ。がしゃがしゃ。

 さわさわ。さわさわ。
 闇の中に有って尚、黒光りする身体を不気味にくねらせ、大地に広がり、まるで水面が波立つように不規則に蠢く人差し指ほどの細長い生命体が、一斉に俺の足を駆け登って来る――――

 がしゃがしゃ。がしゃがしゃ。

 その瞬間、俺に貼られていた、神命帰鏡符が黒き呪に穢され、無力化されて仕舞う!

「アガレス!」

 瞬間にアガレスを最大能力で起動させる俺。
 その瞬間、異界化した世界と、俺自身に流れる時間との間にずれが生じる。

 そう。ソロモン七十二の魔将第三席。魔将アガレス。その職能は時間を自在に操る事。流石に、敵の時間を完全に操るのは相手からの抵抗される可能性が高いが、俺自身の時間に関してはほぼ自在に操る事が可能。

 奇妙に間延びした空間。落下して来る雨が空中で水玉と化し、ゆっくりとしたスピードで俺に迫る黒光りする蟲の絨毯。

 その間延びした世界で、最初に有希を生来の能力――。重力を操る能力で彼女を包む空間ごと弾き飛ばす俺。但し、彼女自身は生身の身体。超高速で大地に叩き付けるようなマネは出来ない以上、彼女に対して常に意識の領域を割く必要が有る。
 同時に、こちらも生来の能力。雷を操る能力を発動。

 有希が雷公の腕の効果範囲内から外れた瞬間、遙か天空から撃ち降ろされる神鳴りの一撃。
 全周囲に向かって放たれた雷は、俺に向かって殺到しつつ有った黒き絨毯と……。

 その瞬間、俺の背後より聞こえて来て居た『かしゃかしゃ』と言う不気味な音が直ぐ傍で響き……。
 俺の周囲を黒い霧が包み込んだ。

 その霧に包まれた瞬間、意識が遠のき掛ける。そう。鼻から、口から、そして、表皮からさえも浸み込む毒の霧が、俺の身体中を侵し、生命力を奪い、そして、未来さえも奪おうとする。
 但し、相手も俺の雷撃を受けた以上、無傷と言う訳では無いはず。

 何処か遠くから悲鳴のような物が聞こえて来たような気がするが、これは無視。
 間延びした世界の中で、そう思い込み、振り返った様に右手に現れた七星の宝刀を一閃。
 俺の霊気を受けた七星の宝刀により蒼白き光輝の軌跡が宙に引かれた刹那、降り(しき)る氷雨に異世界の生命体の体液が混じる。

 その異臭。その黒き雫を一滴受けただけで身体に刺すような痛みを発し、意識を別世界に……根の国へと連れ去ろうとされる。
 その一瞬後、まるで大地自体が鳴動させるかのような咆哮が頭の上から浴びせ掛けられ、魂さえも吹き飛ばしかねないその咆哮に、一瞬でも気を抜くと、膝から崩れ落ちそうに成った。

 その振り返った先に存在して居たのは、
 
 がしゃがしゃ。がしゃがしゃ。

 巨大な身体の節ごとに一対ずつ生えた暗い赤の肢が、その名前の示す数以上連なっているように感じた。

 がしゃがしゃ。がしゃがしゃ。

 暗黒の霧に霞む向こう側に、紅き怒りに燃える瞳が……。
 刹那、爛々と光を発する目玉が近付いて来る!

 そう。俺の雷撃と、それに続く一閃で致命的な傷を負った以上、最早、ヤツも俺を得なければ、生き延びる術はない。
 龍の天敵とはムカデ。そして、奴らは龍を喰らえば、喰らった分だけ巨大に、そして強力に成る。

 右足を軽く引き、左半身を前に。
 抜き打ちの構えを取る俺。
 そう。今の俺に残されている能力(ちから)では、この場を逃げ切る事はおろか、この位置から数歩動くだけが精一杯。

 ムカデの毒や体液と言うのは……。

 闇を切り裂き、俺に向かって走る紅き光。
 本来、ムカデは龍よりも速い。しかし、現在の俺は、アガレスの職能により強化された存在!

 黒き体液を撒き散らし、ムカデの顎門(あぎと)が近付き――――――

 熱い衝撃が身体を貫いた。

 そう。通常の刃物ぐらいならば、傷付ける事すら出来ない俺の精霊の護りを、いともあっさりと貫いた牙が、俺の身体に生命に危機をもたらすレベルの傷を付けたのだ。

 またもや、聞こえない。いや、発せられるはずのない少女の悲鳴が耳に届いた。

 しかし!
 痛みなど感じて居る暇はない。更に、これが最後にして、最大の好機。
 毒液は間違いなく俺の生命を削り、能力を衰えさせて居る。しかし、自らの時間を操り、僅かに牙の狙いを逸らさせる事に因り、一撃で死亡する致命的な位置を護り切った俺の勝利だ。

 絶対に外す事のない位置。ヤツの牙の間から一閃。そして、返す刀で更に一閃!

 硬い外骨格の鎧を断ち斬り、其処から発した毒液と、ムカデの体液が混じった液体が俺の身体を穢して行く。

 ムカデがぶつかった勢いのまま、俺と共に後方にもつれるように吹っ飛び、銀杏を薙ぎ倒し――――

 その瞬間に、俺は意識を完全に手放したのだった。

 
 

 
後書き
 百足と龍の関係は、俵の藤太などの伝承を参考にしています。
 それに、龍にも当然、弱点……と言うか、天敵と言える存在が居るんだよ、と言う事を示して置く必要が有りますから。

 それでは、次回タイトルは『夢』です。
 
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