ヴァレンタインから一週間
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第23話 君の名を呼ぶ
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第23話を更新します。
次の更新は、
7月9日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第7話。
タイトルは、『最後は封印して終わりですよ』です。
その次の更新は、
7月13日 『蒼き夢の果てに』第66話。
タイトルは、『おまえの名前は?』です。
「それで忍くんは、彼女についてどうする心算ですか?」
それまでと変わらない雰囲気の、水晶宮長史たる和田亮の問い掛け。
そして、この部分が、実は一番問題の有る問い掛けでも有ります。
いや、俺自身の腹は既に決まっているのですが、それを水晶宮に受け入れて貰えるかどうかは判らない、……と言う事です。正直、二十パーセントほどの確率しか、勝算がない申し出を行う心算ですから。
「彼女を失う未来を、今の私に受け入れる事は出来ません」
先ず、そう答える俺。意気込む事もなく、そして、悲観に沈む事もなく。
それまでと変わらない、ややよそ行きの丁寧な物腰で。
そしてこれが、『親殺しのパラドックス』から導き出せる答えでも有りますから。
彼女。長門有希を創り上げた情報統合思念体が、涼宮ハルヒの起こした情報フレアと言う現象の結果誕生した存在ならば、その情報フレア。つまり、三年前の一九九九年七月七日に起きる、異世界からの来訪者のキョンと、この世界の過去の涼宮ハルヒの接触が起きない可能性が高く成りつつある現状では、情報統合思念体自身が発生しなく成る可能性が高くなり、結果として彼女。長門有希と言う名前の対有機生命体接触用人型端末も誕生しない事と成ります。
しかし、それでは、この世界にやって来て以来、彼女と過ごした時間自体が無くなって仕舞う可能性が非常に高く成ります。
当然、最初から今回の事件は起きない事となり、俺が異世界に転移させられた事さえなかった事。記憶から完全に消去されて仕舞うとは思うのですが……。
そんな状況に彼女を陥らせる事が出来る訳は有りません。
「今回の羅睺星事件を私が解決する代わりに、彼女の未来を創る手伝いをお願い出来ないでしょうか?」
そう問い掛ける俺。
但し、同時に、この願いが受け入れられる可能性は非常に低いと、考えながら。
何故ならば、彼女の存在を維持し続けると、歴史や世界にダメージを与える可能性が有るから。
彼女。長門有希と言う存在自体がハルヒと、そして、この世界自体に掛けられた呪いから発生した存在で有る以上、彼女を生存させ続けると言う事は、其処に、外なる神のメッセンジャー。この事件の黒幕に対して、更なる策謀の根を残す事と成りかねません。
そうして、本来ならば――――。この世界の本来あるべき姿から言うのなら、長門有希と言う少女は存在しない方が、この世界に取っては本来あるべき姿。
この状況から判断するのなら、この俺の願いなど一笑に付されて当然の申し出です。
たった一人の人工生命体と、全人類の未来。こんな物を両天秤に掛ける事自体がナンセンスですから。
普通に考えたのならば。
次善の策として一番、実現度が高い方法は、有希の心の部分を別の素体に移す、と言う方法が簡単なのですが……。
そうすれば、彼女の記憶は残す事が出来ますし、世界に与える影響も少ない。
誰にも迷惑を掛ける事のない、理想的な決着だとは思います。
ただ……。
「聞きましょう」
ただ、その方法では、何故か逃げている。そんな風に感じていた俺に対して、そう答えてくれる和田さん。
その言葉の中には、矢張り、俺を試して居るような気配が存在している。
これは……。
俺は、水晶宮の長史の顔を真っ直ぐに、少しの能力を籠めた瞳で見つめる。
そう。彼の真意を探る為に。
これが、何らかの意図を持った問い掛けならば、もしかすると……。
しかし、其処には、それまでと変わらない、理知的で、整った顔立ちの東洋風の顔立ちの青年が存在して居るだけで、彼の真意を、その表情及び雰囲気から探る事が出来はしませんでしたが。
そもそも、俺が真意を見抜く事が出来るような相手ではありませんでしたか。
ならば、迷って居ても仕方がない。
俺の考えをぶつけて、その上で納得して貰う。それ以外に方法は有りません。
その上で負うべきリスクも、すべて俺自身が負えば済む事ですから。
「その方法と言うのは……」
☆★☆★☆
無味乾燥の茫漠たる空間。
その、何処とも知れぬ空間に対峙する俺と、そして神代万結。
彼女の手には、あの出会いの夜に彼女が装備していた死に神の鎌が握られ、
片や、俺の方は、普段通りの徒手空拳の状態。
但し、既に俺の方は龍種の生来の能力。肉体強化で自らの能力の強化を行って居ます。
そして、おそらく万結の方も、それに類する能力を使用している事は想像に難くはないでしょう。
何故ならば、彼女の身体の周囲に存在する精霊が活性化し、仄暗い世界の中で淡い光を発生させて居ましたから。
刹那、万結が動き出した。
彼我の距離は二十メートルほど。その距離を一瞬で詰め、
しかし、次の刹那、俺と彼女は十メートルの距離を置いて、再び相対している。
そう。その一瞬の煌めき。左下段より振り抜かれた死に神の鎌を半歩。いや、ほんの少し右脚を斜め前に踏み込む事により、被害を前髪の数本を犠牲にするに留め、
その大振りの鎌が半瞬前まで俺の首が有った位置で空を斬り裂いた瞬間、俺の手の中に顕われた七星の宝刀の一閃!
しかし!
その必殺の間合いで放たれた俺の一閃も、今度は万結の持つ死に神の鎌の石突きの部分で簡単に防がれて仕舞う。
一瞬の交錯の後、俺と万結は再び距離を取り、相対す。
正直に言うと、
「非常にやり難い相手……か」
俺は、俺の正面に相対し、死に神の鎌を構える少女を見つめながら、独り言を呟いた。
元々、俺自身が敵でもない女性に手を上げられるような人間では有りませんから。更に、万結と有希と言う二人の存在自体から感じる雰囲気や、話し方、視線の送り方まで同じ。こんな相手を本気に成って相手出来る訳がないでしょう。
瞬間、逆巻く暴風が、この空間……おそらく、壺中天で再現された異空間で暴れ回る。
そう。それは、万結が振るった死に神の鎌の一閃より発せられた蒼銀の魔風。
無造作に振るわれたと思しき一閃から放たれた蒼銀の魔風は、すべてを切り裂く破壊力を秘め、俺と、そして、俺と万結の模擬戦を見つめる水晶宮長史に接近する!
しかし!
「火行を以て金行を剋する、燃えよ!」
しかし、その術に因る風が万結より発生するその一瞬前に俺の口訣が唱えられ、導引が結ばれる。狙いは同じ。距離を取ったからと言って、双方にその距離を無効化する策がない訳では無い。
その瞬間、俺の構える七星の宝刀が、灼熱の輝きを示す!
そう、その瞬間に周囲の炎の精霊が活性化し、刃に浸透し始めたのだ。
炎を纏いし刃は、しかし、その精霊力を爆発させる事はなく、逆に収斂させて行き……。
限界まで集めた精霊力が、刀身を灼熱の色に染め上げ、少し悲鳴にも似た軋みを上げる。
そして――――。
無造作に振り抜いた一閃が、紅の光の断線と成って、こちらは大地に隠しきれない被害を与えつつ前進。
次の刹那、俺と万結。二人の丁度中間の位置でぶつかる紅と蒼銀。そのふたつの光の激突は、まさに神話級の破壊力を生み出しつつ、それでも尚、お互いが合い譲らず、その支配領域の拡大を図る。
紅と蒼。眩いばかりの光の共演。そして、刹那の拮抗。
そう。それは大地を揺るがし、その場に隠せぬ傷痕。巨大なクレーターを作り出し、衝撃波と、その後に朦々たる土煙を上げた。
しかし、状況の遅滞は一瞬!
その土煙の中心から発生する金属同士がぶつかる時に奏でられる天上の音楽と、閃く銀の光が、その朦々と舞う粉塵を一気に薙ぎ払って仕舞ったのだ。
俺、そして、万結にしても、そんな衝撃波程度でお互いを屈服させられるなどと考えて居た訳では無かった。
衝撃波すら発生させながら、お互いの生命をかき消そうとする紅と蒼の光に遅れる事数瞬。双方が相手に向けて突き進んで来て居たのだ。
先ほどとは違い、右下方からすくい上げるように薙ぎ払われる一閃を、右足を滑るように踏み込ませ、身体を前方にやや沈み込むような形で上方に空を斬らせ、かなり低い位置からの一閃。
しかし、完全に万結の懐から行った攻撃さえも、やや持ち手を移動させた死に神の鎌に因り防がれる。
その次の瞬間、攻撃を防いだ威力をそのままに、今度は石突きの部分で俺の振り抜かれた宝刀を撥ね上げる万結。
しかし、そう、しかし!
完全に跳ね飛ばされ、宙を舞う宝刀を見向きもせずに、その宝刀を跳ね飛ばした事に因り一瞬の空白を作り出した万結の華奢で繊細な左腕を取り――――。
そのまま、巻き込むようにして…………。
このまま、左腕を逆に取ったまま投げ、大地に叩き付けたのなら、彼女の左腕は折れ、そして、その後のトドメを刺す事は容易でしょう。
いくら精霊を纏って居るとは言え、俺の方もそれは同じ。彼女が左腕の防御に精霊を回すのならば、俺の方もこの腕を破壊するのに、全精霊の加護を回しますから。
もっとも、彼女は人工生命体。左腕を失う事ぐらい、本来は問題がないと思います。
つまり、彼女も本気で俺の相手をした訳では無い、と言う事。
戦場となった壺中天の中の疑似空間に、最初と同じ静寂が訪れた。
其処には、俺と、最後の瞬間に俺の生来の能力で大地に軟着陸した万結。
俺と左腕で繋がった万結が、大地に仰向けに横になった状態で、微かに首肯いて見せる。
これは、少なくとも、彼女は俺の実力を認めてくれたと言う事なのでしょう。
「判りました」
一瞬の空白。その静寂の空間に終止符を打ったのは、その場に存在する最後の登場人物。
そして、
「忍くんの申し出に関しての準備は私たちが行います」
その人物、水晶宮長史和田亮は言ってくれました。
これで大丈夫。後は、俺が準備された未来を読み間違えなければ、彼女に問題は無くなります。
但し、その為には……。
「それでは、私は後二回。有希に召喚をして貰えば、彼女に未来を残す事が出来ると言う事なのですね、長史?」
☆★☆★☆
冬に相応しい暗い灰色の氷空。
そう。朝から快晴とは言い難かった氷空は、現在では完全に鉛色の雲に覆われ、そこから降り注ぐ冷たい雨により、世界を万遍なく濡らして居た。
手の中に存在する書籍に視線を移す事もなく、ただ、ぼんやりと左手で頬杖を付いた状態。更に右目のみで窓の外に広がる氷空に視線を送る俺。
そんな俺を、少し……。いや、かなり不機嫌そうな瞳で睨み付ける少女。
そう。普段の彼女と視線の質は同じ。但し、今日は明らかに不機嫌。そう言う類の気を放っているのは間違い有りません。
そうして、
「何か、今日は微妙に変よね」
……と、そう短く問い掛けて来た。
その彼女の現在の雰囲気。不機嫌さを象徴するかのように、普段とは違う。少し、声のトーンを落とした、この静寂に満ちた空間に等しい音量と成って居た。
もっとも、音声結界の内部。更に、彼女の周囲には、機関と言う、ハルヒが起こした情報フレアの際に発現した超能力者集団の監視が付いて居るらしいので、本当の一般人が近付いて来るのは難しいらしいのですが。
但し、この目前の少女。涼宮ハルヒの頭の中には、彼女が探し続けると宣言した不思議な出来事を察知する高感度センサーは内蔵されて居るようなのですが、残念ながら、その不思議な出来事を不思議な事だと認識する機能は有していないみたいなので……。
もう少し、周囲の雰囲気を読む能力を付けた方が良いのでしょうね、このお姫様の場合はね。
「そうかも知れへんな」
そう、少し……。いや、かなり、気のない答えを返す俺。
そんな、まるで俺の周囲に蟠る、エアコンに因り適度に調整された温い空気と、足元に蟠って居る冷たい空気の違いすら鬱陶しく感じて居る。そんな雰囲気で……。
そして、更に続けて、
「俺は冬の氷空が嫌い。そして何より、雨が嫌い。このどんよりとした雲の層が頭の上にのし掛かって来るような気がして来て、気分をより陰鬱なモンに変えてくれるからな」
かなり、気だるい雰囲気を纏いながらの、この台詞を口にしたのでした。
それに、これは事実。授業中。テストが早く終わって、右手で頬杖を突いてぼぅっと外を眺めている時に、その外の景色が雨雲に覆われ、アスファルトの彼方此方に水溜まりを作り上げ、その水溜まりや、何より窓ガラスを音もなく叩き続ける細い雨の線が、何となく気分を陰鬱な物に変えて行くのは何時もの事。
但し、今日に限っては、そんな散文的な理由だけで、気分が落ちている訳ではないのですが。
まして、俺も人の子。偶にはダウンな気分の時も有って当然でしょう。何時でも、何処でもハイテンション。頭の中は常に停滞性の高気圧に覆われて居てピーカン状態。
そんな人間が存在する訳は有りませんから。
そこまで考えてから、この台詞が開始されて以来、初めて目の前の席に陣取った少女に視線を移す俺。
其処には普段通りの……。いや、不機嫌ではない。何故か少し、心配したかのような雰囲気を発する美少女の姿が存在していた。
少し、彼女の顔を見つめ直す俺。
確かに、昨日までと雰囲気は少し違いましたが、ハルヒに心配されるほど、酷い状況だったとは思えないのですが。
そんな、俺の考えて居る事など気にしようとしないハルヒが、更に、
「あんたも、冬になると冬眠したくなるタイプなの?」
……と、そう問い掛けて来る。そして、その言葉の中にも、ほんの少しだけ、俺の事を心配しているような気配が流れて来て居ました。
もっとも、これは俺が気を読む生命体だから判る事で有って、普通の人間には判らない。表面上からは一切判らない程度の、本当に微妙な雰囲気なのですが。
ただ……。
「いや、そんなに酷い状態でもなかったんやけどな」
先ずは否定の言葉から入ってから、
「それでも、心配してくれたみたいやな。ありがとうな」
それから、感謝の言葉を伝えて置く。これは、最低限の礼儀と言うヤツ。
もっとも、この目前の少女はへそ曲がりのクセに……。いや、へそ曲がり故に、ツンデレ気質を持って居るようなので、妙なリアクションをされる前に俺は更に言葉を続けた。
「せやけど、ねえちゃんの言うそれは、確か冬季うつ病とか言う症状の事やな。確かに俺がさっき発した台詞の中には、冬季うつ病を疑わせる部分が入っていたのは間違いないけど」
もっとも、こんな知識、実生活を営む上では、一切必要とされない類の知識で有る事は間違いない。
俺も。そして、俺の目の前に陣取る少女の方も、ロクでもない知識の持ち主だと言う事は確認出来たと言う事なのでしょう。
ただ、そんな事が判ったとしても、大して役に立つ情報と言う訳では有りませんが。
そして、
「何より、俺は、基本的には冬場の方が、夏の暑い盛りよりもずっと体調が良い人間やからな」
少し、普段の雰囲気に声と口調を戻した俺が、先ほどの台詞とは百八十度違う内容の台詞を口にする。ただ、これはもしかすると、少し無理をしているような感じをハルヒに与えたかも知れない言葉。
そうして、更に続けて、
「元々、誕生日は十二月やし、低体温、低血圧。おまけに鉄欠乏性貧血。まさに、病弱で、薄幸の美少女の典型のような俺やから、真夏の容赦ない太陽の下では生きて行く事は難しいんや。あまりにも儚すぎて」
もう、ツッコミドコロが満載で、オマケに何処からでもツッコミを入れて下さい、と言わんばかりの顔でハルヒを見つめる俺。
そんな俺をかなり冷たい視線で見つめ返すハルヒ。
その視線は、昨日のあの冷たい無機質な視線そのもの。そして、
「冬眠が必要な熊かと思ったけど、一応、人語は通じるようね」
……と、少し抑揚に欠けた口調で、そう、独り言のように呟いた。
但し、明らかに、俺に聞こえて居る事が前提のボリュームで。
……と言うか、俺が熊?
未だかつて、俺は熊と言われた事はないのですが。確かに、精悍な肉食獣と言う雰囲気でもなければ、しなやかな鹿や馬と言う雰囲気でもない。ましてや、愛らしい小動物系でもないとは思いますが、熊って……。
「それで。今日は何か変なんだけど、何か理由があるのなら、さっさと答えなさい」
動物園の熊の如くその辺りをウロウロするか、しゃけブーメランの特訓でも始めるか、などとクダラナイ事を考え始めた俺に対して、先ほどとは違う上から目線の問いを投げ掛けて来た。
相変わらずの空気を読まない暴君の雰囲気で。
「理由も何も、今日は偶々、ダウンな気分。いや、メランコリーな気分と言う感じかな」
先ほどまでの台詞の続きから、そう答える俺。まして、薄幸の美少女系の表現からすると、ダウンよりは、メランコリーと言う方が相応しいでしょう。
しかし……。
しかし、再び冷たい視線で、俺を見つめながら、
「メランコリーねぇ」
……と呟くハルヒ。御丁寧な事に胸の前で腕を組みながら。どうやら、まったく信用されていない雰囲気。
どうも、先ほどふざけ過ぎた事が、少し問題が有ったのでしょうね
それならば、
「多分、寂しいんやと思うな」
俺が、先ほど浮かべていた、俺的には少しアンニュイな表情を浮かべて、ハルヒに対してそう答えた。
もっとも、自分の顔を自分で見る事は鏡でも無ければ難しいので、これは完全に自己申告以上の物ではないのですが。
しかし、俺の台詞を聞いたその瞬間。
「あたしがわざわざ相手をして上げて居るのに、寂しいって、どう言う意味よ!」
先ほどまで、少し俺を心配してくれていたような雰囲気をあっさりと吹き飛ばし、ハルヒはそう言った。柳眉を逆立てる、などと言う綺麗な表現を用いられる状態などではなく、彼女の今の勢いを正しく表現するのなら、爆発した勢いで山頂部分まで吹き飛ばして仕舞った活火山と言う表現がしっくりくる状況。
ただ、そんな事を言われても、実際に、寂しさを感じて居るのですから仕方がないでしょうが。
「そうやなぁ。例えば、大勢の仲間に囲まれて楽しく騒いでいたとしても、不意に寂しく成る事はないか?」
非常にキツイ視線で俺を睨み付け、胸の前に組んだ腕の上で、少し苛立たしげに指でリズムを刻んでいるハルヒに対してそう話し掛ける俺。
そして、更に続けて、
「そう。大勢の仲間に囲まれて居たとしても、実は自分は今、独りぼっちなんと違うかいな。そう思う瞬間ってないか、ねえちゃんは?」
かなり、真面目な表情で、ハルヒに話し掛ける俺。それに、感覚としてはこれが一番近い。
気だるい休日の午後。外は雨。目の前には確かに美少女が陣取って何やら話し掛けて来てくれるけど……。
「俺は、ここでは異分子。状況が整えば、元々住んで居たトコロに帰る宿命を持つ旅人。外に降っている冷たい雨を見つめていたら、微妙な疎外感のような物を感じて……」
そして、何故か妙に寂しくなった。そう、ハルヒに対して答えた。
但し、これは俺が感じた寂しさの半分程度の理由を示したに過ぎない言葉。
そう。俺が感じて居る寂しさの一番大きな理由は、ここには、あの娘を連れて来て居ないから。
こちらの世界に来てから、何やかやと言いながら、ずっと一緒に居た相手が居なくなった。そうしたら……。向こうの世界では一人なのはそう珍しい事でもないのに、何故か、急に寂しくなった。
ただ、それだけの事。
多分、最初にも言ったように、この頭を押さえ付けられたような感覚をもたらせる、どんよりとした重い雲と、そこから降りしきる細い雨が、俺の気分を因り陰鬱な物に変えている。
ただ、それだけの事だとは思いますが……。
「……それは、仕方がないわね」
まるで、自分にも何か思い当たる部分が有ったのか、先ほどの火柱を噴き上げた直後の活火山のような気配が消えて、その台詞を発した瞬間のハルヒからは、少ししんみりとした雰囲気が流れて来ました。
成るほど。少なくとも、傍らで見て居て飽きない相手で有る事は間違いないでしょう。この涼宮ハルヒと言う名前の少女は。
しかし、そんな事をぼんやりと考えていた俺に対して、実に彼女らしい言葉が叩き付けられた。
もっとも、持ち上げてから落とす。関西人の言葉のキャッチボールでは基本形の組み立てなのですが。
「仕方がないから、あたしが友達になって上げても良いわよ」
少し笑って仕舞うような上から目線の一言。
但し、子分ではなく人間としての同格扱いの友達ですか。その点に関しては、落ち込んでいる雰囲気の俺の事を気遣ってくれた、と言う事なのでしょうか。
それとも、
俺は、俺の正面で、腕を胸の前で組んだ姿勢のまま、俺を睨み付けている少女を改めて見つめ返す。
見た目通りのかなりの美少女。それに、おそらく頭も良い。
何故ならば、この短い付き合いの時間だけで、俺と言う人間の本質をある程度掴んでいる、と言う事でしょうから。
「何よ!」
答えを返そうとしない俺に焦れたのか、そう問い掛けて来るハルヒ。
そう。多分、彼女は有る程度、俺の本質を掴んでいる。
パッと見は無愛想。しかし、話して見ると結構愛想も良く八方美人タイプ。
但し、一歩踏み込むと一歩逃げると言う、自分のテリトリーに他人が侵入して来る事を実は嫌っているタイプの人間。
犬タイプの人間に見えるけど、本質は猫。手を差し出した瞬間に、その手の先からするりと逃げて仕舞う。
「それは楽しいな。たった一人でも友達が出来たのならば、人は変わる事が出来るからな」
少しの空白の後、俺はそう答えた。今回の彼女の言葉は、ハルヒなりに気を使って言ってくれた言葉のはずですから、茶化すのも問題が有ります。
但し、その俺の言葉の後に続く奇妙な空白。
通行人さえ通る事のない図書館の端っこに相応しい静寂と、そして、音も立てず窓ガラスを叩く雨粒の雰囲気のみが周囲を支配した。
そして、
そして、何故か、訝しげな瞳で俺の事を見つめて居たハルヒでしたが、しかし、今回は何のツッコミを入れて来る事もなく、
「それだったら、友達に名前を教えないのは不自然よね」
……と、割と普通の台詞を口にした。
その瞬間に彼女が発していたのは、明らかに拍子抜けした、と言う雰囲気。
う~む。これはもしかすると、何かツッコミを返すべき場面だったと言う事ですか。先ほどの彼女の言葉の後に。
俺が、妙にマジな答えを返して仕舞ったが故に、彼女の調子も狂ったように感じますね。
それならば、
「涼宮ハルヒ」
俺は、彼女が自分の名前を口にするよりも前に、彼女の名前を口にした。それに、何となくですが、自分の口から彼女の名前を呼びたかった。
ただ、それだけの理由の為に。
少し、口角に笑みの形が浮かぶのは、ハルヒの方から見ると自慢げに見えるかも知れませんが、俺としては自嘲の印。
こう言う、考えなしの行動に出る辺りが、メランコリーな気分に陥っている証拠と成るのでしょう。
そう考えながらも、更に続けて、
「俺は魔法使い。せやから、美人のねえちゃんの名前を知る事ぐらい造作もない事」
……と、かなり冗談めかした台詞で告げた。
もっとも、それは事実。少なくともウソを言った訳では有りません。
しかし、彼女の反応は……。
少し驚いたような反応を示した後、冷静な気を発する。
そして、直ぐに俺をその視線の中心に置いた後、机の上に並べて有った文房具の中から、一枚の見慣れたカードを取り出して指し示した。
そう。其処には昨日、有希が作った物と同じ……。
「どうせ、あんたの事だから、あたしの貸し出しカードを見た、とか言うオチを用意して有るんでしょう?」
そして、酷く現実的な答えを返して来るハルヒ。それに、普通に考えて俺が魔法使いだなどと言うぶっちゃけ話よりは、彼女の貸し出しカードや机の上に、意外にも几帳面な雰囲気で整然と並べられて居る文房具に書かれている彼女の名前を見た、と考える方が現実的ですから。
もっとも、彼女が本を借りるような事が有ったかどうかは判りませんが。
「さあな。この場では、本当の事なんかにあまり意味はないからな」
今重要なのは彼女が俺の事を友達だと言ってくれた事。それ以外の事は、すべて些末な出来事に過ぎませんから。
そう考えながら、読んでいた本を閉じ、ゆっくりと……。あまり、物音を立てないように立ち上がる俺。
そろそろ時刻は、夕方の五時。確かに、後一時間ほど閉館までの時間は有るけど、外は雨。早い内に家に帰る方が良いでしょう。
俺ではなく、この目の前の少女が。
しかし、
「ねぇ、明日はどうするの?」
しかし、立ち上がった俺に対して、これで三日連続と成る問い掛けを行うハルヒ。
「明日か……」
少し、視線を宙に彷徨わせてから、そう呟く俺。
これは当然、考える者の雰囲気。ただ、確か明日は……。
彼女自身と完全に約束を交わした訳ではないのですが、それでも日の有る内は、有希に付き合うと言う台詞を口にしたのは事実。
ただ……。
俺は、目の前の席に着く少女を見つめてから、少し、思考の海に沈む。
そう。それでも問題は、有希の身体のチェックが今日一日で終わるとは限らない事。
確かに、彼女に与えられた任務が、本当に監視任務だけならば、妙なギミックのような物は組み込まれてはいないでしょうが、それは有希の自己申告だけで有って、情報統合思念体からの証言では有りませんから。
ただ、それでも、
「一応、明日は予定が入って居るから難しいかな」
風に舞う乙女を起動させ、音声結界を解除した後にそう答える俺。
俺の事を友人だ、と言ってくれたハルヒには非常に申し訳ないけど、先に交わした約束が有る以上、これは仕方が有りません。まして、有希の方が大切な相手なのは間違い有りませんから。
「確かに、故郷に帰るのは木曜日以降に成るけど、俺も、西宮で遊んでばかりは居られないんや」
もっとも、有希に付き合うのですから、厳密に言うと遊びなのですが。
本来の俺の仕事は、夜に行って居る結界材を打ち込む事。確かに、人払いの結界を施した上で結界材を打ち込めば問題は少ないのですが、人払いの結界も万能では有りません。矢張り、不特定多数の人間の目の有る内の昼間よりは、夜に成ってからの仕事の方が他人に見られる可能性は少ないはずですから。
俺の言葉に対して、不満げな雰囲気を発するかと思ったけど、意外に普通の雰囲気で俺と同じように立ち上がるハルヒ。
これは、俺に付き合って居たのは、単なる暇つぶし程度の気分だったと言う事なのかも知れませんね。
それとも、ウカツな反応をした瞬間に、俺にツッコミを入れられる事を警戒したのか。
「そう。じゃあ、仕方がないわね」
俺の下衆の勘繰りに等しい思考の事など考えもしないハルヒは、そう言ってから、出口の方に向かって歩み行く。おそらく、そちらの方に有る鞄などを預けて置くロッカーへと向かっているのでしょう。
彼女は、自らの文房具を小脇に抱えて居ますから。
尚、現状は三日目にして、初めて見送る側に立たされたと言う事です。
じゃあね、と短く、そして、俺の顔を見る事もなく告げて、先に進み行こうとするハルヒ。その姿は颯爽としていて、非常に彼女らしい姿。
……って、おい。
「なぁ、ハルヒ」
そんな、少女の背中に対して声を掛ける俺。
何故ならば、未だ彼女に伝えていない言葉が有りますから。
長い髪の毛をふわりと揺らして、俺の方向へと振り返るハルヒ。その瞬間に、この世界を支配している陰鬱なイメージが一瞬だけ払拭された。
「何よ、用が有るのなら、さっさと言いなさい」
俺の顔を正面から見つめて、相変わらずの不機嫌な口調でそう問い掛けて来るハルヒ。その視線も、俺の事を睨み付けるような視線。
どう考えても、友好的な表情や仕草ではない。
「ハルヒ、今日はありがとうな」
唐突な。何の前振りもない言葉に、少し驚いた風な表情で俺を見つめるハルヒ。
その彼女の表情を見た瞬間、勝利を確信する俺。
そして、小さく。しかし、彼女に判るように首肯いて見せた後、
「ちょいと落ち込み気味やったけど、オマエさんの御蔭で少し、気分が晴れたわ」
……と、さわやかな笑みを見せながら告げた。
もっとも、これも自己申告に過ぎない内容なのですが。
その言葉を聞いた彼女の反応は……。
色々な意味で笑える反応だった事は言うまでもない。
後書き
戦闘が入ると矢張り、少し長い目の文章に成るな。
ついでに言うと、次回も一万文字オーバー。
それでは、次回タイトルは『悲鳴』です。
追記。
……と言うか、ハルヒの名前に仕組まれたアナグラムって、
Hr-ehr 関係なのか?
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