星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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激闘編
第百八話 皇帝不予、そして混迷
8月6日20:00
ヴィーレンシュタイン宙域、ヴィーレンシュタイン星系、銀河帝国、銀河帝国軍ヴィーレンシュタイン基地、高級士官クラブ、
オスカー・フォン・ロイエンタール
「おやおや、観戦武官のお出ましだ」
俺の言葉で皆の視線が一斉にエントランスの方に注がれる。
「真打ちの登場と言って貰いたいな」
ウェイトレスの女性に注文をしながらロイエンタールは深々と腰を下ろした。
「真打ちか。そうであって欲しいものだ。そうでないと皆叛乱軍にしてやられた甲斐性なしの集まりになってしまう」
「まあそう言うなケスラー提督。してやられたのはミューゼル閣下も同じだぞ」
「それはそうだが」
ケスラーをたしなめるメックリンガーも表情は似た様なものだ。
「ところでロイエンタール、ボーデンの状況は」
「平和なものさ。叛乱軍に動きはない。バルトハウザーを残して来たが、増援が到着するまでは奴に任せる」
バルトハウザーはロイエンタールの部下で、派手さはないが堅実で惜しみのない働きをする男だ。ロイエンタールはここぞという場面でバルトハウザーを重用している。
「バルトハウザーなら大丈夫だな。しかし、まんまとしてやられた」
「ガイエスブルグ要塞の事か」
「ああ。叛乱軍が再出兵の宣言をして、誰もがフォルゲンやボーデンに侵攻して来ると思い込んでいた」
「実際にヤン艦隊の増援を確認していたからな。その後に第六、第十三艦隊と現れて、叛乱軍の目的は辺境防衛の俺達の撃破を目論んでいるのだろうと誤認してしまった」
ワインボトルが空くのは早かった。ウェイトレスが新たなボトルとつまみを運んでくる。
「誤認はそれだけではない。ここに駐留していた有志連合軍の存在が我々の判断を鈍らせた側面もある。有志連合を我々の後詰と叛乱軍が判断しているのではないか、それで彼等の動きが鈍いのも納得出来る…まあ、あらゆる可能性を追求しなかった我々の落度なのだがな」
ケスラーが忌々しそうにグラスをあおる。
「だがその可能性は大いにあったのだ。最終的にはブラウンシュヴァイク公も増援を認めたのだからな。だが時期が悪かった」
我々の会話が聞こえていたのだろう、隣のボックスシートにはいつの間にかケンプ、ミュラー、ビッテンフェルトが集まっていた。軽く会釈をしながらビッテンフェルトが早速不満をぶちあげた。
「今更だが、フェザーンの高等弁務官府は何をやっていたのだ?奴等がしっかり情報を掴んでいれば、こうも酷い状況にはならなかった筈だ」
「そうですね…最近の戦いでは全くと言っていい程叛乱軍の動きが見えなくなりました」
ミュラーがそれに相槌を打つ…確かにそうだ、以前はフェザーン経由で叛乱軍の動きが掴めていたのだが、アムリッツア陥落以降はそれが無くなった。
「フェザーンが明らかに叛乱軍寄りの姿勢を示しているという事だろう」
「ケスラー提督、それがそうとも言えんのだ。帝国とフェザーンとの経済活動は以前より活発になっている」
「メックリンガー提督、卿が芸術より経済について詳しいとは聞いた事が無いが…」
「いや、とある美術商から聞いた話なのだ。アムリッツアが陥ちてからというもの、フェザーンから取り寄せる美術品や絵画の量が多くなったというのだ。フェザーンは叛乱軍との交易を黙認されているが、叛乱軍領域向けの貨物船が減っていて、顧客のほとんどが帝国の貴族や資産家だという」
「しかし運ぶ方も美術館だけでは利益が出ないだろう」
「そうだ。大体美術品や骨董品というのは一度には大量に取引されない。バイヤーが鑑定して本当に価値のある物だけを買う。だから量は少ないし、運ぶ時も荷の明きのある貨物船についでで運んで貰う事が多い。輸送料も船員の小遣い稼ぎ程度で済む」
「それが大量に取引されているという事は…」
「それを運ぶ船が増えているという事だ。主な積荷は武器、弾薬、糧食らしい。他にも装甲部材の原材料とかもあったそうだ」
「武器弾薬だと…納入先は帝国軍ではないのか」
「我々なら国内の兵器工廠で賄えるだろう。それをわざわざフェザーンから買っている連中がいるという事だ」
話してくれた本人も、聞いた皆もすぐ気付いただろう。それほどメックリンガーの話した内容は深刻なものだ。ノーマークでそんなものを買える連中は限られている。貴族だ。
貴族の私設艦隊の艦艇も基本的には帝国軍の造兵工廠で建造される。貴族が帝国政府に建造を依頼し、購入するのだが、建造された艦艇はまず最初に帝国軍に編入される。損失分を埋める為だ。貴族が依頼した分は後回しになる。私設艦隊が戦場に出る事はそれほど無いし、中々損失が発生しないからどうしても後回しになるのだ。流石に貴族達も正規軍の補充の重要性は理解しているから後回しにされても文句は言わない。中には自領に工廠を持つ大貴族もいる。ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯など、星系単位で領土を持つ大貴族達だ。彼等程の大貴族になると帝国政府には艦艇建造を依頼する事はない。後回しにされるのを嫌う貴族達はブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯に建造を依頼するのだ。帝国軍も大量に建造を急ぐ時には、政府を通して彼等に依頼する事がある。実はこの私設の工廠が曲者だった。この工廠で建造された艦艇数の把握が出来ないのだ。帝国政府が買い上げる形になる分は把握出来ても、貴族達が一体どれ程の艦艇を建造しているのか分からないのだ。
「貴族達がどれだけ軍備を整えようともどれ程の事があろうか。所詮竜頭蛇尾の輩ではないか」
ビッテンフェルトの言う事は真実だった。ここヴィーレンシュタインに居た彼等が何もなし得なかった事がそれを表している。
「だが一頭の獅子に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられる獅子の群れを駆逐するという。油断はせぬことだ」
メックリンガーがビッテンフェルトをたしなめると、それまで黙っていたミュラーが口を開いた。
「それより何の為の軍備かを問い質すのが先ではありませんか。元より私設艦隊を有する彼等が、何の為に密かに軍需物資を買い集めているのか明らかにすべきでありましょう」
「答えは明白だ。門閥貴族どもは次の皇帝陛下の御世を見据えているのだろう。分かっている筈ではないか卿等」
ロイエンタールの言葉は皆を黙らせるに充分な迫力があった。次の皇帝の御世…帝国軍が辺境に思うように兵を出せない事も、主力が帝都を離れられなかった事も、叛乱軍の跳梁を許してしまった事も、それが結果として有志連合なる勢力を産み出してしまった事も…それに誕を発していたのだ。皆分かっているのだ、知っていて口にしなかっただけなのだ。帝国が、二つに割れるかもしれないという事を…。
「今なら理解出来る。何故叛乱軍がアムリッツアで進撃を止めたのか。その一方で何故ガイエスブルグ要塞を破壊したのか。奴等は門閥貴族達の不安を煽っているのだ。神聖不可侵な筈の帝国領が侵され、辺境の情勢は不穏になり、果てには自領近くの要塞を破壊された。軍は頼むに非ず、自らの身は己の力で守り抜く…何れは正当な権力奪取を狙うだろう、奴等は皇孫を二人も擁している。その時の為に力を蓄えているのだろう」
ロイエンタールは薄く微笑みながらそう持論を述べた。
「ではロイエンタール提督、我々の為す事は…」
「さあな、ミュラー。大神オーディンが決める事だ」
20:10
銀河帝国軍ヴィーレンシュタイン基地、
ラインハルト・フォン・ミューゼル
今なら奴の考えが分かる。ウィンチェスターは帝国軍ではなく帝国そのものと戦っている。帝国の支配体制に戦いを挑んでいるのだ。政府、軍、貴族が団結すれば負ける事はない。だが現実は…。
「ラインハルト様」
執務室に駆け込んで来たのはキルヒアイスだった。
「どうしたんだ、キルヒアイス」
「皇帝陛下が亡くなりました」
「なんだと!?」
「フリードリヒⅣ世陛下が亡くなったのです、ラインハルト様」
「陛下などと呼ぶんじゃない。そうか、死んだか…俺達の手で殺してやろうと思っていたが、ついに叶わなかったな、キルヒアイス…」
20:15
ジークフリード・キルヒアイス
「陛下などと呼ぶんじゃない。そうか、死んだか…俺達の手で殺してやろうと思っていたが、ついに叶わなかったな、キルヒアイス…」
言葉の激しさとは裏腹に、ラインハルト様の顔は穏やかだった。以前ほど皇帝に対して憎悪を見せなくなった様に思える。
「そうですね。アンネローゼ様が後宮から離れておられて幸いでした。今居られたら、何を言われるか分かりません」
「そうだな。死因は分からんが、姉上が側に居たら非難の雨あられだろう。下手をすると殺されかねん」
もしかしたら皇帝は、自分の死期を悟っていたのかもしれない。だからミュッケンベルガー元帥の申し出を受け入れた…。そのアンネローゼ様は今ヒルデスハイム伯の元に居るという。本来なら今すぐにでもお迎えに向かわねばならないのだが…。その想いに気付いたかの様にラインハルト様が呟いた。
「今すぐにでも迎えに行きたいのだがな…」
申し出てみようか?しかしあまりにも私事でありすぎる、ラインハルト様の部下達はなんと言うだろう。軍を辞めねばならなくなるかもしれない。
「キルヒアイス」
「何でしょう、ラインハルト様」
「おそらく、いや確実に帝国は割れる。機会が訪れるまで辺境守備の一軍人として力を蓄えようと思う」
一瞬でもラインハルト様がアンネローゼ様を迎えに行ってくれと言い出すのではないか、と思った自分が恥ずかしかった。私などよりラインハルト様の方が私以上にアンネローゼ様を迎えに行きたい筈なのだ。
「帝国が割れたら叛乱軍はここぞとばかりに襲ってくるだろう。帝国の内情がどうなろうとも、そこに叛乱軍を介入させてはならない」
「はい」
「皆を集めてくれ」
21:30
オスカー・フォン・ロイエンタール
「帝都オーディンで重大事が発生した。皇帝陛下がお亡くなりあそばされた」
ミューゼル閣下の言葉に皆がざわつく。ざわめきが治まるのを待って、閣下は再び言葉を続ける。
「首都の情勢が気になるところではあるが、叛乱軍と対峙している我々はこれ以上退く事は出来ない。おそらく叛乱軍はこれ以上攻勢出る事はないだろうが、安心は出来ない。ヴィーレンシュタインを拠点とし辺境防衛の任務を続行する」
「叛乱軍がこれ以上の攻勢に出ないという判断の根拠は柰辺にございますか」
「いい質問だ、ロイエンタール。辺境、すなわち今までのフォルゲン及びボーデンでの叛乱軍の行動は、ガイエスブルグ要塞破壊の為の陽動だ。ハーンは占領されたものの、キフォイザーに至る宙域に奴等は手をつけていない。奴等の目的は帝国の支配体制の崩壊を狙ったものだと推察される。じわじわと真綿で首を締める様に恐怖を煽っているのだ」
「叛乱軍は貴族達に目を着けた、という事ですか」
「察しがいいな。叛乱軍はガイエスブルグ要塞を破壊する事で貴族達に安全保障問題を突きつけたのだ。帝国を護るに任せない政府、軍に対して、彼等は反感を募らせるだろう。次期皇帝陛下はまだ決まっていないが、誰が皇帝の座に着くかによって彼等の態度は決する筈だ」
「帝国からの独立、という事ですか」
「だろうな。内戦の勃発だ」
ミューゼル閣下は皆の反応を伺う様にそこで言葉を止めた。一番先に口を開いたのはミッターマイヤーだった。
「もし閣下の仰る様に内戦が発生するとすれば、叛乱軍にとっては絶好の機会となります。果たして閣下が予想された様に奴等はこれ以上の攻勢は行わないのでしょうか」
「奴等は漁夫の利を得る腹なのだ。我々を相戦わせ、どちらかが倒れた後に攻め込むつもりだろう。帝国政府にとっても貴族達にとっても叛乱軍は敵だからな、叛乱軍に対しては両者が手を結ぶ可能性がある。その可能性があるうちは奴等は決して行動は起こさないだろう」
「ひどい事になりそうですな…」
「ああ。だから私は辺境守備の一軍人に甘んじる事にした。それに、変わってくれる者も居ないのでな」
辺境守備を口実に雌伏するという事か…叛乱軍が襲って来ないのであれば、確かに好都合だ。今中央に戻れば体よく使い捨てにされるのがオチだろう。
「卿等の去就は問わない。この地に留まるもよし、帝都に戻るのもよし…内戦となれば私も考えるところがあるからな。それを卿等には強制はしないつもりだ」
宇宙暦796年8月11日12:00
ハーン宙域、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍、第九艦隊旗艦ヘクトル、
ヤマト・ウィンチェスター
“そうか、やってくれたか…いや、本当に作戦成功おめでとう”
FTLの相手は最高評議会議長とその閣僚達だ。一応今回の作戦は最高評議会議長の直接命令によるものだから、彼に直接報告しなきゃいかん事になっている。
”フォルゲンでの戦いは陽動で、実はガイエスブルグ要塞の破壊を狙っていたとは…流石はアッシュビーの再来だ。本当によくやってくれた“
「ありがとうございます」
議長と何人かの閣僚達が手を取り合って喜んでいる。カメラが数台見えるところを見ると、どうやらこの報告の様子はTVで生中継でもされているのだろう。露骨だな…まあ喜んでいる議長や閣僚達とは反対に、無表情な面々が居る。一応拍手はしているものの、どことなく緊張が漂っている。カメラもそれに気付いたのだろう、一台のカメラが彼等を追った。国防委員長、財政委員長、人的資源委員長…法秩序委員長もいるな……法秩序委員長が手を上げている。
“お、お喜びの中申し訳ないのですが、議長、あなたを収監させていただきます”
“…急になんだね、法秩序委員長”
“容疑は収賄、特別背任、機密情報漏洩です”
とんでもないな…天国から地獄へ真っ逆さまという訳だ。評議会議場になだれ込む警官、おそらく検察庁の職員を映し出しながら、FTLは切れた。
12:10
マルコム・ワイドボーン
「これは一体…」
多分俺の顔色は青くなっているだろう。
「まあ検察が動いているんだ。彼等だって証拠もなしに議場になだれ込みはしないだろう。生中継なんかするから…」
「知っておられたのですか」
「うん、まあね」
まあねと言いながら、閣下は事情を説明しだした。フェザーンにいるバグダッシュからの報せだという。欺瞞工作を行う上でとんでもない情報を手に入れた…実際にはフェザーン自治領主府の関係者から手に入れた情報で、議長、現職の閣僚数名がフェザーンから賄賂を貰っているという情報とその詳細だった。情報の重さからして何かバーターで情報を渡している筈だが、敢えてそれは聞かなかった。渡してしまったものは仕方ないし、現在の情勢に直接関係がなければどうとでもなるからだ。おそらくバグダッシュという男ならそれくらいの判断はするだろう。
「偽情報という可能性はなかったのですか?」
「裏も取らずに拘禁に踏みきる訳がないじゃないか…情報は正しかったって事だ。これで政権維持の為に出兵を目論む様な政治家は、とりあえず居なくなるという事だね」
「ですが、後任人事は…やはりトリューニヒト委員長ですか」
「だろうね。彼は人気があるし、法秩序委員長もそこに乗ったという事だろう。財政委員長のレベロ氏や人的資源委員長のルイ氏もそうじゃないかな。今言った連中は今回の作戦には反対だったからね」
「…彼なら大丈夫だと?」
「何度か直接話をしたけれど、彼は現実的な政治家だ。軍の行動を制紂されない為には彼が最高評議会議長である必要があるんだ。我々が成功をおさめている限り、トリューニヒト氏や次の国防委員長は我々のいう事を聞いてくれるだろう」
「…シビリアン・コントロールからは外れていますね」
「そうかな?我々は専門家として彼等に助言し、彼等がそれを採り上げる。我々は助言者に過ぎないが、実際問題として我々は力を持っている。だから為政者達は潜在的に我々のクーデターを恐れるんだ。だったらこちらからどんどん協力してあげた方がいいだろう。帝国という敵がいる間は…私だってトリューニヒト氏には本音で話している。今何が必要かという事をね」
「敵がいる間は、と仰いましたが…」
「理想的に進めば、将来は帝国の存在を気にしなくてもよくなる筈だ。となれば同盟軍は軍縮に向かうだろう。その時に軍の発言権が小さくなっていたらどうする?現実的には軍隊はなくならないし無くす事は出来ない。今からそういう事態に備えて発言権を確保しておかないと、どうなるか分からないからね。その為の布石さ」
「なるほど…」
「実際に戦っているのは我々だけど、あまりその功績は誇ってはいけないんだ。だから私は国防委員長を影から支えるという訳さ。無論、グリーンヒル本部長やビュコック長官もご存知だ。フェザーンで得た情報は全て本部長に報告してある」
「ですが、本部長や司令長官はこういう政治的な動きを好まないのではないですか」
「政治家が皆真っ当で軍事に対して一定の理解のある政治家ばかりだったら、こういう事はしなくてもいいしすべきではないんだ。でも現実を見てご覧、今回の出兵だって政権維持を目的としたものだったんだよ。正しいシビリアン・コントロールと言えるかい?軍人は政治に関わってはいけないという人もいる。だけどね、関わらなきゃいけない所はきちんと関わらないと駄目なんだよ。軍人は政治家が正しく軍事力を行使するために、彼等に正しい助言をしなきゃならないんだ。ただ盲目的に従っていたら駄目なんだ。まあ、今回の件は告発みたいな物だけどね」
閣下の言う事は理解出来た。確かに軍事という物を正しく理解している政治家ばかりなら、ここまで戦争が続く事はなかっただろう。恣意的な軍事行動も、もっと少なかった筈だ。だが、助言する者が自分に都合のいい様にそれを行えば、軍事力の行使に歯止めが効かなくなるのではないか…閣下の様な人はいいだろう、だが野心的、利己的な人間が助言者の位置に居たらどうなるのだろう、ルドルフの様な人物を産み出してしまうのではないか…。
12:30
アムリッツア宙域、アムリッツア星系カイタル、自由惑星同盟軍カイタル基地、
アレクサンドル・ビュコック
「いやはや、やってくれたものですな。このタイミングであの情報を使うとは」
“私も選挙公示中に使うものとばかり思っていました。ですが、効果的な事には違いない。作戦成功報告の生中継で、ですからね…ところで長官、そちらの状況は”
「帝国軍はヴィーレンシュタインまで後退しました。しばらく見張っておったが、奴等は出てくる気がないようですな。現在はフォルゲン、ボーデン共に通常の哨戒行動に戻しております」
“という事は、皇帝が死んだという情報も本当なのでしょうな”
「おそらくそうでしょう。それ以外に戦闘を止める理由は思いつきません」
“長官は今後の軍事行動についてどうお考えですか”
「ハーンを取ってしまいましたからな…厳しくはありますが出来るだけ二正面作戦は避けたいものです。兵力に余裕がありません」
“同感です。国防委員長にもそう上申致します”
「あとの細かい事はウィンチェスターに考えてもらいましょう」
“ハハ、そうですな”
8月14日15:00
イゼルローン回廊、イゼルローン要塞、
ヤマト・ウィンチェスター
ガイエスブルグ要塞攻略から帰投した艦隊のうち、第二、第三、第四、第九をカイタルに、第十艦隊をハーンに残して、ヤンさんの第一、ビュコック長官の第五、そして第六と第十三艦隊はハイネセンに向かう事になった。皇帝が死んだという情報が本当らしい事、それによって帝国軍の軍事行動が消極的である事から、損害の大きな艦隊を首都に戻して休養と再編成に当たらせる事になったのだ。俺もビュコック長官のリオ・グランデに便乗させて貰って、ハイネセンへの帰路にある。
『任せておいて言うのも何だが、困った事があったらすぐに言うんだぞ』
『ガイエスブルグを攻めた時はそんな優しい事言ってくれませんでしたが』
『あれは…困った事があっても対処する暇がなかったからだよ』
艦隊もワイドボーンに任せてある。月が変わればおそらく中将に昇進だろうから、そのまま後任の司令官に丁度いい。本当は帰りたくなかったんだけど、本部長が戻って来いって言うんじゃ仕方ないよな…何でも声望の高い軍人が遠い前線に長く居ると、政府のコントロールを受け付けなくなる恐れがある、という声があるんだそうだ。たまには戻って顔を見せろという事なんだが、余計なお世話だってんだ、そんな心配なら替わってやろうか?…と言ってやりたい。まあ、直接会って話した方が、何を話すにしても安心するし納得出来るんだろう。
「何故呼び戻すんじゃ、と言った顔つきじゃな」
ビュコック長官は部屋に入ってくるなりそう言って笑った。「まあ、そういう気分ではありますね」
コーヒーを用意しようとした俺を手で制すると、長官は後ろ手に持ったブランデーをデスクに乗せた。キャビネットを開け、グラスを二つ取り出して注ぎ始めた。
「貴官が出来すぎるからじゃ」
「はあ…」
「貴官のやっておる事は今まで誰も思い付かん事じゃったからの。まあ、イゼルローンを陥とすまではほとんど同盟領域でしか戦っておらんかったせいもあるが」
「そうでしょうね…私が思いつきでやっているせいもあると思います」
「うむ。その思いつきに皆が着いてきておらんのじゃ。儂も貴官の作戦がこうも上手く行くとは思わんかったからの…今後はどうなると思っておるのじゃ」
「帝国は二つに割れ、内戦が始まると思います。大貴族と帝国政府の間でです。ガイエスブルグ要塞の破壊はその為に行いました。大貴族達の間に、帝国政府は頼りにならないという気分を醸成させる為です。そして皇帝が死にました。帝国政府が次期皇帝に推すのはフリードリヒⅣ世の皇太子の残した子、エルウィン・ヨーゼフⅡ世。一方で大貴族側にもブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家に嫁いだ皇女達の子、エリザベートとサビーネが居ます。大貴族達は当然この二人のどちらかを次期皇帝として推すでしょう」
「御家騒動という訳じゃな」
「はい。当然ながらこの二つの勢力は相容れません。政府側はブラウンシュヴァイク家やリッテンハイム家が皇帝の外戚として威勢を振るうのを許容出来ませんし、大貴族達には帝室の藩屏としての強烈な自負があります。もし二つの勢力が手を結ぶ事があるとすればそれは対外勢力、即ち我々に対する時でしょう」
長官は首元のスカーフを緩めながら、空になったグラスに再びブランデーを充たした。
「という事は…しばらく手を出さん方がいいという事じゃな」
「はい。下手に手を出せば噛みつかれます」
「帝国で内戦とはな…数年前には想像もつかんかった事じゃ」
「はい。一方で注意しなくてはならない勢力が居ます。フェザーンです」
「フェザーンじゃと?」
「はい」
「フェザーンは軍事力こそ稀薄ですが、我々との交易を黙認されている地の利を活かし、同盟と帝国の間で上手く立ち回って来ました」
「両国の情報をその時々で互いに流している節がある…というやつじゃな」
「はい。近年は軍事行動に関しては情報漏洩の防止と防諜に努めている事や、フェザーン現地に情報員を配置して情報操作を行っているので我々の情報は掴まれにくくはなっています。ですが不思議な事にフェザーンは、それに対する対抗策をなんら取っていないようなのです」
「ふむ」
「経済的にもフェザーンは同盟領域から締め出されようとしています。それに対してもなんら策を講じていない。その一方帝国、特に大貴族達との取引は今までより増大しています。これもバグダッシュの調査により判明しております」
「内戦寸前の帝国…特に大貴族達にフェザーンが肩入れしているという事じゃな」
「はい、ですがどうも納得がいかないのです。表面上はそう見えるのですが…フェザーンが大貴族に肩入れをしている、そんな事は調べればすぐに分かるのです、私が分かったくらいですから…いずれは帝国政府も気付くでしょう。そんな見え透いた手をフェザーンが打つというのはどうも…」
「ふうむ。なんにせよ注意が必要という事だな」
「はい」
その後しばらく長官は黙ってグラスを傾けていた。フェザーンについて話すかどうかは正直迷った。下手なところまで話すと地球教団の事まで話が及んでしまいそうだからだ。今の段階で地球教の事を話しても長官どころか誰も信じてくれないだろう。フェザーンに対しては慎重に外堀を埋めていく必要がある。何しろ議長逮捕の情報の出所はフェザーンなのだ。何故こんな重要な情報をフェザーンは提供したのか。何かしら見返りを求めているのか、慎重に調べないといけない。バグダッシュには苦労をかけるが、もう少し頑張って貰うか…。
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