星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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激闘編
第百九話 前触れ
帝国暦487年8月25日12:00
ヴァルハラ星系、オーディン、銀河帝国、ヒルデスハイム伯爵家別邸、
ジークフリード・キルヒアイス
ガイエスブルグ要塞が破壊された後、皇帝が死んだ。ラインハルト様はヴィーレンシュタインにて辺境防衛の名のもとに雌伏を選択された。フォルゲン、ボーデンの叛乱軍の攻勢は陽動…そう判断して、ヴィーレンシュタインまで後退したのだ。ラインハルト様の判断通り、叛乱軍の動きはなくなった。時折哨戒部隊同士が接触する事はあっても、戦闘になる事は稀だった。アンネローゼ様をお迎えする為に私がこうやってオーディンに居るのも、ある意味叛乱軍のおかげだろう。だが久しぶりに戻った帝都の雰囲気は、出撃前と少し変わっている様だった。
「元気だったか。息災そうで何よりだ」
「はい。閣下もお元気そうで…お姿を拝見して安堵致しました」
「フフ…卿が心配しているのは私ではないだろう?大丈夫だ。この屋敷にちゃんと居られる。しかし、伯爵夫人が我々と共に帝都を離れていたのは本当に幸運だった」
それからヒルデスハイム伯爵が語ったのは驚くべき事実だった。ベーネミュンデ侯爵夫人が死んだというのだ。
「伯爵夫人が後宮を出られてから、陛下の寵を取り戻そうと足繁く宮廷に出入りする様になってな…別に陛下は侯爵夫人の事がお嫌いではなかったのだ。伯爵夫人が後宮に入る前の件があってから陛下は侯爵夫人を遠ざけられた。だが彼女はそれを自分の失態だと受け止めてしまったのだ…もう十年も前の事だが、そこまで遡らないと話は始まらんのでな」
「あの事とは畏れながら、陛下と侯爵夫人の間に授かった和子…の件でございましょうか」
「そうだ、よく知っていたな…死産だったが、直前まで母子共に順調で、死産を予見出来る宮廷医はいなかったそうだ。陛下は何者かの作為を感じられたのだろう。その後、皇帝と侯爵夫人の間は疎遠になった」
その後アンネローゼ様が後宮に入り、皇帝が侯爵夫人の元に行く事はなくなった。
「彼女も何かを感じ取ったのかも知れない。そして自分を責めただろう、陛下を恨む訳にはいかんからな。そしてその恨みの矛先は伯爵夫人にも向けられたという訳だ」
何も知らない小娘が後宮に入って皇帝の寵愛を受ける…自分の置かれた状況と比べてしまったのだろう、共感は出来ないが理解は出来る…。
「しかし…侯爵夫人は何故死んだのでしょう?」
「自裁を命じられた。陛下危急の時に為すべき事を怠ったという理由だ。陛下が亡くなられた時、彼女はその場に居ったのでな。自裁を命じたのはリヒテンラーデ侯だ」
リヒテンラーデ侯と言った時の伯爵は、まるでこの世ならぬ物を見たかの様な顔をしていた。伯は何かを知っている、そう思わせるに充分な表情だった。これ以上は…話を変えた方がいいかも知れない。
「ところで…次の至尊の座に着かれるお方はどなたになるのでしょうか」
「エルウィン・ヨーゼフ殿下だ。前の皇太子殿下のご嫡子であらせられるからな。が…皇位に着かれた後で揉めるかも知れん」
「それはどういう…」
尋ねると、伯は大きな笑い声をあげた。
「知らぬふりをするのは止せ。気付いておろうが…帝国は二つに割れる、真っ二つにな。私も説得を試みたが駄目だった。ブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も、前のルートヴィヒ皇太子殿下とは対立しておったからな。その子が至尊の座に着くなど笑い話にも程がある、とな…卿、気付いておらんか。外の様子を」
「はい…宇宙港の出発ゲートは貴族の方々が多かった様に思えます。このお屋敷の周りも人通りが少なくなった様に感じました。代わりに軍人達が多くなったかと」
オーディンに着いて感じた違和感の正体はそれだった。軍人の姿が多いのだ。事は急速に進みつつある…。
「畏れながら、閣下はどうなさるおつもりなのです」
「理は政府にある。だが情はいかんともしがたくてな。こうならねばよいとは思っていたが、最早どうしようもない。私はブラウンシュヴァイク公につく。実はな、昨日辞表を出したのだ…卿が来てくれてよかった。卿が来なんだら伯爵夫人と娘をいかにしてミューゼルの所へ送り出そうかと思っていたところだ」
「ご息女…でございますか?」
「うむ。あれには埒のない戦などで命を落として欲しくないのだ。人質にされるのも癪だしな…この後の予定は?」
「ミュッケンベルガー閣下の元帥府へ参ります。その後はもう一度こちらへ参る予定でした」
「そうか。では用事を済ませたら直ぐに戻ってくれ。出立の準備は既に整っておる」
「了解致しました」
ヒルデスハイム伯爵の元を辞し、急いでミュッケンベルガー閣下の元に向かう…ラインハルト様が雌伏を選択したのは正解だったかも知れない。こんな時にオーディンに居たら、どちらの側に着くかで身動きが取れなくなっていただろう。状況からいって政府側に着くのは当然だが、そうだとしても様々な困難は覚悟せねばならなかった。ラインハルト様の簒奪の意思は最早知れ渡っていると考えねばならないからだ。だからこそミュッケンベルガー閣下はラインハルト様を辺境守備に向かわせたのだ…。
元帥府の前に来ると、ここも以前より警衛の数が増えていた。ラインハルト様の部下として来意は告げてあるのにも関わらず、営門で誰何と車両検査を受けた。
「ご苦労。ミューゼルはどうだ。通信で見る限りは息災の様だったが」
「はい、辺境守備の任に精励されておいでです」
「そうか。オーディンの様子も変わっただろう。ガイエスブルグが破壊されてからというもの状況が変わってしまってな…今ではこの有り様だ」
「はい。グリューネワルト伯爵夫人の件の御礼を申しあげる為にヒルデスハイム伯爵の元へも立ち寄らせて貰ったのですが、帝国は割れると仰っておられました。自分はブラウンシュヴァイク公に着く、と…」
「そうか…あってはならぬ事だが、伯の立場では仕方の無い事かも知れん。伯から今の情勢は聞いておるか」
ヒルデスハイム伯爵から聞いた内容を閣下に話すと、ミュッケンベルガー閣下は大きくため息を吐いた。
「策はな、ないでもないのだ。ヨーゼフ殿下の妃として、エリザベート様かサビーネ様が嫁ぐ、という案だ。しかしこれは双方が譲歩せねばならん。リヒテンラーデ侯としては外戚の影響を排除出来なくなるし、ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯としてはリヒテンラーデ侯の風下に立つという事になる。結局どちらか勝敗が決した後でないと用いる事が出来ない。そしてどちらにしても帝国には深い傷が残る事になる。困ったものだな」
「…閣下はどうなさるおつもりですか」
「…儂は帝国軍人だ。帝国を蔑ろにする者達から帝国を護らねばならん。有志連合に組する訳にはいかない」
それから閣下は現在の帝国軍の状況を語り始めた。貴族…有志連合への警戒としてやはり艦隊はオーディンにて待機するという。叛乱軍によるガイエスブルグ要塞破壊直後は貴族領やキフォイザー方面に艦隊を派遣する予定だったが、皇帝崩御後はそれも取り止めになったという。
「ミューゼルの言う通り、叛乱軍はしばらくは動かんだろう。奴等にしてみれば帝国内が混乱していた方が都合がいいし、自分達が動けば、帝国国内が一つにまとまるかも知れんのだからな…ヴィーレンシュタインに到着した増援はアントン艦隊だったな」
「はい」
「もう一つ艦隊を回そう、ベルタ艦隊だ。アントンとベルタの両名は卿も知っての通りヒルデスハイム伯の縁者だ。ブラウンシュヴァイク公の元に向かわれても困るし、こういう情勢とはいえ辺境防衛の手を抜く訳にはいかんのは理解出来るだろう…奴の艦隊は明後日には出立出来る筈だ…儂はこれから統帥本部に向かわねばならん。卿も用は済んだ筈、伯爵夫人を連れてミューゼルの元に戻るがよい」
「はっ」
「戻ったらミューゼルに伝えよ。どの様な手段をとろうと構わん、帝国を護れとな」
「はっ、必ず伝えます」
「九月一日に陛下の国葬が執り行われる。終了後は帝都に戒厳令が敷かれる…それまでにはオーディンから出るのだ」
宇宙暦796年9月10日09:35
バーラト星系、ハイネセン、自由惑星同盟、ハイネセンポリス、シルバーブリッジ三番街、ウィンチェスター邸、
ヤマト・ウィンチェスター
「ねえ、また貴方よ」
「他のチャンネルは?」
「同じ。また貴方が皇帝を倒したって言ってるわよ」
「飽きないもんだな…」
「ガイエスブルグ要塞が破壊されたショックで皇帝が死んだ…本当だったら凄いんだけど」
「…そんな訳ないでしょう」
「今貴方が出馬したらトップ当選ね。最高評議会議長が逮捕された後だし、皇帝は倒しちゃうし……」
「…やめてくれよ」
スナックをつまみながら、エリカが呟く。ここ最近は似た様な会話が多い。ある意味自分のせいなんだけどね…。
ガイエスブルグ要塞が破壊されたショックで皇帝は死んだ、ウィンチェスター副司令長官の一撃が皇帝を倒したのだ…マスコミの論調は総じてこれだった。取材攻勢を避ける為に休暇を取ったけど、副司令長官ともなると休む暇がない。色々な事に関わらなくてはいけないからだ。ハーン宙域の体制について統合作戦本部との検討会議。宇宙艦隊の諸問題の解決の為の会議。対帝国戦について今後の方針の策定。昇任調整会議…。方針やら宇宙艦隊の諸問題はともかく、高級軍人の昇任人事に関しては同盟軍内部に与える影響が大きいから、早急に人選を済ませなきゃいけない。
今現在、艦隊司令官のポストは三つ空きがある。第五、第七、第八の三つだ。第五はもともとビュコック長官が直卒していたんだけど、長官直卒の艦隊を別に編成するという話が出て、第五艦隊司令官のポストが空いた。第八艦隊司令官は戦死、第七艦隊司令官も負傷療養で予備役になったから、この二つのポストも空いた。宇宙艦隊としては早く後任を決めなきゃいけないんだがこれが難しい。まず能力。そして序列。前回は国防委員長の推薦もあったけど、今回はそれが無い。選挙対策もあってトリューニヒト氏は、自分が人事権を不当に行使していると思われたくないのだそうだ。選挙で勝てばシトレ親父が国防委員長になるのは謂わば規定の流れだったから、今回の人事は試金石とも言えた。軍は人材を正当に評価しているのか、そこが試されるのだ。
「でも、そこを考えろってのは人事部の仕事じゃないかしら」
「そうなんだよ。でも今回の作戦が上手く行き過ぎたから、ポストの割振りに難があるんだと。発案者にもその責任の一端を担って貰う…って事らしいよ。確か今の人事部長は代理の少将だったから…まだ余計な恨みは買いたくないんだろうなあ」
「…偉くなるのも大変よね。副官辞めてよかったかも」
「副官も色々気を使うからね…そういえば、エリカは今どこに居るんだっけ?」
「後方勤務本部厚生課よ。忘れちゃったの?」
「わ、忘れてないよ。確認しただけ」
「ふーん。あ、マリーちゃんは経理課に異動したわよ」
「なんだって?じゃあアイツが俺達の給料計算してるのか」
「そうなるわね」
まさか妹が俺達の給料計算をしていたとは…何だか納得いかないな…エリカには悪いけど、長官のところに行こう…面倒くさい事は早く片付けないと…。
15:00
統合作戦本部ビル、宇宙艦隊司令部
「休みなのにご苦労な事じゃな」
「閣下こそ休まれては如何です」
「職場に居た方がボケなくていい、と家内に言われての…ところで今日は何用かな」
「え?ああ、人事の件です。その他にもありますが」
「どうするか決まったかね」
「ええ…艦隊司令官は誰も功績を上げてませんから昇進はなし。勲章の授与で済ませます。それと、少将の中堅どころを昇進させて艦隊司令官に抜擢します」
「誰を昇進させる?」
「モートン、カールセン、アッテンボローの三人です」
「ふむ、あ奴等なら納得じゃ。しかし、進攻作戦に参加した艦隊司令官達は昇進なしで納得するかな」
「私や閣下も昇進しないのですから当然でしょう」
「ハハ、分かった。では今後の対帝国についての方針じゃが、これは統合作戦本部と協議が必要じゃろうなあ。貴官が前に言った通り、宇宙艦隊としては現状維持、静観じゃ。それでいいかの」
「はい。ハーンの根拠地化と第七、第八艦隊の再編も進めねばなりませんし」
「あとは儂…司令長官の率いる艦隊の規模についてじゃ。貴官はどう考えておる?」
難しい問題だった。司令長官が前線に出る戦いが発生するとして、その艦隊戦力を予備として考えるか、護衛任務に限定するかで規模が変わってくるからだ。前者であれば二万隻は欲しいところだ。戦闘中の前線の補強に戦力を派出も出来るし、敵にとどめを刺す時の切り札として期待出来る。直卒艦隊自身で戦闘の当初から前線に参加も出来る。後者であれば司令長官自身は指揮統率に専念する事になる。利点は前者だが、おそらく編成した後に問題点を指摘する声が大きくなるのは明らかだった。いつ出撃するかわからない直卒艦隊を編成するより、ナンバー艦隊…正規艦隊を新しく増勢した方が合理的ではないのか…そういう声があるのだ。確かに戦線は拡大しているから、正規艦隊の数は多い方がいい。
「任務部隊方式の方がいいのでは…と思います」
「成程な。必要な時に必要な数を、という訳じゃな」
「はい」
正規艦隊は軍の編制上、指揮官の階級や部隊規模が定められているが、任務部隊というのは『○○任務に必要な部隊を編成する』方式だから、部隊規模を自由に編成出来る強味がある。だけど任務部隊方式はお金に余裕がある時にだけ使えるやり方だった。規模がもともと決まっている正規艦隊と違って任務部隊はその都度予算措置をせねばならず、経理担当者からすれば悪夢でしかない。ある程度の額を確保して流用するという手法もあるけど、決して褒められたやり方ではなかった。
「ですが、任務部隊方式は予算計上が難しく、常設の部隊としては編制出来ません。ですから長官直卒の艦隊は半個艦隊程度を基幹として作戦の大小に応じて予算措置をし、その後改めて任務部隊として部隊規模を決定すればいいのではないでしょうか。その上で正規艦隊を一つ増やすのが合理的ではないかと。第十三艦隊も正規編制にします」
「第十三艦隊は判るが…もう一つ艦隊を増やすのか?」
「はい。とりあえずは編制のみの存在でいいのです。予め編制を作っておけば予算は取れます。何かあれば予算は流用出来ますし、本当に正規艦隊を増やす事態になった時にはスムーズに事を運べます」
「貴官、意外と腹黒いの」
「褒められたと思っておきます。まあこれも本部長が納得すればですが」
「そうじゃな。後方勤務本部との折衝は本部長じゃからな」
「何かあれば手伝うと言っておいて下さい」
「おいおい、本部長の説得は貴官の役目じゃぞ。儂は元から貴官の考えを採用するつもりじゃからな」
「はあ…分かりました」
グリーンヒル本部長の執務室が遠く感じる…これだけ上手く行ってればそりゃ信頼されるよな…でも宇宙艦隊の方針なんだからトップ同士、長官が本部長に説明するんじゃないのか?同じビルだし別に構わないんだけどさ…。
「宇宙艦隊の方針は了解した。私に異存はないよ」
本部長の返事は一発OK…いいんでしょうか?
「あのう…本当にいいんですか?」
「構わんさ。私は本来今の地位にある人間ではない…ああ、決して自分を卑下している訳ではないんだ。だが自分の能力はわかっているつもりだ。おそらく私は調整型、参謀型の軍人だ。だからこそ君や長官の言う事を全面的にバックアップするつもりでいるんだよ。まあ組織としてはチグハグになってしまうが、それは話し合えば解決する事だ」
「ありがとうございます」
「それに今の状況は君が作り出したものだ。今後の見通しも君が一番よくわかっている筈だ。遠慮する事なく思うようにやりたまえ」
「遠慮する事なく、ですか」
「そうだ。おそらく長官もそう思っている筈だ。だからこそ君をここに寄越したのだ」
「分かりました」
楽と言えば楽なんだけどね…執務室を出る時に今夜の予定を聞かれた。三月兎亭に行くから夫婦で一緒にどうか…という事らしい。ヤンさんやフレデリカさんも来るという事で、是非にと返事しておいた。
しかし、物事がスムーズに進み過ぎているなあ…まあ、ラインハルトが辺境守備の一軍人でしかないからなんだけど…今の状況でラインハルトが軍権を握ったらどうなるんだろうか…現実的には代わりの者がいない限りラインハルトが辺境守備から外される事はないだろう。という事はミュッケンベルガー率いる帝国軍と貴族連合軍が戦う流れになる訳で…帝国軍は勝てるんだろうか?もし貴族達が勝ったらどうなるんだろう?ちょっと想像つかないな。ラインハルトが権力奪取に走るとしたらこの戦いの最中だろうし…。
「貴方?」
「ん、ああ。ごめん、考え事をしてた」
「先に着いちゃったからってボーッとしないでね。私暇になっちゃう」
三月兎亭の店内の奥に用意された席に、皆が集まったのはそれから十分程経ってからだった。
「待たせた様だね」
そう言ってグリーンヒル本部長が席に着くと、ヤンさんとフレデリカちゃんも遅れて席に着く…赤いドレスのフレデリカちゃんは中々イケてる。ヤンさんも満更でもなさそうだ。このまま二人はゴールイン出来るのかな…あれ、ユリアンが居ない。
「ユリアンかい?ユリアンはアッテンボローが拐って行ったよ。進路相談会をするらしい」
「進路相談会?ユリアン君のですか?」
「そうなんだ。アッテンボローのところの空戦隊長…なんて言ったかな」
横からフレデリカちゃんが助け船を出した。
「…そうそう、ポプラン少佐とコーネフ少佐だ、それとうちの空戦隊長…シェイクリ少佐とヒューズ少佐も一緒らしい。艦隊士官の道に進ませるか、戦闘艇乗りに進ませるか決めるんだそうだ。本人にその気がなかったらどうするつもりかは知らないが」
「ヤンさんはどっちがいいんです?」
「うーん、本人が決める事だからねえ。可愛がってくれるのはいいんだが、心配だよ」
そのまましばらく話題はユリアンの事になった。意外にも本部長もユリアンの事を知っていた。
「文武両道なのだろう?優秀なフライングボールの選手だったそうじゃないか」
「本部長もご存知だったのですか」
「ジュニア部門の最優秀選手候補だったと聞いている。娘からの受け売りだがね」
「知らないのはヤン閣下くらいですわ」
フレデリカちゃんがそう言うと、ヤンさん以外の皆が一斉に笑った。
うーん、和やかだ。アニメの気分……三人がトイレに立つと、エリカが脇を小突いた…言いたい事は分かる。
「あたし達、お邪魔なんじゃない?」
「そう思うんだけどさ、本部長の誘いじゃ断れないよ」
「そうね…前から思ってたんだけど…ヤン提督って、フレデリカ大尉の事どう思ってるのかしら?」
「好きなんじゃないかな?少なくとも嫌いではないと思うよ。でも流石に本部長の前じゃそういう話はしにくいだろう?父親な訳だし」
「そうよねえ…」
何を思い付いたのか、エリカは電話をかけだした。
『今空いてる?…うん、そうなのよ。三人で飲みに行かない?そう、フレデリカ大尉……わかった。中央駅改札出たとこで待ってるね』
「誰?」
「ミリーよ。ローザス少佐。何だかお堅い話で終わりそうだから三人で飲みに行こうと思って。ミリーは空いてるって」
「ええ?大尉の予定は聞いてないだろ?」
「多分このまま本部長と帰るだけよ、親子なんだから。大尉とも飲んでみたかったのよね」
うーん…エリカの予想通りになるのは間違いないからな。仲良くするのはいい事だし、勝手にさせよう。
「あまり羽目外すなよ。どこ行くんだい?」
「実家。ガストホーフのバーよ。安心でしょ?」
「そこなら安心だ」
トイレから戻って来た三人に事情を説明すると、意外にもフレデリカちゃんも快諾してくれた。
「では行って来ます!本部長もヤン提督もたまには実家の方にも遊びに来て下さいね」
二人は敬礼して背を向けると、腕を組んで駅の方に歩いて行ってしまった。
「本部長、ヤンさん、何だかすみません。うちの妻は飲むと行動力が倍増するタチでして」
「構わんさ。奥さんはガストホーフ・キンスキーのご令嬢だったな。名にしおうホテルのバーか、私も行ってみたいものだよ。どうだ今度、三人で」
「いいですね…ウィンチェスター、エリカちゃんは相変わらず元気だね」
「そうなんです。亭主元気で留守がいい、ってやつですかね」
笑いながら本部長とヤンさんは遠くなる二人を目で追いかけていた……ん?あれは…。
「あれは何です?見たところ何かの宗教の様ですが」
ヤンさんも気づいた様だ、初めて見るのか本部長に尋ねている。見れば見る程異様な集団だ。
「ああ、あれか。君達はハイネセンにしばらく居なかったから知らんだろう。地球教という連中だ」
「地球教…地球とはあの地球の事ですか?人類発祥の」
「そうだ。母なる地球を帝国から取り戻す為に専制政治を打倒しよう、とか何とか…宗教というより政治団体に近いスローガンを掲げている様だ。戦争が有利に進むと訳のわからん輩も出てくるものだな」
「母なる地球、ですか…それは事実ですが、地球を取り戻したところで最早人類は地球には戻れません…時代錯誤というか何と言うか」
地球教がとうとう出てきたか…出てこない筈はないと思ってたけど…今の時点では二人の受ける印象もそんなもんだろう。
「ウィンチェスター、君はどう思う?あの連中を」
「不気味ですね」
「不気味?」
「はい…時期が時期です。選挙前のこの時期に、あの様な集団が出て来る…資金援助を受けている政治団体や評議員がいるかも知れませんよ。合法的に政治権力を握って地球を取り戻す聖戦を遂行する…有り得ない話じゃないと思いますね」
「考え過ぎじゃないかねそれは。彼等のスローガンは空疎な上に、ヤン提督の言う様に時代錯誤だ」
本部長の反論ももっともだ。いくら危険だと思わせようとしても、ただ練り歩いている奴等を見ただけじゃ判断は出来ないだろう。
「そうでしょうか」
何かに思い当たったのだろう、腕を組んでいたヤンさんがワインを充たしながら口を開く。
「地球時代のある時期まで政治と宗教は同一でした。人類は十三日戦争以来、神…宗教を捨て去りましたが、そうであるが故に現在の市民達は宗教には耐性がありません。地球教のスローガンが本部長が仰る様な物でしたら、戦争が有利に進んでいる今の状況ですと現実的な話として受けとる市民達も多いのではないでしょうか」
「…君達二人にそう言われると、そういう気もしてくるな」
そう笑いながら本部長は再びトイレに向かった。本部長の姿が消えるのを確認すると、ヤンさんが笑った。
「何か知ってるんだろう?あの地球教とやらについて」
「え?」
「私はあの集団について本当に知らなかったから本部長に尋ねたんだが、君は本部長が『君達は知らんだろうが』と言った時も否定も肯定もしなかった。だからカマをかけてみたのさ。そうすると君は、不気味で政治的な目的を持つ集団かも知れない、と言った。ピンと来たのさ、何か言いたい、察して欲しい事があるんだろうって」
どうしたんだヤンさん!今日はえらい冴えてるな。ヤンさんは酒が入っていた方が頭の回転もよくなるんだろうか?
「よく分かりましたね。でも今の時点では地球教は何もしていないただの宗教集団です。何を話しても信じてもらえないだろうと思っています。だから布石だけでもと」
「となると私の発言は援護射撃になった訳だ」
「はい。驚きましたけど」
「ハハ…私は前に君を支えると言った。それをちゃんと実行したいだけさ…それにね、少し前に考えた事がある。君は何からか情報を得ているんじゃないかってね…そんな存在などないと君は否定するだろう。でもいつか教えて欲しい。約束してくれるかい?」
「…いいですよ」
そう返事をすると、ヤンさんは大きく息を吐いた。胸のつかえが取れた様な、そんな感じだった。
「ありがとう…ハハ、これじゃ知的欲求を充たす為に軍人やっている事になるな」
「人間として正しい生き方じゃないですか。職業は別として」
おぼろげながらにヤンさんは気付いていたのだ。俺が原作知識を元に戦っていた事に。勿論原作知識とは思ってはいないだろうけど、エコニアでアッシュビーの秘密を探りだした様に、俺の分析を行っていたんだ。そしてヤンさんなりの結論に至った…何だか嬉しかった。アッシュビーの再来…初めてそう呼ばれる事に納得出来た気がする。そして、心の底からこの世界の住人になったと思える…。
「どうしたんだい、泣いているけど」
「何でもありません、目にゴミが入っただけですよ」
(激闘編 完)
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