世界はまだ僕達の名前を知らない
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仲間の章
06th
奴隷
「……………………」
階段を上り切った先は空き家と思しき屋内だった。
判り易い位置に扉が有ったので開ける。外に繋がっていたので、出た。
「……………………」
どうやらここは館から程近い場所に有るらしい。見憶えの有る建物が並んでいた。
扉を閉めると、どうやらその扉は壁と同化して傍から見てもドアとは思えない様になっているらしかった。ノブが無いので、もう開く事はできない。
「……………………」
トイレ男は視線をドアから離し、周りを見てみた。
さっき書いた様にここは館の近くである。が、目に見える位置に館が有る訳ではない。ここは、やさぐれ男に連れられて表通りから館に行くまでに通った場所なのであった。
「……………………」
トイレ男は歩き出した。空を見るに、まだ巨女との約束まで時間が有るので、自力で帰ってみようと思ったのだ。やさぐれ男を捜すのは面倒だったし、茶男に案内を頼むのは論外だし、地下に戻る訳にはいかないし。
いつかと同じ様に記憶を辿って歩く。
「……………………」
が、どこかで道を間違えた様で、行き止まりに当たってしまった。
どこで間違えたのかも判らない。取り敢えず最初の地点まで戻り、そこから再出発する。が、やはり行き止まりか危なそうな場所に打つかりもとにもどる事になる。
「……………………」
こうなったらもう思い出す事は諦めて、真っ直ぐ進む事にした。
が、こんな時に限ってT字路や行き止まりが彼の行く手を阻む。T字路に遭遇し、右に曲がれば行き止まり。左に曲がっても行き止まり。一つ前の角まで戻って、別の方向に進んでも行き止まり。そんな調子でちっとも真っ直ぐ進めない。「…………」、イライラが積もる。
結局、外に出られたのは空が黒くなってからだった。
「……………………」
四半日以上歩き回った所為で疲労感が半端ない。
しかもこの時間だとどの店も開いていないので、明日の朝食がピンチなのであった。
「……………………」
取り敢えず巨女の家へ急ぐ。
周囲の建物や看板からここが何と無くどこなのかを推察し、メモっておいた巨女の住所の方向へ歩く。
今度は順調に進み、彼女の家から程近い場所まで来た時だった。
「やぁ!」
「!?!?」
脇から突然声を掛けられ、心臓が骨と肉と皮を貫いて出てきたかと思ったトイレ男だった。
声を掛けてきたのは優男⸺昼に詰所で会った男だった。
「奇遇だねツァーヴァスくん。何してたの?」
そうにっこり笑顔で問うてくる優男。
「……………………」
【貴方には関係無いです】
気が立っていたのもあって、トイレ男はそう答えた。
「おやおや、それは酷いじゃないか。今度一緒に戦う相手だろ?」
「……………………」
【邪魔です、貴方こそ何してるんですか?】
優男がやけに饒舌である。昼の集会の時はそんなに発言していなかった。あの時偶にトイレ男の方を見ていた事からも、この男には何かが有ると思われた。
はっきり言って関わりたくなかった。
「それは今関係無いだろう?」
【なら僕が何してようと貴方には関係無いですよね。では】
「まぁまぁそう言わずに」
優男はトイレ男の通行を妨げる方向に移動する。
「……………………」
身の危険を感じたトイレ男は回り道をする事にした。
優男に踵を返す……のは怖かったのでジリジリと後退する。
そんなトイレ男を見た優男は、スッと顔から笑みを消して、
「君はリーフィア様の家に行こうとしているんだろう?」
「……………………」
トイレ男は動きを止めた。
何故知ってるいる? ……いや、それはいい。巨女に誘われた時、彼女は別に声量を下げたりしていなかった。背後に居た優男に聞こえていた可能性は十分に有る。
問題は、優男が何をしようとしているかだ。
「……………………」
トイレ男はチラと彼の背後から見える巨女の家を見た。灯りは点いていて、今もトイレ男を待っているのだろう。彼女の活動時間を考えると、あまり待たせるのは申し訳無い。
彼を連れて彼女の家に行く事を考える。彼女なら優男に何をしようとしていたのかを問い質し、その上で悪い事であれば懲らしめてくれる筈だ。優男も、巨女の事を様付けで呼んでいたし、質問に答えないという事は無いだろう。
問題は、彼がやろうとしているのは明らかに後ろ暗い事であり、そんな彼が大人しく巨女の前に出るかという事だった。
「……………………」
彼女の家に駆け込めば優男は去るだろうか? 去るだろう。が、そうするのが難しい。彼の横を突っ切って行くなど身体能力の低いトイレ男には論外であるし、回り道をしても彼はトイレ男を家に入れまいと追っ駆けてくるだろう。何なら家の前に張り込まれるかも知れない。そうなると勝ち目は無い。
「何を考えているんだい?」
思考に時間を費やし過ぎた所為か優男に尋ねられる。
「……………………」
「あぁいい、判るよ。どうせどう僕を振り切るかを考えてたんだろう」
「……………………」
適当な事を書いて見せようと思ったトイレ男だったが、そうする前にズバリと言い当てられてしまった。
「この侭じゃ埒が開かないから、もう言おう。⸺僕はあの方が好きだ」
「…………?」
あの方? と首を傾げて、巨女の事かと思い当たった。さっきも彼女の事を様付けしてたし、あの方呼ばわりも不思議ではない。
それはそれとして随分と急な話である。巨女が好き? それがどうした。
「僕はあの方に救われた。あの方の太く美しい腕で殴られ、無骨ながらも艶やかな脚に蹴られ、荒々しく可愛らしい手で投げられた。むさ苦しくも麗しいあの方のお陰で、僕はあの世界から抜け出せたんだ」
「……………………」
『無骨』『艶やか』『むさ苦しい』『麗しい』といった矛盾する言葉が並ぶ。
「今の僕が在るのも、今の僕になれたのも、全てあの方、リーフィア様のお陰なんだ。だから僕は彼女の永遠にして忠実なる下僕になると誓った」
「……………………」
確かに、巨女は尊敬に値する人間である。
が、ここまで⸺狂信とも呼べる感情を抱く者が居るとまでは流石に予想外だった。
「でも、あの方はそんな物を求めなかった。彼女は下僕なんか必要としない。そんな事は判っていた」
「……………………」
「でも僕もこの感情を、忠誠を、親愛を、恋情を、形容し難い"好き"を抑えられなかった。だから、僕はこうして彼女を守る事にしたんだ。少しでも、彼女の奴隷で居られる様に」
「……………………」
言っちゃったよ。奴隷って言っちゃったよ。
いつしか優男の表情は笑顔に戻っており、しかしそれは最初の偽った笑みではなく、巨女への想いの丈を語れる事からの喜びからくる真の笑顔だった。
「⸺だから」
が、彼は急に真顔に戻る。
「君みたいな穢らわしい奴を、これ以上彼女と関わらせる訳にはいかない」
「…………? ……………………」
穢らわしい? と一度疑問に思い、あぁトイレの事かと思い当たるトイレ男。
紙に『このトイレは未使用品であり、決して汚くはない』と書こうとしたトイレ男だったが、
「言い訳は聴かない。君みたいなあの方を利用しようとするクズは問答無用で消されるべきだ。あぁ、あの方がこんな奴に騙されるなんて」
「……………………」
彼はどこからトイレ男が巨女を利用しようとしていると推測したのだろうか。
「人を疑わない所が彼女の唯一にして素晴らしい欠点だ。だが幾ら素晴らしいと言えど欠点は欠点、直すか、誰かがカバーしないといけない。前者は論外だ、美しいのだから。ならば後者しかない。それなら、僕が喜んでそのカバー役となろう」
「……………………」
素晴らしき欠点とは?
突っ込みたかったが、段々と彼が不穏な雰囲気を纏い始めたのでできない。というか、流れ的に……
「だから⸺死ね」
「ッ!!」
背を向けて全力で逃走した。
振り返り際に、いつの間に出したのか月光を反射する銀色が見えた。刃物だ。
トイレ男は直ぐそこの路地に飛び込んだ。優男も入ってくる。右に左にと出鱈目に曲がった。が、彼は振り切れないどころかどんどん迫ってくる。既に刃は振りかぶられており、普通に命の危機である。
「……………………」
トイレ男は腕の中のトイレに視線を落とした。使うべきか? 使うべきだ。そうしないと死んでしまう。今直ぐにでもこれに頭を打つけて、記憶を失ってでも時間を戻す時だ。だが、
⸺地面から意識を外したのがマズかった。
「っ!?」
足元のゴミに足を取られ、トイレ男は転倒する。
その拍子にトイレが腕の中からスルリと落ちて、
⸺頭を、打つけた。
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