世界はまだ僕達の名前を知らない
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仲間の章
07th
物騒な人達
詰まる所、記憶喪失なのであった。
「……………………」
どうやら彼は椅子に座っているようだ。場所は長いテーブルの角っこで、右斜め向かいに座る男が何やらぺちゃくちゃと喋っている。
「その時に我々がここを攻めるので、その隙に……」
どうやら彼が話しているのは物騒な事で、それに真剣に耳を傾ける周りの人達もやはり物騒な人なのだろうと思った。「…………」、では自分はどうなのだろう? 彼は物騒なのだろうか?
そういえばさっきからずっと膝に小ぶりなトイレを抱えているが、これは物騒に入るのだろうか? トイレを抱えている人は物騒なのか否か。トイレ男は前者であると考える。常軌を逸しているので物騒だ。つまりこの部屋には物騒な奴しか居ない。詰んだ。
この物騒な奴しか居ない危ない部屋から一刻も早く抜け出すべき、とトイレ男は立ち上がった。
「? どうしたツァーヴァス」
喋っていた男が物騒な発言をやめ、そうトイレ男に問うてくる。
トイレ男はそれを無視して、近くにあった扉から外に出ようとする。
が、
「あらあら、どうしましたのツァーヴァスさん?」
左斜め前、トイレ男よりも扉に近い位置に座っていた女に手首を掴まれた。
「……………………」
離して! と手を我武者羅に振り回すトイレ男だったが、存外に女の握力が強く、なかなか振り解けない。
何とか逃げ出そうと暴れるが、そこで喋っていた男の隣に居た異様に巨大な図体の女が立ち上がった。
「どうやら彼は少し具合が悪いようだ。私が医務室へ連れていってこようと思う」
「あぁ、宜しく頼む。他の人は引き続き話を聞いてくれ」
巨女の言葉を男が承認し、トイレ男の腕を掴んでいた女がその手を離し席に座り直す。代わりに歩いてきた巨女がトイレ男の腕を掴み、部屋の外へと引っ張り出した。
「……………………」
手もデカい。
が、それは威圧感や恐怖感を与えるデカさではなく、不思議と安心感を齎すデカさであった。
彼女はトイレ男を引っ張って進み、やがて人の来なさそうな暗がりへと至る。
巨女はトイレ男から手を離し、彼と向かい合うような形になって言った。
「……さて、何があったのかを簡潔に説明しろ、ツァーヴァス」
「…………?」
頭に疑問符を浮かべるトイレ男。『何があったのか』を説明しろと言われてもそんな記憶は無いし、末尾に添えられた『ツァーヴァス』という言葉は何だ、固有名詞だろうか? 聞き憶えが無い。
「何か有ったんだろう? 私は協力者だ、全て話してもらって構わない」
「…………、? ??」
巨女の言う事の一言一句が理解できなくて、何か忘れている事でもあるのかと頭の中を探ってみたが、何も無かった。
「…………そうか、本当に記憶が無いのか」
ただひたすらに困惑する様子のトイレ男を見て、巨女は何かを諦めたように溜息を吐いた。「…………」、訳のわからない事を問われた上に溜息まで吐かれたトイレ男はどう反応したらいいのかわからない。怒ればいいのだろうか? でも目の前の彼女に怒りの類いは湧いてこなかった。
「取り敢えず、簡潔に状況を説明しよう」
巨女は気を取り直すように頬を叩いてからそう切り出した。
「これから、いつかはわからないが、まぁ多分今日中に君の身に何かが起こる」
「……………………」
胡散臭いなぁ、とトイレ男は感じた。
「何かはわからないが、君の身に危険を齎す何かが起こるんだ。これは確実だ」
「……………………」
胡散臭いなぁ、とトイレ男はまた感じた。この女はどういう理屈でそれを言っているのであろうか。
「なので、君の記憶が戻るまではこちらで預か⸺」
「おやおや、こんな所でどうしました?」
トイレ男に胡乱げな目を向けられている事も気にせず話す巨女であったが、背後から掛けられたその声には流石に振り向いた。
「……アイレックス?」
「はい、アイレックスです。なかなかお戻りになられないので様子を見に来たのですが……こんな所で何を?」
巨女と話しているのは一人の優男だった。よくよく見ればさっきの部屋に居たような気がする。つまり物騒な輩だ。見た目のいい笑顔を浮かべているが、その裏は物騒な人である。
「……彼の容態が急変して、吐きそうになったんだ。医務室に着くまで保たないと思ったから、せめて人目の付かない所で吐かせようと思ってな」
巨女はトイレ男が全く身に憶えの無い事を言う。訂正すべきかどうか迷ったが、彼女は何やら真剣な様子だったのでやめておいた。
「そうですか。その割に彼は元気そうですが……」
「急に吐き気が消えたんだ。まったく、気まぐれな病気だよ」
「成程。ではもう戻るので?」
「いや、大事を取って彼はもう帰して、私はその付き添いをしようと思う。だからもう会議には戻れない。マエンダ氏にもそう伝えてくれ」
「わかりました」
優男は終始その笑顔を崩す事無く、最後に礼をしてから歩き去った。
「……ふぅ、何とか乗り切ったな。では行こうか、ツァーヴァス」
「……………………(頷く)」
先程の会話から、恐らくトイレ男の家に行くのだろうと予想を付けて頷いた。自分の家など全く記憶に無いが、それはそもそもトイレ男の記憶そのものが無いからで、常識的に考えてトイレ男の家は存在するというのが道理である。……感覚的にはピンと来ないが。
その巨体にしては遅く見える速度で歩く彼女の後を追う。途中何人かの、緑色の服を着た人と擦れ違った。彼らの着衣を見て、トイレ男は戦慄する。⸺彼らの服は、最初の部屋で喋っていた、恐らく最も物騒であると思われる男の服と同じだったのだ! 服が同じだからといって彼らもまた物騒である訳ではない事は重々承知だが、それはそれとして不安になるのであった。
今、また一人向こうから緑色の服を着た男が歩いてくる。身を小さくして通り過ぎるのを待つトイレ男だったが、あろう事か彼は巨女に話し掛けた。
「あ、リーフィアちゃん」
「久しぶりだなアルトーくん」
巨女も彼を拒絶せず立ち止まり会話に応じた。
「……………………」
早くどっか行ってくれ、と切実に願うトイレ男だった。
「あの後どうだったんだ?」
「次回の給与が五分の一削減で済んだよ」
「……それは大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないけど、まぁ多分何とかなるよ。ツァーヴァスくんも久しぶり」
「……………………」
声を掛けられて、トイレ男は弱った。彼からは優しそうな、物騒さとは無縁な雰囲気が漂っているが、それはそれとして知らない人に再会を喜ばれた時の対処法を知らないのであった。
「悪いが、彼は具合が悪いようでな。これから帰るとこなんだ」
「あ、そうなんだ。じゃああんまり引き止めるのも悪いね。お大事に、ツァーヴァスくん」
もういっそ逃げ出すかと思い始めた所で巨女が助け舟を出してくれたので、彼は去った。「…………」、ほうと胸を撫で下ろすトイレ男。
「……知り合いに会うと面倒だな。外に出たらなるべく人の少ない道を行こう」
巨女は険しい顔でそう言って、歩みを再開した。トイレ男はそれを追った。
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