世界はまだ僕達の名前を知らない
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仲間の章
06th
そこに在りける深淵
【先ず、この組織は何をしているんだ?】
「……そんな事も知らずに組織に入ったの?」
【こっちにも色々有るんだよ。入らざるを得なかったんだ】
黒女がはぁ? と呆れた顔をする。
「んまぁいいけど。この組織は簡単に言えば暗殺を請け負う組織よ」
「……………………」
暗殺というと、権力者が対立する相手を無理矢理排除しようとするのに使われる手段か。てっきり物語の中にしか無いと思っていたので驚きだ。……今更過ぎた。
「……まぁ貴方がお父様と交わした取引の所為で暫くは依頼を受け付けないけど……待って何で知らないの?」
【俺は人殺しをするなさせるなと言っただけだ】
「……なら辻褄は一応合ってる、のかしら?」
納得できそうでできないという様に首を傾げる黒女。深堀りされても面倒なので次の質問に移る。
【じゃぁ次にお前の能力って何なんだ?】
「……、あれ? 言ってなかったっけ?」
そう書いて見せたトイレ男に、黒女は疑問符を浮かべながら首を傾げた。トイレ男はそれに頷き返す。
「……………………」
「そうだっけ。なら説明するわね」
特に隠そうとは思わないらしい。日頃の態度、やけに親しくしてくる様子から拒まないだろうとは思っていたが、自分の能力の詳細なんて生命線だろうに……と彼女のゆるゆる警戒心を嘆くトイレ男だった。
「えーと、先ず名前は騙界術。これは何回か言ってるわよね?」
「……………………(頷く)」
「それで、これは名前通り世界を騙す術なの」
「……………………?」
急に解らなくなった。
「えーと、何ていうか、ほら、鳥って飛べるでしょ? なのに私は飛べないなんて可怪しい! って世界に言ったら、世界は納得してくれて私を飛ばせてくれるのよ」
「……………………、?」
やっぱり理解できない。
「えーと、ちょっと待ってね。我が論を聴け、世界! 鳥飛ぶ、如何にか我飛ぶべからざるや!」
黒女がそういうと、フワリと彼女の体が浮かび上がった。
「……………………(絶句)」
「あ、『我が論を聴け、世界』っていうのは、世界に自分の言葉に耳を傾けろー! っていう事ね。古文調で話すのは、世界が今時の言葉を理解できないから」
「……………………」
【いや俺は現代語で話すお前の言う事すら理解できないんだけど?】
思わず突っ込んだトイレ男であった。
「それは貴方の読解力が足りないのよ」
【いやお前大分非常識な事言ってるって自覚有る? 読解力の話じゃねぇよ】
「なら想像力ね」
【自分の想像を他人に押し付けるな】
直ぐに地に降りた黒女は『私は只唯当たり前の事を言っているだけですが?』というスタンスを崩さない。「…………」、早目に常識を教え込んでおかないと将来マズい事になるぞと危惧するトイレ男であった。
「ツァーヴァスも一度やってみたら? 若しかしたら案外できるかもよ?」
【できて堪るか】
「私も最初はそんな気持ちだったんだから。ほら」
言われて、半信半疑というか無信全疑で白女をボコるトイレ男。
「…………我が論を、聴け、世界《レカ》。鳥飛、ぶ。如何に、か我飛ぶべか、らざるや」
「……………………」
何も起こらない。
【駄目じゃねぇか】
「うーん、ブツ切りだからかも? もっと流暢に話せない?」
【無理だ】
お前の姉の所為でな、という言葉は書かなかった。要らぬ疑いを与えるだけである。
「なら何回かやってみて、せめて『我が論を聴け、世界』までは一息で言ってみて?」
「……………………」
その後トイレ男は何十回と挑戦し、遂に途切れずに起句を言い切った。何も起こらなかった。
【駄目じゃねぇか!!】
先程使った文字列を感嘆符を付けて再利用するエコなトイレ男。
「うーん、才能無いわね」
【この野郎】
トイレ男は蹴りをかました。が、ヒラリと避けられてしまった。
「ま、才能無くてもできるから。私が学んだ本の著者は最初はできなかったけど少しずつできる様になったらしいわよ……半生を掛けて」
【長ぇよ】
が、それ程の時間を掛けてまで習得するメリットの有る術ではある。
「あ、でも訓練し過ぎると死ぬって。本の著者には何人か同士が居たんだけど、彼らは四六時中起句を唱えたり同時に唱えたりした所為でその場で爆発四散したんだって」
【怖ぇよ】
命の危険が付き物となると、デメリットが大きくてなかなか手を出せない。
「その所為でハミー達もビビっちゃってやらないのよ。私はできたのに」
【お前ができたっつう事は他の奴にもできるっていう証明にはなんねぇからな】
「私の弟なんだからできるわよ」
【血は繋がってねぇだろ】
この辺りの話は既に青果店で聴いた。曰く、黒女達は路地裏で弱っていた所を茶男に拾われたらしい。拾われた順番は黒男、大黒男、小黒男、黒女の順で、推定年齢は大黒男、小黒男、黒男、黒女の順に歳上だ。末っ子の癖して兄達を弟呼ばわりする不遜な妹である。
黒女がトイレ男を家族扱いする理由もこれだ。彼女の中では組織=家族であり、白女ややさぐれ男も彼女の家族である。やさぐれ男は兄でも弟でも父でもない微妙な立ち位置っぽいが。
【世界を騙すって言ってたけど、具体的にどの程度まで騙せんの? 空とか落とせたりする?】
話題が微妙にズレてきたので軌道修正を図る。
「ん? んー、それは流石に無理かしらね。できるかどうかはその事象に繋がりそうな『具体例』が必要なのよ。さっきので言えば『鳥飛ぶ』ね。あれは同じ毛の有る動物である私が飛べないのは可怪しいじゃない! って言ってるの。それで空だけど、それに繋がりそうな例が思い浮かばないから無理ね。屋根と空を引っ付けるのは流石に無理が有るし……気軽に試す事もできないし」
「……………………」
いやそれは詰まり例さえ思い浮かべばできるという事では? 例が思い浮かぶ限り何でもできるのでは?? トイレ男は恐ろしくなった。
覚えず書く。
【悪用するなよ】
「? ……ハッ、今更ね」
「…………、……………………」
黒女の鼻で笑いながらの即答に、まぁそうかと思うトイレ男。⸺その直後に、或る事を思い出して、冷水を浴びせられた気分になった。
⸺目の前に居る少女は、自分と同類ではないという事を。
「? どうしたの?」
「……………………(首を横に振る)」
「そう」
『何でもない』とはもう言葉にせずとも伝わる。
が、二人の間に埋め難く越え難い深淵が有るという事に変わりは無いのであった。
⸺ここ数日を一緒に過ごして、トイレ男は黒女を解った気になっていた。
監視初日の、他人から貰った食事を美味しそうに頬張る姿。青果店にて、エプロンを着けて、声を張り上げて客を呼び込む姿。館で、感情を著しく乱高下させながらカードゲームをする姿。
そういった姿を見て、毒気を抜かれていたのかも知れない。
何が警戒心が薄いのが嘆かわしいだ。何が常識を教え込まないとマズそうだだ。そんな事をトイレ男が憂える必要は無いし、そもそも憂えてもいけない。彼女に親近感を覚えてはいけない。友好を感じ取ってはいけない。
確かに、表面上は愛らしい少女として振る舞っているだろう。
が⸺その裏には、人を殺す事のできる非情な人格が有る。今にも、トイレ男をその得体の知れない術法で以て殺めてしまうかも知れない。というか茶男か白女にでも命じられれば直ぐに躊躇無く実行するだろう。彼女が二人に絶対の信頼と忠誠を持っている事は既に判っている。少なくとも、相手の方から好意を向けられる程度には関わりの有る相手を殺せるのだ⸺彼女なら、きっとそうだろう。
そう理解した……否、思い出した瞬間、スッと体から熱が抜けて、なのに熱く、汗が浮かんで、動悸が速まった。
「……いや、絶対何でもなくないじゃない! どうしたの? お腹でも痛くなった? 確か薬が館に……」
「⸺ッ!!」
様子が急変したトイレ男に触れようとした黒女を、トイレ男はキッと目を見開いて睨み付けた。
「っ……」
それに圧倒されてか、或いは『触れるな』のメッセージを受け取ったのか、黒女が止まる。
「……出口はあっち!」
止まった黒女の代わりに響いたのは白女の声だ。彼女の方を見ると、一方を指差している。その先には階段⸺出口が有った。「…………」、何だ、聴いてたのかよ。
追求する気にはなれなかったので、トイレ男は走る様にしてその階段へ向かい、それを駆け上った。
腕の中のトイレをギュッと、抱き締めて。
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