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決意の章
06th
路地裏の邂逅
何も無かった。
「……無駄足だったな!」
「…………いや、この男が壷売り関係ではない又は壷売りが教えを変えたかという事が判った」
「『コイツが壷売りの被害者かつ壷売りが教義を変えていない』のではないという事が判っただけじゃないか。殆ど何も判らなかったも同然だ」
「……………………」
唯只管に奇抜な内装の部屋を見せられて頭が疲れてしまっているトイレ男を他所に、前衛兵と巨女はそんな会話をしていた。
一行は今、路地裏から表通りに出ようとしている所であった。
「急ごう、早くしないと暗くなる」
前衛兵がそう言ったので、走りはしないまでも歩く速度はそこそこに速めである。
トイレ男は道を全く憶えていなかったが、前衛兵や巨女達はまるで何度も通った道であるかの様にスラスラと方向を選択していく。
「壷売りの事件とその後始末で、嫌になる程通った道だからなぁ」
そんなトイレ男の表情を読んだのか、巨女が説明してくれる。
「何回何十回何百回と通っていれば、自然と憶えるものさ。簡単には忘れない」
「何百回は通ってないがな」
前衛兵のツッコミを聴き流しつつ、じゃあ自分が記憶を失ったのは自分が人生を反復しなかったからなのかなぁ、と微妙どころか大きくズレた事を思うトイレ男であった。
道を進み続け、トイレ男が見憶えの有る木箱を見付けた頃。
「…………っ」
突如先頭を行く前衛兵が足を止め、身振りで『静かにしろ』と伝えた。衛兵達は勿論、彼の指揮下には居ない筈の巨女までもが従ったので、トイレ男も従う。彼は元々静かだが。
前衛兵は更に『待て』と伝えると、曲がり掛けていた角の先を覗く。
「……………………」
恐らく何かを盗み聴いているのだと思うが、最後尾に居るトイレ男には全く聞こえなかった。
暫くして、前衛兵はこちらに向き直った。そして手を握ったり腕を振ったり肘を曲げたりと複雑なジェスチャーをした。「…………」、トイレ男には全く意味が判らない。しかし衛兵達と巨女には通じたらしく、衛兵の一人がトイレ男の元に来て、残りが前衛兵の方に向かった。
彼らは一気に十字路に躍り出る。
「ゔぁッ!?」
そんな驚く様な声が、トイレ男からは死角となる場所から聞こえた。
「ッ、白姉!」
今度は別の声で。『白姉』と呼ばれたのは女性だろうか、最初の驚いた声は明らかに男性の物であった為、少なくとも相手は三人は居る様だ。
「…………、どこから?」
現に、三人目の声も聞こえてきた。その声を聴いて、トイレ男は心臓を鷲掴みにされた様な錯覚を味わった。
「さぁな、どこからだと思う?」
そう答える前衛兵の声には敵意が混じっていた。
駄目だと、叫びたかったが、できなかった。
「降伏しろ、情報を出せ。そうすれば酷い目には遭わせない」
『降伏し情報を出さなければ酷い目に遭わせる』、と前衛兵は言う。
「……………………」
返ってきたのは沈黙だった。
「…………白姉」
「…………、やる」
軈て、微かにそう聞こえた気がした。
直後に、巨女がフラついた。
「ッ……!?」
突然バランスを失った様によろめき、壁に凭れ掛かる巨女。
「!? どうした!」
「我が論を聴け、世界」
前衛兵の声に巨女は答えず、代わりに相手⸺敵の一人がそう言う。
「行きましょう」
それを認識するが早いか、トイレ男の傍に居た衛兵が彼の腕を掴み走り出す。
「!?」
戦場から離される。トイレ男は転けない様に足を縺れさせながらも走るが、衛兵はそれを気にはしていなかった。
二人は戦線を離脱した。
◊◊◊
「鳥飛ぶ。如何にか我飛ぶべからざるや?」
「!!」
前衛兵の瞳に信じられない光景が映った。
敵の一人⸺黒い服を着た女が、宙に浮かんだのだ。
先程の巨女を無力化した方法といいこれといい、有り得ぬ出来事の連発に前衛兵は混乱していた。
「我が論を聴け、世界」
「俺はどうすればぁ!?」
「ハインツは大人しくしてて」
しかし混乱しているのは相手も同じらしい。敵の一人、やさぐれた中年の男がそう叫べば白い服を着た女がそう指示した。
敵は三人。そしてやさぐれ男が白女の言う通りにしているならば、戦うのは二人。
対してこちらは前衛兵、衛兵三人、そして巨女の五人。しかし巨女はどういう訳か戦えない。地に仰向けになってひっくり返った亀の如く手足をジタバタさせている。近寄るだけであぶなっかしい。という訳でこちらの戦力は四人だ。
数は倍。しかし相手はこちらの予想も付かぬ非常識を行う。
前衛兵の判断は早かった。
「撤退だ!」
「岩墜つれば地窪ます。如何にか我が靴墜ちども地窪ますべからざるや? ⸺やらせると思う?」
直後、靴が飛んできた。
「!!」
その靴は後退していた衛兵の頭上スレスレを通過し、地に激突する。
途端、爆音が響き薄く土煙が舞う。
前衛兵には、靴が落ちた場所にクレーターが出来ているのが見えた。
「! 化け物めっ!!」
腰の剣を抜いて、宙に浮かぶ黒女⸺ではなく、地に立つ白女を狙う。
白女は巨女を凝視するのみならず彼女に向けて両腕を伸ばし指を捏ね繰り回しており、巨女を無力化しているのは彼女だと容易に想像が付いた為だ。
「ッ、ちょっとハインツ!」
まさか自分を無視して白女の方向に行くとは思わなかったのだろう、黒女が慌てた様にやさぐれ男を呼ぶ。
「チィッ!」
やさぐれ男は丸腰だった。しかしそれでも前衛兵に向かってタックルをかましてくる。
「ふんッ!」
白女と黒女が非常識なのだから、この男も非常識である可能性が高い。
そう判断した前衛兵は躊躇しない事にした。
心臓を狙い剣を突く。
「……っわァお!?」
しかし直前で勘付かれてしまい狙いを逸らされる。それでも胸を刺した。剣を抜けばやさぐれ男はその場に蹲る。
「シザノアとアッズでリーフィア氏を担げ!! ニヨンドは黒いのの対応をしろ!!」
思い出した様に衛兵達に指示を出しつつ、今度こそ白女の元へ向かう。
「…………よしっ!」
しかし白女はそう言うと腕を下げた。巨女の方を見るが、彼女は仰向けで静かに倒れており、起き上がる気配は無い。
⸺死んだのか?
この距離から、しかも走っている最中なので胸の上下は判らない。護衛に付けた衛兵が彼女の顔を覗き込み、
「生きてます!」
そう言ったので少なくとも殺されてはいない事が判った。
これで白女はこちらを殺せないか、殺さない理由がある事も判った。
なら遠慮は要らない。
「シッ!」
白女の胴を狙って剣を振るう。
「ッ!」
白女はそれを下がって避けた。走って下がりながら、こちらに腕を伸ばす。
「!」
巨女は腕を向けられておかしくなった。ならば腕を向けられるのはよくない。
そう感じた前衛兵は横に転がった。
「っ、ジッと、して!」
「する訳が無い!」
腕を向けられなければ問題無い。そう判断した前衛兵は、腕を向けられない様にジグザグとランダムに動きながら白女に接近する。
「支部長!」
後一歩で剣の間合いに入るという所で、そんな部下の声が聞こえた。誰かやられたか? ⸺否、その様な声色ではない。ならば。
前衛兵は剣を振るのをキャンセルし、足裏で白女を蹴り飛ばす。その勢いを利用して反転、ジグザグに走りつつ部下達が居る方へ向かう。
部下の二人が巨女を背負っており、残り一人が黒女の気を引いていた。逃げる準備ができていた。
「私が殿だ、お前達は先に行けッ!」
「「「了解ッ!」」」
部下達の頼もしい返事に背中を向け、黒女に向き合う。
しかし彼女は、白女の方に向かっていた筈の前衛兵がこちらに来た事で白女の様子が気になったのか、後ろを振り返り
「姉様!」
と叫ぶ。その侭何事かを言って地に降り立つと、白女の方に駆けていった。
チャンスと見た前衛兵は部下達の後を追った。黒女は追って来なかった。
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