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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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激闘編
  第百四話 可能性

帝国暦486年7月22日13:15
ヴァルハラ星系外縁部、銀河帝国、銀河帝国軍、宇宙艦隊総旗艦ヴィルヘルミナ
グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー

 「お目覚めですか閣下。当艦隊は明日予定通りオーディンに到着します」
「そうか。艦隊は異常ないか」
「はい。当艦隊には異常はありませんが、辺境にて我が軍と叛乱軍が睨み合いを続けております」
「何だと…何故今まで起こさなかったのだ」
副官のツィンマーマン中佐は沈着冷静、目先の利く几帳面な男だ。報告を忘れていた訳ではあるまい。グライフスあたりに止められていたのだろう。
「総参謀長のご判断により報告を止められておりました。先ずはお身体を治すのが先決、余計な心配はかけるなと…」 
「ふむ…」
「ですが、オーディン帰着にあたり何の情報もお入れしないのもどうかと思い…軍医大佐殿よりお目覚めと聞きましたので、総参謀長の許可を得て報告にあがった次第であります」
ツィンマーマンは言い終わるが早いか、コンソールを操作し始めた。表示されたのは辺境…ヴィーレンシュタインからアムリッツァにまたがる宙域の概略図だった。

 「フェルブュンデテ…ああ、有志連合か」
「はい。彼等は現在もヴィーレンシュタインにて待機しております。一度ミューゼル副司令長官が援軍の打診を行いましたが、拒否されたと」
「拒否…では実際に叛乱軍と睨み合っているのはミューゼル軍のみという事か」
「はい。睨み合い自体は八日前後から始まっており…」
ツィンマーマンは再びコンソールを操作し始めた。概略図が動き出し、戦況が映し出される…ふむ…叛乱軍の増援が現れなければミューゼルの勝利だなこれは…よく軍を退いたものだ。

 「どうやら叛乱軍に大規模な援軍が存在する様です。報告を受けた統帥本部総長は二個艦隊の増派を決定され、宇宙艦隊司令部は総参謀長の代理権限により、ケルトリング艦隊、ドライゼ艦隊を援軍として派出する事を決定しました。尚、両艦隊は昨日オーディンを発っております」
「総参謀長の代理権限…儂の代わりは立てておらんのだな…今日は何日だ」
理由は判る。おそらく儂が倒れた件についても箝口令が敷かれているのだろう。
「七月二十二日であります」
一度目覚めてから二週間以上も寝ておったとは…儂の疑問を察したのだろう、ツィンマーマンが先を続けた。
「閣下の代理につきましてはミューゼル副司令長官に決まりかけましたが、代理を立てる事自体が変事の発生を周知する事になる…と幕僚副総監が進言され、軍務尚書ならびに統帥本部総長はこの進言を採用なされました…これはミューゼル副司令長官の前線指揮に影響を及ぼさぬ為と、有志連合軍への警戒の為でもあります。その為、当艦隊も予定を変更する事なく帰途についております」

 いい判断だ…儂が倒れた事を有志連合が知ったら、戦況に拘わらず宇宙艦隊は草刈り場になるだろう。
「ツィンマーマン、統帥本部総長とFTLを頼む」
少しの間があって統帥本部総長シュタインホフが画面に現れた。

“おお、目覚めたか。二週間以上も目を覚まさんからそのまま死んだのかと思ったぞ”

「恥ずかしい限りだ…深手とはいえ、歳は取りたくないものだな。儂が倒れた事を伏せてくれた事、増援の件、重ねがさね礼を言う」

“よいのだ。儂等はともかく、卿が倒れたのでは宇宙艦隊の抑えが効かんからな…で、よいのか”

「うむ…それほど違和感もない、股間のカテーテル以外はな。出征という事態でも無ければ軍務にも耐えられるだろう」

“それは重畳。早速だが、辺境の件は聞いておるかな”

「ああ。先程、概略だけだがな」

“ケルトリング、ドライゼの両名は既に進発した。加えてアントン・ノルトハイムの艦隊も出撃準備中だ”

「合計三個艦隊か。現状では精一杯の数だな…しかし当初は二個艦隊の増派だったのだろう?何故もう一個増やしたのだ?」

“良くも悪くもヴィーレンシュタインに居る有志連合のせいだ。ミューゼルからの援助要請を断って以降、動きがない。当初はヘルクスハイマー家の艦隊が動いていたものの、後退した。まあこれはロイエンタール艦隊が独断で後退させた結果ゆえ、有志連合のせいという訳ではないがな…”

「有志連合か…こうなると奴等の目的はただの辺境への示威活動に過ぎなかったという事だな。大口叩いた割には不甲斐ないというものだ」

”だが叛乱軍から見て、有志連合軍の十万隻はミューゼル軍の後詰に見えている筈だ、だからこそ叛乱軍は五個艦隊の増援を繰り出した…私はそう考えるが”

「そう考えると叛乱軍の構想と外れるのではないかな。奴等は元々再出兵を標榜していた…捕虜交換のおかげで印象は薄いがな。それを考慮すると、五個艦隊というのは増援ではなく第二陣…元々予定されていた行動ではないかと儂は思う」

”それがあったな…では叛乱軍の目的は辺境宙域の確保だと?”

「いや、奴等のアムリッツア宙域固守の姿勢を考えると、辺境防衛のミューゼル軍の殲滅を狙っているのだろう。睨み合いが長く続いたのはそのせいだ。第二陣の到着を見越して戦端を開きミューゼル軍主力を拘束、第二陣到着後殲滅する…一度一個艦隊規模で敵の増援があったろう?アムリッツァに第二陣が到着し、守備に残していた艦隊を動かせる様になったからだろう」

”…辛いな、ミューゼルは。戦況がどうあれ奴は退く事が出来ない”

「だが叛乱軍もこの後は無理は出来ない、有志連合軍の存在がある。叛乱軍から見れば帝国軍と貴族軍の見分けはつかんのだからな。不甲斐ない奴等だが、一応役には立ったという事だ…ミューゼルとて無理はすまい、此方の増援到着までは保つだろう」

”ふむ…卿の言う通りやもしれんな。だがそうなると腑に落ちん事がある…ああ、これ以上は卿の帰還後にしよう。分かっているだろうがちゃんと髭を剃れよ。男前が台無しだぞ。では”



 男前と思ってくれていたとは意外だった…陛下へのご報告もある、髭をあたるとしようか……しかし腑に落ちない事とは一体何なのだ、勿体ぶりおって…。
「髭剃りを用意してきます」
「ああ、頼む。それとヒルデスハイム伯を呼んできてくれ」
「かしこまりました」



宇宙暦796年7月22日00:30
ボーデン宙域、ボーデン星系、自由惑星同盟軍、第十一艦隊旗艦ストリボーグ、
アイザック・ピアーズ

 「敵艦隊、僅かずつではありますが後退しています」
「全艦隊、前進に備えよ……オペレータ、ボロディン提督に連絡。状況変わらず、戦線参加の必要なし。以上だ」

 フォルゲンでの戦闘は停止したというのに、このロイエンタール艦隊というやつは…。
「毎度の事ながら隙がないな、その上しつこい。参謀長、これで何度目だ?」
「はあ、十回目からは数えておりません」
キム参謀長も呆れ顔で返事をする。そうなのだ。此方が逆撃態勢を取って以来、敵は前衛部隊を交互に攻撃参加させながら前進、しばらくして後退するという運動を繰り返していた。敵後退のタイミングで我々が追おうとするとそれを見越した様に敵は再び前進、砲撃が再開されるのだ。此方も何度か艦隊後衛を迂回させて攻撃参加させようとしたものの、その都度敵本隊が小集団を両翼に展開しながら前進し、此方の企図する攻撃は防がれていた。結果、敵味方共に戦っているのは前衛だけ、という状態だった。
「戦術行動錬成でもやっているつもりなのでしょうか、敵は」
参謀長がそうぼやくぐらい、前衛部隊は戦闘開始から細かい戦術運動を強いられていた。疲労もたまっている。
「そうなのかも知れんなあ。それほど被害は出ていないし、それは敵さんも同様だ」
互いに撃破された艦艇は千隻にも満たない筈だった。後方で待機する第十二艦隊から何度か戦線参加の打診が来たが、それは断っていた。疲労はあるものの余裕を持って戦えているし、状況が変化した時の為に第十二艦隊はすぐに動ける状態でいてもらいたい…そう判断したからだ。
「参謀長、敵の次の行動が今までと同じだった場合、我々も一度後退して再編成する。前衛と後衛を入れ替えよう」
「了解しました。ですが敵は追って来ないでしょうか?」
「行動錬成のつもりなら追って来んだろう。仮想敵をずっと演じてやるさ」



00:50
銀河帝国軍、ロイエンタール艦隊旗艦トリスタン、
オスカー・フォン・ロイエンタール

 「叛乱軍艦隊、後退します、追ってきません」
オペレータの落胆を隠し切れない声が響く。やっとバレたか…此方の目的はお前達の拘束だ。我々が此処に存在する以上、お前達は後退できないのだからな…。
「閣下、いいタイミングだと思われます。一時後退、再編成を具申します」
「そうだな参謀長。そうしてくれ」
「ありがとうございます。閣下もご休息なさっては如何です」
「いや、ありがたいが俺はここでいい…レッケンドルフ、済まないがワインを一本頼めるか。参謀長のグラスもな」
「了解しました」

 敵は二個艦隊、味方は我々のみ…無理に戦う必要はなかった、特に主力がフォルゲンに向かってからは。ミューゼル閣下も俺の判断を是とされるだろう。
「なんだ…自分のグラスは持ってこなかったのか。取ってこい」
恐縮しながらレッケンドルフが食堂にとって返す。
「では、頂きます……閣下、盃ついでに質問があるのですが…これまでの戦闘ですが、恐れながらフォルゲン方面に比べ極めて軽微な戦闘に終始しております。閣下のご判断を疑うわけではございませんが、その…」
「副司令長官に叱責されるのではないか、か?」
「はい、恐れながら…」
「有り得ん事だヴィンクラー参謀長。これくらいで叱る様な方だとすれば、ミューゼル閣下もそれまでのお人だという事だ…叛乱軍の二個艦隊を我々が拘束した、結果主力三個艦隊はフォルゲンに向かう事が出来たのだ…その功績は大きい。心配するな、俺も卿も叱責される事はない。確かにフォルゲンでの戦いは痛み分けに終わっているがそれは俺達の責任ではないし、ミューゼル閣下の指揮が悪かった訳でもない。叛乱軍が一枚上手だっただけだ。敵に増援がなかったら、勝利していたのはミューゼル閣下だっただろう」

 送られてきたフォルゲンでの戦闘概略をモニターに表示する…叛乱軍全体の指揮官は、ほう、ヤン・ウェンリーか。まず叛乱軍第七、第八艦隊とミッターマイヤー単独での戦闘が開始…流石だな、拘束が目的とはいえ二個艦隊相手に単独で挑むとは…。
救援に駆け付けたヤン・ウェンリーの第一艦隊が出現するに至ってミッターマイヤーは後退を開始…時を置いて此方もミューゼル閣下の三個艦隊が到着、叛乱軍左翼と中央に対し攻撃を開始した……注釈が付いているな…味方三個艦隊の前衛艦艇に航行不可能な艦艇が多数?ハハ、機関部をやられて航行不可能になったのか。これでは戦闘どころではあるまい…この段階での単座戦闘艇の投入は定石にない戦法だ。叛乱軍も中々やるではないか…この段階では敵右翼はほとんど戦闘に関与していないな、後退して待機しているミッターマイヤーへの監視と牽制だろうな…確かにミッターマイヤーはこの時点で七千隻程の戦力を維持している、並の艦隊司令官なら無視してしまうだろうが、流石はヤン・ウェンリーというべきか…。
「参謀長、卿も休んでいいぞ。心配するな、何かあったら呼ぶ」

 ヴィンクラー参謀長と入れ替わりにレッケンドルフがグラスを持って戻ってきた。
「ほら、グラスを貸せ」
「あ、ありがとうございます、恐縮です…フォルゲンの戦闘概略図を見ておいでですか」
「ああ。卿は見たか」
「多少は。食堂でも流されておりましたので」
「卿はどう思う、この戦闘を」
味方は左翼…メックリンガー艦隊が中央後方を迂回し右翼ケスラー艦隊の更に右に遷移…左翼となったミューゼル閣下の艦隊が単独でヤン・ウェンリーと対峙、中央となったケスラー艦隊、右翼となったメックリンガー艦隊が、敵の左翼第八艦隊への攻撃を開始…閣下自らヤン・ウェンリーを封じてその間に二個艦隊で第八艦隊を撃破しようという事か…邪魔されずにヤン・ウェンリーと戦いたかったのかも知れんな、ミューゼル閣下は…。
「何故味方はこの…叛乱軍の増援を見逃したのでしょう。位置的に全く気が付かなったとは思えないのですが」
レッケンドルフが敵増援のシンボルを指さした。叛乱軍の第六艦隊を表すシンボルが突如、メックリンガー艦隊の右後方に現れたのだ。
「いきなり出現しているな。伏兵とも思えん……そうか。おそらくこの艦隊はヴァルトブルグ星系ごと迂回したのだろう。だから気付かなかったのだ。戦っている味方を信じてな」
「奇襲としては最良この上ないタイミングだとは思いますが、見誤れば最悪です。現に叛乱軍第八艦隊は崩壊寸前の状態に陥っていました」
「そう、紙一重だ。だからこそメックリンガー艦隊は大混乱に陥った。勝利を確信していたからこその陣形再編だからな」
後方から襲い掛かった第六艦隊に対し、メックリンガー艦隊は対処が出来ていない。崩壊寸前の第八艦隊を壊滅に追い込む為に、ケスラー艦隊と共に陣形再編中だったからだ。
「この場面だけ見ればこの第六艦隊の動きは非凡だが、後が悪いな。そのまま突撃した為に逆に半壊の憂き目にあっている。欲張ると良い事は無いな…一撃して後退、そうすれば息を吹き返した筈の第八艦隊と共に新たな戦線を構築できた筈だ」
かえって右翼に目を転じると…ミッターマイヤーが再度行動を開始している。ミッターマイヤー艦隊に七千隻に対し第七艦隊は約一万隻…流石だ、突破成功とはな。だが敵もやられっぱなしではないか、半包囲態勢の構築に入っている…。

 「痛み分けだな。敵も味方も目的を達せられないと見るや退いた…退かざるを得なかったというべきか」
アムリッツァに五個艦隊の増援が到着した事が原因だろう。オーディンからも二個艦隊の増援がこちらに向かっている…ヴィーレンシュタインの連中に先を見る目があればな…。
「もう一杯、どうだ」
「申し訳ありません、お言葉に甘えさせて頂きます…」
「どうした?」
「いえ…五個艦隊という数は確かに大規模ではあります、ですが叛乱軍のいう再出兵…アムリッツァの様に辺境を掠め取るにはいささか少なくはないかと」
「確かにな。だが再出兵そのものが領土奪取を目的とするものではないとしたらどうなる?」
「…どういう事でしょう?」
「立場を変えて考えてみろ。過去の帝国軍の軍事行動はどうだった?イゼルローン回廊がまだ帝国のものだった頃はそうした軍事行動が頻繁に行われていただろう?」
「確かに、そうです」
「奴等のアムリッツァ固守の体勢から察するに、辺境ではなく我々の殲滅を狙っているのかも知れん。戦いの主導権は叛乱軍に移った、だからこそ頭を悩ませねばならん。これまで叛乱軍が大人しくしていたから皆その事を忘れていただけだ。面倒な事だがな」
叛乱軍がヴィーレンシュタインの貴族どもをどう見ているか…後詰とみていれば有難いが……ん、オペレータが…。
「閣下、ミューゼル副司令長官からFTLです」


“観戦武官の気分を味わっている様だな、ロイエンタール”

「早くそのような身分になりたいものですな…何かありましたか」

“オーディンからの増援だが、二個の予定が三個艦隊に増強された。この三個艦隊はそちらに回す。卿は増援がボーデンに到着次第、我々の元へ移動せよ…いつまでも観戦武官で居てもらっても困るのでな”

「はっ…フォルゲン到着後の任務はどのようなものになりましょうか」

“警戒と監視だ、叛乱軍が動かない限りは。残念だがな”


「はっ…ボーデンの状況については先程送った通りであります。増援到着までこちらも警戒と監視に努めます」

“了解だ。致し方ないとはいえ、つまらぬ任務で済まんな。では”

 三個艦隊か。現状では精一杯の数だろう。しかし、この状況で本当に皇帝が死んだらどうなるのだろうか。帝国軍と有志連合が相撃つ…まさかな…。


10:00
フォルゲン宙域、ヴァルトブルグ星系外縁、自由惑星同盟軍、第一艦隊旗艦ヒューベリオン、
ヤン・ウェンリー

 第八艦隊の残余は第六艦隊の指揮下へ、第七艦隊のマリネスク提督には戦闘不能な艦艇を後送してもらって、残りは私のところで引き受けるか…。
「ラップ、これでどうだろう」
「そうだな…いいんじゃないか。マリネスク提督は重傷だというし、艦も中破しているしな。カイタルには俺から報告しておこう」
口笛を吹きながら私の部屋を出て行くラップと入れ違いに、パトリチェフ少佐が入って来た。何かあった?
「指示された哨戒チームですが、巡航艦を四隻ずつで三十チーム編成しまして先程行動を開始させました」
「ああ、その件か。ありがとう」
「十チームはヴィーレンシュタイン方面へ、残りは後方へと散っております。後方の哨戒チームには帝国艦を発見したら即座に破壊せよと厳命してあります」
「ありがとう。では少佐、哨戒チームへの指示は今後もそのまま少佐にお願いするよ」
「はっ」
少佐が部屋を出て行くと、ユリアンが紅茶を淹れてくれていた。
 
 「どうだった、ユリアン。初めての戦闘は…疲れたろう」
「すごく…緊張しっぱなしでした。何と言うかその…空気が重かったです」
思い出したのだろう、ユリアンは精一杯の笑顔で答えたが、笑顔はとてもぎこちないものになっている。
「ウィンチェスター…副司令長官が前に言っていたよ。戦闘中の司令部艦橋の空気は特別だとね」
「特別…ですか?」
「うん…彼はユリアンも知っての通り、歳に似合わず下士官兵からの叩き上げだ。彼が言うには同じ艦橋でも司令部と下では違うらしい。下士官兵は現場だ、だから戦闘の状況はあまり気にならないと言うんだ。戦闘中は自分達の与えられた仕事をこなすので精一杯で、周りを気にする暇はないってね」
「そうなんですか」
「彼は達観している所があるから、感じ方もちょっと特別なのかもしれないけどね」
「あの…閣下から見た副司令長官はどの様なお方なのですか?」
 ユリアンの紅茶の淹れ方はほぼ名人芸に近い。二杯目を注ぎながらユリアンの質問は続く。

 「私から見たウィンチェスターか…友人としては最高だね。同好の士、といった所かな。軍人としてはどうだろう、少し考え方は違うかな」
「主義主張が異なる、という事でしょうか?」
「それとも違うな、うーん、どう言ったらいいんだろう。彼はアッシュビー元帥の再来と言われているけど、だからといってアッシュビー元帥の様に上昇志向の強い軍人ではない。叩き上げといってもガチガチの職業軍人という訳でもない。あるべくしてそこにいる存在とでも言えばいいのか、自分の与えられた役割を自然にこなしている。気負い無くね」
「与えられた役割を自然にこなしている…」
「ユリアンにはまだ難しいかもしれないな……まあ、友人としても、軍人としても頼りになる存在だね」
「ですよね、そうですよね」
「…何かあったのかい?」
「いえ……はい、食堂で、ある士官の方が閣下と副司令長官の文句を言っているのを見てしまって…その方はひどく酔っていたみたいですけど、気になって」
「ふうん。その士官は何て言っていたんだい?」
「ええと…ヤン提督とウィンチェスター副司令長官は時流に乗っただけの頼りない指揮官だ、第六艦隊が来なかったら敗けていた、って…」
「ハハハ…その士官にとってはまさしくそうかも知れないね。それに、第六艦隊が来なかったら、あの場では敗けていたのも本当だ。私は宙域からの撤退を考えていたからね」


10:30
自由惑星同盟軍、第一艦隊旗艦ヒューベリオン、
ユリアン・ミンツ

 「そうなんですか?」
自分でも驚くくらい素っ頓狂な声が出てしまった。ヤン提督は笑いながらコンソールを操作し始めた。デスクの上に浮かび上がったホログラムはフォルゲンとボーデン、そしてアムリッツァ宙域だった。
「フォルゲン…戦っていたのはヴァルトブルグ星系だが…こう我々が後退していく…後退していけば何れはアムリッツァ宙域にさしかかる」
立体画像にはフォルゲンに展開する同盟軍のシンボルが、アムリッツァに後退していく様子が浮かび上がっている。第一艦隊(う ち)が最後尾だ…。
「当然帝国軍も我々を追ってくる訳だが、彼等の追撃はアムリッツァ外縁部で一旦停止する筈なんだ…まあこれは私の予想なんだが、かなりの確率でそうなるだろう」
敗けと言われても笑っている提督はなんとなく予想できたけど、戦争なんて無い方がいいと普段仰っている提督が、僕に活き活きと戦術や帝国軍の考えを説明してくれるのは意外だった。
 「でも…帝国軍にとっては、アムリッツァ宙域を奪い返す絶好の機会なんじゃないですか?」
「そうだね。でも帝国軍の立場になって考えてごらん…謂わばアムリッツァはこの方面の叛乱軍の本拠地だ、厳重な警備がしてあるに違いない、飛び込むには注意が必要だ…と彼等は考える。常識的な軍人、優秀な指揮官ほどそう考える…特に帝国辺境防衛司令官のミューゼル大将…ウィンチェスターも高く評価するその彼が、そんな危険を冒す筈はない。フォルゲンとボーデンに展開した我々の兵力から、アムリッツァに残留する兵力を推測するだろうし、我々がハーン方面からの帝国軍の侵攻も考慮している、と彼等は考えている筈だからね」

 ハーン方面から…先年ウランフ提督が戦死した戦いだ。帝国軍は普段使う事のないフェザーンに近い宙域から攻めて来た…と、前に提督が仰っていた。そして帝国軍のミューゼル大将……この名前は、副司令長官と提督の会話の中で聞いた事がある。会った事があるとも言っていたし、お二人の会話に出てくるくらいなのだから、優秀な帝国軍人なのだろう。
「現にアムリッツァには五個艦隊が到着している。この状況では帝国軍に勝目はないね。それに帝国軍がそのつもりなら、ヴィーレンシュタインで待機中の帝国軍が最初から動いている筈だ。彼等が動かない事が、ミューゼル軍がアムリッツァに侵入しない事の証なんだ」

 提督は空になったカップにブランデーを注ぎ始めた。最近酒量が増えている事が心配なんだけど…。
「では…ヴィーレンシュタインで待機している帝国軍の目的は何なのでしょう?味方が戦っているのに助けないなんて」
「あちらさんにはあちらさんの事情があるという事さ。おそらく大貴族の艦隊か何かだと思う。ウィンチェスターもそう考えていると思うよ」
大貴族の艦隊?帝国軍ではない?
「帝国には帝国軍、いわゆる正規軍と、形式的には帝国軍には属しているものの、正規軍の命令系統には属していない私的な軍隊が存在するんだ。それが貴族の艦隊さ」
「その貴族艦隊がヴィーレンシュタインに展開している…では、帝国軍は貴族艦隊に頼らなければいけない程戦力が少なくなっている、という事でしょうか?」
「うーん、帝国軍はそれほど柔じゃないよ。オーディンには十個艦隊程の戦力を維持している筈だ。彼等は政変に備えている」
「政変…?」
「皇帝フリードリヒ四世は不健康な老人らしい。彼が死ねば、帝国の支配層の間で次期皇帝の座を巡って政変が起こるそうだ。ウィンチェスターの予想ではね。その政変を防ぐ為に、帝国軍の主力はオーディンから動けない。辺境守備の兵力がミューゼル大将率いる五個艦隊だけ、という事実が、彼の推測を補強しているんだ」
「そうなんですね」
「ウィンチェスターの推測が正しいと私は思っている。だがそうなるとヴィーレンシュタインの貴族艦隊の目的は何なのか、という事になるんだが…」
「堂々巡りですね」
「ああ、全くその通りさ。味方であるミューゼル軍を助ける訳でもなく、ヴィーレンシュタインでただじっと構えている…目的が分からないんだ。それに貴族艦隊である、と決めつける訳にもいかないからね」

 貴族艦隊の可能性は高い…ウィンチェスター副司令長官もそう予想するだろうと提督は仰っている。だけどそう決めつける事も出来ない…両方の可能性に備えて方針を考えなきゃならないなんて大変だなあと思う。仮に、ヴィーレンシュタインの戦力が貴族艦隊ではなく、帝国の正規軍だったらどうなるのだろう?その疑問を口にするとヤン提督は少し間を置いて答えてくれた。
「同盟軍が敗けるかも知れないね」










 


 

 























  
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