星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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第五十八話 思惑 Ⅱ
帝国暦484年1月10日16:25
ヴァルハラ星系、オーディン、軍務省、宇宙艦隊司令部、宇宙艦隊司令長官執務室
ラインハルト・フォン・ミューゼル
この部屋の主はグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥。元帥はミュッケンベルガー伯爵家の分家の出で、言わずと知れた武門の家柄であり、帝国軍三長官の一人だ。そして帝国の実戦兵力の殆どを握る男でもある…執務室のソファーに元帥と向かいあって座っているのは昇進して大将になった我々の上官、ヒルデスハイム伯…。一体何を話していたのだろう…。
「おお、来たか。卿等を呼んだのは他でもない。イゼルローン要塞を奪還するための軍編成を話し合う為だ。どうせ軍務省にいるのなら、卿等にも直接聞いて貰った方が話は早いのでな」
…先程のグロスマン人事局長ともそうだが、この男とも直接話すのは今日が初めてだ。それはそうだ、軍務省と言っても俺は統帥本部付、という訳の分からない配置に居たし、直接呼ばれるかしない限り、会話をすることなど何もないのだ。何しろ統帥本部に居たのに本部長エーレンベルグ元帥の顔すら見た事もない。
「閣下、彼等も着席させてよろしいか」
「そうですな、話は長くなる。卿等もかけたまえ」
元帥の、伯に対する口調は丁寧なものだった。軍では当然元帥の方が地位は上だが、宮廷序列は当然ながら伯の方が上だった。丁寧な喋り口からして、この部屋での会話は軍とも関わりはあるが政治的な色合いの濃い物なのかも知れない。
ヒルデスハイム伯が大きく咳払いをした。
「我等も揃いました、改めて伺いましょう。軍の編成が遅れているという事ですが」
「はい…恥ずかしき事ながら、十六ある正規艦隊の内の半分は未充足状態なのです。残る八個も戦力として期待出来るのは四個艦隊が精々です」
「なんと…」
伯は絶句している。いや、参謀長やキルヒアイスだって正直それに近い驚きがあるだろう。想像はしていたが、それほどひどいとは…。
「…理由を訊いても宜しいかな」
「まあ、金です。通常の予算編成ならともかく、慢性的な戦争状態です。防衛だけならともかく出征には金がかかる。戦費の調達は国債の発行で賄われている。ギリギリなのですよ。まあそれだけではないが…」
「想像はつく。元帥、この際正直に申された方が胸が軽くなりますぞ」
「ハハ、そうですな…では…。大貴族の方々の紐付き、が多いのです。…確かにスッキリしますな」
元帥は嘆息し、伯は苦虫を噛み潰し天井を見ている。紐付き…ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両陣営と結び付いているという事だ。だから伯には想像が出来たのだろう。正規軍でありながら大貴族との利害関係でいい様に動く…あってはならない事だが現実はそれを否定している。実戦部隊の統率者がそれを口にしたのだ、嘘や冗談ではなく、状態はかなり深刻といっていいだろう。伯と元帥の会話だから俺達が口を挟む訳にはいかないが、ただ聞かされているだけでもおぞましい事実だ。イゼルローンに増援を送りたくても送れない状態だったのだ。だが伯はブラウンシュヴァイク一門の大貴族、紐付きどころではない。そこはどう思っているのだろうか。伯も同様だった様だ。同じ疑問を口にした。
「紐付き、と言われたが私などブラウンシュヴァイク一門そのものですぞ?その辺りはどうお考えか」
「…伯はブラウンシュヴァイク公に頼まれて軍に復帰なさいましたか?」
「いや、それはない。私の意志だ。今ここにいる彼等にも以前に話した事があるのだが、私が軍に参加したのは貴族として藩屏として何かを為さねば成らぬ、という想いによるものだ」
「そう、聞いております。無論、今ここにいる彼等からではありませんが」
軍上層部としても伯爵の復帰は半信半疑、物好きの類いにしか見えなかったのだろう。遊び半分に武勲の狩り場にされては堪らない。伯本人が戦死でもしたら、責任は無くとも文句を言われるのは軍なのだ。軍は伯を調査したのだろう、伯の近しい所から聞こえて来る声…調査自体は簡単だ。何しろ紐付きが大勢いるのだ、そこから探っていけばいい。そして軍は判断した、伯の行為はブラウンシュヴァイク公の思惑や差し金ではない、という事を。そして試金石としてイゼルローン要塞への増援として伯を送り出した…。
「重ね重ねイゼルローン要塞を救援出来なかった事は私の力不足によるもの。慙愧に耐えません」
「伯のせいではありません。要塞は難攻不落、という軍の慢心によるもの。更に帝国本土に叛徒共の侵入をを許したのは軍の責任です…再度奪還軍の一員として加わっていただくが、よろしいか」
「それは私も望む所…話を戻しましょう、先程軍編成が進んでいないと申されたが、現在の状況を教えていただきたい」
奪還軍…俺達もそれに加わる事が出来る、有難い限りだ。どの様な陣立てになるのだろうか…。
「はい。奪還軍司令官にはクライスト大将を考えております。艦隊司令官としてまず伯ですな。そしてゼークト中将、シュトックハウゼン中将、ギースラー中将…今の所はこの五名という事になります。本当なら私自らが陣頭に立ちたいのですが、国務尚書、軍務尚書そして統帥本部長に止められました」
「…何故です?」
「奪還が成功すれば問題がない…だが失敗した場合、貴族達が何を考えるか分からぬ、と」
貴族達…門閥貴族達が反乱を考えているとでもいうのだろうか。いや、反乱は無くとも地方王国として独立するかもしれないという事か?あり得ない話ではない。それに備える為にミュッケンベルガーを残す…。確かにこの男なら貴族達に睨みを効かせる事が出来るだろう。しかし、その場合誰を率いるのだろうか…。
「…何を考えるか分からぬ、か…この国難に自らの利益のみを優先させる輩がいると…貴族の一員として強く否定出来ない所が悲しいですな。いや、悲しんでいる場合ではない。そうなったら帝国は…」
「はい。私はその備えとして残らねばなりません。私の靡下として残るのは甥のケルトリング中将、メルカッツですな。メルカッツは中将に昇進させます。帝都の地上部隊はオフレッサーが指揮を執ります」
メルカッツか。この男とメルカッツはそれほど仲が良くないと聞いているが、奴は政治的野心がないとも聞いている。そこを買ったのだろう。ケルトリング中将…ああ、軍の名門ケルトリング家の当主か。だがケルトリング家は第二次ティアマト会戦の影響で没落した筈だ…分家の誰かが名跡を継いだのだろうか。
そしてオフレッサー…擲弾兵総監、上級大将の地位にある野蛮人…。二メートルを超える巨躯、全身が筋肉の鎧で覆われた旧石器時代の英雄。将官となった今でも自らトマホークを振るう事を厭わないと聞いている。評判は碌な物では無いが、この男が帝都にいるのは心強い。
「あと…グリンメルスハウゼン閣下が上級大将として幕下に加わっていただけるそうです」
グリンメルスハウゼン?首を傾げて考えていると参謀長が、皇帝フリードリヒ四世の元の侍従武官だ、と教えてくれた。成程、フリードリヒ四世の治世がどうなるかどうかの瀬戸際だ、居ても立ってもいられなくなったか。だが軍事的能力はどうなのだろう、評判や実績は耳にしたことが無い…補佐する奴が哀れだな…。
「兵力はどうなっているのでしょう?」
ミュッケンベルガーが遠征軍として示した兵力は以下の様な物だった。
奪還遠征軍司令官:クライスト大将 一万五千隻
副司令官:ヒルデスハイム伯爵大将 一万五千隻
ハンス・フォン・ゼークト中将 一万二五百千隻
トーマ・フォン・シュトックハウゼン中将 一万二千隻
パウル・フォン・ギースラー中将 一万二千隻
合計六万六千五百隻…近年稀に見る大軍だ。クライストは当然雪辱を誓っているだろうし、ゼークト、シュトックハウゼンの両名もヴァルテンベルク、クライストの後任としてイゼルローンに赴く筈だったと聞いている。ギースラーはヴァルテンベルクの副司令官だった。アムリッツァでは伯の艦隊の副司令官として駐留艦隊の残存をまとめ、我々と共に戦った。要塞攻防戦の時も当時のヴァルテンベルグ大将率いる駐留艦隊が戦線を維持できたのは、この男の力によるものが大きいと聞く…ゼークト、シュトックハウゼン両名の指揮能力は分からないが、最前線を任される予定だった二人だ、この非常事態に抜擢されるのだしそれほどひどいものではないだろう…むしろそう願いたいものだ。
アムリッツァの反乱軍七個艦隊に比べると少ない戦力である事は否めないが、戦い方次第ではどうにか出来る戦力だ。本来ならこれにミュッケンベルガーの直卒艦隊が加わる予定だったのだろう、そうなれば八万隻近い兵力となった筈…。ミュッケンベルガーも頭が痛いだろう。本来なら自分自身で指揮したいだろうに、国内問題のせいで外敵に対処する戦力をそちらに割かねばならないとは…。
政府、軍、貴族。一枚岩になれば磐石な体制を築けるものを。まあ一枚岩になどなられたら俺がのしあがる隙は無くなってしまうのだが…。
「順調にいけば…各艦隊を充足状態にもっていく迄に二か月、訓練に一ヶ月、アムリッツァ迄の移動に一ヶ月…五月の半ばにはオーディンから出撃出来るでしょう」
「イゼルローン、アムリッツァが叛徒共の手に落ちて早一ヶ月…その後情報は入っておりますか」
「叛乱軍はアムリッツァを固める事を一心にしておる様ですな。こちらの偵察部隊を追い払う程度で、大きな戦闘はありません」
「なるほど」
「以上が現在の状況です。伯にはお手数をおかけするが、何卒よろしくお願い申し上げる」
「いや、私には彼等という優秀な補佐役が居るのでな。造作もない」
元帥が手を叩くと、従卒がコーヒーセットとケーキを運び入れた。以外に甘党の様だ…。従卒が出ていくと再び元帥が口を開く。
「それと…もう一つ」
「何でしょう」
「伯爵はリッテンハイム侯に会われましたか?今日、この建物で」
「会いました。それが何か」
「実は先程、リッテンハイム侯、ブラウンシュヴァイク公がこの部屋に見えられましてな。この未曾有の国難に協力したい、と申されました」
「そうですか…いや、侯の姿を見た時にその様な気はしておりました。ブラウンシュヴァイク一門からは既に私が軍に復帰している。対抗心から同じ様に侯も一門の誰かを軍に復帰させるのではないかと…」
「その通りなのです。重ねてお聞きするが、伯は一門の為に復帰されたのではない、そうですな?」
「はい」
「どうもブラウンシュヴァイク公はそうは受け取ってはいない様でしてな。それに刺激されたのがリッテンハイム侯…どなたが軍に復帰するかはまだ分かりませんが、お耳に入れておいた方がよいと思いましてな」
「…心しておきましょう」
しばしの間沈黙が流れる。苺のショートケーキを食べるのは久しぶりだが、どうも甘さを感じない。下手をすると遠征軍にまで貴族間の派閥争いが持ち込まれ兼ねない…。奴等には危機感がないのだろうか…それともこの危機を自分達の勢力の伸長に使うつもりなのか…ふん、俺も奴等も同じ穴の狢という訳だ…。
宇宙暦793年1月20日12:00
アムリッツァ星系、チャンディーガル、シヴァーリク郊外、自由惑星同盟軍、宇宙艦隊司令部、ヤマト・ウィンチェスター
惑星チャンディーガル。いいところだな…というか、荷役の馬車、どこまでも広がる小麦畑…どう見ても中世ヨーロッパなんだなあ…。まあこの風景が中世ヨーロッパではないという事は、今俺が立っている宇宙港、畑に点在する同盟軍が設置した農業プラント、無人トラクター、大規模なスプリンクラー…が示している。うん、景観の邪魔だ。
『司令部代表としてアムリッツァを視てきたまえ。貴族達と会合を持ち、彼等の話を聞いてくるのだ。報告だけでは分からない所があるからな』
というシトレ親父の命令でここに来た。同行しているのはヤンさんだ。郊外に設けられているシャトルが降りるのが精一杯の宇宙港、そこを中心に同盟軍の部隊が駐屯している。同盟軍艦艇は大気圏突入能力を持たないから、惑星上にいるのは便宜上、遠征軍司令部と名付けられた司令部、各艦隊から抽出編成された陸戦隊だけだ。遠征軍司令部も各艦隊の寄り合い所帯だ。各艦隊から作戦参謀と情報参謀、補給参謀がそれぞれ一人ずつ派遣されている。予想に反してロボス親父は慎重な男だ…まあ麾下の艦隊司令官が命令違反を犯して一個艦隊壊滅…ともなれば慎重にもなるだろうな。おかげでアムリッツァ星系およびその周辺星系への駐屯は大した反抗もなくスムーズに進んでいる。原作に名前の出てくる貴族だけでもクラインゲルト、ミュンツァー、バルトバッフェル…ここチャンディーガルに居るダンネベルクという貴族は知らないが、その名前の知らない貴族がうじゃうじゃいる。在地領主というやつだが、皆一様に貧しい。貴族でも辺境ではこの有様だ。オーディンやその近隣星系に居る大貴族ってのはとんでもねえ存在なんだ、と今更ながらに再認識させられるよ…。
「のどかな所だね。退役後はこんな所でのんびり過ごしたいもんだね」
「ヤン中佐が頑張ってくれたらその分早く退役できますよ」
「…そんな事言われてもねえ」
ヤンさんはポリポリと頭を掻いた。どうもヤンさんは全てにおいて他人事な所がある。エル・ファシルで全ての忍耐力を使い果たした、ってのもあながち嘘じゃなさそうだ。という事は今は充電期間とでも思っておけばいいんだろう。何年か経てば嫌でも働く事になるんだから…。
「ところで、この後は帝国の貴族達と会うんだろう?」
「はい。彼等が求めているのは現在の所平穏な生活のみですが、いずれは同盟式の生活に慣れて貰わねばなりませんから、その話もしようと思いまして」
「彼等の地位はどうなるんだい?」
「地位はただの同盟市民ですよ。まあフォンの称号も、爵位も別に今まで通り名乗って貰っても構いませんが、フォンの称号はともかく爵位を名乗り続ける事は同盟市民としてはおすすめしませんけどね」
「彼等の持つ資産はどうなる?」
「今まで通りですよ。現在まで開発を進めている土地や鉱山、施設に関しては保持していて貰って構わない、といったところでしょうか。それを決めるのは当然私じゃないですが。惑星を保持しているなら、そのまま保持していて貰ってもいいと小官は思いますけどね」
「資産家、という事か…でもそれだと貴族の意識は変わらないんじゃないか?」
「同盟市民ですからね。所得税やら固定資産税やらいろいろ払う事になりますし、使用人の給料も払わねばなりません。帝国の時給の保証額は知りませんが、税金やら何やら同盟の水準を示した上で色々と選択して貰いますよ」
「…領土が増える、ってのは大変なんだねえ。そこまで気にしている人がいるかどうか…」
「全部キャゼルヌ大佐の受け売りですが…聞いてませんか?」
ヤンさんはまた頭を掻き出した…俺もキャゼさんに聞くまで知らなかった、というか全く気にしてなかったんだよ。貴族の持つ資産を保証すればいい、くらいにしか思ってなかったし…。
「全く…。説明は君がやってくれる、って言われて来たからね」
「そうですか…貴族達にしてみれば我々は迷惑極まりない客ですからね。飲める条件なら飲む方向で話を進めないといけません。極端な話、同盟っていいところだ!って思って貰わねばなりませんから」
「そうだね…迷惑極まりない客か…。実際の所、彼等はどう思っているんだろうか」
「これから直接聞いてみればいいじゃないですか」
「そうだね。折角の機会だし、そうしよう」
「迎えの車…じゃない、ありゃ馬車ですね…。いや、楽しみだな」
総督府、と呼ばれる瀟洒な建物には、すでに俺達二人の為に多くの貴族が集まっていた。彼らはまあ虚脱状態と言っていいだろう。同盟軍がやってきて、何をしていいか分からない内に占領政策が始まって、自分たちがどうなるかも分からない。できるだけ彼等の不安を取り除いてやりたいが…。
「お初にお目にかかる。私はテオドール・フォン・ダンネベルグ。チャンディーガル総督です」
「自由惑星同盟軍中佐、宇宙艦隊司令長官の次席副官をやっておりますヤン・ウェンリーです、どうぞよろしく」
「同じく中佐、宇宙艦隊司令部、作戦参謀をやっていますヤマト・ウィンチェスターです。よろしくお願いします」
俺達を見る視線に敵意は感じられないが十分に冷めたものだった。
「宇宙艦隊司令部か。場末の連絡士官ではないという事だな…済まない、君たちの艦隊連絡士官は、此方が何を言っても上に報告の上善処しますとしか言わないのでね。だが司令部所属というなら少しは話が出来そうだ、よろしく頼む…紹介しよう、こちらはバルトバッフェル男爵。そしてリューデッツ伯爵、ミュンツァー男爵、クラインゲルト子爵だ。ミュンツァー男爵の名は叛乱軍…いや同盟でも有名なのではないかな」
「そうですね。晴眼帝マクシミリアンの名宰相ミュンツァー、弾劾者ミュンツァーとしてその名声はとどろいていますよ。距離の暴虐、と称して我々への軍事行動を諫めた方としてもね」
「ヤン中佐は歴史に詳しい方の様だ…他の方々はおいおい紹介しましょう…さ、こちらへ。帝都オーディンの舞踏園遊会とはいかないが宴席が用意してあります」
宴席…外でメシを食うのは久しぶりだ。帝国初上陸が宴会か。遠慮なく楽しませてもらうかな。
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