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SECOND

作者:灰文鳥
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第一部
第一章
  第三話『私達はもうお友達』

 朝の見滝原中学校。掲示板の前には人だかりが出来ていた。中間テストの成績順位表が張り出されていたからだ。その中に一年生の葉恒翠と、同じクラスの空納陽子がいた。二人はあまり芳しくない自分たちの成績にやや落胆の色を見せていた。そのすぐ近くには二人のクラスメイトの鳴子幸恵(なるこ さちえ)と真麻詩織(まあさ しおり)がいた。詩織は十番台の幸恵を称えていたが、当の幸恵の表情は暗かった。掲示板の前から翠が立ち去ろうとした時、陽子が口を開いた。
陽子 「あっ、またあの人達がトップだ。」
翠  「え?」
陽子 「ほら、二年と三年のとこ。私が知る限りいつもあの二人が一番だよ。」
翠  「あの三年の人って、この間の?」
陽子 「そうだよ、あの人。」
 そう言われて翠が上級生の成績表を見ると、二年の一位には暁美ほむら、三年の一位には巴マミと書かれていた。その暁美ほむらの名を、睨み付ける眼差しがあった。その眼差しの主の名前はほむらのすぐ下に書かれていて、御悟真理(みさと まり)と記されていた。また巴マミの名を三年生の日富麗子(ひとみ れいこ)が遠目から眺めていた。そしてそれらの後ろを、雑多を避けるように暁美ほむらが足早に通り過ぎて行った。
 ほむらが玄関に着き自分の下駄箱を開けると、そこには一通の手紙が入っていた。

  ♢

 体育の時間、翠と陽子がランニングの後で息を整えていると、二年生が走り高跳びをしている光景が見えた。すると陽子が翠に話し掛けて来た。
陽子 「ほら、翠。今、丁度跳ぼうとしてる人、あの人が暁美ほむらさんだよ。」
 翠が見やると、ほむらが華麗に背面跳びを決めて見せた所だった。ほむらの同級生達は感嘆の声を上げていた。ただその中にいた真理だけは、何も言わずじっとほむらを観察していたのだが。
陽子 「暁美先輩って、勉強だけじゃなくってスポーツも万能なんだって。」
翠  「ふーん、凄い人なんだね。」
 翠はほむらを少し意識した。

  ♢

 学校の帰り道で翠と陽子は互いの不幸話をした。
翠  「いよいよさ、私のパパとママ、離婚しちゃうみたいなんだよね。」
陽子 「そう…私の家もパパの事業が上手く行ってなくってさ…最近生活が苦しいんだ…」
翠  「えっ、大丈夫なの?見滝原って結構学費高いでしょ。」
陽子 「うん…授業料は一括で一年分収めているから、たぶん大丈夫だと思うんだけど…」
 陽子はそれきり黙ってしまった。翠も何と言っていいのか分からず、気不味い沈黙だけが流れた。
陽子 「じゃあ。」
翠  「うん、じゃあ…」
 陽子と別れて翠が帰宅すると、翠の母親が慌ただしく家の整理をしていた。
翠  「ただいま…」
母親 「あっ、翠。大事な話があるから聞きなさい。ママねぇ、パパと正式に離婚したの。それでね、翠はママが引き取ったからママの実家のある九州に行くことになったの。だからすぐにあなたも準備なさい。」
翠  「そんな…嫌だよ、転校とかしたくないし…」
母親 「仕方がないでしょ、もうそう決まったんだから。わがまま言わないで。」
翠  「わがままなのはどっちだよ!」
 そう叫んで、翠は自室に飛び込んだ。

  ♢

 陽子が朝起きると、陽子の両親はもういなかった。
二人とも早朝から金策に出たのだ。陽子は台所を物色してみたものの、食べ物は御釜に冷御飯が少し残っているだけだった。陽子はその御飯をラップに包むと、鞄に押し込んで学校に向かった。
 そんな陽子だったが、登校の途中で翠を見つけると、翠に向かって努めて明るく挨拶をした。
陽子 「おっはよー、翠ぃ!」
翠  「うん、陽子。お早う。」
 翠は陽子とは対照的に、努めて暗くしているように答えた。
陽子 「どうしたの、何かあったの?」
翠  「うん、それがね…私の両親の離婚が正式に決まってね…」
陽子 「そう…」
翠  「それでもうすぐ私、ママに連れられて九州の方に転校する事になっちゃうの…」
陽子 「…。」
 陽子は何かを言おうとしたようだが、結局何も言わなかった。二人の間にまた沈黙が漂った。
 お昼の時間になると、気を取り直したように翠が陽子に話し掛けた。
翠  「陽子…もしよかったら一緒にお昼食べない?」
 しかし陽子は何か思い詰めたような顔をして答えた。
陽子 「ごめん、翠。私、ちょっと用があるから先に食べてて。」
 陽子はそう言って、一人で教室を出て行ってしまった。
 陽子は人気の無い体育館の裏手に行くと、腰掛けられそうな場所を見つけそこに座った。そして隠し持っていたラップに包んだ御飯を取り出すと、それに噛ぶり付いた。するとそこに二人組の女子が現れた。幸恵と詩織だった。
幸恵 「あら空納さん、何をお食べになっているのかしら?」
 意地悪そうに幸恵が問い掛けて来た。実のところ、陽子と幸恵は旧知の間柄であった。かつて二人が引き合わされた時、幸恵の父親の会社のお得意様が陽子の父親だったので、幼心に幸恵は陽子に引け目を感じていたのだ。そして今、幸恵は陽子の家が経済的に困窮している事も知っていた。
幸恵 「まあ、なんですのそれ。見せて見せて、ウフフ…」
 幸恵にそう言われてすっかり陽子は俯いて固まってしまった。やや投げ出されたようになった足の太股の上に力無く腕が落ちると、両手で受け止められるように置かれたラップの御飯が露わになった。それを見た幸恵は僅かに微笑みながら軽く跳び上がると、陽子のすぐ近くに着地してみせた。土埃が舞い上がり、陽子の真っ白な御飯が少し茶色く染まった。
 その光景を翠が物陰から見ていた。彼女は陽子の様子がおかしかったので心配して後を付けていたのだ。翠がとても見ていられないと振り返ると、そこには険しげな顔をしたほむらが立っていた。思わず声を上げそうになった翠が辛うじて両手で口を塞いで凌いだその横を、ほむらはすり抜けるように進み、そのまま三人の前につかつかと歩み出るとおもむろに腕を組んで言った。
ほむら「つまらないわね。」
 幸恵と詩織は突然のほむらの出現に一瞬驚きひるんだが、幸恵はすぐに突っぱねた。
幸恵 「あなたには関係無いでしょ。」
 ほむらに食って掛かろうとする幸恵に、詩織が耳打ちする。
詩織 「幸恵、この人二年生の学年一位の暁美ほむらさんだよ。」
幸恵 「えっ!この人が…」
 幸恵はほむらの方をじっと見つめると、急に神妙な面持ちになった。
幸恵 「詩織、行きましょ。」
 そして幸恵と詩織はそそくさとその場所から立ち去って行った。残された格好になった陽子はまだ固まっていた。ほむらは陽子の手の平の上にある御飯をそのラップで包み、持ち上げて縛ると言った。
ほむら「これはもう諦めなさい。」
 そしてそれを陽子の横に置くと、ポケットから学食の食券を取り出して陽子の手の平に置いてそれを握らせた。陽子は辛うじて目線を上げると、ほむらにお礼を言おうと口を開けたが声は出なかった。ほむらは軽く頷くと、どこに向かってとなく言った。
ほむら「他人に勇気の強要をする気は無いけど、もし友情が欠片でも有るのなら、出て来て共にいておあげなさい。」
 そう言うと、すぐにほむらはその場を去って行った。
 ほむらがいなくなると、翠が申し訳なさそうに陽子の前に出て来た。
翠  「陽子、御免。」
 翠は手を合わせて謝った。陽子は翠の登場にようやく動けるようになって立ち上がると、蚊の鳴くような声で翠に言った。
陽子 「有り難う、翠。」

  ♢

 まだ昼休みの時間は充分にあった。
翠  「せっかくだから、それ使わして貰お。」
 共に陽子の埃を払っていた翠はそう言うと、陽子の手を取って引っ張った。だが陽子はそれに抵抗するように引っ張り返した。思わず振り返る翠に陽子はまずラップの御飯を取って見せ、そして言った。
陽子 「そっち、嫌…」
 確かに翠が行こうとした方は学食への近道だったが、幸恵達が立ち去った方角でもあった。だが学食に行くのなら後は反対側からぐるりと回って行くぐらいしか無い。しかしそちら側だと今度はほむらの立ち去った方になる。どちらにしろ、このすぐのタイミングでの再会はバツが悪い気がした。
陽子 「こっちから行こ…」
翠  「う~ん、でも暁美先輩がいるかも知れないし…」
陽子 「そしたら今度はちゃんとお礼言う…」
翠  「…そうだね。そうしよう。」
 そして二人はほむらの向かった方へと歩き出すのだが、そんな二人はとてもお礼を言うなんて出来ない、とんでもない場面に出くわしてしまう。
 そこにはほむらと三年生と思しき男子が相対していた。しかし二人は互いに目線を合わせないようにしていた。
男子 「手紙、読んでくれたんだ。…有り難う。」
ほむら「あの、私…今は恋愛とかちょっと…」
男子 「うん、その辺は僕も理解しているつもりなんだ。何か目指すものがきっとあるんだろうなって。だから人知れず物凄い努力をしているんだと思う。そういう所に尊敬の念すら抱いているんだ。」
 体育館の角の柱の際から、本当に微かに状況が窺い知れるギリギリの所で、翠と陽子は全神経を集中させて様子を窺っていた。
 その男子は一呼吸し、そして続けた。
男子 「だから、その…待たせてくれないかな、君の心の待合室で…」
 暫しの沈黙が流れた。翠と陽子は自分の心音で二人に気付かれるのではないかと思うぐらいドキドキしていた。
 するとほむらは突然上半身を前に折り、ほぼ水平の状態にして言った。
ほむら「御免なさい。」
 その姿は平身低頭の権化のようであり、ひらがなの〝つ〟の字と言うよりカタカナの〝フ〟の字に近かった。発せられた言葉と共に謝罪の意味である筈のそれは、まるでありとあらゆるものを拒絶する鉄壁の要塞の体をなしていた。
 その男子は俯き僅かに震えながら、ほぼ涙声の弱々しい声を辛うじて絞り出した。
男子 「いや…僕の…方こそ…ごめん…ね…」
 そしてそのままほむらの横を走り抜け、翠と陽子の前を通り過ぎて行った。
 翠と陽子は、なぜか暫らく壁に張り付くように横歩きをして来た道を引き返すと、逃げるようにその場を後にした。
 充分に離れたであろう所まで来てから、陽子は翠に言った。
陽子 「あれ、サッカー部の坂本先輩だったよ。」
翠  「えっ!坂本先輩って、あの?他校にまでファンクラブがあって、よくその先輩目当てにうちの学校のフェンスに噛り付いている女子がいるっていう、あの人?」
陽子 「うん、間違いないよ。あの坂本さんだった。」
 その時、翠の中で何かが弾けた。

  ♢

翠  「ただいま…」
 そう言って玄関の扉を開けると、翠は暗い気持ちになった。家内の景色は着々と変化し、段ボール箱やビニール袋が目立つようになっていた。家に上がると声がした。
母親 「ああ、翠。あんたも荷物の整理、ちゃんとしておくんだよ。」
 翠はその声を振り切って自室に逃げ込むと、鞄を床に落としてベッドの上に身を投げ出した。暫らく突っ伏した後、ゴロリと転がって仰向けになると、重たい気分を振り払う為にほむらの事を考える事にした。
翠  「暁美先輩ってカッコいいなぁ…」
 そう呟くとすっくと立ち上がり、今日見たほむらを演じ始めた。
 まずは腕を組んでおもむろに言った。
翠  「つまらないわね。」
 翠は得意げに言い放ってみると、なんだか喜びが込み上がって来た。
翠  「他人に勇気の強要をする気は無いけど、もし友情が欠片でも有るのなら、出て来て共にいておあげなさい。」
 それは自分が指摘された言葉だったが、妙に楽しく思えた。そして鏡の前に行くと、体を曲げて上半身を出来るだけ水平にした。
翠  「御免なさい。」
 そう言って、暫くそのままの姿勢を保った。
 すると翠は突然笑い出し、ベッドに再び身を投げ出すと、転げ回りながら言った。
翠  「クーッ、このペッコリ感がまた…なんと言うか、振り慣れてる感全開でぇ…あーもー、暁美先輩ってば、一体何人の男子の枕を涙で濡らして来た事やら。」
 そんな上気した翠に冷水が掛けられた。部屋の戸が強く叩かれ、母親の声が響いた。
母親 「翠、ちょっと郵便出して来てちょうだい。ここ置いとくから、今すぐ急いで行って来て。ママ、夕飯の支度があるから早くしてね。」
 翠はイラっとした。いい気分を台無しにされた事や母親の性急な物言いもそうだったが、何よりも親の勝手で自分が転居転校を強いられている事が今の自分の不満の大根底であるのに、その事に対しての配慮が見受けられない点が翠には許せなかった。
 それでも翠は言い付けを守るべく部屋を出た。部屋の前に置かれていた郵便物は思いのほか大きくて重いものだった。翠はその上に置かれているお金を無造作にポケットに突っ込むと、その段ボール箱を何とか持ち上げて郵便局へと向かって行った。
 荷物を出して帰る頃には日がすっかり暮れて夜になっていた。役目も荷物も無くなり空虚な気持ちで歩いていると、再びイライラが心の中で沸き起こった。両親への不満やこれからの生活への不安が、次々と翠の心の中に湧いて出だ。
翠  「ママもパパも勝手すぎだよ…」
 ブツブツと不平不満を口にしながら歩く翠の周りから、徐々に色が失われていった。地面も周りの建物も、白い石のような姿に変わって行った。だが翠は怒りに埋没してそれに気付けない。そして翠の周辺が全くの別世界に変わり果てた後、やっと彼女は辺りの異変に気付いて立ち止った。
翠  「ここは…どこ?」

  ♢

 そこは真っ白い砂地のような地面に、やはり真っ白な石灰岩のようなもので出来ている塔が幾つも建っている所だった。
 翠は思った。
 (私は夢でも見ているのだろうか?でも夢って感じじゃない。ひょっとして自分は交通事故にでもあって、臨死体験というものでも今しているのだろうか…)
 すると、前方の少し離れた所にある一際大きな塔の陰から、何やら人のような形をしたものが現れた。
それは何か僧侶を思わせる姿をしており、やはり体も着ている物も真っ白だった。その白い僧はゆっくりと、しかし真っ直ぐに、翠の方に歩み寄って来た。
 近付くに連れてその僧のようなものが、いかに巨大であるかが判った。ちょっとしたビルくらい、15m~20m程の大きさの、真っ白な仏教徒の僧侶のような姿をしたそれは、翠の眼前約10mといった所まで来ると、その巨大な腕をゆっくりと振り上げた。翠はただただ呆然と立ち尽くし、ぼんやりとそれを見詰めていた。巨大な腕が頂点へと達すると、当然の物理法則の如くその腕は振り下ろされた。その巨大な拳が翠の直上から級数的加速度を以て迫って来た。翠は一瞬、寂しさか悲しさのようなものを感じたが、体は微動だにする事は無かった。
?  「何をしているの!」
 そう聞こえた瞬間、翠は何かに激突されたような衝撃を横から受けた。ゴロゴロと地面を転がった後、自分が誰かに抱きかかえられている事に気付いた。自分の上に覆い被さるようにいるその人の顔を翠は知っていた。それは暁美ほむらだった。
ほむら「死にたくないのなら、今すぐ立ち上がりなさい。」
 そう言って、ほむらは立ち上がった。左手に弓を持ち、セーラー服と言おうか教会の聖歌隊のような服と言おうか、少し不思議な格好をしたそのほむらは、信じられない跳躍力で跳び上がると、矢を巨大な白い僧に放ちながら向かいの塔の上へと着地した。
?  「ほらっ!」
 呆気にとられている翠に、声と共に手が差し伸べられていた。手の主を見ると、銃を持ったマーチングバンドのような格好の少女だった。翠はこの少女の顔もどこかで見たような気がした。
 その時、ほむらがこの少女に向かって叫んだ。
ほむら「マミ、早く!」
 〝マミ?そうだ!〟
 翠は思い出した。この人は以前話し掛けられた事のある、見滝原中三年生の学年トップの巴マミだったと。
 翠がぎこちなく震える手でマミの手に触れると、マミはその手を力強く握り返し、ぐっと引っ張って翠を引き起こした。
マミ 「ほむら、今行くから。」
 マミはほむらに叫ぶと、翠の方を向いてニッコリと笑顔を見せた。そして白い僧が現れたのと反対の方を指差して、
マミ 「あっちの方が安全だから。」
 と言うと、やはり凄いジャンプ力で空高く舞い上がり、銃で白い僧を撃ち始めた。
 翠が改めて周りを見ると、最初に見た白い僧とは別に、様々な大きさの白い僧達がいつの間にか存在していた。何だか訳が分からないまま、翠は言われた方へとヨロヨロと歩き出した。後方から、あの白い僧のものと思しき不気味な咆哮と、炸裂音が聞こえていた。
 近くの塔の裏側に辿り着くと、翠はへたり込んでしまった。翠はなぜか眠かった。このまま意識を失ってしまえばどんなに楽であったろうか。しかし強力な好奇心がそれを許さなかった。翠は震えながら、恐る恐る塔から顔を出して今来た方を見返してみた。そこではほむらとマミが華麗に宙を舞いながら、白い僧を撃破している光景があった。翠はそれに美しさを感じた。

  ♢

 気が付くと、翠は公園のベンチに座っていた。いつそこに来て、いつそこに座ったのかの記憶は無かった。近くの街灯の光が斜めに差し込み、翠の左手に影を作っていた。その暗がりから声がする。
ほむら「もう大丈夫でしょ、行きましょう。」
マミ 「そうかしら、ちょっと心配なんだけど。」
 うすぼんやりとした意識の中で、翠はその声を聴いていた。その言葉の意味も、誰が発しているのかも、今の翠には理解出来なかった。
?  「彼女には資格があるからね。」
 翠の前方に、白いイタチのような生き物がちょこんと座っているのが、その虚ろな瞳に映った。
ほむら「止めなさい、キュゥべえ。」
マミ 「ほむらぁ、この子の家知ってる?」
ほむら「私が知ってる訳ないでしょ。見た事も無い子なのだから。」
 翠はほむらの「見た事も無い」と言う言葉に弾かれた。
翠  「そんな!」
 反射的に翠が立ち上がって口走ると、ほむらとマミは驚いて翠の方に目を向けた。
翠  「あの、私…」
 しかし、翠はすぐに口籠もった。自分にとっては特別でも、他人にとっては取るに足りないという事は多々ある事。今、正気に返った翠にはその事がすぐに分かってしまったのだ。急に沈黙し、がっくりと項垂れる翠。そんな翠を見ると、マミは少し頷くように首を動かし、翠に近付き優しく声を掛けた。
マミ 「一緒に私の部屋に来て。そこでお茶でもしましょう。」
 そしてマミは翠の手を取って、それを引いた。引かれるままに翠は歩き出した。マミはその光景を傍観しているほむらにも言った。
マミ 「ほら、ほむらも!」
 そう言われると、ほむらも仕方なさそうにそれに従った。

  ♢

 マミの住んでいるという所は翠の知っている建物だった。そのコンシェルジュ付きの超高級タワーマンションは立地条件の良さも相まって、そこいら辺の一戸建てなどよりも近隣住民達の憧れと羨望の的であった。翠が子供の頃からこの建物の中はどうなっているのだろうかと見上げる度に思い、そして一生涯それを知る事は無いのだろうと諦めていた場所でもあった。その高層階の一角のコンドミニアムがマミの言う〝部屋〟だった。翠は再び夢の中にいるような気分になった。言われるままに通された部屋はガラス壁から町の夜景が見え、趣味の良い調度品が広々とした空間に程よく配置されていた。翠にとってそれは正しく理想であった。
 翠が三角形のちょっと低めのクリスタルテーブルの一辺に座らされると、その別の一辺にほむらが座っていた。翠は今、自分があのほむらと同じ場所にいる事を不思議に思ったが、それ以上に嬉しさを感じていた。まるで学校の席替えで好きな人と隣り合わせになったような、そんな幸福感が沸いて急に愉快な気持ちになって来た。そんな翠は自分では気付けないまま、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらほむらを見詰めていた。当然の事だが不快に思ったほむらは、翠の方に顔を向けずに目だけを配せ、可能な限りに嫌悪感を乗せて言葉を発した。
ほむら「何か?」
 しかし当の翠には全くその意図は伝わらず、むしろ話し掛けられた事に喜びを与えるのみであった。
翠  「あの…有り難う御座います、助けて下さって。」
ほむら「別に…」
 ほむらは恣意的に視線を前に戻し〝あまり相手をしたくない、これ以上話し掛けないで〟感を全開にしてみた。しかし翠は靴に付いたガムのようにほむらに纏わり付いて来る。
翠  「あの、あの…さっきの事だけじゃないんです。今日のお昼休みの時にも暁美先輩に助けて頂いたんです。実際に助けて貰ったのは私じゃなくって陽子って子の方なんですけど…その、覚えていらっしゃいませんか?」
 それは、翠にとっては自分とほむらを結びつける素敵なイベントの一つであるのだろうが、ほむらにしてみれば余計な手間を掛けさせられた迷惑な出来事でしかなかった。大体、友達を救おうともせず傍観を決め込んでいる人間など、今のほむらにとっては軽蔑と嫌悪の対象でしかなかった。そういった弱い人間を見ていると、かつての何も出来なかった自分の姿を突き付けられているような気がして嫌なのだ。
 ほむらの苛立ちが頂点へと達し、辛辣な罵詈雑言を放つべくその顔が翠へと向けられた。しかしそれを見た翠は、無邪気にもやっとほむらが自分の方を向いてくれたと、安堵の念を抱いてすらいた。
 今まさに、ほむらの口から悪態が放たれようとしたその時、
マミ 「お待たせー。」
 と、マミがお茶とケーキを持って現れた。マミはまるで全てを見透かしたようにほむらの前にカップを置くと、じっとほむらに目を合わせて言った。
マミ 「アールグレイはイライラした心を落ち着かせてくれるのよー。」
 そしてニコッと一笑顔を入れてからお茶を注いだ。それでほむらはすっかり機先を制されてしまい、何も言う気がしなくなった。
マミ 「えーと、葉恒さんでしたよね。どうぞ、召し上がれ。」
 マミはケーキを翠の前に置きながらニッコリと笑って見せた。
翠  「あっ、有り難う御座います。おっ、お高そうなおケーキですね。」
 翠は舞い上がってしまい言葉が少し変になったが、マミは優しくフォローしてくれた。
マミ 「まあ、お高そうだなんてありがとう。これは私が作った物なのよ。」
ほむら「へっ!?」
 ほむらは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。マミはそんなほむらの方をチラリと見てから、誰に言うとなく続けた。
マミ 「私の両親はね、二人ともパティシエだったの。だから私も何となくなんだけど、少しでもあの両親に近付けたらなぁって、自分でケーキを作るようになったのよ。」
翠  「ごっ、御両親は、今は…」
 翠はつい反射的に聞いてしまったが、すぐに後悔した。文脈から不幸があったと推測され、そのような質問は差し控えるべきだからだ。翠には知る由も無いが、ほむらの翠に対する評価が更に下がっていた。
 マミは翠のカップに紅茶を注ぎながら話し出した。
マミ 「私の両親がね、独立して自分達のお店を出す事になったの。それでそのお店の落成式にね、車で両親と一緒に私も向かっていたの。そしたら交差点で、信号無視をして来た大型トラックに横から突っ込まれちゃってね。」
 マミは淡々と話しながら、最後に自分のカップに紅茶を注ぎ始めた。
マミ 「直感的にね、両親はもうダメなんだって分かったの。そして私自身もね、足の先から冷たくなって来るのが分かったの。ああ、このまま両親と一緒に死んでしまうんだなぁって。でも、私はやっぱり嫌だった。死にたくないって思った。まだやってみたい事がたくさんあったの。そしたらその時にね…」
ほむら「マミ!」
 ほむらはマミを制した。その目はこれ以上余計な事を言うなと語っていた。
?  「だから彼女には資格があるんだって。」
 翠は明らかに二人とは違う声がしたので、思わず後ろを振り向いた。確かに聞こえたし、その声も初めて聞いた気がしなかった。後ろから聞こえた気がした。しかしそこにはソファーがあって、その上に茶色いクマとピンクのウサギと白いフェレットのぬいぐるみが置いてあるだけだった。一瞬、翠はデジャビューを感じた。ソファーの向こうに誰かいるのだろうか、それともテレビか何かの音がしたのだろうか。
 翠は困惑しながらもゆっくりと前に向き直した。マミはニコニコしていたが、ほむらはあきれ顔をしていた。
 すると翠の右手後方からテーブルの上に白い小動物が乗って来た。翠は少し驚いて〝猫?フェレット?〟と思ったが、そのどちらとも違う事をすぐに理解した。その白い小動物はテーブルのほぼ中央に位置すると、翠の方を向いてお座りをした。
?  「やあ、僕はインキュベーター。キュゥべえって呼んでね。」
翠  「はあ…」
 翠は生返事をすると再びマミとほむらの方を見た。相変わらずマミはニコニコしていたが、ほむらは向こうを向いてしまっていた。
 翠は合点した。
 (そうか、マミさんは両親はいなくとも、きっと祖父母がお金持ちで御嬢様なんだ。それでその道楽として私はからかわれているんだ。きっとこの小動物も高性能なロボットか何かなんだ。だからほむらさんがさっきから不機嫌そうなのも、きっとその遊びに付き合わされているからなのだ。)
キュゥべえ「葉恒翠、僕と契約して魔法少女になってよ。どんな願いでも一つ叶えてあげるからさぁ。」
 〝魔法少女!?〟
 翠はその言葉を聞くと急に思い出した。あの不思議な白い世界を、白い巨人達を、華麗に戦うほむらとマミを。ついさっきの事なのに、あまりに非現実的であったから夢だとでも思い込んでいたのだろうか?しかしやはりあれは夢でも幻覚でもない、事実だ!
 翠は我に返ったように急に真剣な顔になった。そしてほむらの方を見た。だがほむらはそっぽを向いている。そこですぐにマミの方を見た。マミはやはりニコニコして翠を見ていたが、翠の視線を受けると右手の袖を捲りながら言った。
マミ 「まあ、これが証拠って訳でもないんだけどね。」
 マミの右手首の下には花のような形をした痣みたいな模様があった。それにはほむらも関心を持ったようで視線を向けて来た。それを見たほむらは少し意外そうな顔をしていたが、マミがそんなほむらに目を向けると、慌てたようにほむらの方が視線を外した。
キュゥべえ「まあ、すぐに答えを出す必要は無いよ。考えておいてよね。」
 キュゥべえはそう言うと、テーブルから降りて部屋を出て行こうとした。
マミ 「あら、もう行くの?」
キュゥべえ「うん、ちょっと別の用事が出来たようなんでね。」
 キュゥべえは何か含み有り気に言って、去って行った。
 翠は紅茶を一口飲んで、少し心を落ち着かせてから言った。
翠  「お二人は魔法少女なんですね。」
 その問い掛けにも、ほむらはそっぽを向いたままだった。
マミ 「ええ、そうよ。」
翠  「魔法少女とは…一体何なのでしょうか?」
マミ 「うん。あなた不思議な空間で白い巨人に襲われたでしょ。あれはね、私たちが魔獣と呼んでいるものなの。魔獣はね、憎しみや悲しみ、恨み、妬み、怒り…そういった人の負の感情が具現化したものなの。それでね、あいつらは時々、心が乱れたり弱ったりして隙を作った人間を自分達の結界の中に取り込んで殺してしまうの。だからそれを出来るだけ未然に防ぎ、魔獣達を倒しているのが私たち魔法少女達なの。」
 翠は目を輝かせ興奮し、テーブルに両手をついて乗り出すようにして叫んだ。
翠  「素晴らしい!正義のヒーロー…じゃなくて、ヒロインですね。カッコ良いです!」
 その時、上気した翠に冷や水を掛けるようにほむらは声を上げた。
ほむら「そんな甘いものじゃないの!」
 驚き固まる翠に、ほむらは続けた。
ほむら「魔法少女はね、戦いの中で死ぬの。御都合主義的に一方的に勝てる訳じゃないの。つい最近も一人死んだばかりだし、私もいつか殺されるの。実際、カッコ良くなんて無いの。過酷で悲惨なものなのよ、魔法少女って奴は!」
 ほむらは鋭い眼光で翠を睨んだ。翠の温まった心は一瞬で凍結され、翠自身に自分などでは務まらない大役であると思わせた。それは他人からあなたには出来ないと言われるよりも確実に、魔法少女になろうとする気を翠から削ぎ取った。
 だが、翠を救おうとするそんなほむらとは対照的に、マミには別の思惑があった。
マミ 「まあ、そうなんだけれど…」
 マミは優しい笑顔で翠を包み込んで言った。
マミ 「それはそれとして…私達はもうお友達よ、葉恒さん。」

  ♢

 あるビルの屋上から一人の少女が望遠鏡でマミの部屋を覗き見ていた。彼女はほむらのクラスメイトにして学年第二位の成績の御悟真理であった。真理はここ最近、ほむらの身辺を独自に調査していたのだ。
真理 「んー…。暁美ほむらが三年トップの巴マミと繋がっているのはいいとして、一体今日新たに現れたあの子は何者なんだろう。見た所一年生だと思われるが、一年のトップ鼎麻衣(かなえ まい)ではないようだし…」
 真理は望遠鏡を覗き込みながら独り言を言っていた。そこに真理の背後から声が響いた。
?  「他人んちを覗き見とはいい趣味してんな、お前。」
 真理はその言葉に弾かれるように後ろを振り向いた。そこにはパーカーを着た少女がポニーテールを風になびかせて立っていた。
真理 「きっ、君は誰かね?」
?  「そういうのって、まず自分から名乗るもんじゃねえの。まあもっとも、私の方も名乗られたところで、だから何だよってだけなんだけどさ。」
真理 「このビルのセキュリティーには見えないが…巴家の身辺警護でもしている者かね?」
?  「は!私がマミの警護?あいつなんざ私が守ってやる義理も必要もねーよ。でもよ、ちょっとデリケートな所をクンクン嗅ぎ回られるのは好きくないんだよね。」
真理 「何が目的なのかね?」
?  「はあ?そりゃこっちが聞きてえってんだよ、まったく。」
 パーカーの少女は手を腰に当てて身を前に乗り出し、挑発的なポーズで真理に迫った。二人の距離はそれ程近くはなかったが、その迫力に真理は気圧された。たじろいだ真理が屋上の手摺りに手を掛けると、その上に白い猫のようなものがいつの間にかにいて、その事に気付いた真理は更にぎょっとした。
キュゥべえ「やあ、僕はキュゥべえ。そして彼女は佐倉杏子、魔法少女なんだよ。」
杏子 「何だよ、キュゥべえ。余計な事喋んなよ。」
キュゥべえ「大丈夫だよ、杏子。それより御悟真理、君がとても気にしている暁美ほむらもあの巴マミも同様に魔法少女なんだよ。」
杏子 「おい!何そんな奴にペラペラ喋ってんだよ。止めろよ!」
キュゥべえ「止めないさ。だってこの子には資格があるからね。」
杏子 「ケッ!キュゥべえ、結局お前はやれるんなら誰でもいいってのかよ。」
キュゥべえ「まさか。魔法少女になれる素養を持った子なんて滅多矢鱈といるもんじゃないんだ。だから僕はそういった有資格者に出会えた千載一遇のチャンスには、可能な限りトライしていかなければならないんだよ。」
 腰が抜けたようにその場に座り込んでいた真理には、杏子が誰と話しているのか今一つ呑み込めていなかった。
キュゥべえ「さあ、御悟真理。僕と契約して魔法少女になってよ。そしたらどんな願いでも一つ叶えてあげるからさ。」
 真理は杏子とキュゥべえを何度か交互に見た後、少し余裕を取り戻して立ち上がり、望遠鏡を片付けながら話し出した。
真理 「はん!随分手の込んだ事してくれるものだね。まあそれにしても、魔法少女は無いんじゃないかな。そのあまりに非科学的で突拍子も無い発言が、却って相手をしらけさせ冷静にしてしまう事があると知っておくべきだ。でもまあ、よく出来てるとは思うよ。どんなからくりか私には解らないし、おまけにこっちの名前も知っているんだからね。いや実際大したものだ、負けたよ。確かに他人の家を覗くなんて犯罪だからね。素直に謝らせて貰うよ、申し訳なかった。」
 そして去り際に杏子の横で、
真理 「魔法少女だなんて…」
 と、捨て台詞のようにボソリと言った。
 杏子は真理を目だけで追った。そして真理が見えなくなると、キュゥべえの方を向いて肩をすくめて嬉しそうに言った。
杏子 「残念だったな。」
 だがキュゥべえは、尻尾をくるりと回すとそれに答えた。
キュゥべえ「そうでもないさ。」
 
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