真・恋姫†無双 劉ヨウ伝
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第175話 荊州の新たな主 前編
前書き
ちょっと少ないかもしれません
正宗軍は襄陽城を接収し、この地に駐屯していた。討伐戦によって治安が悪化した状況を憂慮した正宗は周辺地域の治安維持のために積極的に匪賊の討伐隊を編成し、戦に巻き込まれた民達への困窮対策のために豪族達から徴収した兵糧を活用した。
戦後処理で慌ただしい中で、正宗は劉琦に医者を引き合わせた。荊州内での蔡一族の影響力が無くなったとはいえ、蔡一族と関わりのある者達全てを一層した訳ではない。正宗は信用に足る医者を探すに辺り、従妹の美羽に相談した。美羽は彼女が抱える医者を紹介した。
「穗乃香、劉琦殿の病状はどうなのじゃ」
正宗とともに劉琦の元を訪れていた美羽は医者に声をかけた。美羽に声を掛けられた医者は美羽を一度見ると難しい表情をしていた。彼女の様子から病状はあまり芳しくないように思えた。
「医師殿、私の病について教えてくださいませんか?」
劉琦は医者に声をかけた。彼女の態度に医者は神妙な表情で劉琦のことを見つめた後、重そうな口をゆっくりと開いた。
「劉琦様のご病状は毒によるものと推察いたします」
医者は一瞬口ごもる仕草をするが、劉琦に平伏し自らの所見を述べた。それを聞いた劉琦は顔色を変えて悲痛そうな様子だった。劉琦に毒を盛った人物は容易に想像がつくからだろう。
「劉琦様の皮膚の白さ、手足のたこ状の変異から毒の種類は砒素かと。劉琦様に少しずつ砒素を盛り時間をかけて、劉琦様を病弱であると印象づけて」
その先を医者は語らず沈黙した。医者は荊州の生まれである。蔡一族が威勢が潰えたとはいえ、蔡一族の勢力を完全に排除出来たとは言えない。蔡一族を批判することを躊躇する医者の態度は非難できるものではなかった。
「劉琦殿を亡き者にしようとしていたということかえ?」
美羽は医者の沈黙を見て、医者の言葉を継いだ。医者は伏し目がちに主人の質問にゆっくりと頷いて答えた。
「私は蔡徳珪様が画策したかまでは明言できません。ですが、状況から見て蔡一族が関係していると見るのが自然だと思います。また、殺意がなければ砒素を使うはずがありません」
医者が謀反人である蔡瑁を敬称で呼んだことに気付くと「申し訳ございません!」と正宗と美羽に謝罪した。正宗は「気にするな」と声をかけた。
「劉琮に死罪を申しつけたこと正解であった」
正宗は劉琮を唾棄し怒りを顕わにしていた。それは美羽も同様だった。
「蔡瑁は兄様に毒矢を使い暗殺しようとし、その上に荊州牧の嫡女・劉琦殿を亡き者にしようとはあまりに卑劣。荊州牧の外戚でありながら、何たる恥知らずなのじゃ!」
美羽は声を大にして蔡瑁の名を呼び捨てにし猛っていた。
「穗乃香、劉琦殿の治療は可能なのか?」
美羽は怒りを静めると医者に質問した。その問いに医者は暗い表情で左右に顔を振った。
「清河王、劉琦様を保護されることを具申いたします。今はそれが最善かと思います」
医者は神妙な表情で悩んだ末に正宗に言った。
「当然のことだ。そのために保護したのだ」
正宗は即答した。
「そうではございません。劉琦様のお世話をする者達は清河王と太守様の息の掛かった者達を配置するべきだと申しております」
「どういうことなのじゃ」
先ほどまで怒り心頭だった美羽は冷静な表情で医者の方を向いた。
「劉琦様はかなり薄めた砒素を長期間に渡り摂取したと思われます。しかし、劉琦様の体調の変化に周辺の者が気づかなかったというのは解せません」
医者は言うべきか悩んでいる様子だった。
「先を進めよ」
正宗は医者に話を続けるように促された。
「荊州牧様はお気づきではないと思います。気付かれていたらこのような事態にはなっていないでしょう。しかし、劉琦様の周辺で諸事をこなす家人が気付かないとはおかしいです」
「それは蔡瑁が家人に命じて劉琦殿に毒を盛ったということか?」
正宗の問いに医者は口を閉じた。内容が内容だけに医者もはっきりと口にすることに抵抗があるようだった。
「穗乃香。兄様にはっきりと申せ」
美羽は厳しい口調で医者に言った。
「事実はわかりません。推し量ることしかできませんが、長期の間、特定の人物に毒を継続して盛るなど劉琦様と全く接点を持たない者には不可能でございます」
劉琦は医者の話に呆然としていた。自らの信じることができる存在が側にいないことに悲嘆し、あまりの喪失感から力が身体中から抜けたのだろう。
「劉琦殿が連れてきた家人の詮議が必要だな。劉琦殿、今から貴殿を余が保護させてもらう。身の回りの世話をする者達も余が用意しよう」
「それでしたら妾にお任せください。劉琦殿、妾の屋敷に逗留してください」
美羽が劉琦殿を思いやるように微笑を浮かべ劉琦に声をかけ、彼女の手をとった。劉琦は美羽に力無く頷いた。その様子を見ていた正宗は意を決したように口を開いた。
「劉琦殿、余に病を診せてもらえないか? 余は治療の嗜みがある。治療できる可能性があるなら力になりたい」
劉琦は心細い表情で正宗のことを見た。しかし、その表情は微かに正宗に救いを求めていた。医者が治療の見込みは無いとはいえ、生への可能性に縋るのは生きる者として当然のことだ。対して、医者は正宗の言葉に半信半疑の様子だった。医者には正宗が劉琦を治療出来るわけがないと思っているのだろう。
「劉琦殿、一度兄様に見てもらうといい。医術では無理でも、兄様の力で病が治るかもしれない」
医者は美羽の話についてこれない様子だったが、主人と劉琦の遣り取りを交互に見ていた。
「お願いします」
劉琦は正宗に頭を下げた。正宗は劉琦の了解を得ると彼女に近寄った。
「劉琦殿、失礼するぞ」
正宗は劉琦に声をかけると彼女の胸の中心に手を当て瞑目した。その直後、正宗の身体を神々しい光が身を包んだ。その光は徐々に劉琦に伝わり彼女の身体中を包んだ。
劉琦も医者も眼の前の出来事に驚いている様子だった。
三刻(四十五分)が過ぎた頃、劉琦の病的な白い肌に血色が戻ってきた。劉琦も自らの身体の変化に気付いたのか困惑した様子だった。
医者に至っては正宗の放つ光をただただ呆然と見つめていた。
その後、しばらくして正宗は目をゆっくりと開いた。彼は劉琦を見た。
「劉琦殿、身体の調子は如何かな」
「私は?」
劉琦は困惑していているのか状況を把握出来ずにいるようだった。
「医師殿、治療は終わった。劉琦殿の病状をもう一度診てもらえるか?」
「かしこまりました!」
医者は呆然としていたが正宗に声を掛けられたことに気付くと慌てて返事をした。
「ない!? これはどういうことだ!? 肌の色も!?」
医者は慌てふためいた様子で劉琦の診察を行いながら「ありえない」を何度も口にし独り言を言っていた。その様子に劉琦も病が治ったことを自覚しだしたのか感極まった様子だった。劉琦は瞳に涙をためた顔で正宗のことを見た。
「これは夢でしょうか?」
「夢ではない。現実だ」
正宗は劉琦に対して強く頷いた。
この後、劉琦は美羽の屋敷に逗留することになった。
劉琦の治療を終えた正宗は孫堅軍の本陣に泉と少数の供回りを連れて訪問した。正宗は直ぐに孫堅のいる天幕に案内された。そこには簡易の寝所があったが孫堅は起き上がっていた。彼女は両膝を折り平伏して正宗を出迎えた。孫堅の側には蓮華もいた。
「蓮華、母の看病か?」
正宗は蓮華の存在に気がつくと声をかけた。
「はい」
蓮華は正宗に拱手して返事した。正宗は蓮華から視線を天幕の隅に視線を一度向ける。
「車騎将軍、何か」
声をかけたのは孫堅だった。孫堅は視線を上げ正宗を見ていた。彼女が正宗に向ける視線に艶っぽいものが混じっていた。正宗は気付かない素振りをし咳払いをした。
「いいや。何もない」
正宗は視線を孫堅に向けた。
「孫文台、身体の調子はどうだ?」
「はっ! お陰様で命を取り留めることができました。車騎将軍には感謝のあまり、言葉がございません」
孫堅は底心低頭で正宗に礼を述べた。だが、身体の調子が未だ悪いのか身体の動きにぎこちなさを感じさせた。その様子を正宗は見過ごさず何か思うところがあるのか一瞬考える仕草をしていた。
「無理をするな。身体を休めていろ」
正宗は孫堅に言った。
「お気遣い感謝いたします。ですが心配無用にございます」
孫堅は正宗に力強く返事した。正宗はしばし平伏する孫堅を凝視した後、視線を逸らし誰もいない天幕の隅に視線をやった。そこには正宗が孫堅に褒美として下賜した銀が詰められた箱は詰まれていた。
「孫文台、心強い限りだ。褒美は届いているようだな」
「車騎将軍から賜った褒美有り難く頂戴いたします」
正宗はしばし孫堅を凝視した後、口を開いた。
「孫文台、孫伯符より既に聞き及んでいるな」
正宗は孫堅に視線を戻し何かを確認するかのように彼女のことを伺っていた。
「聞いております。軍規を乱し車騎将軍のお手を煩わせた身。謹んで車騎将軍の御下知に従わせていただきます」
孫堅は殊勝に声高に返事した。正宗は孫堅の態度を意外そうに感じているようだった。
「孫文台、長沙郡太守から更迭する」
「かしこまりました」
孫堅は正宗に拱手した。正宗は、それを確認すると一拍置き口を開いた。
「お前は失態を犯したが総攻めの切欠を作った。その功績は賞するに値する。よってお前を豫州刺使に任命する。豫州は黄巾の乱により戦火の傷が癒えず混乱している。豫州の民のために、その武を生かして欲しい」
刺使は州の監察を役目としてる。その官位は太守より低い。だが、太守からの付け届けがあるため実入りが良く出世コースといえた。ただし、太守のように軍を養うための経済基盤が貧弱ということだ。太守は郡行政の長であるため、郡の税収で軍を保有し維持している。
「謹んでお受けいたします。されど刺使では武をもって豫州の混乱を治めることは難事かと」
孫堅は正宗に言った。
「心配には及ばん。軍を維持にするための費用は冀州牧である余と南陽郡太守より支援する手筈となっている」
正宗と美羽が孫堅の後援となると明言したことに孫堅は表情を変えた。朝廷の意向を伺わずに豫州の治世に干渉しようという正宗の言葉は越権とも取られない行為といえた。だが、今の朝廷に混乱した豫州を安定させる力がないことも事実だ。
「朝廷はこのことをご存じなのでしょうか?」
「戦乱で混乱した豫州の地に刺使として下向するほど肝の据わった者はいない。それに豫州各郡の太守は現状維持で手が回る状況ではない。その証拠に士大夫達が荊州や他州に疎開している」
「しかし、名分がございません。刺使の身分で大規模な軍を動かすのは謁見行為かと」
「孫文台ともあろう者がその様な弱気を言うのか?」
正宗は笑みを浮かべ孫堅を見た。
「お前の申すことは一里ある。私は上洛を予定している。その時にお前を破虜将軍に上表する。これで問題はあるまい」
「車騎将軍、私に将軍位をくださるのですか?」
孫堅は思わず顔を上げ正宗の顔を見上げた。正宗が孫堅に都合する将軍位は雑号将軍ではあるが孫堅にとっては安くはない。そして、将軍位があればまとまった軍を合法的に運用できる。
正宗は孫堅の問いに頷いた。
「車騎将軍、孫文台は身命を賭し豫州刺使のお役目はたさせていただきます」
孫堅は武官から身を立てた人物である。その者にとって将軍位は格別なものなのだろう。彼女は感動している様子だった。
「お前にはこれからも励んでもらわなければならない。頼むぞ」
孫堅は正宗に拱手した。
「私が豫州刺使になれば車騎将軍のお役に立てるのでしょうか?」
孫堅は艶然として正宗のことを見ていた。
「私は朝廷の重臣として中原の安寧を望んでいる。司隷州に隣接する豫州の安定は皇帝陛下の治世の安定に寄与することであろう」
正宗は孫堅に当たり障りのない発言をした。それに孫堅は意味深な笑みを浮かべていた。
「車騎将軍の信任を得られるように頑張りたいと思います」
孫堅は正宗に拱手をし力強く答えた。
「頼んだぞ。話は変わるが。孫文台、身体の調子は完全に戻っていないようだな」
正宗は徐に言った。
「手足に痺れが少々残っております」
「そうか」
「指揮に支障はございません!」
孫堅は正宗に慌てて返事した。彼女は正宗が孫堅に将軍職を与えることを考え直すと思ったのかもしれない。
「身体を見せてみよ」
「えっ!?」
正宗の言葉に孫堅は頬を染め恥ずかしそうにしていた。
「母上、正宗様は傷を見てくださると言っているんです」
蓮華は態とらしい咳払いを一回して孫堅に声をかけた。孫堅は蓮華の言葉に一瞬呆けたていた。
「蓮華、お前に言われずとも分かっている!」
孫堅は声高に蓮華に言った。
「車騎将軍、私のような者の傷を見ていただけること感謝いたします」
「ついでだ。気にするな。治療しやすいように寝所に横になれ」
正宗は孫堅に言うと、孫堅は蓮華に肩を貸り寝所に移動した。蓮華は孫堅を治療しやすいように正宗のために椅子を用意した。
正宗は椅子に腰をかけると孫堅の身体を見ていた。
「気の流れの悪い箇所が大夫あるな。あの治療だけでは完治は無理だったということだな。どこまで治せるか分からないが出来る限りのことはさせてもらう」
「正宗様、ありがとうございます」
蓮華は正宗に心底感謝している様子だった。正宗は孫堅の右脚に手をあて瞑目した。正宗から神々しい輝きが発せられた。
その後、正宗は移動しながら孫堅の左右の腕や左脚を治療していった。その間、孫堅は正宗のことを熱っぽい眼で見ていた。それを傍目から見る蓮華は頭が痛そうに溜息をついていた。正宗は孫堅の雰囲気に気付きつつも至って冷静な様子で治療に専念していた。
「今日はこれくらいでよいだろう。孫文台、腕と脚の調子はどうだ。だいぶましにはなっていると思うが」
孫堅は正宗に言われ左右の腕を回したりした後に起き上がろうとした。蓮華は孫堅に駆け寄り肩を貸そうとしたが、孫堅は蓮華の助けを借りずに起き上がった。
「すごい! まだ痺れがありますが普通に生活する分には問題ないと思います」
孫堅は興奮気味に身体を動かしていた。
「母上、あまり無理をしないでください。正宗様、本当にありがとうございました」
そんな孫堅に蓮華は心配そうに声をかけた。
「これから私は黄承玄の屋敷に出向く用事がある。孫文台、お前は襄陽城に残りもう少し療養するといい。私が帰還する頃にもう一度診てやろう」
「黄承玄様の屋敷にございますか?」
蓮華が正宗に聞いた。
「黄承玄と約束していたことだ。黄承玄の夫と息子の件であろう」
正宗は重々しい表情で答えた。蓮華は合点がいった様子だった。
「蓮華、車騎将軍のお供をしてきな。車騎将軍、よろしいでしょうか?」
「別に構わんが。お前は良いのか?」
「全然問題ありません!」
「そうか。蓮華はどうだ?」
「私はできれば母の看病をしたいと思います」
蓮華は正宗に申し訳なさそうな表情で答えた。
「孫文台、そういうことだ。泉、では行くぞ」
正宗は孫堅に伝えると去ろうとした。孫堅は溜息をついた。孫堅は蓮華が側にいると息苦しいようだった。
「車騎将軍! お待ちください」
去ろうとする正宗に孫堅は呼び止めた。孫堅は両膝を着くと拱手した。
「孫文台、どうしたのだ?」
正宗は踵を返し孫堅の方を向いた。
「私の真名をお受けいただきたく存じます」
「良いのか?」
「是非にお願いいたします!」
孫堅は両膝を着いたまま一歩前に進み出てきた。
「孫文台、受けよう」
「私の真名は炎蓮です。私のことは炎蓮とお呼びください」
「炎蓮、私の真名は正宗だ」
「真名をお預けいただけるのですか!?」
正宗は頷いた。
「正宗様、ありがとうございます!」
孫堅は正宗に礼を述べた。
その後、正宗は孫堅と二言言葉を交わすと今度こそ孫堅の天幕を後にした。
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