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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第176話 荊州の新たな主 後編

「お。おお。俺の腕ががっ!」

 魏延の部下は震えた声で再生した自らの右腕を凝視していた。彼は一瞬でも眼を逸らそうとはしなかった。彼の周囲の者達も正宗の超常の能力に戸惑っていた。しかし、彼らは正宗に近づいた。

「清河王。お俺。私の腕も治せるのでしょうか?」
「心配せずとも治してやろう。焔耶の部下であれば、私の部下も同じだ」

 正宗は笑みを浮かべ答えた。魏延の部下達は声を上げ喜んでいた。その様子を側で見ていた魏延は目元を手で拭った。

「正宗様、部下達のことありがとうございます。この御恩必ずお返しいたします」
「焔耶、畏まることはない。お前はお前ができることで私の元で働けばいいのだ」

 正宗は焔耶を見ると彼女を思いやるように言った。彼の彼女を見る双眸は優しかった。焔耶は正宗の言葉に感極まったのか拱手した。

「正宗様のために命をかけて頑張ります!」

 焔耶を気合いの入った声で言った。正宗は焔耶の部下達を順番に治療していった。治療が終わると焔耶の部下達は喜び声を上げ互いに声を掛け合っていた。その様子を見て焔耶は部下に向かって怒鳴った。

「おいっ! お前等、車騎将軍にお礼を申し上げろ!」

 部下達は焔耶の声にびっくりし動きを止めた。焔耶が怒り心頭で睨みつけていたので、慌てて彼女の後ろあたりに座り、正宗に拱手した。

「車騎将軍、俺達なんかのために本当にありがとうございました!」

 全員が揃って礼を一斉に述べた。拱手したまま顔を上げた彼らの表情は本当に感謝しているのが一目でわかった。彼らからは正宗のことを尊敬を通り越し崇拝しているような雰囲気が感じられた。

「これからも頑張ってくれ」
「ここにおいででございましたか」

 正宗は焔耶とその部下達を労っていると、紗耶夏(黄承玄)と朱里が揃って正宗に歩み寄ってきた。彼女達は正宗に対して拱手した。

「紗耶夏、私の諸用は終わった。準備は整ったのか?」
「万事手筈は整っております」
「朱里、こちらの準備は整っているか?」
「正宗様、滞りなく」
「紗耶夏、行くとするか。朱里、留守の間頼むぞ」
「正宗様、お任せください」

 正宗が焔耶達の元を去ろうとすると、焔耶が正宗の側に駆け寄った。

「正宗様、私も連れて行ってください!」

 焔耶は拱手し正宗に願い出てきた。

「しばらくすれば荊州を離れることになる。その前に知り合いに挨拶をしなくても大丈夫なのか?」
「全く問題ありません! 挨拶は日を改めて行きます。なあ、お前達」
「ええ、姉御。俺達は大丈夫です。全然問題ないです」

 焔耶は凄味のある表情で部下達を見ると、少したじろぎながらも部下達が答えた。

「いいだろう。すぐに出向くが準備は大丈夫か?」
「大丈夫です!」

 焔耶は正宗に元気良く返事した。



 正宗は紗耶夏の案内で彼女の邸宅に向けて移動した。この移動には正宗麾下の歩兵中心の兵三千を連れていた。部隊の主将は泉(満寵)、副将に宗寿(蔡平)がそれぞれ任命された。供回りとして、伊斗香(蒯越)と秋佳(張允)、そして焔耶を伴った。

「この辺りはあまり戦火の被害が少ないようだな」

 正宗は広がる田園風景を見ながら紗耶夏に声をかけた。緑色の稲が勢いよく生えて辺り一面、気持ちのいい景色だった。正宗も表情が晴れていた。正宗は馬を止め、周囲を見渡した。

「はい。賊による被害は多少はありましたが、我が黄家は蔡一族とは姻戚関係にございましたので、それに家の者達を警邏として配しておりました」

 紗耶夏は一瞬言いづらそうな口調になるものの、正宗に説明した。紗耶夏の手配は豪商にして有力な豪族の手腕と頷けた。打てる手は出来うる限り打っておく。財力があるからできることだろう。ひどい地域だと、兵士達が難癖をつけて略奪を行ったり、違法な徴発を行っていたと正宗は報告を受けていた。正宗は対策として、現行犯である場合、その場で処刑することを軍規として定め実行させていた。他軍であっても、この地の軍の最高責任者は正宗である。自軍の兵士達と同じ軍規を適用して処刑していた。処刑した者達の首は見せしめのために街や街道に晒した。この行為は一定の抑止効果となっていた。

「紗耶夏、もう済んだことだ。お前が気負うことではない。私はお前の賢明な判断を評価している」

 正宗は紗耶夏に視線を向け、彼女に声をかけた。紗耶夏は正宗に黙礼した。

「正宗様、私は決断しましたが、恥かしながら私の考えではございません」

 紗耶夏は視線を正面に向け話し出した。

「ほう。知恵を授けたのは慈黄(鳳徳公)か?」

 正宗は紗耶夏の話に興味深そうに聞いた。紗耶夏はかぶりを振ると、正宗から視線を外し正面をいた。その瞳は過去を回想したのか哀しみを感じさせた。

「私の息子の意見です」

 正宗は驚きに表情を変えた。彼にとって予想外の名だったのだろう。

「お前の息子というと、黄月英がか?」
「はい」

 紗耶夏は短く返事した。

「私は正宗様は信じ切ることが出来ませんでした。恭順の意を示しても、その後、夫と息子を処断されるのではと不安でございまいした。ですが、何もせずにはいられず、出来うる限りの兵糧をかき集め、それを恭順の証としてお納めいたしました」

 紗耶夏は当時のことを思い出すようにゆっくりと語った。正宗は黙って聞いていた。

「その時、息子は私に申しました。逆賊の血筋は三族皆殺しだと。助命を得るには徹底した恭順の意思を示すしかないと。正宗様は慈悲深い方だと風の便りで聞いております。その方なら、筋目を通し慈悲を請う者を斬ることは決して無いと。私と夫は息子の言葉にかけることにしました」

 紗耶夏は当時のことを思い出したのか辛そうな表情を浮かべ視線を少し落とした。

「今思えば、息子の判断は間違っていなかったと確信できます」

 紗耶夏は正宗の方を向いた。正宗は小さい声で「そうか」と答えた。

「黄月英。お前の息子は英明で胆力のある人物のようだな。会うのが楽しみだ」

 正宗は紗耶夏から視線を正面に戻すと笑みを浮かべた。
 紗耶夏は彼が自分の息子に興味を持ったと感じたのだろう。彼女は安堵している様子だった。彼女は息子の言葉を信じ行動に移したのは間違いないだろうが、内心は不安だったのだろう。



 正宗達は一週間の道程で紗耶夏の屋敷についた。彼の屋敷は豪商の屋敷に相応しい広さだった。泉と蔡平は屋敷の周囲で警備の任についた。正宗は秋佳と伊斗香を連れ、紗耶夏の案内で彼女の屋敷に入ると突然犬が襲ってきた。
 正宗は一瞬たじろぎ、伊斗香が正宗の前に出て、腰の剣を抜いた。秋佳はおどおどしていた。そこに慌てて侍女が現れ、犬の側で近寄ると、その身体を触っていた。すると犬は急に大人しくなった。

「この犬は息子が作ったものです」
「作った。だと」

 正宗は困惑した顔でよく犬を見た。彼は犬の姿に違和感を感じたのか、伊斗香の前に進み出て犬の側に近づき、犬の身体を触りはじめた。

「正宗様、大丈夫でございますか?」

 秋佳は正宗を心配そうな顔で見ていた。

「これは木で出来ているのか!?」

 正宗は驚いた様子で言った。伊斗香も秋佳も正宗の言葉に興味を持ったのか犬に近づいた。

「これは実に木で出来ている」

 伊斗香は感嘆しているようだった。

「息子は手先が器用でして」
「器用だけではここまでのものは作れんだろう」

 正宗は木製の犬を凝視し、いろいろと触っていた。

「正宗様、このような場所では何でございます。奥へご案内させていただきます。この絡繰りは運ばせますので、後ほどゆっくりご覧くださいませ」

 正宗は紗耶夏に案内され、屋敷の奥にある一室に通された。部屋に入ると二人の男が平伏して待っていた。二人とも質素な麻の衣服を身に纏っていた。だが、髪は綺麗に整えられていた。この二人が紗耶夏の夫・蔡氏、そして黄月英だろう。
 正宗は二人の一瞥すると、部屋の奥に進んだ。正宗が用意された椅子に座ると、二人も顔を伏せたまま、正宗がいる方向にゆっくりと移動した。二人の動きが鈍かった。その様子を正宗は凝視していた。

「車騎将軍、拝謁の栄を賜り感謝いたします。親子共々助命いただき感謝のあまり、言葉もございません」

 平伏したままの初老の男が頭を伏せてたまま正宗に礼を述べた。

「礼は無用だ。戦の前に恭順の意を示した貴殿等を討つ理由はない。此度の討伐の褒美として、皇帝陛下にお許しをいただく」

 正宗は二人を許すことを明言した。彼の言葉を聞き、紗耶夏は驚いていた。彼がこれほどまでに自分に対して骨を折ってくれるとは思わなかったのだろ。蔡瑁討伐の勅を出した本人から恩赦を引き出せば、これに異を唱える者は誰一人もいない。

「感謝いたします」

 紗耶夏の夫も正宗の言葉に感謝している様子だった。

「貴殿の名を教えてもらえるか?」

 正宗は徐に紗耶夏の夫に名を訊ねた。

「蔡永文と申します」

 蔡永文ははっきりと名乗った。

「蔡永文、一つ問いたい」
「何なりと」
「私はお前の仇だ。恨みを捨てることはできるか?」

 正宗の厳しい目で蔡永文を見た。紗耶夏は表情を固くした。

「車騎将軍、恐れながら申し上げます。恨みを捨てることはできません。ですが、妻と息子のために恨みを忘れることを父祖の名に賭けてお誓い申し上げます」

 蔡永文はしばし沈黙した後、重々しく口を開いた。彼の苦悩した末の決断であることが、彼の雰囲気から理解することができた。妹が全て責があると理解しても、彼女の討伐軍の総大将である正宗を憎いと思ってしまうのだろう。

「その言葉に二言はないな」
「私は妻と息子のために生きねばなりません。そのために遺恨を忘れます」

 蔡永文は家族という単語を使わず、妻と息子という表現を繰り返し使った。それは彼の気持ちの表れなのだろう。

「相分かった。辛きことを聞き済まなかった」

 正宗は目を瞑り蔡永文に言った。

「車騎将軍のお立場はご理解しております。全ては愚妹の不始末、お気になさらないでください」

 蔡永文は沈痛な声音で正宗に答えた。しばし、正宗は蔡永文の様子を見ていた、彼の隣にいる少年に視線を移した。服から覗く首や掌の肌の色は浅黒く、髪の色は赤茶けていた。紗耶夏と蔡永文の間に生まれた子であるのに面妖に見えた。そのため正宗は沈黙して凝視していた。

「お前が黄月英か?」

 正宗は少年に声をかけた。

「はっ! 黄月英でございます」

 少年ははっきりと名乗った。彼は目を潰され、足の腱を斬られているにも拘らず、全くやさぐれた雰囲気は無かった。紗耶夏の言う通り、彼自身が紗耶夏にそうすることを頼んだのだろう。しかし、覚悟しているとはいえ、少年の身で惨き目にあっても気落ちしていないとは大した人物である。正宗もそう思ったのか興味を抱いている様子だった。

「お前の作った絡繰りを見せてもらっぞ。中々のものだ。あれ以外にもあるのか?」

 正宗は黄月英に世間話を振った。

「はい。趣味ですのであまり誇れるものではございません」

 黄月英は顔を上げ正宗に答えた。瞳は閉じられたままだった。正宗はしばし彼の顔を見て、目を伏せた。目が見えないことを確認できたのだろう。

「では、機会があれば何か作ってもらえるかな」
「目が見えぬ身ではもう無理でしょう」

 黄月英はあっけらかんと苦笑いをし正宗に言った。

「その目と足は、私への恭順の意として、お前が母に申し出て行わせたそうだな」

 正宗は真剣な表情で黄月英を見た。

「その通りです」

 黄月英も先ほどと違い真剣な表情だった。彼も正宗の声音の変化を感じ取ったのだろう。

「どうして、それで命が助かると思ったのだ?」
「車騎将軍の噂は荊州にも広がっております。華北の黄巾の乱を平定し、異民族達を服従させた武威。敵であった異民族達にすら情けをかけられる慈悲深さ。噂は大抵尾ひれがつくもの。確証はありませんでした。車騎将軍がお触れを出された時、先の噂が確信へと変わりました。慈悲に縋れば三族皆殺しの条理から見逃してくださると思いました」

 黄月英は穏やかな表情で正宗に言った。

「それを他の蔡一族達には教えなかったのか?」
「私の言葉に耳を傾ける蔡一族がどれ程いたでしょうか。手紙を出して知らせは致しましたが、彼らは理解はしたものの行動にうつせなかったのではないでしょうか? これは致し方の無きことでありましょう。それについて私は確信しました」

 黄月英は自嘲した笑いを浮かべた、その表情は物憂げな表情に変わった。

「権力を持つ者は自らの手にある力を手放すことは容易なことではないでしょう。くだらない。本当にくだらない。父には悪いですが蔡一族は滅ぶべくして滅んだだけです」

 彼なりに蔡一族を救おうと行動したのだろう。だが、それは徒労に終わった。

「もし、お前達二人の潰れた目と切れた足の腱を完全に治るといったら、お前は治療を望むか?」

 正宗は黄月英を凝視した口を開いた。黄月英は「はい」と言い深く頷いた。その返事には澱みながった。彼は正宗の力に期待して、この行動を敢えて行った。だが、頭で理解できても出来るもではない。

「私の力に何故気づいた?」
「叔母上が張允殿の顔に一生消えぬ傷をつけ、車騎将軍への使者として刺客を伴い送り出したと聞きました。その話を伝え聞き、私は叔母上を見限りました。この人に付いていけば、私達家族に待つのは滅びの道だと思いました」

 黄月英は父を余所に淡々と語りはじめた。蔡永文の様子から、この話は黄月英から既に聞かせされたことなのだろう。

「張允殿は誅殺されると思っていました。しかし、張允殿は殺されず助かりました。私の想像と裏腹に貴方様は刺客のみ誅殺し、張允殿を救い傷を治療し元通りにしたと聞きました。信じれませんでしたが、その噂を信じてみる価値があると思いました。父も母も、張允殿が助命されたからこそ、私の提案に納得してくれました」

 紗耶夏は着物の裾で涙を拭いていた。

「傷が治せるとは限らないかもしれなかったのだぞ?」
「そうであったとしても、命は助かったはずです。貴方様は私と父を救ってくださいました。貴方様は噂通りの御方です。それに生きていれば良いことはきっとあります。私は父にも生きて欲しかったですから」

 黄月英は屈託のない笑顔で正宗に答えた。その表情から悪意は一切感じられ無かった。

「黄月英。全て話してくれてありがとう。お前達の傷は私が責任を持って治療させていただこう。ただし、お前達には約束して欲しいことがある。お前達が荊州を離れるまでは傷が直ったことは伏せておくように。無用な嫌疑を他の者から受けぬようにだ。出来きるか?」

 正宗の言葉を聞いた紗耶夏は瞳に涙を溜めて口元を服の裾で覆った。

「その程度の苦労は問題ではありません」



 正宗は蔡永文と黄月英の治療を行った。二人の傷は無事に元通り治った。腱を切断した傷の跡も綺麗に消えていた。紗耶夏は感極まったのか二人と抱き合っていた。紗耶夏の抱擁を受けていた蔡永文と黄月英は正宗の元に進み出た。

「お礼の言いようもございません」
「本当に凄いですっ! どのような仕組みで傷が治ったのでしょうか?」

 黄月英は正宗の力に興奮している様子だった。

青葉(あおば)、車騎将軍に無礼ですよ! 佇まいを正しなさい」

 紗耶夏は息子を叱咤した。黄月英は我に返り、正宗に対して平伏した。紗耶夏も正宗に近づき両膝を着き拱手した。

「あまりの驚きで気持ちが高ぶってしまいました。恥ずかしいものをお見せして申し訳ございませんでした」

 黄月英は深く頭を下げて正宗に謝罪した。正宗は屈託なく笑った。

「よい。よい。月英、お前の機転が父を救ったのだ。そして、永文。良い息子を持ったな。月英を見れば、お前の人柄が分かる」
「お褒めいただき感謝いたします。再び妻と息子の顔を見れたこと、全て車騎将軍のおかげでございます。この御恩は終生忘れません」

 蔡永文は正宗に低身抵当頭を下げ礼を述べた。彼からは悪意を感じることはなかった。心の底から正宗に感謝しているようだった。 
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