真・恋姫†無双 劉ヨウ伝
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第173話 総攻め
早朝、孫権と甘寧が正宗の元を訪ねてきた。
「母をお助けいただきありがとうございました」
孫権は正宗に拱手し礼を述べた。
「気にせずともいい。用向きを聞かせもらえるか?」
正宗は孫権に聞いた。
「姉から子細を聞きました」
孫権は真剣な顔で言った。彼女の雰囲気から正宗は彼女が孫策から聞いた話の内容が孫権の仕官のことだろうと理解した。
「考えは決まったのだな」
「はい」
孫権は即答した。彼女からは迷いは感じられなかった。よくよく考えての答えであることがわかる。
「私が清河王に仕官すれば母の失態を見逃して下さるのですね?」
孫権は正宗への返答するなり、単刀直入に正宗に質問した。
「孫文台を長沙郡太守から罷免することは確定事項だ。しかし、お前が私に仕官すれば論功行賞にて城門を破壊した功績を鑑み、孫文台に新たな官職を用意することを約束する。お前と孫伯符が総攻めにて功績を挙げれば、それに応じた恩賞も約束する」
孫権は正宗の提案に深く頷いた。
「清河王、仕官のお話喜んでお受けいたします。ただ」
孫権は言いにくそうに口を閉じた。
「申してみよ。今日より君臣の関係となるのだ。遠慮せず申してみよ」
正宗は孫権に話をするように促した。
「一つお願いがございます」
孫権は正宗に恐縮そうに言った。
「願いか」
正宗は一瞬渋い表情をするも観念した表情になった。
「申してみよ」
「私が母の元を去れば、政治向きのことで不安があります。有能な士大夫をご紹介いただけませんでしょうか? 出来れば内政を滞りなく運営できるだけの文官を何名かご紹介していただきたいと思っています」
孫権は正宗にまとまった人数の文官の紹介を求めてきた。
「私が紹介する文官を側に置くことの意味は理解しているか?」
正宗は孫権を観察するように見ていた。
「存じております。孫家は清河王の傘下に入らせていただきます。臣下が主君より部下をご紹介いただくことに何ら不都合があるとは思えません」
孫権は正宗に澱みなく言った。正宗が紹介する文官ということは、その文官は正宗の息がかかっていることになる。孫家の人事を考えれば、正宗が紹介した文官は孫家の内政を担うことになるだろう。これは孫家の内情を正宗に完全に把握される恐れが十分にあり得る。
「孫仲謀、その考えはお前の考えか?」
「母と姉と私でよくよく熟慮し結論を出しました」
「孫文台と孫伯符は反対しなかったのか?」
「母と姉も賛成しました。私は以前から清河王に人材を紹介していただきたいと思っていました」
孫権は一瞬に言葉に詰まる表情をするも平静を装い正宗に答えた。正宗は孫権の雰囲気の変化を感じ取ったが敢えて口にすることは無かった。正宗にとって重要なのは孫権が納得して正宗に仕官することなのだろう。孫権は以前に正宗に人材の紹介を願い出たことは事実である。孫家内でどのような遣り取りがあったにせよ、彼女にとって人材を正宗から紹介してもらうことに異存は何らないはずだ。
「相分かった。喜んで文官は手配しよう」
正宗は孫権の意外な申し出に内心驚いているようだった。孫権は仕官する意向を伝えに正宗の元を訪ねたはずだ。こんな露骨な要求は孫権が考えないだろうと正宗は察しているようだった。だが、孫堅が自ら鈴を求めて来たのなら正宗は迷う必要は無かった。
「孫仲謀、私の真名を預けよう。私の真名は『正宗』だ」
正宗は孫権に言った。
「正宗様、謹んでお受けいたします。私の真名は『蓮華』です。私の真名をお受け取りください」
蓮華は正宗に真名を預けた。
「蓮華、よろしく頼む」
正宗の言葉に蓮華は頭を下げ拱手した。
「甘興覇、お前にも私の真名を預けたいと思うが受けてくれるか?」
正宗は徐に蓮華から甘寧に視線を移した。甘寧は突然のことに動揺していた。
「私でしょうか」
「甘興覇、お前しか居らぬだろう」
「私如きが清河王の真名をお預かりするなど分不相応かと」
甘寧は恐縮した様子で正宗に答えた。
「私の真名を預ける相手は私が決める。お前が恐縮する必要はない。私の真名を受けるのは嫌か?」
正宗は甘寧に対して優しい表情で見た。甘寧が蓮華に視線を向けると、蓮華は軽く頷いた。
「正宗様、真名しかと預からせていただきます。私の真名は『思春』と申します」
「思春、これからよろしく頼むぞ」
「ご期待に添えるように頑張ります!」
思春は正宗に力強く拱手して返事した。
「蓮華、孫文台の容態はどうなのだ?」
正宗は蓮華に孫堅の病状を訊ねた。
「傷は問題無いですが、まだ身体が思うように動かないようです」
蓮華は曇った表情で正宗に言った。正宗は思案した。大量の血を失った状況で傷を塞いだだけでは本調子には戻らないのかもしれない。
「乗りかかった船だ。戦が終わったら、孫文台の容態を見させてもらえるか?」
「本当でございますか! ありがとうございます」
蓮華は正宗に感謝した様子で礼を述べた。だが、少しして彼女の表情が不安げな表情に変わった。思い過ごしか甘寧の表情も少し不安気だった。
「孫文台に病状で気になることがあるのか?」
「いいえ、先ほどお話しした病状が全てです」
蓮華は慌てて不自然な笑顔で正宗に返事した。正宗は蓮華の様子に気にかかるものがあったが、それ以上何も言わなかった。
明朝、襄陽城へ総攻めの準備は忙しなく行われる中、正宗は襄陽城へ突入する兵達に招集をかけた。正宗は正宗軍と孫堅軍のみで襄陽城を陥落させる計画を立てていた。
現在、正宗は蓮華達と一旦分かれ、招集をかけた兵士達が待つ場所に移動していた。彼の後を泉と昨夜から合流した宗寿が付き従っていた。
「車騎将軍、どうか私を城に突入する部隊にお加えください」
「車騎将軍、是非総攻めに参加させてください」
「車騎将軍、我が義勇軍に先方をお任せください。必ず役に立ちますぞ」
早足で移動する正宗達を呼び止める者達がいた。身なりよい男五人と柄の悪そうな服装の男二人が互いに牽制しあいながら正宗に媚びた表情で近づいてきた。正宗は冷めた顔で彼らを見た。
「車騎将軍、私めを御陣の端にお加えください」
七人の男が牽制しあい睨みあいをする中、彼らを横切り男が進み出てきた。年の頃は四十頃、気味の悪い笑みを浮かべた身なりの良い男だった。正宗は足下から頭の上まで見た。身なりからして豪族だろう。彼の肥え太った外見から戦場の経験がないことは明かだった。
「足手まといは必要ない」
正宗は無視して立ち去ろうとした。泉と宗寿も正宗に続く。
「待ってくだせえ! 是非に我が義勇軍をお加えください!」
豪族をあしらい先を急ごうとすると、また別の一団がいた。どう見ても山賊としか思えない凶相の大男が荒くれ者五人を引き連れ正宗に拱手した。
「俺達は彼奴等のような役立たずじゃありません。必ず役に立ちます!」
大男は正宗達に追い縋る男達を嘲笑するよな視線を送ると正宗に自分のことを売り込んできた。
正宗は大男と彼に従う男達から血臭を感じた。泉も正宗と同様に大男達から危険な臭いを感じたのか無意識に銀槍を握る手に力が入る。
「武勇を誇るなら孫文台のように初めから余の元を訪ねろ」
正宗は静かな表情を大男を見上げた。大男は正宗の言葉に一瞬頭に来た表情に変わるが、彼を正面から見据える正宗の雰囲気に身体を震わせていた。正宗は大男の様子を見て興味を失ったように視線を移動した。
「貴様等もな」
正宗は後ろから着いてくる男達に言い終わると、沈黙する彼らを無視して立ち去ろうとした。
「車騎将軍、言い訳のしようもございません!」
正宗の言葉をかわし、先ほど振り払った気味の悪い豪族が手揉みをしながら近づいてきた。
「私は孫太守様の果敢な戦い振りに心打たれ、微力ながら朝廷のために戦いたいと思ったのございます! 是非に機会を賜りたく存じます」
その様子を見た他の者達も正宗に再び城への突入に加わらせて欲しいと求めて来た。正宗は嘆願をする彼らに苛立ちを覚えていた。
「勝手にしろ」
正宗は彼らに総攻めに参加すること許可し去った。正宗の背後からは参加できることを喜ぶ男達が礼を述べる声が聞こえた。
「正宗様、よろしかったのですか?」
しばらくして泉が正宗に声をかけてきた。
「構わん。あのような奴らは参加を許さなくても、隙を見て城に潜り込み略奪を行うはずだ。私の目が届いたほうが面倒がない。安心しろ。奴らには釘を刺しておく。私の指揮下で好き勝手はさせん」
正宗は意味深な笑みを浮かべ泉に答えた。
「正宗様、今回は」
宗寿は正宗に話しかけると言いづらそうに口ごもった。
「宗寿、襄陽城に居る者達は根切りにする。一人として生かして逃がす訳にはいかない」
正宗は重苦しそうな声で宗寿に言った。
「お前はまだ戦場の経験が浅い。気分が乗らぬなら参加せずともよい」
「いいえ。参加させてください」
宗寿はかぶりを振ると気丈な表情で正宗に言った。
「そうか。宗寿、お前の心構えは理解した。良く見ておくのだ」
正宗は宗寿のことを真剣な表情で見た。宗寿は正宗に「はい」と答え頷いた。
招集の場所には既に兵士達が集まっていた。遠眼に朱地に孫の文字が書かれた牙門旗が翻っていた。孫策が率いる孫堅軍である。孫堅軍は昨夜の奇襲で兵の損耗が激しかったが孫策が四千を率いることになった。
招集場所の中央には正宗軍が布陣していた。今回の突入のために八万の軍勢の中から二万を選抜した精鋭部隊を編成した。残りの六万は襄陽城包囲の任についている。
正宗は自軍の勇壮さを満足そうに眺めていると急に冷めた表情に変わった。彼の視線の先には不揃いの装備をした集団がいた。集団は彼らだけで無く、正宗軍と孫堅軍の周囲に疎らに小規模の集団が点在していた。彼らは先ほど正宗に総攻めに参加することを嘆願していた義勇軍だろう。義勇軍の集団は正宗の元を訪れた人間の頭数より多かった。参加の許可を取り付けた義勇軍の話を聞きつけて集まったのだろう。義勇軍の集団の総勢は少なく見積もっても五千ほどいる。
「屍肉に群がる蠅どもが」
正宗は義勇軍は義憤に駆られ参加しているとは思っていないようだ。既に趨勢は決まった段階での彼らの行動は正宗の読み通りだろう。彼は義勇軍の集団を一瞥すると正宗軍によって設営された壇上に向かった。泉と宗寿は正宗についていく。
正宗は威風堂々と壇上の階段をゆっくりとした足取りで上がった。壇上には主立った正宗軍の将達がいた。彼女達は正宗を確認すると彼に対して拱手し頭を下げた。
壇上に上がると星、滎菜、朱里、桂花、愛紗、孫権がいた。泉と宗寿はそれぞれ指定の場所に移動した。
正宗は家臣達の姿を確認すると壇上の中央に進んだ。彼は目の前にいる大勢の兵士達を見下ろすと息を大きく吸い込む。
「諸兵諸君、大義である! よくぞ集まってくれた。朝敵・蔡徳珪との戦いも今日で終わらせる。皆々、心を引き締めことに当たって欲しい」
正宗は厳かで覇気に満ちあふれた声で兵士達に語りかけた。正宗軍の兵士達は精悍な面持ちで彼の話しを黙って耳を傾けた。孫堅軍の兵士達も昨夜自分達の主君の窮地を救ってもらった経緯もあり、正宗に対して敬意の視線を送っていた。
対して急ごしらえの寄せ集めの義勇軍は、正宗の話を眠たそうに聞いている者、小声で会話をする者、下卑た表情を浮かべ正宗の話を聞いていない者、統率されている雰囲気は全く感じられなかった。装備品は当然ばらばらで山賊に毛が生えた程度風体であった。
正宗は壇上から遠目で義勇軍の様子を確認できたが別段気にすることはなかった。彼にとって義勇軍など数には入っていないだろう。
「皆に申しつけておくことがある!」
正宗は兵士達を見回すと一際大きな声で彼等に対して声を上げた。彼の声に義勇軍は驚いた様子が遠目からも確認できた。その様子を彼は一瞥すると視線を正面に戻した。
「襄陽城の城内における略奪は一切禁ずる!」
正宗は覇気に満ちた強い口調で叫んだ。その言葉を聞いた義勇軍は動揺している様子だった。
「この禁を犯す者達は何人であろうと死罪を申しつける。努々忘れる事無きようにせよ!」
正宗は義勇軍の様子などおかまいなしに話を続けた。彼の言葉に呼応するように正宗軍の兵士達は大きな声を上げ同意した。
対して、正宗軍の周囲にちらほらといる豪族達が率いる義勇軍からは不満気な空気を放っていた。
当時の攻城戦において敵城への略奪行為は普通に行われていた。今攻めようとする城は朝敵が篭る城である。義勇軍にしてみれば略奪し放題と考えるのは至極当然ともいえた。寄せ集めの義勇軍の兵士達の多くは略奪による実入りを見越して、今回の戦に参加した者達は略奪と城内の女が目当てだったのだろう。それは彼等の落胆の色からすぐにわかる。
正宗は自らの発言に賛同していない雰囲気を出す義勇軍が集まる場所を見渡す。
「余の命令に不服がある者達はここから去るがいい!」
正宗はそう言い再度周囲を見回した。彼の声に反論を示す者達は誰もいなかった。
「我らは官軍である! 賊徒の集団ではない! この一戦は皇帝陛下の御威徳を荊州に示すためのものである。正義の軍が匪賊に成り果てるなどあってよいのか! 皆の者!」
正宗が右手を掲げ正宗軍を鼓舞すると正宗軍の兵士達は主君に呼応するように力漲る声でかけ声を上げた。その声は辺りに響き、体の中まで響いてくる程だった。義勇軍は正宗軍の放つ迫力に気圧されていた。
「諸兵諸君! 余の名において許す。略奪を行う者に容赦はいらん! その場で殺せ! 貴賤を問わず匪賊の行いをする者は賊である。賊には等しく死を与えるのだ――!」
正宗は昂揚する正宗軍の兵士達に向け更に檄を飛ばした。
「敵を殺せ――! 賊を殺せ――! 敵を殺せ――! 賊を殺せ――!」
正宗軍の兵士達も正宗の言葉に呼応するように力強い声で応えた。義勇軍の兵士達は次第に恐怖の表情を浮かべ、最後は完全に沈黙していた。その様子を正宗は確認すると神妙な面持ちに変わる。彼は目を瞑り気持ちの整理をつけるように間を置くと口を開いた。
「これより襄陽城を攻める!」
正宗は腰から片手剣を抜刀し天に掲げた。
「皇帝陛下に栄光あれ――!」
正宗は兵士達全員に響き渡るような大きな声で彼等に叫んだ。正宗軍の兵士達は一糸乱れぬ動きで剣を抜刀し正宗に負けじと大声で叫んだ。それに遅れ義勇軍の兵士達も声を上げた。彼等からはやる気が失っているように見えた。
正宗は周囲を見回し兵士達の様子を確認すると踵を返し家臣を見回すと壇上より降りていこうとした。彼を追うように朱里が駆け寄ってきた。
「正宗様、良きご演説でございました。冀州軍の戦意は十分。蔡徳珪の首は今日にでも手に入りましょう」
朱里は正宗に小声で囁いた。
「豪族達と義勇軍には気をつけておけ」
正宗は朱里に指示を出した。朱里は正宗の言葉だけで得心した表情に変わった。
「完全に防ぐことは難しいと思いますが、ご期待に応えれるように行動いたします」
朱里は神妙な顔で正宗に答えた。彼女も豪族と彼らが率いる義勇兵が戦場のどさくさに紛れて匪賊行為を行うと見ているのだろう。
「襄陽城には平民もいる。死が避けられぬのであれば楽な死を与えてやりたい」
正宗は苦悩した表情を一瞬浮かべ朱里に言った。彼の言葉に朱里は感慨深い表情で顔を少し伏せ拱手した。
正宗軍は、前軍の将は星と愛紗、中軍は正宗、後軍は朱里と宗寿、長蛇の陣形で襄陽城に突入した。その後ろを孫堅軍、義勇軍が続く。蓮華と思春は正宗がいる中軍にいた。
蔡瑁軍の抵抗は思いのほか激しかった。城門を破られ後がないと理解した蔡瑁軍は東門に大半の兵力を集め防戦を試みた。これに対して正宗軍は盾部隊を前方に配置し長槍部隊による槍衾で蔡瑁軍を攻撃した。蔡瑁軍の後方から矢の雨が時折飛んできたが、統率の取れた盾部隊によって遮られた。
蔡瑁軍は序盤激しい抵抗を示したが味方に死者が出るに従いじわじわと押し出されていった。それでも蔡瑁軍は正宗軍を押し返そうと果敢に攻撃を仕掛けてきた。
「守る者がある者は強いな」
正宗は馬上より遠い目をして蔡瑁軍と前軍が衝突する付近を凝視していた。蓮華は正宗の視線の先を追ったがはっきりとは見えなかった。しかし、正宗が何を言わんとしているのかなんとなく理解できたのか哀しい目で正宗の見る方角に視線を向けた。
この期に及んでも蔡瑁軍が激しい抵抗を行なう理由は城内にいる身内のためだろう。正宗軍が東門を抜ければ、その先は身内が理不尽な暴力による餌食となる。だからこそ、彼等は命を賭して抵抗する。最早、蔡瑁のために命を賭ける者達は数えるほどしかないだろう。
前軍の後方に位置する長弓部隊から、蔡瑁軍の後方目掛け矢が一斉に放たれた。それに呼応するように盾部隊と長槍部隊が統率の取れた動きで盾の壁と槍衾を前へ前へと移動させた。長弓部隊は盾部隊と長槍部隊を援護するように間を空けずに矢を一斉に放った。
蓮華は正宗軍の整然とした統率された動きに感嘆していた。
「矢が連射されているように見えます」
蓮華は正宗軍の矢の運用に驚いていた。
「そう見えるだけだ」
正宗は蓮華は正宗に疑問に口を開いた。
「前軍の長弓隊は三隊編成だ。弓を放つ隊、次に弓を放つ隊、矢を番える隊と各々の隊が役割を順に変えながら矢を放つことで連射しているように見えているのだ」
「理屈ではそうですが兵の練度を維持するのは大変なのではありませんか?」
「それを実現するために専業の兵士を多く抱えている」
蓮華は正宗の言葉に驚いていた。この時代の兵士の主力は農民兵である。兵力不足を補うために傭兵を雇うことはあるが、専業の兵士を多く抱えることは少ない。理由は金がかかるからだ。専業の兵士となれば俸給を出さなければいけない。それを常時雇用するとなれば莫大な金が必要になる。
有力者であれば護衛のために子飼いの兵士を抱えたりするかもしれないが、その人数はたかがしれている。
蓮華は正宗の軍の運用方法と経済力に驚いていた。
「私は贅沢な生活など望まない。そんな金があるなら兵士の武器と防具、それに専業の兵士を増やす。地位があるから体裁は整えるがな」
蓮華が正宗を奇人のように思う視線を送っていたので正宗は自分の考えを吐露した。
「農民兵が役に立たないとは言わない。しかし、専業の兵士とでは忠誠心も心構えも違う。全兵力を専業の兵士のみで確保するのは流石に無理だがな」
正宗はしみじみと言った。
「母と姉も正宗様を見習って欲しいです」
蓮華は溜息をつき肩を落とした。彼女に視線を向けていた正宗が前方に視線を移動した。
「勝負ついたな」
正宗が呟くと彼の言葉通り、蔡瑁軍の動きが鈍くなってきた。前軍が勢いよく前に進み出す。
「泉! 兵を進めよ!」
「畏まりました!」
泉は正宗の言葉に反応するように兵士達に命令した。中軍の兵士達は抜刀し一気に走り出した。正宗達も兵士達と共に馬を走らせる。
正宗が襄陽城の中程に到着すると既に乱戦の状態にあった。辺りから剣撃と怒号が鳴り響く。正宗軍の兵子と蔡瑁軍の兵士が剣や槍を交え戦っていた。正宗軍が優勢であることは辺りに転がる遺体が蔡瑁軍の兵士ばかりであることからも容易に理解できた。
「死ね――!」
正宗に襲いかかる歩兵の一団がいたが正宗を守備する騎兵によって斬りふせられた。その様子を見た蓮華は目を逸らし表情を青くしていた。
その時、正宗を守る騎兵を押しのけ突貫を仕掛ける騎兵がいた。
「車騎将軍、覚悟――!」
騎兵は怒号を上げながら身体中に矢を何本も受け血まみれに成りながら槍を振り回し正宗に襲いかかってきた。正宗は双天戟で槍の一撃を軽々と受け流した。
「手出し無用ぞ! 思春、蓮華を下がらせろ」
正宗は騎兵を睨むつけながら背後にいる思春に命令した。
「は!」
思春は蓮華の馬の手綱を握り正宗から距離を取っていった。正宗は蓮華達が下がったの確認すると騎兵に向けて叫んだ。
「余は総大将・劉正礼! 貴様の名は?」
「我が名は蔡和!」
蔡和と名乗った騎兵は兜から除く顔は女だった。年の頃は二十半ば。意思の強そうな目をしていた。身体中から鬼気迫る雰囲気を放ち正宗を憎しみの目で睨んでいた。既に死を覚悟しているだろう。正宗は蔡和から目を一瞬足りとも目を逸らさなかった。
「悪いが生かして逃がすことはできん!」
「こちらの台詞だ!」
蔡和と正宗は互いが話終わるのを待たず動いた。蔡和は槍を勢いよく振り回し正宗に襲いかかる。正宗も蔡和と相対するため馬を疾駆させ突撃した。二人が交差する時、正宗は双天戟で蔡和を突く。蔡和も槍を突くも正宗の突きで槍の軌道が逸れ、正宗の顔の横を槍が空振りした。両者はそのまますれ違い走り抜けた。
正宗は馬の速度を落としゆっくり回転し蔡和の姿を追った。蔡和は落馬し石畳の上に仰向けに倒れていた。正宗は双天戟の刃先に一瞬視線をやると、刃先が血で汚れていることを確認できた。彼が顔を上げると蔡和が先ほどまで騎乗していた馬が、主である彼女の元にゆっくりと駆け寄り、心配そうに頭を下げていた。
正宗は騎乗したままゆっくりと蔡和に近づいていった。彼が蔡和を馬上より見下ろすと、蔡和は正宗を睨み付けていた。
「殺せ」
蔡和は正宗を憎悪の表情で睨んだ。正宗は蔡和の馬に殺気を放ち下がらせると馬から降り双天戟を置いた。
「言い残すことはあるか?」
正宗は自分を睨む蔡和を見て声をかけた。
「天下がおまえを称えようと私はおまえを呪ってやる! 呪ってやるぞ!」
蔡和は血を吐きながら、血の気が無い蒼い表情で正宗に憎しみに満ちた言葉を吐いた。正宗は何も言わずに剣を抜き振り上げ蔡和の首に突き立てた。蔡和は苦悶の表情に歪みながら正宗のことを睨み続け息絶えた。正宗は蔡和から目を逸らすことはなかった。
「許してくれとは言わん」
正宗は哀しい目で蔡和の死に顔を凝視した後、彼女の目を自分の右手で瞑らせた。そして、剣で彼女の首を切り落とし彼女の首を掲げて叫んだ。
「敵将・蔡和を討ち取ったり――! 蔡徳珪軍は弱兵の集まり! 恐れるに値せず!」
正宗の雄叫びに蔡瑁軍に動揺が走っているように見えた。蔡和は蔡瑁軍の幹部である証拠だった。正宗の戦果を聞いた正宗軍の兵士達は戦意が更に昂揚し、蔡瑁軍に激しい攻撃をしかけた。既に正宗軍の後軍も城内に入り各所で戦闘に移っていた。孫堅軍と義勇軍の兵士の姿も見えていた。
「車騎将軍!」
正宗は聞き覚えのある声を耳にした。剣戟の響く中で集団が正宗に向かって近づいてくる。騎兵達は警戒し正宗を守るように展開していた。集団の中から一人前へ進み出た。
「魏文長でございます!」
その名に正宗は表情を変えた。
「味方だ。槍を納めよ」
騎兵達は正宗の一声で槍を納め道を空けた。正宗は歩兵の一人に蔡和の首を預け、前に進み出ると魏延が顔を伏せ片膝をつき拱手し待っていた。彼女の背後には十人ほどの粗末な武装をした者達がいた。魏延も彼女に従う者達も身体中に傷だらけで中には腕を失っている者もいた。その姿から彼らが死線を潜り抜けてきたことは間違いない。
魏延の配下は正宗の姿を確認すると顔を地面に擦りつける勢いで平伏した。
「ここは戦場だ。平伏せずともいい。重傷の者もいるではないか。楽にせよ」
正宗の言葉に恐縮しつつ六人が重傷の者達を介護しだした。
「魏文長、よく生きて戻った」
正宗は感極まった様子で魏延に声をかけた。
「お約束を守ることが出来ました。城攻めまでに逃げることができず、車騎将軍にご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
魏延は片膝を着き正宗に拱手したまま顔を上げず答えた。彼女は正宗軍が先方として突入したのは自分のせいと思っているようだった。
「何を言っている! お前は私との約束を見事守った。誇ることはあっても恥じることなどない!」
正宗は魏延に近寄り両肩を掴んだ。
「有り難きお言葉」
魏延は身体を震わせていた。
「お前達、魏文長と共の者を簡単な治療をしてやれ。治療後は後方に下がらせろ。残りの者は私と一緒に内城に向かうぞ」
正宗は側の騎兵に命令を出すと自らの馬に近づいて行く。
「車騎将軍、お待ちください!」
正宗は魏延から呼び止められ振り向いた。
「車騎将軍、お預かりしておりました短剣をお返しいたします」
魏延は懐から剣を取り出し正宗に差し出した。正宗は剣を見てかぶりを振った。
「魏文長、それは受け取っておけ」
「このような高価な物をいただくことなどできません」
「お前は私との約束を守り死地より戻ってきた。その懐剣はその褒美だ」
正宗は魏延に言った。魏延はしばし短剣を凝視し正宗を見た。
「車騎将軍、これはお預かりさせていただきます」
魏延は正宗に近づき彼の前で平伏した。
「車騎将軍、お願いがございます! この魏文長を家臣にしてください! 身分賤しき身ですが車騎将軍にお尽くしいたします」
魏延は正宗に懇願した。正宗は魏延に近づくと腰を落とし肩に手を置いた。
「その言葉嬉しいぞ! 魏文長、この私の家臣となれ!」
正宗は嬉しそうに魏延に声をかけた。
「私の真名は『焔耶』です。よろしくお願いします」
「焔耶、私の真名は『正宗』だ」
「正宗様!」
魏延は心底嬉しそうに正宗のことを見つめていた。
「焔耶、お前は部下を連れ一旦下がれ」
「いいえ、できません。私の手下はここから下がらせますが私は正宗様から離れません」
正宗は苦笑した。
「無理をするな。傷の治療に専念せよ」
「大丈夫です。私は頑丈なのが取り柄ですから」
焔耶はそう言い胸を張るが苦悶の表情に変わった。しかし、直ぐに平静を装い痛みを堪え空笑いをした。
「大丈夫そうではないではないか。主の命が聞けんか?」
「滅相もございません。分かりました」
焔耶は面目なさそうに肩を落とすと正宗に謝った。
「孫伯符の家臣にございます。清河王、お取り次ぎをお願いいたします」
正宗が焔耶と会話をしていると喧噪の中、孫堅軍の伝令が現れてきた。
「何事だ」
「清河王、吉報にございます。敵将・蔡徳珪の首級を主・孫伯符が討ち取りました」
「真か?」
「確かにございます」
伝令は正宗に間髪入れずに答えた。
「孫伯符が蔡徳珪の首を上げたか」
正宗の表情は微妙な表情だったが自分に言い聞かせるように何度か頷いた。
「趨勢は決したな」
正宗は淡々と伝令の兵に言った。彼は視線を上げ遠眼に映る内城を見た。内城からは煙が上がり火の手があがっていた。その光景を正宗はしばし凝視していた。
「孫伯符に『見事だ』と申し伝えよ」
伝令は正宗の言葉を聞くと拱手し足早に去っていった。その後ろ姿を正宗は見送った。
「孫伯符が蔡徳珪を討つとはな」
正宗は感慨深そうに独白すると、周囲を見回し蓮華と思春を見つけ視線を止めた。蓮華は思春にもたれかかっていた。
「蓮華、大丈夫か?」
正宗は蓮華に近づいていった。
「大丈夫でございます」
蓮華は正宗の顔を見ると気弱な声で返事したかと思うと、気分が悪くなったのか口を押さえ背を向け吐いていた。思春は心配そうに蓮華の背中をさすっていた。正宗が蔡和を殺した一部始終を見ていたのだろう。初陣の蓮華にはきつい光景だったことに違いない。
「蓮華、お前の姉が蔡徳珪の首を上げたようだぞ」
蓮華は気分が悪そうだったが振り返り正宗のことを見た。
「それは本当ですか?」
正宗は深く頷いた。
「大将首を獲ったのだ。お前の姉が一番手柄だ」
「姉が蔡徳珪を討ったんですね」
蓮華は我が事のように嬉しそうな表情に変わるが直ぐに表情が優れないものに変わった。
「どうしたのだ。嬉しくはないのか」
「嬉しいです。ですが、」
蓮華は周囲を見回した。蔡瑁軍と味方の兵士達の骸が辺りに転がっている姿を見て暗い顔になり蓮華はそれ以上何も口にしなかった。正宗も蓮華の気持ちを察することができたのか何も言わなかった。
「蓮華、この光景をよく覚えておくのだ。そして、自分なりの答えを見つけよ。思春、蓮華のことはお前に任せる。私はこれから内城に向かう」
正宗は蓮華にそれだけ言うと去って行った。
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