トワノクウ
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トワノクウ
第二十九夜 巡らせ文(一)
前書き
雛 と 時鳥 の 問答
どこをどう歩いたか、あるいは飛んだか曖昧だが、とにかくくうは、小さな祠に寄り添う細い若木の前にいた。
まだ夜は深い。雑妖が活性化する時間帯だ。だが、くうは心の隅にもかけなかった。
一人になりたい。梵天たちにそう告げて、答えも聞かず遠出した。たとえ天座でも今のくうには触れてほしくなかった。
くうは祠の前に腰を下ろし、若木の前に上半身を倒した。銀の髪が散らばった。
考えるのは潤のことだ。
頭の中はぐるぐる、ゆらゆら。
先刻の惨事を再生するほどに脳が溶けていくような心地がした。
(どうしてこんなことになっちゃったんだろう――)
どうやっても思考はそこに着地する。感情のほうが、変えられもしない過去を探ろうとしてしまう。
「――の方」
ふと声が聴こえた。
「そこの方。天座の雛の方」
「……はい?」
天座に来てからの通り名で呼ばれたので、くうは億劫ながら起き上がって辺りを見回した。
「こちらです」
ポン。
音は目の前から。若木の前に人がいた。しかもただの人ではなく、八頭身デフォルメに近い感じだ。
その八頭身は水干に烏帽子と、明治からしても時代がかった格好だった。
「何ですか、貴方」
「私はここ一帯に根を張る樹精です。ご覧の通りの若輩ですが」
樹精ならば露草の同類のはずだが、彼とはずいぶん趣がちがう。
「見たところ貴方はずいぶん血を浴びたご様子。人の血は妖にとって毒となります。清めたほうがよろしいかと」
「はあ、ご親切にありがとうございます。でも、いいんです」
ドレスに付着した血は赤く固まってしまっている。くう自身の怪我ではないので再生力も働かず、ドレスが戻ることはなかった。
「これは私の大好きな男の子の血なんです。だからこのままにしておきたいんです」
やけに弾んだ声だ、と遠く思った。病んでいる、とも。
潤はくうを殺した。生き返ったとはいえ、殺したのだ。なのにくうは潤が恋しいまま。篠ノ女空の感性は狂っている。
「馬鹿を言ってるんじゃないよ。君のねじくれた恋心なんて問題じゃない」
後ろからの尊大な声に驚いてふり返れば、小さなキツネを先触れに、梵天が歩いてきたところだった。
「ご足労いただき恐縮です、梵天様。――ご苦労、今様」
キツネは駆け寄って彼に巻きつくように座した。
「雛一羽のために真夜中に天座の主を呼び出すな、と言いたいところだが、来てよかったよ。放置するには血を浴びすぎている。森の妖全てに毒だ」
くうは首を傾げた。確かに潤の血を浴びはしたが、あの時は露草とて触れたし、塔まで抱えていたのは空五倍子だった。
「姫巫女と同じく潤朱も神水を摂取していたようだね。ただの人の血ならともかく、神水まじりの血をそうも浴びてよく平気でいられるね。一応は妖だろうに――鳳の再生力のせいか」
梵天はくうの腕を強引に引くと、くうを肩に担ぎ上げた。俵担ぎだ。
目を白黒させるくうを、水干の人とキツネが見送っていた。
「近くの川で落としてもらう。清めないと塔の敷居は跨がせない」
「あ、の、これ、毒なら、梵天さんにも」
「俺は対妖のものが効かない体質なんだ。下手に暴れたら落とすよ」
暴れる気力などない。くうは運ばれるに任せた。
やがて着いた川の前。降ろされたくうは迷った末、ブーツと帽子だけ脱ぎ、ドレスのまま川に入った。しばらくは水流に任せてドレスから血を落とした。
続いてくうは水の中でドレスを脱いで、大きな岩に置いた。
裸に夜の水が冷たい。
梵天は近くの木にもたれて腕組みをし、仏頂面でくうの禊を見ている。見えて困る部位は水の下だからいいが、こうして血を落としながら心を落ち着けてみると、梵天に迷惑をかけたことが重くのしかかってきた。
(天座の主の客分が妖の害になりかけたんじゃ、梵天さんの面目は丸つぶれ。危ないとこだった)
そして、この状態のくうを担いだ露草と空五倍子に思いを致す。
「梵天さん、露草さんと空五倍子さんは大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないだろう。両名、禊の最中だ。だから俺だけで来たんだろうが」
「……ごめんなさい」
「反省したかい」
「……しま、した」
「ならいい」
沈黙が落ちる。気まずい。くうは顔半分を水に沈めてぶくぶくと気泡を上げた。
「一人で飛び出した理由、当ててあげようか」
顔を上げる。梵天は無表情のままこちらを見ていた。
「どうしてこうなったのか――それを考えていたんじゃないかい」
こく。くうは小さく肯いた。
「君は聡い子だ。それを考えてもどうにもならないことは、分かっているね?」
「……分かります」
原因を知りたいのは、知れば過去でさえ変えられると錯覚しているからだ。
本当に知りたいなら、くうは潤がああなった原因ではなく、潤がああした動機を探るべきだ。
そう理解できても、心が両者を混合する。なんにもなれなかった恋心が、変えられるものを求めて足掻く。
くうが黙り込んでしまっていると、
「――昔、萌黄に一度だけ聞いてみたことがある」
梵天が唐突にその名を口にした。
「――お母さんに? 何を?」
「俺と銀朱……菖蒲が出会わなければあんなことにはならなかったのか、と」
くうは気づく。梵天は己の例を提示してくうに納得を促している。
くうの心の整理が遅れたせいで、梵天に過去の傷を切開させてしまった。
「萌黄は『出会わなくてもいずれはああなっていた』と答えた」
梵天は思い出すように中空を見上げた。
「天網には人と妖の対立図がすでに出来上がっていた。俺達が仮に出会わなかったとしても、菖蒲と白緑は人と妖の頭目同士、いずれは殺し合った。結局はどちらかが、あるいはどちらもが死んで、破滅へ突き進んだんだ」
「お母さんが梵天さんにそう言ったんですか……?」
「言ったんだ」
梵天は薄く笑む。
「何が原因か分かっていたところで、この世の神ですら何かを変えることはできない。だからこそ、それを運命と呼ぶんだろうね」
あまつきの帝天はくうにとって自身の母親なので、くうの中にある神様像と一致しないが、梵天の言わんとすることは分かった。
神様にもできない。だから、考えるな。
「――ありがとうございます」
気づけばくうは、辛い過去を掘り起こしてまで自分を気遣ってくれた梵天に礼を言っていた。
ごめんなさい、も言いたかったが、せっかくの心遣いにそれは無粋。
くうが見上げると、梵天は驚いた顔をしていた。驚いていると分かったのは、くうの洞察力か、はたまた梵天が本当に感情をあらわにしたからか。
「……敵わないな」
「え?」
「独り言だよ。――気が済んだなら戻るよ。清めはもう充分だ」
くうは頷き、ドレスを川の中で着直そうと右腕を挙げた。
そして、気づいた。右手の甲に今までなかったものがある。
「これ、潤君のしるし……?」
逆さの水玉か丸い錨のような紅色の刻印。潤の手の甲にあったものだ。
くうは急いで水中でドレスを着て、ざぱっと川から上がった。
濡れたままだが、梵天は拭く物や着替えを用意してくれていない。塔に帰るまで寒いのは軽率な行動の罰だと考えよう。
ドレスの裾を何度か絞り、ブーツと帽子を回収してから、梵天のもとに裸足で駆け寄った。
「梵天さん、これ」
右手の甲を梵天に見せる。梵天はくうの手を取って刻印を見た途端、厳しく眉根を寄せた。
「彼岸人のしるし――潤朱が死んだからか?」
ずきん。潤の死をまた明確に意識する。
「単に死ぬと同類にそれを教えるのか、それとも……くう、潤朱の力を使えるかい」
「潤君の、ちから」
「あのピストルだ。付喪神だったろう」
「そうなんですか!?」
「なんだ、気づいてなかったのか。大方、坂守神社の蔵にでもあった妖絡みの品の一つだろうよ。不思議に思わなかったのかい。ホルスターもなく、どこからともなく現れる武器。弾数無制限。何よりあの肉塊を内側から吹き飛ばすほどの威力が、ピストル程度であるわけがない」
ずきずき。また、潤の死を思い出す。
「あのピストルが出せるかどうかやってごらん」
くうは右手の甲に集中し、頭に銀の銃身をイメージした。
「………………無理です」
「ふむ。となると単純に死を教えるだけのものか。問題は何故、彼岸人同士でそんな繋がりがあるのかだな。鴇時と篠ノ女にはなかったのに」
梵天は考え込んでしまう。くうは待ったが、冷えが回ってきて、一つくしゃみをした。
「――まあいい。とにかく帰るよ」
Continue…
後書き
梵天の前でシャワーシーン的な?
異世界で夜で相手は妖とはいえ、男の前で裸になれる辺りがこのオリ主の不用心なとこです。
まあそれだけ梵天を信頼しているということなのですが。
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