トワノクウ
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トワノクウ
第二十八夜 赤い海(四)
前書き
少年 の 死
くうが真っ先に気に懸けたのは、目の前で主人の壮絶な死を見た潤だった。
「潤、君」
目を見開いて肉塊――否、もはや肉柱となったそれを見続けている潤に、恐る恐る呼びかけた。だが、それ以上の言葉が出て来ない。
ちりーん。
『あわれ』
胸の辺りに火が点いた心地がした。
(あなたが、それを、言うの)
潤と銀朱の間にあった拗れも捻じれも、くうは知らない。だが、夜行は知っていて、それをあえて暴露して銀朱を死に追い立てたのは理解できた。
「銀朱さんは潤君といて『楽しかった』!」
くうは夜行に向けて強く断言した。
『根拠は何ぞや』
「――潤君の存在そのものです」
存在そのものが銀朱の闇だと夜行は言った。くうはそれに真っ向から反論する。
「銀朱さんほどの地位にあるからにはしがらみも多いはず。その銀朱さんが『独断で』、ただ一人、『潤君のためだけの』私設秘書官の地位をねじこんだ。普通そばにいてほしくない人のためにわざわざそこまでしませんよね」
『己がその男に与えた地位ゆえに姫巫女は狂った』
「だったら潤君から〝潤朱〟の称号を剥奪すればいいだけです。元々テコ入れなんですから誰も文句は言わなかったでしょう。潤君に取られた仕事だって自分がもう一回やればいいんです。そうしなかったのは、潤君にそばにいてほしかったからです。自分の居場所を失いかけても、潤君にいてほしかったから」
『そうできぬ弱さがあったとしたら?』
「……否定はできません。銀朱さんも人間ですから。でも、呪いに悩んでも姫巫女を辞めなかった人です。そうやって誰かを思いやる人が、後悔しながらも今日までわがままを貫いた。その例外を、あの人の潤君への気持ちの裏付けとして提示します」
今度、夜行は問い返さない。今度の意見には夜行が返すような粗がなかったのだ。
このまま論破する!
「銀朱さんはもういません。銀朱さんの真意を知る人もいません。真実は永遠に分かりません。だからこそ、銀朱さん自身が亡霊にでもなって否定しない限り、この仮説もまた一つの可能性です。遺された潤君には、これを信じる自由があります」
夜行はまるで値踏みするようにくうを見下ろしていた。顔を覆う一つ目の布越しにも不遜な視線を感じた。
やがて夜行は鈴を鳴らして消えた。
くうは身を翻し、膝を突いて項垂れたままの潤に歩み寄る。
「潤君……聞いてくれましたよね。潤君は悪くないんです。だから罪の意識なんて持たないで」
潤はゆるゆると首を振った。そして、今にも泣き出しそうな顔でくうの右手を握った。
「いつもそうだ。あの人を元気づけて励まして、少しでも明るくなてもらいたいと思いながら、あの人を誰より俺が追いつめていた。追い詰めると分かって俺はあの人から離れられなかった。ただ、俺自身のために」
「潤、君……?」
「ごめん、俺、篠ノ女のせっかくの仮説、信じてやれない。やっぱり、悪いのは全部俺なんだ」
潤が自分を責める訳が分からない。銀朱は自分自身の妖を憎む心から逃げられずに死んだのに。銀朱の闇は、銀朱自身が呪いの痛みと不遇に負けたから増幅されたのに。
「銀朱さんのことは全部自分のせいだと思っているの? 支えになれなかったとか気づいていたのにとか、そんな理由で?」
潤は答えない。無言は肯定だった。
「だから、だったの」
同時にくうは、潤が元は友人であるくうを傷つけることができた理由も心得た。
「私を平気で傷つけてみせることで、潤君は銀朱さんに取り入ってたのね。信頼させてさせてさせまくって、銀朱さんの隙間を埋めるために」
信義を示すために銀朱の目の前で妖を狩る。銀朱の前に例外は認められない。
――銀朱は他人にも己と同じものを憎んでほしかった。
妖を殺す人間は味方、殺さない人間は敵。
潤は、自分はあなたの味方だ、と主張することで銀朱を孤立させまいとしていた。妖なら誰でも殺せる、例え同じ彼岸人で友達だった女の子でも殺せる、と態度で示して銀朱を安心させようとした。
――ああ、それは、気持ち悪いほど身勝手な親切だ。
「――ばかね。本当に銀朱さんの心を照らしたかったなら、少なくともそれは妖の血に濡れた刃を提げたまますべきじゃなかったのよ」
「他に俺に何ができた……新参者の俺があの人を救いたいと思ったら……真朱様みたいにゆっくり時間をかけてなんてやってらんなかったんだよ」
なぜ成果を焦った。潤ほどの剣技とコミュニケーション力があれば、わざわざ銀朱に劇的な救いを与えずとも坂守神社に置いてもらえただろうに。
くうの問いは、重ねる前に肉柱が倒れてきて遮られた。
くうは潤を抱え、翼を広げてその場を逃れる。
接地するや潤は糸をなくした傀儡のように動かなくなる。
ふいに、くうの右手から潤の右手が離れた。
「ごめんな」
今まで、と続きはしなかった。潤は今しがたした何かしらの行為によって謝罪している。何に?
潤は立ち上がって駆け出した。どこへ行くというのか。潤は天座にも目もくれずに走っていく。
くうは追いかけた。
「総員に告ぐ!!」
潤が境内に立ち、巫女たちに号令を発しているところだった。
びりびりと鼓膜を震わす声。懐かしささえ感じる。楽研のライブで彼がボーカルになった時にこんな声を聴いた。
「今すぐ坂守神社を離脱! 通行証がある者は陰陽寮に保護を求めろ! ないなら自分の足で行ける限り遠くへ! ふり返るな! 生き残ることだけ考えろ! この場は潤朱が預かる! 行け!」
巫女たちから抗議の声が上がる。潤はその声一つ一つに否を返し、彼女らに逃げ延びるよう促す。そうする内に巫女たちも、段々と踵を返し、坂守神社の敷地を出て行った。
やがて無人になり、ようやく潤はこちらを振り向いた。
「潤、君? なに、を、する気なんですか」
自ら兵力を削ぎ、己一つであの怪物にどう立ち向かうのか。
潤はくうに答えず歩き出す。くうの横をすれ違う。
引き留めたくて、くうは背中から潤に体当たりして抱きついた。
「だめ、だめです、行っちゃだめ」
うわ言じみた懇願しかできない。
「篠ノ女」
場にふさわしくない落ち着き払った呼びかけ。
くうは強く潤の背中にしがみつく。予感が止まらない。離せば最悪の事態になる。
「ほんとはあの日、最後に観覧車にでも乗って言うつもりだったんだけど」
潤はふり返らず、正面の赤黒い肉柱を見据えて言う。
「俺、篠ノ女が好きだったんだ」
潤は乱暴にくうを突き飛ばすと、肉柱へと走り出した。
そこからのことは映画のように現実味がない。
潤は襲い来る触手をピストルで撃ち落としながら突進し、自ら肉柱に突っ込んで取り込まれた。肉柱はなおも躍り続けた。
潤がずぶずぶと沈んでから、時間にして一分も経たず、肉注が内側から破裂した。内部で何度も銃を暴発させたのだと分かった。
肉片や肉塊や粘液が境内に四散した。肉塊の中にいくつか知ったパーツを見た気がしたが定かではない。
その内、固いものが足元に転がってきた。
血でべっとりと汚れた、ワインレッドのスマートホン。
拾い上げた。死体のように冷たかった。
くうはスマートホンを握ったまま、ふらりと歩き出す。
どこへ行くかは知らない。潤の死臭がしない場所へ行きたかった。
そのくうを後ろから引き留める者があった。視界の端をよぎった緑毛から露草だと知れた。
くうは腕を振り回して露草から逃れる。再び歩き出す。
そこに二度目の拘束。くうは抗えず、露草を巻き込んでその場に座り込んだ。涙腺はとうに壊れていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
くうはせっかく引き止めてくれた露草をしっちゃかめっちゃか叩いた。手頃で当たり散らせるものなら誰でも、何でもよかった。とにかく泣いて喚いて八つ当たりを続けた。
恋した少年の形見を握ったまま。
Continue…
後書き
オリキャラ死亡の回でした。
原作では死んだ人いないので、こっちではバコバコやろうと決めました。オリキャラに限り。
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