戦国御伽草子
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参ノ巻
死んでたまるかぁ!
5
「ちっがーう!一体、何をどうしたらそうなんの!?」
あたしの怒鳴り声で、ぴちちち…と一斉に木から雀が飛び立ったのは、一週間後の朝だった。
偉そうに花見に行くわよ、と宣ったのに、直後あっさりとあたしは倒れた。一月半ずっと寝たきりで体力が限界まですり減ってる…っていうのをコロッと忘れていたのよね。抹をうんうん運んだり、惟伎高の壊滅的な料理の腕を見たのもあったのかもしれない。特に後半。あたしは惟伎高と抹に、叱られたり心配されたりしながら、布団から出ることを禁止された。そして惟伎高の目が光る中、大人しく…ばかりもしていなかったけど、あたしにしては概ねじっと体力の回復を待った。そして、七日も過ぎた晴れて今日、家主ならぬ寺主の惟伎高様から外出のお許しが出たのだった。
さてさて場所は石山寺の庫裏内、台所。三人とも襷掛けに髪も紐で結いあげ準備は万端、朝日が木々の葉を縫って柔らかく射し込み、ほっかりと炊けた玄米の湯気が食欲をそそる…。それは、のほほんとした朝の一幕の筈だった。…そう、惟伎高の、絶望的な料理オンチさえなければ。
「なんであんたは飯匙までお米と一緒に握っちゃうのよ!それはご飯を混ぜる道具!食べるものじゃないっ!」
「いや、でも、ほら、取っ手が出てるから持ちやすい…」
惟伎高は、飯匙がめりこんだ顔ほどの大きさの頓食を、鈍器のように振りまわしながら言い訳した。
「いやもでももないっ!何なのその大きさは!でかくすりゃいいってもんじゃないわよ!それに食べ終わった後のその飯匙どうすんのよ!邪魔でしょ!?持って帰ってくんの!?それともあんた飯匙まで食べる!?」
あたしがそう言うと、惟伎高はゴクリと唾を飲み込み、真剣な顔で頷いた。
「たべ、る」
「馬鹿ー!」
あたしは思わず手近にあった桶で惟伎高の頭をごいんと殴った。
こ、これは想像以上に先が長いぞ…。あたしは惟伎高をかってる方だと思うけれど、ちょっと考え直すべきかもしれない。天才と馬鹿は紙一重だと言うけれど、惟伎高は限りなく馬鹿寄りなんじゃないかしら…。もしくは、天は二物を与えずとはこのことなのか…。
あたしはぜいぜいと桶が乗っていた机に手を着いた。
横で、期待を裏切らない綺麗な頓食を作っていた抹が、はらはらとあたしたちを見ている。
「尼君様…」
抹は今日も美人だ。今日もって言うか、数日前に知り合ったばかりだけど。
「あぁ、抹、あんただけが救いよ~…」
勢いで抹に抱きつこうとしたあたしの腕はするりと空を切った。
目の前で、反射のように避けてしまった抹が気まずそうに口元に手を当てた。
忘れていた。抹は極度の恥ずかしがり屋さんで、触られるのを過剰に嫌がるのだ。
「…」
「…」
「…」
三者三様に黙り(惟伎高は痛みで声が出ないだけだけど)、その場に変な空気が流れる。
あたしは、ふっ、と笑った。
「抹、随分腕をあげたようじゃないの。このあたしを避けるなんて」
「いえ、尼君様、あの…」
「なーんてね!ふはははスキあーり!」
申し訳なさそうにおどおどとあたしに近寄ってきた抹の腕を素早く取り、そのままあたしは抹の懐に飛び込んで、ぎゅっと抱きついた。抹の方が背が高いから、どうしてもあたしが抱きつく格好になってしまう。抹は意外と体に脂肪がなくて、男みたいに骨張ってがっしりと引き締まっている。女としては少しぐらい円やかな方がチヤホヤされるし、抹自身が気にしているかもしれないから、言わないけど。でも健康的な体型のあたしとしては、結構羨ましい。最近色々気になって…。
「あっ、あっ、あっ、尼君様!?なりません!尼君様!」
わたわたと慌てている抹の様子が面白くてこっそりにんまり笑っていると、抹とあたしの隙間に逞しい腕がぐいと押し入った。そしてそのまま、べりりとあたしは抹から引き剥がされた。頭上で溜息が聞こえる。それが誰かなんて見なくてもわかる。ここには、あたしと抹の他にはもう一人しか居ないのだから。
「いき…庵儒!」
非難をこめて名前を呼ぶと、こつんと惟伎高の顎があたしの頭の上に乗る。
「油断も隙もねェな…ッたく、やめてやれ、ピィ」
「庵儒様…ありがとうございます…」
抹は震える声で惟伎高に感謝を述べた。
「抹、何度も言うようだけど、女のあたし相手にそれじゃ恋人が出来た時ど~すんのよ!今から慣れておかないと!じゃないとその内いっそのこと庵儒を嗾けムググ…」
「はいはい。他人の心配は良いから、早ェとこ弁当作っちまおうぜ。飯が冷めちまう」
「ぷはっ!誰のせいよだーれーの!時間がかかっているのは、誰かさんがマトモに頓食のひとつでも作れないからでしょ!?」
「うお、藪をつついたか…」
「誰が蛇よ、だーれーが!」
「蛇と言うより鬼…」
「ぬぅあんですってぇ~!?」
「あ、尼君様、僭越ながら…庵儒様は座主様ですし、人には得手不得手というものがございます。苦手でしたら無理をせず、食事を作るのは別の者に任せれば良いのでは…」
あたしは思わぬ横やりに角を引っ込めて抹を見た。あら。そうか、抹はここに駆け込んできたくらいだし、まさか石山寺にこいつ一人しかいないなんて思っても見ないに違いない。あたしだって聞いてぶっ飛んだぐらいだもん。
しかしあたしは抹の鼻先にずずいと人差し指を突きつけると、言った。
「ちっちっち、あまーい、抹!例え小坊主が何人居ようとも、何でも自分で出来て損はないはずよ。この戦国だったら、いくら寺の主と言えど、いつどこで焼き討ちに遭って一人彷徨うことになっても不思議はないわ。その時になって何にも出来ませんじゃ命に関わるのよ。これは庵儒のためでもあり、美味しい食事にありつけるかどうかと言う、あたしたちの問題でもあるのよ!わかった!?」
「あ、は、はい…」
抹はあたしに気圧されたように頷いた。
まぁ、惟伎高、と言うか石山寺の顔を立ててあげましょうか。誰もいないってバレるのも時間の問題だと思うけれど。むしろ一週間石山寺で暮らしててあたしたち以外の誰にも会わないことを不思議に思わない抹って…。
「そんで庵儒!あんたは花の乙女の体に、いつまで手を回してんの、よ!」
あたしは足下にある、一抱えほどの大きな盥をむんずと掴んだが、惟伎高は危険を察知してすぐさまあたしから飛び退いた。
「ピィ!それァダメだァろ!?」
「あたしは高いのよ」
「怖ェ女だァな…」
「何か言ったぁ?あ、ん、じゅ、サマ?」
「ナニモイッテマセェン」
「うふふ~一人前の口聞くのは美味しい味噌汁作れるようになってからにしなさいね?庖丁煮込んでいるようじゃ先は長いわよ!」
「便利かと思って…」
「なにが、どこが!?抹~聞いてたでしょ~この惨状を~お弁当が今日中に出来上がる気が全くしないよ~どうにかしてぇ~…」
「あ、尼君様…ええと…あの…」
…そんな感じで時間はあっという間に過ぎ去っていき、お天道様が真上に差し掛かろうという頃、やっと三人の渾身の力作は完成したのだった。
「や、やっと、できたぁ~…」
おべんとひとつにどれだけ時間かかっているんだか…。あたしはげっそりとしながらできたお弁当を風呂敷に包んでいた。腕組みをした惟伎高が隣でそれを覗き込みながら、ノンキに口を挟む。
「もうここで食った方が早ェんじゃねェかァ?」
ぬぅあにを~?人の気も知らないで!
「ばかっ!ここまで苦労して作ったんだから、今日は是が非でも外に出て食べるわよ!」
「ンじゃぁ、瀬田川のあたりまで行くかァ。桜が果てぬ先までずっと続いて、そりゃァ見事なもんだ」
「桜が…いきたい」
惟伎高にそう言われ、まだ見ぬ桜並木がぱあっと目の前に広がったようで、あたしはぽつりと素直な言葉を落とした。
惟伎高はちらりとあたしを見ると、無言であたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
…なんだかね、惟伎高は鼻がきくわよね。頭をぐしゃぐしゃにするのも、癖もあるかもしれないけど、今のは慰めてくれたのよね、きっと。
慰めて…あれ、あたし惟伎高に慰められるような気分だったのか。桜は好き。見に行きたいと逸る心も本当なのだけれど…うん…なぜか、そこには遠い悲しみが、ある。
とおく、とおく、何重もの紗に覆われた向こうに、心を震わせるほど深い哀哭がある、気がする。
何でかな。
散りゆく花をあはれと詠むこの国の心があたしの中にも粛々と息づいているのか、それとも別な理由があるのかはわからないけれど。
「よし、行くか。…輿、いるか?担ぎ手もいねェが…」
珍しく躊躇いがちに惟伎高が口を開いた。その声で、あたしは現実に立ち返った。
輿とは、身分の高い貴人が移動の際に乗る乗り物である。でもなんで、みんなでのんびり散歩に行こうという今そんな単語が出てきたのかわからなくて、あたしは目をぱちくりさせた。しかも外出時手軽に乗る馬、でもなく格式張った、輿。いや、前田家の総領姫に、佐々家の次期当主候補と考えれば輿を使う身分っちゃあ身分なんだけど…あたしは今惟伎高に助けられた得体の知れない女で、惟伎高はただの生臭坊主で…んん?
「え、輿?誰が乗るの?抹?え、そんであたしとあんたが担ぐの?」
あたしは意図がつかめなくて、ボケッと言った。その場面を想像したけど、間抜けだ、すっごく。朝からこんなに苦労して疲労困憊のあたしがなぜ更に人一人乗ったおっもい輿を担がなきゃあならんのだ。そもそも女が輿を担ぐなんて聞いたこともないぞ。まさかとは思うけど…あたしは惟伎高の中で男の一人に数えられているとか?そんな馬鹿な…。
しかし惟伎高はあたしからふいと視線を逸らすと意外なことを言った。
「抹じゃなくておまえに…いや、無用な心配だったみてェだな」
「あたし?」
聞き返している内に惟伎高はくるりと背を向けてすたすたと歩いて行ってしまった。
置いてけぼりのあたしはぽかんと惟伎高の背を見つめる。
今、惟伎高はあたしにって言った?言ったわよね?
抹じゃなくて、あたしに?
「…」
あたしはとことこと早足で惟伎高に駆け寄った。惟伎高は歩を緩めることなく、ずんずんと歩いている。横に並んだあたしに見向きもしない。
「ねぇねぇ惟伎高」
「…」
「ねぇねぇ」
「…」
「いっきー惟伎高ー庵儒ー庵儒様ー…」
「…」
「ねぇねぇ、そんなに速く歩いてると、抹が取り残されちゃうわよ?」
そう言うと、惟伎高の歩が緩んだ。そしてやっと、ちらりとあたしに目を移す。
やだーかわいい。惟伎高、顔赤い。
抹はいっつも真っ赤になってるけど、普段のらりくらりとしている惟伎高が照れるのはなか見れないわよ。
ぷすすす、と指さして笑うと惟伎高がヘソを曲げそうだったので、ごく普通ににこっ、と笑いながらあたしは惟伎高の顔を覗き込んだ。
「惟伎高、ありがと。嬉しかった」
惟伎高は目尻を赤く染めたまま、小さく頷く。
照れている惟伎高を面白く眺めながら、心の冷静な端っこであたしは思った。
浮かれてばかりも居られない。
輿。いきなりそんなことを言い出したのは、歩かなくていいように、ずっと寝込んでいたあたしの体調を気遣ってくれてのこと…と考えることもできるけど、多分、違う。
なぜなら。もしそうであるなら、惟伎高はきっともっと強く輿に乗るよう言っただろうと思うからだ。惟伎高は優しい。あたしが拒否さえしていないのに、こんなにアッサリ引く訳がない。
そして美人でか細い印象の抹と、ガサツで村娘にしか見えないあたしを横に並べられたら、普通は抹に輿を進めても、あたしを輿に押し込めようとする人間はまず、いない。そう、あたしを前田の瑠螺蔚姫だと知らない人間は。
つまり。
惟伎高は、あたしのこと、気づいているのかもしれない。あたしが誰なのか。どこの誰で、どんな身分なのか。
だから、輿なんてことを言い出したんじゃないだろうか。
いやー、何が決定打で気づかれたかはわかんないけど、流石は惟伎高。天晴れと言う他はないわ。神々しい噂飛び交う天下の瑠螺蔚姫と、このあたしを実際に結びつけるなんて。伊達に佐々の次期当主候補様じゃあない。
まぁ、それでも、気づいていても、知らんぷりしてくれている惟伎高は、やっぱり、優しくて、いい人なんだよね。料理は出来ないけど!
あたしはひとりでふむふむと頷いた。
そして、弁当の入った風呂敷包みを持ってやっとこ追いついてきた抹の右手と、惟伎高の左手をえいやっと握った。
抹は案の定がきんと固まり、惟伎高は一瞬驚いたように揺れたもの、振り解かずにそのままでいてくれた。
「んふふ~」
いやぁ、返す返すもいい人に拾われたな!
「あ、あ、尼君様~…」
あたしはご満悦でふたりの腕をぶんぶんと振りながら歩き出す。抹は弱り切った様子で声を上げる。
「まぁつ。手ぐらい、いいでしょ?そんなの気にせず、さぁ張り切ってお散歩お散歩!」
うん、良い感じ。元気に行こう!暗くなってばかりいたってだめだよね!
「庵儒は抹と手を繋ぎたかっただろうけど、そんなことしたら抹が散歩どころじゃなくなっちゃうから、あたしで我慢しなさい」
「あ、尼君様!?そのようなこと…」
「はいはい。わかったわかった」
いつものように抹はわたわたと慌て、惟伎高には適当に流された。
「むっ。なにそのおざなりな返事。むしろあたしと手が繋げてウレシー、ぐらいないの?」
「…」
あたしが唇を尖らせてそう言うと、ぴたりと惟伎高の歩みがとまった。ん?とそちらを向くと、やたら真剣な顔をしている惟伎高が居た。
何事だと思って目をぱちくりさせていると、ふいに惟伎高と繋いだ手が引かれた。抹の手がするりと抜け、あたしの腰に惟伎高の腕がまわる。何が起こったかよくわかってないあたしの頭は、しっかり密着した惟伎高の体をまず認識した。指が絡み合うように繋ぎ直され、惟伎高の顔があたしの頬の横に落ちる。互いの肌の熱がわかる距離。
ええ、ここで再確認しておきますけれど、この惟伎高って生臭坊主、男前なのよ。しかも、もの凄く。
「手、だけじゃなくて…」
ぼそりと耳元で囁かれた声に、背筋がぞわりとする。
どわー!なに、この雰囲気は!?イキナリ何が起こったの!?あたしはどうすればいいの!?んんんんん!?
あたしはその時混乱の極みに居た。しかし暫くすると、惟伎高の体が細かく震えているのに気づく。あっ、こいつ、笑ってる!それに気づいた瞬間、ばちりと頭が冷えた。
さっき自分が照れてたのを見られたもんだから、それの仕返しと、そういうことね?よーし、そっちがその気なら、あたしも容赦しないんだから!売られた喧嘩は買ってやる!あたしをおちょくろうなんてねぇ、百年早いって事、わからせてやるってぇの!あたしは覚悟を決めて唇を噛みしめた。
惟伎高が、戸惑いばかりだったあたしの様子が変わったのを感じたのか、ふいに訝しげに顔を離す。至近距離で目があう。あたしは睫を振るわせ、ふ、と緩やかに笑った。笑んだまま、顔をぐいと惟伎高に近づける。そのままだったら、口づけしてしまうところだけれど、そんなつもりは微塵もない。当然惟伎高が避けるのを想定してだ。
然して、予想通り惟伎高はあたしの変わり身に驚いて身を引いた。あたしは尚も顔を近づける。惟伎高はあっさりと身を崩し、ふたりで土手に倒れ込む。さぁてトドメだ。あたしは静かに…惟伎高のその脈打つ首筋にくちびるを落とした。
「ま、待て!わかった!悪かった!俺の負けだ!負けで良いから、離れェろ!」
時間にして瞬きひとつ分も持たなかったと思う。惟伎高は実に呆気なく降参した。
「ザマミロ!」
あたしは満面の笑みで身を起こした。次いで惟伎高が首元を押さえながら起き上がる。その顔色は、青くとも赤くともとれる。
「おっそろしい女だァよ、おまえは…」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
あたしはフンと笑って髪についた草を払った。
「おまえ未通女だァろ?よくやる…」
「まぁ、あたしに喧嘩を売るのなら、百倍返しは覚悟しておけ、ってことかしら?」
「骨身に染みたァよ…」
惟伎高は十年は老けたような顔をしながらのそりと立ち上がると、あたしのことも引き起こしてくれた。
「ありがと」
「しッかし危ねェ橋を渡るなァ。俺が僧形じゃなかったらどうなってたと思う」
「あんたが僧形でも僧形じゃなくても結果は変わらなかったと思うわよ?あたしこれでも人を見る目はあるつもり。引いてくれるのも想定の範囲内。あんた以外だったらあそこまでやりませーん」
「嬉しいような、嬉しくねェような…」
「素直に喜んどきなさいよ。信頼してんの」
「それァ…どうも」
「そいや抹は?おーい抹~」
蚊帳の外になっていた抹は近くの木の根元で、風呂敷包みを抱えて蹲っていた。
「あら抹。こんなところに。あたしが勝ったわよ?」
「勝ち負けの話だったのですか!」
抹が珍しく噛みつくように言って、顔を上げた。
あらら、真っ赤…。
「そー勝ち負けの話。仁義なき戦いよ。ね、庵儒?」
「いやはや…こちらの尼君の強さを再確認致しましたよ。驚かせてしまいましたね、抹殿。参りましょう」
だ、誰よ…。
「…あんたさ、もうバレてるんだから、抹の前でも普通に喋ったらどうなの?」
「おや、尼君殿、妙なことをおっしゃいます。こちらもわたしの普通の物言いですが?」
キランキランの笑顔が胡散臭い。
そりゃあ、「庵儒」としては普段そういう風に喋ってるのかもしれないけどさ。
「抹もそんな他人行儀な喋り方じゃない方が嬉しいんじゃないの?」
「はい。ええと、庵儒様が話されやすい方で、私は…」
「ですってよ?」
「そォか。ンじゃァ遠慮無く」
「てゆーかあんたが丁寧に喋ってるとあたしがなんかカユくって」
「失敬な」
「庵儒様も、抹殿ではなくわたくしがこのような口調では違和感があるのではないのですか?」
あたしはできるだけ色っぽくしなをつくりながら言った。即座に惟伎高がうぷっ、と口元を覆う。
「ぉおう…よくわかった」
「…素直に納得されるのもそれはそれでなんかムカツクけ、ど!」
あたしは笑顔で惟伎高の背を思いっきりどついた。
「いってェ、折れたぞこれ!」
「軟弱なお骨をお持ちだこと」
「…馬鹿力め…」
「もう一発欲しいようね?」
「俺の骨狙うより、前見ろ前!お待ちかねの桜だ。こっからどんどん数が増えてくぞォ」
「わぁ…」
惟伎高に指さされた先を見て、あたしは歓声をあげた。青空に映える桜の大木が、身を震わせ花弁をはらはらと落としていた。
綺麗…。
惟伎高も腕を組み満足げに頷く。
「おまえが寝てる間に盛りは過ぎたが、なかなかのモンだァろ?」
「うん。あたしこれぐらいが一番好き!盛りよりも、散り際の方が…」
「石山寺は花寺と呼ばれるほど四季折々の花が見事だと言われてェる。春は梅、夏は花菖蒲、秋は紅葉…境内のあちこちに植えられた桜はおまえも見てるだァろ?」
「うん」
「石山寺も、この瀬田川沿道も、長く参拝客の目を楽しませることができるよう咲く時期をずらした色ンな種類の桜が植えられているのさ。…この景色を見れない奴らは残念だ」
惟伎高は遠くを見ていた。人の心の移ろいは止められない。それは惟伎高もわかっているのだろう。それでも、この坊主は、訪いの絶えた寺の末路を憂えている。
「そうね…」
惟伎高の目線を追って目を眇めたけれど、あたしには惟伎高と同じものは見えなかった。
じきに視界は薄紅色一色になっていく。空の青と、桜の朱。道も、草の緑も、覆い隠すように全て桜色に染まっている。あたし自身もゆっくりと同化していくんじゃないかと思うぐらいに、乳白色が滲んだ光景は全てを塗りつぶしていく。
きれい…。
「ピィ」
遠くの方から、あたしを呼ぶ惟伎高の声がして、自分が桜に見惚れて立ち止っていたことに気付いた。
既にあたしを置いて先を歩いていた抹と惟伎高が戻ってくる。
「どうした、疲れたか?」
「ううん。ただ…桜が…きれいだと、そう、思って…」
あたしは再び桜に目をやりながらそう言った。
何で、声が詰まるんだろう…。泣きだす前みたいに。今、なにも悲しいことなんて起こっていないはずなのに…。
「尼君様…」
抹の声がして、手を握られた。なによ、惟伎高…と言おうとしたらなんとあたしの手を握っているのは抹だった。抹が、自分から、あたしに触れるなんて!青天の霹靂だ。必死であたしの手を掴んでいる抹の顔は真っ赤だったけど、どうやらあたしを慰めようとしていることが伝わってきた。
慰める…またあたし情けない顔してんのかな。抹がこんなことしてくれる程に。
その疑問はすぐ解けた。惟伎高が結構遠慮無く、あたしの頭に腕をまわし自分の胸に引き寄せた。なにするのよ…と藻掻いた時に気がついた。墨染めの色を変えながら染みこむ雫。あれ、あたし、泣いてる…。
そっか、情けない顔どころか、桜を見ながら泣いていたのか、あたし。自覚もなく。そりゃあ抹も心配する。
「…ここにいろ」
惟伎高が低い声でそう言った。
不覚にもあたしはそれにどきりとしてしまった。
いやいやいやいや。
惟伎高ごときに動揺するなんて、しっかりしろ、あたし!
「なに、それ」
心の乱れを誤魔化すように、あたしはわざと突っ慳貪に言った。
しかし惟伎高はあたしのその言葉には反応せず、幼子にするようにぽんぽんと優しく背中を叩いてくれた。
違うのよ、なんかあたし泣いちゃってるみたいだけど、別にそれは自分の意思で泣いているとかそういうことじゃなくて。なんだか勝手に涙が流れていたと言いますか。だから別にあたしは全然大丈夫なんだけども。
心の中でぐだぐだ言い訳をしていたけど、真剣に心配してくれている二人に悪くて、口には出さなかった。でも抹や惟伎高が思うほど、あたし悲しんでないのよ。ほんとよ。
だけど…理性とは違うところで心が叫ぶ。切ないと。桜は悲しい。美しくて、悲しい。
額を押しつけている惟伎高の墨染め、香の匂い…。ああ、いやだな…。墨染めと、桜。身を切られるほど、悲しいことがあった気がする。悲しくて、悲しくて…。
「…桜は好きなんじゃねェのか?」
惟伎高の言葉で、あたしは現実に立ち返った。
いつの間にか閉じていた瞳を薄く開け、ぽつりと言う。
「好きよ、すき…」
「ならなぜ泣く?そんなにも悲しそうに。おまえを見ていると、とてもじゃねェがそうは思えねェ。帰るか?」
あたしは首を振った。
「惟伎高、抹。ひとりに、して。ちょっとでいいから、ひとりになりたいの…」
「嫌だ」
「えっ!?」
まさか断られるとは思わず、あたしは顔を上げた。
「一人で泣くな」
惟伎高は、思いがけず優しい声でそう言った。
再び盛り上がってきた涙を隠すために、あたしはまた下を向いた。
惟伎高…ばかね、あたしがひとりにしてって言ってるのよ。あたしが、言っているのに…。
泣かせてよ、ひとりで。
「先に帰っててもいいのよ」
「おいおい、馬鹿言うな。抹が持ってるモンはなンだ?」
わざと戯けたように惟伎高が言って、あたしは今日の目的を思い出してぷっと笑ってしまった。
「…そうね、そうだったわね。朝からあんな四苦八苦したのに、何にもしないで帰ったらお弁当サマに怒られるわよね。しんみりさせちゃってごめんなさい。食べましょっか」
あたしは袖で涙をぐいと拭うとにっこり笑った。惟伎高はあたしの頭をくしゃくしゃと撫で、抹はあからさまにほっとした顔をした。
漆塗りの弁当を開ければ、ぴっちり俵型に握られたものと、形も大きさもてんでバラバラな頓食が所狭しと詰められていた。ちなみに香物と竹筒の水も持ってきている。
三人で、手頃な桜の下に座って、いただきますと手を合わせる。
「お、うまいうまい」
惟伎高は豪快に一番大きい頓食を頬張っている。
「味はね。あたしがしたから。味は、ね!」
「ピィ!おまえ抹が握ったもンだけじゃなくて俺のも食えよ」
「何言ってんの、ちゃんと食べてるでしょ!?食べてるけどあんたの掴んだ端から崩れるし、やたらでかいし、食べづらいのよ!もう!」
「そォかァ?こんぐれェでけェ方が食った気がするだろ、なァ抹?」
「あっ、は、はい」
「いいのよ抹、気つかわなくて。まぁ、あの地獄からの使者みたいな料理を生み出してたのに比べたら、食べ物にはなってるし…余計な物混ぜ込んでないし…及第点はあげてもいいかもしれないわ。あくまでお米握っただけだけどね!」
「よしこれでもう俺も完璧だな。水くれ」
「調子に乗らない!はい水。…ってあんたどんだけ飲むのよ!それしか持ってきてないんだからね!?抹なんて遠慮して一口も飲んでないんだから、ちゃんと残しておきなさいよ!」
「はいはい」
「あのう…お二人はご夫婦ではないのですか?」
「は?」
突拍子もない発言に、あたしと惟伎高は啀み合ってたことも忘れてぽかんと抹を見た。二人分の視線を受け止めて、抹はおろおろと真っ赤になってしまう。
「いえ、あのう…」
「夫婦って言った?このあたしと、こんな胡散臭い生臭坊主が?」
「胡散臭いとは随分だな!」
「こんだけ一緒にいて、お経のひとつも詠んでるの聞いたことない坊主なんて、胡散臭くないわけがないでしょ!いい、抹。それだけは、絶対にあり得ないから。あたしはもっと…甲斐性があってかっこいい人が好きなの!」
惟伎高がいい人だって事はわかってるけど、恋愛となれば話は別よ!
「庵儒様も充分男前で在らせられると思いますが…」
「ふん」
あたしは鼻で笑った。
大体ね、こいつ佐々家の次期主候補よ?前田の総領姫と、佐々の次期当主の婚姻なんて考えただけで問題が多すぎてくらくらしちゃう。
そんでこいつのこの懐が大きいが故の優しさ。優しいのはいい。いいんだけれども、自分の夫が自分以外の女にも同じように優しくしてると思ってみなさいな。そりゃあやきもきすることでしょうよ。一生気苦労が絶えないわ。そんなの絶対にイヤっ!
「ピ~ィ?随分な言い様だなァ?」
不意にぐわしと頭を押さえられて、わすわすと髪を遠慮無くぐしゃぐしゃにされる。
「なにすんのよー!」
「俺の妻に収まりたい人間なンて掃いて捨てるほどいるンだァぞ?」
「喜んでお譲りします。あ、抹なんてどう?こんな美人だし、あんたと並べば美男美女。子供が産まれれば相当な美人に…なに二人ともその顔」
あたしの言葉に、抹と惟伎高は顔を見合わせる。抹は困ったように笑い惟伎高はやれやれという顔をしていた。
「なによぅ」
あたしはくちびるを尖らせて問う。
「いや…むしろ抹とおまえがくっつけば話ははやいんじゃないか?正反対の性格のようだし、足して二で割れば丁度良い子供が産まれると思うが」
「あ…庵儒様!」
抹が真っ赤な顔で抗議したのを横目で見ながらあたしは考えた。
ふむ。確かに引っ込み思案で恥ずかしがりの抹と、跳ねっ返りのあたしは案外丁度いいのかもしれない。
「よーし抹、夫婦になりましょっか!」
あたしは最後のおにぎりを口に押し込み、食べ終わった弁当を片付け終わってから、素早く抹の腕をとって自分の腕と絡める。
あわれ抹は、口もきけない有様で火を噴きそうな程赤面してしまった。
ぷぷぷ。なーんで女の子相手でもこんなに真っ赤になってしまうんだか。
「ね、抹、返事は?」
あたしはぐぐいと抹に顔を近づけ、にっこりと笑った。
「そこまでだ」
にゅっと腕が割り入ってきてあたしは抹からべりりと剥がされる。あたしはいたずらをやりきれなかった不満で唇を尖らせた。なんだかいつもいつもいいところで、惟伎高は邪魔をするわよね!
「煽ったのはあんたのくせに…なに、あんたは抹を守る従僕か何かなの?」
「はァ、何でだ?どっちかってェ言うと…」
惟伎高は言葉を切るとあたしを見て、これ見よがしに溜息をついた。
「あまり男を侮るんじゃねェぞ。いくら外見がか細くたって男は男。おまえは女なんだからなァ」
「う、うん…?」
なぜかあたしが説教されて、当然その話の飛躍についていけず、よくわからないながらとりあえず頷いておく。
「どうも心配だァな。おまえはしっかりしているようで肝心なトコが抜けてるから」
「御言葉ですが、どこが抜けてるってのよ」
「そう言うとこがだァよ」
「だからどういうとこが…」
「ついてる」
へ、と思っていたら、惟伎高の指が伸び、あたしの頬に触れた。離れた奴の手には、ごはんつぶが乗っていた。は、恥ずかしい…この歳になってこどもみたいにほっぺにごはんつけてるなんて…。と思っていたら、なんと惟伎高はとったご飯粒をそのまま食べた!そしてあたしに視線を合わせたまま、にやりと笑う。それが色っぽいというかなんというかで、あたしは恥ずかしさと相俟ってさっと頬が赤くなるのがわかった。
な、な、何なのこの男…!
「あんた今日ちょっとおかしいんじゃないの!」
「ふン?」
あたしがきゃんきゃん吼えても、惟伎高はにやにや笑うだけだ。
い、いけない…あたしは自分が恋愛経験少ないってこともわかってるし、このテの話に弱いって事も重々承知だけれども、本格的に惟伎高にそれを悟られてしまったら、一生こういう感じで遊ばれてしまうわ!極力動揺しないようにしなきゃ…なんかもう手遅れな気もするけど!
そんなこんなで、花より団子を満喫したあたし達はぎゃいぎゃいと騒ぎながら石山寺に戻ってきた。
門をくぐろうとあたしは何気なく胸元を押さえて、青くなった。
ま、勾玉がないっ!やだ、また落としたんだ!
「おい、ピィ!?どこ行くんだ!」
「ごめんっ、先に夕餉の準備しといて!」
あたしは走りながら振り返りもせずに言った。
どこ、どこ…!?もうやだ、なんでこんなに落とすんだろう!
あたしはきょろきょろと周りを見ながら、元来た道を戻った。
幸運なことに、門から五十足ほど離れた小柴垣の横に勾玉はひっそりと転がっていた。
あたしは見つけられたことに心の底からほっとして、それを取ろうと手を伸ばした。その、時だった。
「危ないっ!」
「えっ、きゃああ!」
何が起こったのか、一瞬わからなかった。
鋭い声にそちらを向けば、至近距離に馬の足が見えた。勾玉しか見えていなかったあたしは、道の真ん中で障害物のようにしゃがみこんでいたのだった。咄嗟に両腕で顔と頭を庇う。
けれど、覚悟した衝撃はこなかった。かわりに、苦しそうな馬の嘶きと、どたん!という激しい音が聞こえた。
や、やだ…。あたしを避けようとした通りがかりの誰かを、あたしは落馬させてしまったようだった。とりあえず無事か確かめるために顔をあげようとしたら、その前に向こうが喋った。
「いっ…てて…。尼君様、お怪我はありませんか?」
えっ!
覆った腕の下でさっ、と顔色が変わるのが自分でもわかった。あたしは顔を伏せたまま、動けない。
ま、待って、まって…この声は…。
「尼君様?」
間違いなかった。
たか、あきら…。そっとあたしは呟いた。
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