戦国御伽草子
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参ノ巻
死んでたまるかぁ!
4
「叉羅抹と申します」
そう、目を覚ました女は名乗った。
「抹、とお呼び下さい」
艶めく髪をさらりと一筋頬に流して抹は濡れたような瞳を瞬かせた。面差しは窶れ暗い影を落としては居るが、それがまた薄幸の美人という風情を醸し出している。
・・・なんというか。
どうしてこう、あたしのまわりってどいつもこいつも顔が良いんでしょうか。惟伎高然り抹然り。もう、やるせないわ!
なーんていう僻みは横に置いておいて、あたしはするりと惟伎高を見上げた。
ぐうぐう眠っていた惟伎高を押しのけて引きずってきた抹を寝かせたのだが、体力の限界がきていたあたしがうっかりふらつき倒れ様、惟伎高の鳩尾に肘から倒れ込んだから、いや何と言うか大惨事だった。惟伎高は未だにお腹のあたりを押さえている。いや、あの・・・本当に・・・スミマセン・・・。わざとじゃ、ないのよ。うん。
おかげで今は抹とあたしが仲良く枕を並べて横になっていた。惟伎高もそこに加わらなかったのは、男の矜持とでも言うべきか。
「座主の庵儒と申します」
惟伎高はぴんと背筋を張り阿闍梨もかくやあらんとばかりに厳かに言った。袈裟を纏っている訳でもないし、肩下まである髪もそのままでぱっと見は浪人のような外見なのだが、不思議と頭を垂れそうになる威厳のようなものがあった。
でもちょっと何よそれは!いつものダラッとした惟伎高はどこ行ったのよ!訛りも綺麗に姿を消している。
そんであんた座主じゃないでしょー!?この前座主は別に居るって言ってたわよね!?
「庵儒様・・・」
あたしが呆れ果てて居る一方、隣の抹は完璧に毒されて、感に堪えないように言葉を震わせた。そしてほろほろと涙を落とす。その様は、柳に雫が伝うような静かな美しさがあった。美人は泣き顔も絵になる。
「お願いが御座います」
「聞きましょう」
起き上がり唇を震わせながら両手をついた抹に、心得たとばかりに惟伎高が頷く。そうして抹は言った。
「私を、僧にして頂きたいのです」
「わかりました」
えっ、そんなアッサリ!
あたしは驚いて惟伎高を見た。抹が、尼じゃなく僧って言ったのは混乱しているからだろうけど、もしくは尼僧って言いたかったのかもしれないけど、見たところ二十歳ぐらいのこんな美人が、枯れ果てた女の掃き溜めみたいな尼になろうって言うのよ!?世の男にとっては損失もいいところじゃないの!ここは断然、止めて然るべきだ。
「しかし抹殿、お身体を治される方が先決です。焦らずとも仏は逃げますまい。故にそのお話は元気になられてからまた致しましょう」
惟伎高は優しくそう続けた。
抹は一瞬不安そうな顔を惟伎高に向けた。一刻も早く剃髪したいとその顔が言って居た。何があったんだろう。こんな美人が。変態親父に嫁げとでも言われたんだろうか。
「ここは天下の石山寺です。ここにおられれば、何人たりともあなたを傷つけることはできません。わたしを信じて頂けませんか?」
なぁにが天下の石山寺よ。大和国のナントカ寺ってとこに金ヅルみぃ~んなもってかれたんでしょうが。まぁ確かに・・・名前だけは・・・ムムム・・・有名だけれども。
「そんな、もちろん信じます!」
抹は反射のようにそう言ってから、力なく口を閉じた。そして、肩を落として「庵儒様のお心のままに・・・」と言った。
「では、私はこれで」
「えっ」
惟伎高は用は済んだとばかりすっと立つと、あたしの制止の声も聞かず、きびきびと迷い無く部屋から出て行ってしまった。
なによあいつ!なんかあたしと叉羅抹に対する態度違いすぎない!?
格好つけてるわよねー。格好つけしーよ。抹が美人だからっていいとこ見せようとしちゃってるんじゃないの?
あーやだやだ。これだから男ってヤツは。
いくら一夫多妻制の世だからって、綺麗な人と見るやあっちにふらふらこっちにふらふら。女の子の気持ちなんててんで無視。
女の子がね、黙って耐えてるのは黙認しているからじゃないの。辛い気持ちを他でもない好きな男にわかって欲しいからなのよ。なのに、なんにも言われないのを良いことに側室ばっか増やしてく男ども!父上だってあの浮気性でどれだけ母上達を泣かせたことか。
今の世の常識じゃあ、女は何も口出さず男に黙ってついて行く、ってのが普通。
でも、あたしはそんなの真っ平ゴメンよ。
女に産まれたからって、なぁーんで男に黙って従わなきゃならんのだ。アホらし。毎日毎日、夫にがなりつけられて暮らすのなんて怖気がするわ。
…ここまでくると、なんだか話ずれすぎって気がしないでもないけど。
女だって、もっともっと、胸張って生きて良いはずよ。
「ねぇ、そう思うでしょ、抹!?」
「え?あ、は、はい…」
「あら、ごめんあそばせ。ついね、熱くなっちゃって。あはは…」
あたしが誤魔化すように空笑いしていると、抹がおずおずと声を掛けてきた。
「尼君様・・・ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「ん?なぁに言ってんの。迷惑なんて何もかけられてないわよ」
「ありがとうございます・・・」
力ない声が気になって、あたしは抹に向き直った。
「ねぇ、どうして出家なんてしたいの?そんなに若くて綺麗なのに」
「・・・綺麗、ですか?」
惟伎高の態度は置いておいて、確かに抹は本当に綺麗な顔立ちをしているのだった。
あたしがそう言うと、何故か抹は考えもしなかったことを言われたかのように、ぽかんとあたしを見た。
「うん。綺麗じゃない、抹」
重ねてそう言うと、抹は一瞬の空白をおいて、ぼっと赤くなった。
「そ、そんな尼君様、やめてくださいませ、そのようなご冗談・・・」
「冗談じゃないってば。いき・・・庵儒もあんたにデレーってしてたじゃないの」
「しておりません!それに、庵儒様は私などよりも、尼君様の方に心を許しておられるようにお見受け致しました」
「ええー?そんな事無いよ。でも庵儒じゃなくたって、あんたみたいな美人に頼られて、イヤな気がする男居ないと思うけれど」
「そのようなこと、ございません・・・きっと、庵儒様は・・・いえ」
「なにー」
「いいえ。・・・綺麗と言われたのは生まれて初めてだったので・・・」
「うっそ!?」
どんな箱入り娘よ!?
「あんた、どこの家の出?言葉遣いも丁寧だし、それなりの教育を受けた公家か武家の出じゃない?」
「・・・さぁ、どうだったのでしょうか。もう覚えておりません」
抹は曖昧に笑った。
ありゃ、悪いこと聞いちゃったかな・・・。
抹が本当に自分の家を忘れている訳ではないのだ。きっと、否定したくなるような辛いことがその家であったのだろう。
でもあたしはあえて突っ込んだ。
「ねぇ、どうして出家なんてしようと思ったの?よかったら話聞くし、協力もするよ?そんな若いのに出家なんて早まっちゃだめだよ。還俗はお金かかるし」
先日惟伎高に言われたことの受け売りみたいだけれど、あたしは熱心に言い募った。すると、抹がくすりと笑ったのだ。
何がおかしかったのかわからないけれど、とりあえずずっと死にそうな顔をしていた抹が含み無く笑ったことにあたしは安堵して、むつかしい顔で続けた。
「あんた笑うともっと美人よ。笑ってなさいよ」
すると抹の笑顔がぴたりと凍り、今度はばらばらと涙をこぼし始めた。
ええー何で!?予想外のところで笑うし褒めれば泣く、この子のツボがわかんない!
「・・・尼君様・・・」
「え、なに、なに、どうしたの!?あたしなにか言ったかなぁ、ごめんねごめんね!」
「ちが、違うのです・・・私・・・嬉しくて・・・」
う・・・嬉し泣きだったんかーい!紛らわしいなぁ、もう!
「尼君様はお優しいお方。先ほどは笑ってしまい失礼致しました。とてもお若い尼君様が、私に若い身空で出家するなと説かれているのが矛と盾のようで少し微笑ましかったものですから」
抹は涙を拭って微笑んだ。
いや、まぁあたしもまだ尼じゃないんですけどね・・・。って言う事情は話すと長くなるしやめておこう。
「あんたいくつ?見たところ二十歳ぐらいだけど」
「はい。正に二十歳で御座います。尼君様はおいくつですか?」
「あたしは十七」
「それは・・・」
抹は何を勘違いしたのか、絶句しまた滲ませた涙を、そっと袖で押さえている。
うーん。まぁあたしのことより、抹のことよ。
叉羅抹。抹という名。
他人の名前をあたしがどうこう言えたタチじゃないけれど、「抹」と言う字は、普通人名には使用しない。
抹とは、消して無くすとか言う意味で、あんまりいいものじゃないから。
同じまつなら、松とすればいいものを、わざわざ抹とつける・・・。
なんだか、抹の出家の原因は、そういうとこにあるような気がしなくもない。
あたしはついと庭に目を移して、眩しいほど咲き誇る桜を眺めた。
目覚める前、佐々家で見ていたのは一面の雪だった。凍てつくほど寒い、夜の月だった。
眠っていていきなり季節が変わっていたからというのもあるかもしれないけれど、暖かい春の訪れにあたしだけ冬の中取り残されている気がする。
「季節の移り変わりってはやいわね、抹?花の色はうつりにけりないたずらに、ってところかしら」
あたしが何気なくそう言うと、抹は空を見詰めたまま、ぽつりと言った。
「・・・私は、毎日、毎日、日が経つのがとても遅うございました。花の色はいくら待てども赤は赤、白は白だったのでございます」
「・・・だから、出家したいの?」
「はい。逃げていることは、わかっております。しかしもう、変わらぬ花を眺めていることにも気が狂いそうでした。いえ、もう狂っているのかもしれません。私は・・・」
抹の瞳から、一筋涙が流れた。
「ふぅん?まぁ、いいんじゃないの?逃げたってさ」
あたしは努めて、なんでもないように言った。
「抹の人生なんだから、自分の好きに生きなよ。他人は二の次で良いんだよ。不安なら言ってあげよう。あんたは、狂ってない。大丈夫よ、抹。大丈夫」
そしてあたしはにいと笑った。みてみて、抹。あたしだって今笑ってる。本当の意味で、あたしには抹の苦しみはわかんない。抹にも、あたしの苦しみはわからない。別の人間として生きている以上、それは仕方の無いことかもしれない。でも、あたしは何があったって、絶対に負けない。ひとりになったって、笑って今日を生きてるよ。あたしは抹みたいに綺麗じゃないけど、あたしのことを好きになってくれる人が居て、もう二度と会えないけれど、それでも幸せに生きて居てくれるかな、って思えればあたしも幸せ。もしかしたら心の奥底にある本音はそんな綺麗事だけじゃないのかな。わかんないや。でも大事な人が幸せだと思うだけで、あたしも幸せって言うのは絶対に間違いじゃない。それって、きっと、すごいことだよね。そんなに大事に思える人が何人もいるから、あたしの人生はもう大成功もいいとこよ。えへ。
だから泣かない。自分を哀れむ涙は流さない。決して。
「尼君様・・・!」
抹は感情を吐き出すかのように泣き出した。声を堪えながら大きく肩を震わせてしゃくりあげる様が痛々しい。思わずあたしは抹の片手を両手で握りしめた。抹はもう片手で顔の半分を覆いながら泣いている。どれほど辛いことがあったのか・・・。
それがどれほどの慰めになるかわからないけれど、傍に人が居て、その体温を感じるって大事なことなんじゃないかと思うのだ。ひとりじゃないよ、と言葉だけじゃなく伝えるのは。抹は儚げな容姿と裏腹に、背が高いからか体も意外と大きい。抱きしめようとあたしが腕をまわしても届かないかもしれない。
もしかしたら、抹は、こんな風に寄り添ってくれる人もなく、ひとりで泣いていたのかもしれない。ずっと。こんな美人だものなぁ・・・女達の嫉妬もすごかったのかも。
あたしは膝立ちになって、泣いている抹の頭を優しく抱えた。
ちいさい由良みたいに、その体を抱きしめてあげることはできないけれど・・・。そうだ、抹は由良みたいなのだ。思い起こすも大事な由良が憎き三浦にフラれた時にも、あたしはこうして由良を抱きしめていた。思いっきり泣きなさいと。
けれど、あたしが抹を抱きしめた瞬間、それとわかるほどに抹の体ががきんと固まった。
あら?と、思った時にはもう、あたしは抹に突き飛ばされていた。思いっきし、畳に腰をぶつける。い、いったぁ~。
「あんたって思ったより力あるわね~」
ぶつけた腰も、突き飛ばされたお腹もじんじん痛んだけれど、抹が気にしないように、あたしはあえて冗談っぽくへらりと笑った。
「あ、すみ、すみません、尼君様」
見上げた抹は、熟れすぎた鬼灯のようにそりゃあもう真っ赤だった。その声もふるふると震えている。過剰な反応にこっちがびっくりしちゃうけど、抹は本当に温室育ちなのね。惟伎高に抱きしめられてこの反応なら納得できるけど、同性のあたしにすらこれってことは、当然今まで恋人なんて居なかったんだろうな~。
「尼君様、な、なに、いきなり、なに、なにを・・・」
「あんたって好いたオトコとかいないの?」
「好いた、男!?そんなもの、出来よう筈がございません!」
抹は悲鳴のように叫んだ。
「それにしても大袈裟ね。ちょっとこっちおいで」
あたしは抹に向かって手を差し伸べたけれど、抹はびくりと一歩下がってしまった。
「こら。何にもしないから、おいで?」
「・・・本当ですか?」
「ホントホント」
あたしは立ち上がってじり・・・と抹に近づいた。
抹は両腕で自分を守るように抱きしめながらざりざりと後退している。
「ちょっと!何にもしないって言ってるでしょ!なんで逃げるのよ!」
「尼君様、絶対になにかするおつもりでしょう!?」
「・・・あんたねぇ、どんだけ大事にされてたかは知らないけれど、あたし相手にこんなんじゃ、婚姻の時ひっくりかえるわよ!そうだ、わかった。今日は一緒に湯堂に行くわよ。都合良くここは寺だしね!あんたそれで少しぐらい他人に慣れなさいよ!」
寺には禊の延長で湯に入れる湯堂というところがある。普通の農民じゃ毎日お風呂になんて入れやしないんだけれど、施浴と言って普段は坊さん尼さんが使っている湯堂をみんなに開放して、綺麗になってもらって、流行病を少しでも防ごう軽くしようとお寺さんは頑張っているのだ。そんな湯堂が、きっと石山寺にもあるはず。
「ゆ、ど、う・・・!?私が、尼君様と一緒に・・・!?」
この世の終わりとばかりにそう叫んだかと思うと、ふらりと抹の身が傾いだ。慌てて駆け寄って抱き留めると気を失っているようだった。ええー!?純粋すぎるでしょ、本当に!
「おい。何をやかましく騒いでェる」
あきれ果てた声がして、惟伎高が入ってきた。
「一緒に騒げるぐらい仲良くなったのなら喜ばしいがァな」
「仲良くなろうと思って一緒に湯堂に行こうって言ったら気絶されたのよ」
「湯堂?それァ・・・」
惟伎高は言葉を切ってちらとあたしを見ると、これ見よがしな溜息をついた。
「やめとォけ」
「えぇ?あんたまでそんなこと言うの?抹ほどの引っ込み思案には荒療治ぐらいが丁度良いのよ。別にあんたと入れって言ってる訳じゃないし、かわいいもんだと思うけど」
「程ほどの荒療治はいいかもしれねェが、それァ過ぎるってもンだ。ピィ。おまえも一応嫁入り前の娘だァろ?」
「そうよ?」
言いながらあたしは不安になってきた。なんだかこの二人と話していると、温に一緒にはいることが、なんだかもの凄い常識外れな事な気がしてくる。でもでも、女同士よ?母上とも一緒にはいったこともあったし・・・。別に普通に一緒にはいってもおかしくない、わよね?
「おまえは本当に、鋭いのか鈍いのかわからん」
「ちゃんと湯帷子着るわよ?」
「わかってェる。そう言う心配をしてるんじゃねェよ」
惟伎高はそう言いながら、あたしの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
「悪いことは言わねェから、風呂はやめとォけ。いいな?」
「・・・わかった」
あたしは渋々頷いた。良い考えだと思ったんだけどな・・・。
「・・・ねぇ、それより何かくさくない?」
あたしは鼻を摘まみながら言った。
「ん、そうかァ?」
「なんかこう・・・生臭い。生ゴミでも放置してる?」
「生ゴミ・・・そいつァもしかしてこれのことかァ?」
惟伎高はそう言うと、さっと障子を開けた。
「ほげ!?」
あたしは思わず、鼻と口を覆った。猛烈に吐き気を誘う臭いが先刻と比較にならない強さで流れ込んできたのだ。
い、いる!なにかが・・・あたしが未だかつて遭遇したことのない、得体の知れないなにかが、あの障子の向こうに、いる!
「あっ、くそ猫に齧られてやがる。抹の分だってのに・・・」
たらりと背を汗が伝う。惟伎高が障子の向こうで何か盆栽のようなモノを持っているのが影でわかる。あたしは今すぐに背を向けて走り出したい衝動に駆られた。しかし腕の中の抹の存在が、あたしの足を引き留める。惟伎高は「まぁつぅのぉお~ぶんん~」と呪いの言葉を吐いていた。標的は抹だ。抹が危ない。抹を守らなくては!
「生ゴミとはひでェな。わりと上手く出来た方なんだァぜ?」
そして、ンゴゴゴゴゴという効果音と共に遂にそいつは表れた。いやもう、それは生ゴミでも生易しい。
緑と赤のヘドロに魔法の力で刺さっている、緑の草・・・の茎?剣山のようにもりもりもりと盛りつけてある。うう・・・手みたい。そして中央にはなぜかちょっと齧られてる巨大魚の頭。しかも生!口の中からは春も鮮やかな桜の花がコンニチハしている。あたしは震えた。
「ぎゃーそれ以上近寄んないでっ!その呪物は一体何なの!?誰を呪い殺す気なの!?」
「呪い殺すゥ?よせよ。ただの粥だぜ?」
「ただの、粥!?粥って言った今!?あんた目もおかしいの!?こんな、ハエがタカってくれるだけ有り難いと思えるブツを、言うに事欠いて粥って!粥に謝れ!」
「いや、こんな見た目だが多分味は悪くないと思うんだよな。ちょっと食って見ろって。ほら」
「ぎゃーこっちに向けないで!しかも多分って何よ!どうせあんた味見なんてしてないんでしょ!?多分なんてそんな曖昧なのでねぇ、そんな、そんなもの・・・」
その時あたしは見てしまった。障子の向こう、濡れ縁にだらんと伸びている白い足、白い尻尾・・・ね、猫だ、猫が伸びている!恐らく、この惟伎高が差し出す粥(自称)を、中央の魚欲しさにたった一口、齧っただけで・・・。あたしはゾッとした。
あたしが戦慄のあまり言葉も紡げないで居るのに、隣で惟伎高はやれやれといった風に首を振った。
「まぁいい、これはおまえ用じゃない。抹の為に作ってきたモノだからな」
「殺す気ー!」
抹が気絶してて良かったとこれほど思った事は無い。あたしは惟伎高が持つ赤と緑のげるげるを素早く蹴り上げた。部屋の中に飛び散れば正に地獄絵図だが、狙いが良かったのかそれは器ごとぴゅーんと飛んで庭にぐしゃりと落ちた。やったわ、抹!あたしはヤツを倒した達成感に大きく肩で息をしながら、グッと拳を握りしめた。
わ、わかってしまった。惟伎高が佐々家の次期当主に決定されない理由!この壊滅的な料理オンチのせいだ!ぜーったいに、そうだ!こんなゲテモノ製造機が主になった日にゃぁ、佐々家では毎日毎日阿鼻叫喚の地獄の惨劇が繰り返されること間違いなし。すぐに一族郎党根絶やしにされてしまう・・・ぶるる。おー怖。もし万が一、そんな末法の世が来たら、高彬と由良だけでもあたしが守るからね!あたしは覚悟も新たに惟伎高を睨み付けた。
「おい何をするんだ!」
「むしろ感謝して欲しいくらいよ!ん・・・ちょ、ちょっと待って、き、聞きたいんですけど・・・あたし一月半目覚めなかったのよね?その間記憶無いけどあんたにご飯食べさせて貰ってたのよね?石山寺って今あんた一人だけなのよね?ごはん作るのも・・・て、ことは・・・?」
あたしは動揺する気持ちを落ち着けようと唾を飲み込み飲み込み口を開いたけれど、喋り進める内に喉も気持ちも落ち着くどころかどんどんカラカラに渇いていく。
一月半死線を彷徨っていたのって、川に流れたからじゃなくてもしやこいつの料理を詰め込まれていたからじゃ・・・。
「安心しろ。昨日おまえも食ったァろ?あの赤粥しか食わせてねェよ」
「赤粥?よ、よ、よかったぁぁぁああああ!」
神はあたしを見捨ててはおられなかった!おー神よ!
一瞬死を覚悟したあたしにはなによりの朗報だった。確かに、昨日食べた赤粥は同じ人物が作ったと思えないほど見た目も普通で、味も美味しかった。
「あんた、基本はどっちなの?昨日の赤粥?今日の汚物?」
「こるぁ!言うに事欠いて汚物はねェだろ!だが、料理をすると・・・今日みたいなステキなものがいつもできてるな」
ステキ…あ、す敵って事かしら?確かにあれは人類の敵だわ。そしてそれを生み出すこいつは宛ら悪の大魔王よ。
「うへぁ予想通り・・・でもなんで赤粥は普通なの?」
「俺の料理を食って三日三晩魘され続けた座主にあれだけは叩き込まれた」
「なるほど」
その座主はとてもとても優しさと思いやりに満ちた人だったんだろう。あたしだったら、料理の作り方じゃなくて直接庖丁を叩き込んでいるところだ。ホント同情する。
「で、あんたは粥を抹に持ってこようとしてたのね?ていうかそれなら普通の赤粥作りなさいよ!病人・・・じゃないけど、窶れてる抹にあんなモン食べさせたら一口で極楽行きよ」
「いやほら精がつくモノをと思って・・・色々入れてたらだな・・・」
「余計な、ことは、しなくて、いいの。おわかり?あんたも泡吹かれるより美味しいって言われた方が嬉しいでしょ?次自己流なんて加えたらぶっとばすわよ。いい?」
あたしは惟伎高に詰め寄った。惟伎高は渋々頷く。あたしは溜息をついた。
「よしわーかった。叩き込めばあんたも覚えるのね?あたしの方がまだ食べれるもの作れそうだし・・・明日の朝、抹も巻き込んで皆で一緒に料理しましょっか。まずは頓食から!」
「飯を握るだけだァろ?頓食ぐれェ・・・」
「作れないでしょ」
「いや、でき・・・」
「ない」
あたしは一刀両断した。賭けてもいい。こいつに握らせたら握り飯だって摩訶不思議な変身を遂げるに違いない。
その時、心地良い風が薄く開けられた障子の隙間をすり抜けた。花びらのお土産が、ひとつふたつ、畳に落ちる。あたしはそれをつまみ上げて、にっこりと笑った。
「ん。いいこと思いついた。どうせ石山寺誰も来ないって言うのならいっそ閉めちゃいましょ。それで、こんなに天気が良いんだし、明日はお弁当つくってみんなでお花見にいきましょっか」
後書き
お気に入りどうもありがとうございます!
わー評価どうもありがとうございます!光栄です!頑張ります!
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