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トワノクウ

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トワノクウ
  第九夜 潤みの朱(一)

 
前書き
 もう一人の友人のもとへ 

 
 翌日。今日も今日とて訪れた陰陽寮は、入口からでも分かるほどに殺気立っていた。

「何かあったんでしょうか……?」
「急な遠征か、坂守神社との折衝でも入ったんだろう。確認してくる。ここで待ってろ」

 朽葉は急ぎ足で寮に入ってすぐに見えなくなった。くうは、しかたなくいつものように門前で待った。

(薫ちゃんに取り次いでもらうにも門番さんいないし、今日は退屈になりそう)

 ぼーっと空を流れる雲を数えたり、時おり飛んでくる雀を目で追ったり。自分にしては珍しく思考を巡らせずに過ごした。携帯がないので読書もゲームも勉強もできないのだから。

 それにしてもいい天気だ。お日様の光が白いのは夏だからか。

 兼好法師の「つれづれなるままに」はこういう思考を言うのかもしれない。
 しかし、自分の頭の中の思考だろうが、尽きる時は来るもので。

 陰陽寮の空気に自分だけが入れていないのだと痛感し、きしきしと全身が責め立てられている錯覚がした。
 状態に当てはまる形容詞を探せば、出てきたのは一つだけ。

(……さびしぃ……)

 朽葉さん早く帰ってきてーっ、とくうは口の中だけで叫んだ。心はすでに滝涙である。

「何してんの、あんた」

 俊敏に顔を上げると、そこには薫が呆れ顔で仁王立ちしていた。

「かーおーる―ちゃーん!!」
「うわ!?」

 くうは薫に文字どおり飛びついた。

「さびしかったよ~っ。朽葉さんすぐ行っちゃうし寮内慌ただしいし、このまま会えなかったらどーしよーかと!」
「わ、分かったから、離れろって!」

 言われるがまま離れる。

「ったく、出会い頭に。あたしみたいなきっつい女にひっついて何が楽しいんだか。あんたといい中原といい……」
「だって~――ってちょっと待って! 今『中原』って言った?」

 あまりにさらっと言われたので聞き逃しかけたではないか。

「中原ってまさか、中原潤君のこと!?」

 体感時間ではほんの十日ほど前まで一緒に過ごして、隣同士で笑い合っていた友達。くうにとって特別な異性。彼もまたこの世界に来ていたというのか。

「そういやそんな名前だったっけ。そう呼べって言われるまま呼んでたから意識してなかったけど。坂守神社の呼び名のがなじみあるし」

 いや、落ち着け。予想されて然るべき事態だ。くうと薫は同じソフトにログインしてからこちらに来た。ならばセットプレイでログインした潤がこちらに来て――さらには薫同様、こちらの組織で地位を築いていてもおかしくない。

「坂守神社ってどういう組織? やっぱり妖退治の?」
「そ。陰陽寮と肩を並べる妖退治の専門機関。陰陽寮なんかより歴史はずっと古いし、体質も旧式だけどね。巫女ばっか戦わせて男は支援とか、性別で役割分担するなんて。でもまとめ役の姫巫女ってのはすごいらしいわよ。強くて美人で無敵なんだって」

 男が支援組と話して「でも」につながるのは文脈がおかしくないか?

「潤君は神社で働いてるのね」
「これも男のくせに姫様の秘書官としてね。あたしみたいな下っ端が仲良くできる相手じゃないってのに、しつこくつきまとってうざいったらなかったわ」
「じゅ、潤君らしいや……」

 くうは気を取り直して本題を切り出す。

「薫ちゃん。その坂守神社にはどうやって行くんですか?」
「けっこー山奥だから……って行くつもり!?」
「うん」

 ――潤に会わなければならない。同じ世界観を共有する者同士で情報の統合を図りたい。薫は彼岸のことを覚えていないが、潤となら有意義な意見交換ができるだろう。

 ――潤に会いたい。会って、同じ境遇の仲間がいることに安心して、友達同士で励まし合いたい。知る人どころか知る物すらない世界で、寄る辺になる存在が切実にほしい。

「ったく、こっちだって暇じゃないのに」
「あれ? 薫ちゃん、案内してくれるの?」
「しなくていいならしないけど。迷いたいなら止めない。それに普通に行ったって一ヶ月は面会待ちよ」
「嘘です、お願いします、一緒に来てください」
「今から?」
「できれば」
「よし、来い」
「あ、一度お寺戻っていい? 履物だけ替えたい」

 二人の少女は慌ただしい寮にかけらも関与せずその場を後にした。
 この忙しさがすぐくうの進路と交差するなどとは、夢にも思わず。






 森に分け入り小道を進み、遠足気分でとっとこ歩く……
 のも、最初の二時間だけだった。

「到着すらできないんですけどー!?」
「知らないわよあたしだって!!」

 適当な石塔にもたれてぶうたれたくうに、薫が地図を振り回しながら反論した。さすが楽研メインボーカル、いい発声だ。
 しかし二時間だ。ブーツでなければ足を痛めてすぐリタイアしていただろう時間をかけて、建物の姿すら見えない。

(おかしい。いくら山奥で明治時代でもアクセスが困難な場所に妖退治の中枢を置くなんて変です。それに、太陽を見上げることって彼岸じゃそうありませんでしたけど、照りつける位置が首の後ろからずっと動かないのは分かります)

 結論。この事態は異常だ。

 くうはその辺から適当に木の枝を一本折った。

「薫ちゃん、今何時か分かる? あるいは時計持ってる?」
「懐中時計なら」

 くうは薫から懐中時計を借りて文字盤を見る。短針は2と3の間だ。それを太陽の位置に合わせて木の枝で地面にそっくり書き写す。

「何やってんの?」
「時計の文字盤と太陽の位置から方位を出します」
「……あんた何気にすごい奴?」
「えへへー。地図貸して」

 書き込んだ短針と0時の間が北となる。地図によれば北に進めば坂守神社に着くから――
 北は、今まで歩いてきた方向となった。

「……???」
「ツッコミは踵落としと平手打ちから選ばせてやるわよ」

 薫の踵を受け止めながらくうは必死で弁解した。

「合ってるのに! これで正しい方角が出るのに!」
「るっさい! んなトリビアあんなら正しく使いなさい!」

 くうは薫から逃れて近くの幹の後ろに隠れた。

「だって太陽の位置があっちだから北はあっち……」

 太陽を指すはずの指の先には、青空が広がるばかりだ。

「はれ?」

 人差し指を右へ左へ。ようやく太陽を指先に捉えてみれば、太陽は先ほどと全く異なる位置にあった。

「まじですかー……」
「どした?」
「立つ場所によって太陽の位置が違います」

 薫はさっと青ざめた。

「対侵入者用の結界が発動してるってこと? あたし免状持ってるのに何で……誤作動? それとも免状が利かないくらい浸食が進んで……?」
「薫ちゃん、どしたの」

 薫はキッとこちらを睨んで、目をそらした。

「まじないで方向が狂うようになってんのよ。あたしみたいな妖憑きが入ると発動すんの」
「――妖憑きって、薫ちゃんが?」

 朽葉に犬神がいるように。
 薫にも、妖が宿っている。

「そうよ。百年融けなかった万年氷の付喪神。つっても完全に制御できないけどね」

 薫は腕まくりをした。右腕に、紫の模様がある。刃と柊に守られて咲くひとひらの花弁。――妖憑きは身体のどこかにしるしを持つ。

(私の右手にあるのと似てない? それに薫ちゃん、そこってアトラクション入る前に入場スタンプ押した位置だったよね?)

 思考が上手く台詞にならず、ひとしきり口を開閉させてから。

「へ、へえ、そうなん」
「変なとこで切れてる」

 朽葉と同じケースに遭遇して、今度こそと思ったのに、また何も言えない自分がいる。朽葉のように大変な思いを一年もした同級生を慰める言葉さえ持たない――カラッポの篠ノ女空にはコトバがないから。

「方角割り出しながら進むしかないわね」
「え、でも、間違ってたら、それにそんなまじないとかあるなら意味ないかも」
「そんときはあんたのせいだから責任とんなさいよ」
「鬼ぃー!!」

 ――けっきょく、「三歩歩いて二歩下がる」を実践するかのごとき地道な作業をくり返しくり返し、くうたちの歩く先にようやく神社の鳥居が見えてきた。



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