トワノクウ
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トワノクウ
第八夜 地に積もる葉たちの寝床
前書き
〝こころ〟考
くうは、しゃべりにしゃべって薫をいらいらさせた上で、二人そろって陰陽寮の詰所まで戻った。
帰りつくと、ちょうど朽葉が詰所から出てきたところだった。いつもはくうのほうが朽葉を待つ立場だったので、同時に落ち合うのは新鮮である。
(あれ? 朽葉さんだけじゃない)
外に出てきた朽葉は一人の男を伴っていた。くうは薫と一緒に、朽葉たちから少し離れた場所で立ち止まり、男を観察した。
(おでこ、怪我でしょうか……古傷、かな)
くうは男の額にある噛み痕のようなものを見上げる。そのまま、つー、と目線を落とすと、落ち窪んだ眼窩の奥にある目と合った。
服装は至って活動的なのに、顔立ちが元からそうなのか、不健康が目元に現れているのか、緩慢な印象を与える男だ。
朽葉が男をふり返る。
「萱草、ここまででいい」
男は無言で肯いた。朽葉の見送りだったらしい。
「くう、時間は充分とれたか?」
くうは肯きながら薫から離れた。観測する。朽葉はいつもどおりだ。寺でくうの面倒をよく見て濃やかに心を配ってくれる大人の女性。
――どこまでも完璧な擬態だ。
「結構です。ありがとうございました」
「ならば帰ろうか」
朽葉は、萱草と呼んだ男をふたたび見やる。
「では、また」
「ああ」
短すぎるやりとりの中に込められたものが何だったか、くうには量れなかった。
「ばいばい、薫ちゃん」
薫はぷいと背を向けた。冷たいなあ。
朽葉と歩き出してしばらく、一度だけふり返った。
萱草と呼ばれた男のほうはまだ残って朽葉を見送っていたが、薫はもういなくなっていた。
そして、萱草も見えなくなるまで歩いて、くうは朽葉の袖を引いた。
「さっきの方とは親しいんですか?」
くうは遠慮なく聞いてみた。気になった瞬間に質問するのがくうのモットーだ。
「まあ、そこそこにな。おまえが想像するような仲ではないが」
「やっぱり!」
「そこは『やっぱり』なのか?」
朽葉の尼のような格好から想い人は身近にいないと推理できる。想い人でないであろう萱草との間柄をあえて「親しいのか」と問えば、女心から訂正が入るはずだと踏んでの質問だった。
「お友達ですか?」
「いいや。そういう対等な関係になった覚えはない」
対等でなく親しい関係といえば、親子、兄弟、教師生徒、上司部下、主従――無理だ。ほとんどの人間関係が該当してしまう。
「知りたいか?」
「教えていただけるんですかっ?」
くうはぱっと朽葉に詰め寄った。
――知的好奇心のせいだ。好奇心のせいでくうには朽葉のかすかな揺らぎが見えなくなっていた。
「あの男、額に痣があるだろう?」
朽葉が自身の額を指差した辺りに、萱草も咬み痕のような痣があった。
「あれは白児の者につく服従のしるしだ。白児となった者は主人である犬神の心を読み、犬神に仕えることを余儀なくされる。――奴も哀れな定めの下に生まれた人間だ」
犬神、と聞いてとっさに出てくるのが某逆さ死体の猟奇ミステリーなのは、どうにも決まらないなとくうは思った。
「そのご主人様も寮の方ですか?」
朽葉はその場に立ち止まると、黒髪をなびかせてくうをふり返った。そして、人がいないとはいえ往来で、慌てるくうに構わず、墨染め衣の胸元をはだけた。
くうは愕然として口を両手で覆う。ぎりぎりまで露出した朽葉の乳房には、萱草の額の痕と同じ痣があった。
「私が萱草の主人。憑き物筋の、犬神の娘だ」
――――なにをいわれたか、わからなかった。
思い出されたのは、寺に来た朝、くうをからかった大きな犬。朽葉を好いているか、と確かめた母性強き獣。
「奴は私のために陰陽寮に入ったんだ。私が元いた村では、犬神は最初守り神として奉られていたが、次第に鬼として畏れられるようになってな。村八分にされて村人と口も利けず、飯の礼を言って触れると、大の男に突き飛ばされて頭を打ったこともあった。沙門様が村を訪ねるまでは小屋からも出られなかった。そういう生活をしていた頃に萱草は現れて、ふらりと消えたと思ったら陰陽衆になっていたわけだ、これが。もっとも私は萱草が迎えに来る前に前に沙門様について行ってしまったからな。悪いことをしたものだ」
陰鬱な内容とは裏腹に朽葉は苦笑しきりだ。
「朽葉という名は、花も実もつけず朽ちていくようにとの忌み名だ。父母の顔は元より知らない。祖父も十歳のとき死んで兄弟もいない。今後、子を成す気もない。名の通り、私が最後の犬神になる」
ことばが、でてこない。
親を知らず、唯一の肉親を亡くしながら、新しい家族を作る気もないと、菩薩のような微笑みで言い切る女性。
家族がいない。それは、己の起源も証明もないに等しい。
とても悲しくて、切ない。
「……くう?」
「ごめんなさい。朽葉さんに何か言いたいのに、言わなきゃなの、に……」
何も出てこない。
ゲームの中で用意された選択肢しか言ってこなかったから、こんな時にどんなことを言えばいいのか、それさえ持ってなくて。
「ごめ、んなさ……っ」
気づけば、泣いていた。我ながら情けない嗚咽に堪えかねて握り拳を口に押し当てるが抑えきれない。
何て情けない。ゲームの中で用意された選択肢しか使ってこなかった。心からの台詞なんて必要なかったから、こんな時に使える言葉を持っていなくて。
頭がよくて、資格をたくさん持っていて――そんな、薄っぺらいコンピュータが診断してきた成績だけで自分を優秀だと思い込んでいた。
すると、しゃくり上げていたくうの、流れる涙を朽葉の親指が拭った。剣を握る手は肉刺だらけで、頬を包む感触はやわらかいものではない。それでも、くうには朽葉の手がどんなコットンより心地よかった。
「馬鹿者め。何でお前がそんな顔をする」
「だっ、てぇ……っ」
「泣くな。すごい顔だぞ」
「ぅ~~~~っ」
「あーもー」
朽葉はくうの頭をその豊かな胸に押しつけた。お母さんみたいだ。くうの母もよくしてくれた。
ぽんぽん、ぽんぽん。背中を一定のリズムで叩く手が、打楽器のように、くうの乱れた心を調律してゆく。
「……お前達は同じ目で泣くんだな……」
「ふぇ?」
「独り言だ。もういいか?」
くうは朽葉から離れる。名残惜しいが泣いてばかりもいられない。
「ねえ、朽葉さん、朽葉さん」
「ん?」
「くうね、最初の朝に朽葉さんのそっくりさんに会ったじゃないですか。あの時のあれが犬神さんだったんですか?」
「まあな」
朽葉に手を引かれてくうは歩き出す。黄昏色が落ちた土の通りは、昼に溜めた夏の暑気を放って歪んで見えた。
「犬神はたまに私の支配を抜けて勝手に動く。以前なら私の体を勝手に操って動き回ったのだが、今は実体化のための符を私が持っているから、それを使ったらしい」
「便利なものがあるですねー」
犬神という核心に切り込む勇気がなかったくうは、微妙にピントをずらしたコメントを選んだ。
「ああ。昔、神社に勤めていた友人がくれた。今は連れ添いと共に便りもないほど遠い土地へ行ったが、どうしているだろうな」
神社で働くとなると巫女か宮司といった神職者。寺の娘とはむしろ犬猿の仲ではないのか。
「最初は厄介だったな。こんなものがあっても、犬神など受け入れるものか、と息巻いていたから。一度使ってふんぎりをつけるまでずいぶんかかった」
諦めにも失望にも見える、けれども決して負ではない朽葉の苦笑は、夕陽に照って眩しかった。
(きっとくうの想像もつかないような苦悩があって、朽葉さんは犬神さんを受け入れたんだ。だから、くうなんかが何とか言う資格なんてない)
言葉を発するのさえ許されない時があるのだと、くうは初めて知った。
代わりに、朽葉が繋いでくれる右手はそのままに、左腕も使って朽葉の腕にぴったり寄り添った。
「――朽葉さん」
「ん?」
「今日の夕飯、何か食べたいものありますか?」
「そうだな……この前作ってくれた辛子鍋。あれがいい」
「分かりましたっ。帰ったら準備しますね」
この人の中にはまだ踏み込めない。まだこの人の本質は見えない。
人を、頭ではなく、心で知るのは、こんなにも難しい。
(こころ、ってとっても厄介だ)
それを知れたのが、きっと今日一番の収穫。
Continue…
後書き
はいお気づきの方もいらっしゃるでしょう。坂守神社での鴇とほぼ同じパターンです。
そして実体化の手段。ここまで書けばもうほとんどの方がお分かりではないでしょうか? 朽葉が「彼女」を「友人」と呼んだ理由はもうちょっと先で(*^_^*)
萱草はもっと出したかったのですが尺と章テーマの都合上無理でした。実にすみません。
先に予告します。『トワノクウ』章では陰陽寮の出番が少ないです。
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