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トワノクウ

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トワノクウ
  第七夜 藤袴

 拝啓 私の尊敬する先生

 先日、カマイタチ退治のお仕事があってからは怒涛の展開でした。
 朽葉さんが実は妖の血筋だったり、その妖と人が戦争してるんだったり。

 妖といいますのは、民俗学なんかの妖怪のことですね。明治版学校の怪談でしょうか。ちょっと型崩れした動物みたいなグジャグジャ……といえば想像がつきますでしょうか。変な動物みたいなだけで大して怖くないんですけど。
 毎週見てた「ほん怖」よりは全然怖くないですよ。

 もっと驚いたのは、薫ちゃんまでこの世界に来てて、しかも記憶喪失だったことです。

 意識がはっきりしていて生活にも支障はなくて、言葉遣いも薫ちゃんなんですが、私のことは憶えていません。友情パワーって案外役に立たないんですね。がっかりです。ついでにショックです。

 色んなことがありすぎて頭がぐるぐるですが、まずは薫ちゃんのことからがんばろうと思います。友達ですから。

 元通りの薫ちゃんと二人、現代に帰るんです。










 台所で、くうは最後の皿を洗い終えて、今まで洗った皿にそれを積んだ。
 今朝の朝食はシンプルに焼き魚と卵焼きとおひたしだったので洗い物は少ない。


〝あんた、誰?〟


 くうは蛇口を閉めると、茶碗や皿を棚に戻した。全部戻し終えると勝手口から庭に出る。
 井戸まで行って掃除道具の中から竹箒を取る。そして、寺の正面口まで小走りに行って、朝の掃除を始めた。


〝薫って誰よ。あたしは藤袴だ〟


 境内の掃除が終われば次は洗濯。洗濯機がない時代なので桶と洗濯板を引っ張り出す。
 くうは一度中に戻って洗濯物を持ってきて洗い始める。夏なので水の冷たさは心地よい。


〝――ぃやあ!!〟


 洗濯物を全て物干しにかけて、午前の仕事は完了である。くうは勝手口から寺の中に戻り、朽葉の部屋を訪ねた。

「朽葉さん、家事終わりました」
「そうか。ご苦労様。私もちょうど準備ができたところだ」

 朽葉は手入れが終わった刀を鞘に戻す。

「行くか」
「はいっ」




 薫と再会してから三日間、くうは陰陽寮の薫の元へ通っていた。
 三日間、欠かさず会話する内に薫の現状も分かってきた。

 記憶喪失に関しては、過去の経験を思い出せないだけで人格はそのまま。日常生活に支障はないため作業的な機能は無事らしい。

 薫の仕事は陰陽寮の妖使い。子飼いはカマイタチ退治で出したあのウサギとトカゲのみ。

 あの日同行していた黒鳶は妖の使い方を教えている指導係。だから寮では常に黒鳶と一緒に行動する。

 ――根気強く質問を重ねて三日間、聞けたのはこれっぽっちだ。


「くう? 大丈夫か?」
「はっ、はい。ぼーっとしてました」

 見ればもう陰陽寮の建物の入口にさしかかっている。いけない。気を引き締めなければ。
 そう表情筋を締めた矢先、正門の前にくうが会いたかった相手が立っていたので、くうの顔は盛大に崩れることとなる。

「やっぱりまた今日も来たのね、あんた」

 さも不本意といわんばかりに腕組みをし、塀にもたれて待つ薫がいたのだから。

「あれ、今日は待っててくれたの?」

 わーい。ほてほてと、くうは薫に駆け寄った。

「んなわけあるか。あんたが連日来るから」

 薫は、むっつりとこちらを凝視している門番に目をやる。

「門番の人に取り次ぎ面倒がられて外に追い出されたの」
「うりゃりゃっ。そりはごめん」
「噛んでる」
「はぅ」

 やれやれ、と薫は塀から離れ、くうを見据える。元の世界で最後に会ったのは十日ほど前だろうか。薫はずいぶんと大人びた目をするようになった。

「では、くう」

 後ろでくうと薫の会話を聞いていた朽葉に、くうは慌ててふり返る。

「はひっ」
「私は中に挨拶してくる。迎えにくるまで好きにしていろ」
「はい。いつもすみません」

 朽葉は門番に取り次ぎさえせず、すたすたと平屋造りの寮に入っていった。こちらはこの3日間で見慣れた光景だ。

 朽葉は陰陽寮には属していないが、寮内をうろつく分には咎められない。沙門が佐々木の友人だから、弟子の朽葉も優遇されるのかも、とくうは勝手に見当をつけていた。

「いくら緋褪様のお気に入りでも、ほんとは部外者連れ込むだけでも大目玉なんだからね。あんた自重しろ」

 言った薫は心底呆れている。

「ひざめさまって?」
「佐々木様の参謀役。二番目に偉い人。朽葉さんは緋褪様が気にかけてらっしゃる人だから出入り自由だけど、その朽葉さんの連れとなると、ちょっとね」

 朽葉が寮を訪なうたびに誰かに会っている様子なのは、その人か。
 いつもの帰途、くうは薫との会話を反芻するばかりで、寮に上がった朽葉が何をしているかを聞かなかった。

(主人公のパトロンにお偉いさんのコネがあるってのも無駄に多い設定だけど)

 陰陽寮筆頭の佐々木と沙門が友人同士であることといい、あの師弟の交友関係には謎が多い。

「そりは重ね重ねご迷惑をば」
「だから噛んでる」
「でも、くうが来なかったら、薫ちゃん、会ってくれないじゃない」
「あたしも忙しいの。よけいな時間使いたくない」

 くうと会う時間はよけいですか、と言おうとしたが言えなかった。

「仕事、多いの?」
「どっちかってーと稽古かしら。あたし半人前だから。一人でやってもあんま意味ないけど」
「黒鳶さんに稽古つけてもらうんじゃないの?」
「師匠もそうあたしにばっか構ってられる立場じゃないもん。表の仕事ある人だし、最古参だし」
「じゃあどうやって稽古するの?」
「丸太とか岩とか相手に子飼い使う練習したり、体力つけたり」

 薫は門を背に歩き出す。くうもそれに続いた。散歩しながらの会話は好きだ。
 くうはとにかく話題を作る。聞きさえすれば薫は答える。その程度には警戒を解いてもらった。

「だから暇じゃないの。ほんとはあんたと話す間にも練習しなきゃいけないようなヒヨッコなのよ、あたしは」
「む。くうだってヒマじゃないですよーだ。この世で給与計算して一番高いのって主婦なんだからね。そんくらい働いてんだからね」
「主婦なの?」
「あ、や、似たようなもの? 一日中、家事してるわけだから。うーんとね」

 朝起きればすぐ朝餉を支度する。朽葉と沙門を送り出してからは布団を干して洗濯。服を乾かす間に境内の掃除。昼食は、一人で軽めにするか、朽葉や沙門の分も作るかで正午は過ぎる。それから寺の中を掃除。夕方に布団と洗濯物を取り込んで畳んで、夕飯の支度。

「てな感じ?」
「……あんた、毎日何楽しみに生きてんの?」
「失礼だー!」

 少し前までは例の末っ子イタチと遊んで過ごしていた。だが、ある日、朽葉が「帰す宛てがある」と言って連れて行ってしまったのだ。あれからあの子はどこで暮らしているだろうか。

「だいたいあんたさ」
「はひっ!?」
「……迫るな。顔を寄せるな。あんたさ、あたしが別人って線は考えてないの?」
「といいますと」
「顔のよく似た別人。他人の空似。あたしは昔のこと覚えてないんだから証明しようがないでしょう?」
「と言われましてもねえ。顔も声もくうの知ってる薫ちゃんだし。ついでにそのきっつい物言いも」
「人が気にしてることをサクッと言うな」
「どうしても見える形での証明がほしいとおっしゃるならっ」

 くうは薫の着ている濃紫の単衣を引っ張った。

「この時代、貝紫の染料は希少です。その紫をふんだんに使った振袖に単衣に帯。これ、自前じゃないでしょう?」

 薫の衣裳は〝Rainy Night Moon〟のレンタルコスチュームだ。当然全て人工染料である。
 この論法は薫が陰陽寮の忍装束を着ていたらイエローカードだった。

「だとしても今のあたしは藤袴だ。元の名前なんて、いらない」

 薫はくうの手をふりほどき、近くの橋の欄干にもたれた。
 江戸城近くの水路にかかった橋は、くうたちの井戸端会議場となりつつある。

「――、藤袴って名前、大事にしてるのね」
「まあね。師匠がくれた名前だから」

 再会して初めて薫は表情を綻ばせた。ふわりと薄桜色の花が咲くようなそれ。
 くうは、薫が黒鳶をどういうふうに慕っているかを、直感する。

(のどが、じくじく、する)

「なに?」
「別に。――藤袴の花も紫だね。そういえば薫ちゃん、紫色好きだったね。髪飾りも藤色だし。ねね、他には何か集めてる? 紫グッズ」
「え、ああ、いや、高いし。あんま持ってないけど」

 くうは訝しむ薫に話題を振りまくった。薫の声で他愛ないおしゃべりが聞きたかった。薫が内に秘めたる想いなど何が何でも開帳したくなかった。

 日が暮れるまで、必死で、ただのおしゃべりを続けた。



 Continue… 
 

 
後書き
 記憶のない友達に通い詰めるのは、鴇が紺にやったのをそっくりそのままくり返してみました。台詞も所々同じです。歴史はくり返すです。まあこれがやりたいがために薫を記憶喪失にしたんだがな!(ドヤァ

 最初は無難な片思い相手だった黒鳶ですが、ゼロサムファンブックで年齢が明かされてからちょっとお前それは…という年齢差になってしまいました。高山御大…そりゃねえよ…あの時代なら10代で店やっててもおかしくねえだろ…orz 
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