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トワノクウ

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トワノクウ
  第二十四夜 禁断の知恵の実、ひとつ (六)

 
前書き
 兄弟 と 友 

 
 森を勝手知ったる、とばかりに歩き出した露草に、くうは慌てて続いた。

「菖蒲に何言われた」
「へ?」

 思い出す。露草はくうが休む時間を作るために、菖蒲と話しに行ったのだと。
 それが例え助けた恩返しであっても、露草はくうを気遣ってくれている。
 彼になら。

「――何も、言えなかったんです、私」

 露草が立ち止まってふり返った。目を合わせられない。くうは左手で右の二の腕を掴んで俯いた。

「せっかく心の中、見せてくれたのに、くうは、っ、何も、言えません、でした。辛い思い出を言葉に変えるだけでも辛かったのに、そこまでしたのに、くうは……なんにも!」
「落ち着け」

 え、と驚いた次の瞬間には、露草がくうの頭を自分の胸板に押しつけていた。帽子は勢いで落ちた。

「っ、――菖蒲、先生、きっと助けてほしかったのに、自分じゃどうにもならない気持ち、どうにかしてほしかったはずなのに!」

 菖蒲もきっと自分の状態がよいものでないと気づいている。それでも自分で立ち直れないほどの心の傷だから、誰かに癒してもらって、元通りになりたいと願っているのだろう。

 元気にならなければ、大事な友達や周りに迷惑だと痛いくらいに分かっているから。

「またくうは上手に言えなくて……傷つけたらどうしようって、自分だけ怯えて、何を言っていいか分からなくて……悔しいのに、朽葉さんの時から全然変わってない……!」

 しばらく、くうは露草の胸に頭を押し付けるようにして、泣いた。

(菖蒲先生を救うだけの言葉も気持ちも持っていない。いやだ。こんな篠ノ女空、大嫌い)

 落ち着いたところで、頭上から露草の溜息が降ってきた。

「……あのな、多分あいつはお前が泣く必要なんざねえくらいに図太い奴だぞ。むしろ何だそれ、『助けてほしい』とか他力本願にも程があるだろうが」
「ですが――亡くされたのは奥さんですよ?」
「そりゃあまあ、恋女房ではあったが」
「ほらあ!」
「でもそれがどうした。人でも妖でも連れ添いを亡くした奴なんざ大勢いる。それをいつまでも、うじうじうじうじ。付き合わされるこっちがどんな気分だと思ってやがんだか」
「心配とか?」
「見てて鬱陶しい」
「貴方サイテーですね!」

 殊勝そうな台詞を吐いておきながら。兄にとっての友人で、自分なりに思うところもある相手だからさっさと立ち直れこの馬鹿野郎、とかツンデレっぽいことを考えているかもと二秒で空想したくうの胸キュンを返せと言いたい。

「じゃあお前は鬱陶しくなかったのか?」
「そこまでは……鬱にはなりましたけど。でも、そうしないでいられないくらいに菖蒲先生の心の傷が深いのでしたら、なんとかしてさしあげたいです」

 くうは胸の前で手を握り合わせた。思いを馳せたのは、くうを二度目の死から救ってくれた恩人。

「梵天さんもそう思ってらっしゃるから、今日までどんなにうっとーしくても菖蒲先生との縁を切らずにきたんじゃないですか?」

 露草の表情は苦々しい。梵天を持ち出されると黙らざるをえないあたり、露草も梵天を憎からず思っているのだろう。

「気持ちをすなおに語ってくださる間は、菖蒲先生の心は開かれてるんです。もー全開なんです! あとはこっち次第。たとえ開いた心の扉からガトリング砲が出てこようが突撃あるのみです!」
「いや西洋の砲撃武器はだめだろ」

 冷静に突っ込まれたが間違った喩えとは思わない。

(きっと不登校児を毎日訪問する教師や委員長はこんな気分にちがいないです。ということはイベントとして一度相手への手応えを見失って挫折したあたりで自分を見つめ直してまた訪ねて、へこたれなかったこっち見てフラグ立つって感じのルートですかね)

 ここに薫か潤がいれば「おいこらゲーム脳」くらいは言われていただろう。想像すると切なかった。

「どこまでお人好しなんだか――」
「もちろん現実が都合よく行かないことは頭じゃ分かってるんですよ? くうは大切な人を喪った経験もありませんし、そんなくうに何が言えるかも分かりません。ひょっとしたらくうが何かしなくても、菖蒲先生はとっくに元気なのかもしれません」
「それでも菖蒲にかまけるんだな?」
「はい」

 露草は天を仰いでこれみよがしな溜息をついた。

「分かったよ。好きにしろ。送り迎えくらいはしてやる」

 きっと今のくうは満面の笑みを浮かべている。

「はい! ありがとうございます!」







 露草は一人で五重塔に帰り着いた。
 別にくうを置いてきたわけではない。くう自身が「一人作戦会議です!」と、気合満面に両拳をぶんぶん振るものだから、望み通り一人にしてやっただけだ。

 ぎしぎし。歩くほどに廊下を軋ませながら、露草は誰何なく梵天の居室を開け放った。

「おかえり。意外と早かったじゃないか」
「大して話すことなんてねえよ。平八とも菖蒲ともな」

 梵天は悠然と欄干に半身をもたせかけ、頬杖を突いていた。
 ――この男が露草を救うために尽力し、奔走したのだと思うと、どうにもむずがゆい心地がした。
 ただ、目覚めた時、露草はそれが梵天の成したことだろうと確信はしていたのだ。

 目覚める直前の夢うつつ。闇を裂いた光の中から羽ばたきの音が聴こえた。()()()()()()()()()()

(……なんて、口が裂けても言わねえけどな)

「何だい?」
「別にっ」

 露草はことさら強く言い放って雑念を払った。

「そうだ、銀朱から伝言。お前がくうを追い出すなら自分が引き取る、だと」
「銀朱が? それは都合がいいな」

 梵天の口から暗に手元に置く気はないと告げられ、露草は不快感を覚える。

 元・人間のくうが天座に足を運んだのは自分の失態に原因があるし、あんな儚い少女を利用して目的を果たせば用済みという梵天の態度が気に入らなかった。

「人間どもんとこにくうの居場所があると思ってんのか」
「白鳳としてなら貰い手数多だろうね。篠ノ女空としては微妙といったところか」

 梵天は露草が何か言う前に露草を見据えた。

「勘違いするな。彼女は自分から出て行くんだ。他でもないくう自身がここにいる理由を見出していない。いたくない者を無理に閉じ込める気はないだけだ」

 露草を目覚めさせる。真実()()()()()()()()()()()だと、くうが己に対して思っているなら、それは露草にとって腹立たしい事実だった。
 それは、自然に自己の価値を見限っている少女への義憤かもしれなかった。

 この場にいないくうに当たることもできないので、露草は話題を変えた。

「何で銀朱をあいつに会わせたんだ? 今の銀朱でも、あいつにゃあ毒気がありすぎるだろ」
「だからだよ。いずれああなるかもしれない、同じ混じり者なら特に、ね。あれも末路の一つ。それを彼女に理解してほしかったんだよ」
「――悪趣味」

 梵天はどこまで本気か分からない表情を作る。

「教訓は痛みを伴うもの。俺のせいにされたら堪らな――」

 空気が、ざわめいた。

 梵天と露草は会話を断ち切り、示し合わせたわけでもなく揃って露台に出る。

「おお、梵! 今、結界が」
「知っている。侵入者は?」
「うむ……それが」

 空五倍子が指したのは地上、石畳の上。供も仲間もいない孤軍の少女だった。



 くうの右手の平にあるしるしに鋭利な痛みが走った。

「……ったあ」

 体の中で共振する何か。
 すぐ近くに、自分に近しい属性を持つ誰かがいる。

「――薫ちゃん――?」

 唇から零れたのは、たった一人の友達の名だった。





 事は陰陽寮で起きた。
 灯りとりがあるので完全に暗くはない座敷牢。それでも年端のいかない娘を滅入らせるには充分だろう。

「藤さん、いい加減反省し……」

 言い終える前に異変に気づき、黒鳶は牢内に飛び込む。

 内側から壊された木枠。引きちぎられた鎖。何より、無人。

 黒鳶は片手で顔を覆って仰臥した。

「~~っりやがったあの小娘!」

 黒鳶はかつてない腹立ちに突き動かされるまま、座敷牢を飛び出した。




 少女が濃紫の羽織を翻して立ち止まる。しゃらん、と少女の側頭部の花飾りが音ならざる音を奏でた。
 見覚えがある。陰陽寮の妖使い、しかもくうの友人だ。

 少女は威嚇の目でこちらを仰いだ。

「あいつは――くうは、どこ?」


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