トワノクウ
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トワノクウ
第二十五夜 風花散る (一)
前書き
少女 と 少女
拝啓、私の尊敬する先生
菖蒲さんという先生にお会いしてから、私はまたいろんなことが分からなくなりました。
菖蒲先生はとても立派な方でした。奥様を亡くされて間もないのにふさぎ込んだりなさらず(露草さんに言ったら変な顔されました)、小さな生徒さんに読み書きや計算をとてもていねいに教えてらして。
私もこの時代に生まれてたら菖蒲先生に習いたかったかも、なんて。
でも、治りきってない部分があるのも確かで、そこをなんとかしてさしあげられたらと思うのは、やっぱり傲慢でしょうか?
もちろん先生だって大好きですよ! 菖蒲先生はすばらしい教師だと思いますけど、私が心から尊敬するのは先生だけです!
分からなくなったというのはですね、人と妖ってどういう関係なんだろうってことなんです。
菖蒲先生は、人の心の闇から妖が生まれるとおっしゃいました。だったらどんなに姫巫女さんや陰陽寮の方ががんばっても、人類が滅びでもしないかぎり、妖っていなくならないんじゃないでしょうか、なんて。
種族が絶滅するまで憎み合ったままなんて不毛だなって思いました。
でも人が消えて妖が残っても、元になる人がいないから妖もいずれフェードアウトなんですよね。
「あいつどこだよ」
少女は今にも襲いかかりたい衝動を堪えた声で問う。
坂守神社も一目置く天座に対して眼中にないという態度は、一歩間違えば次の瞬間の死を呼ぶということをこの少女は分かっていない。
「梵、あの娘――」
ああ、と梵天も頷く。
空五倍子が示したのは、少女の両手についたままの妖力封じの手錠と鎖。着物の裾に隠れて見えないだけでおそらく足にも同じ妖力封じの足枷がしてある。
陰陽寮が理性を失った妖使いに行う処置だ。ああして子飼いの妖の力を飼い主ごと封じる。
「ねえ、あいつどこ!?」
焦れたように上げた少女の怒声はまるで駄々にしか聞こえない。
「なんだ、あの女」
「くうの元友人。一度くうを殺してる」
「何だそれ」
「くうが死ななかったのは鳳の恩恵に過ぎない。もっとも、くうのほうはまだその件について処理し切れていないようだが」
露草の、少女への目が変わった。闘争に臨む前の獣のような細い瞳孔。樹妖にしては露草は好戦的な質だ。
「梵。あれ、追い払うぞ。いいな」
「好きにしろ。調子を戻すにもちょうどいいだろう」
露草は欄干を乗り越えて地上に降りた。
梵天は露草の対応をつまらなく感じた。恩義ある人間の敵と知れば怒り狂うかと思ったのに。天座を離れて五年の放浪を経て、露草は余裕というものを備えてしまった。
まあいい、と梵天は優雅に欄干に頬杖をついた。
恩人の友を露草がどう扱うか、そちらのほうに期待しよう。
着地した露草は錫杖を出し、紫の少女に向けた。
「あいつに何の用だ」
「どうでもいいでしょ。教えてよ、いるの? いないの?」
「さあな」
露草は錫杖を少女に向けて振り抜く。
少女は素手で錫杖を受けた。人体の手応えではない。刀で受け止められたに等しい。
露草は危険を察して一度離れた。
袖が落ちる。少女の腕は黒光りする鉄で覆われていた。指先に鉤爪。材質は凍った鉄。
「露草さん! ――薫ちゃん!?」
上からの声。この声は、くうだ。
露草は紫の少女を錫杖で弾き飛ばし、距離を取った。その露草のちょうど前に、白い翼を羽ばたかせながらくうが着地した。
左手の平の刻印が痛んだ時、くうは「薫が来た」と直感した。いつもなら根拠のない直感を実行するまでにはぐだぐだ悩むのだが、事が彼岸の友人に関わるなら話は別だった。
空を飛んで五重塔に帰ると、敷地で露草と薫が争っているのが見えたので、慌てて地上に降りた。
「どうしたんですか!? 薫ちゃんが来るなんて――まさか陰陽寮ですか? 攻めて来たんですか?」
「いや。来たのはあの小娘ひとりだ。見ての通りの有様でな」
くうは薫をふり返った。
「身崩れ。体が妖と混ざりかけてる。妖を使う人間てのはえてしてああなるんだ。体も理性も妖の気に負けて蝕まれる」
「混ざ、る」
薫の姿は、アメコミのアーマードスーツを中途半端に装着したような有様だった。ほつれた髪と、その下の目は般若。
「やっと、会えた」
そのように恐ろしい形相で、まるで恋い焦がれた相手を見つけたかのように、薫は呟いた。
「ねえ、あんた、妖なんでしょ? 妖だったら殺してもいいわよね!? あたしは陰陽衆なの! 妖を殺さなきゃ、あたしは寮にいられないの! あそこにいられなくなったら、あたしもう死ぬしかないじゃない!!」
菖蒲の話がよみがえる。――権力と妖の関係。
菖蒲は「責任を負いきれなくなる」と言った。村人たちの「責任」は寺社という土地の有力者に対する責任もあったのではないか。
一人の善意が権利者に攻撃される材料になったなら――その責任はとても負いきれるものではない。
妖は迫害せよ。さもなくば自分たちの生活は保障されないのだから。
そんな構造が目の前の薫に見えた気がしたのだ。
「あんたがいる限り、あたしはいつまで経っても息ができない……!」
薫は胸元を鷲掴みにし、今にも泣き出しそうにくうを見ていた。
いつ陰陽寮を追い出されて生活していけなくなるか分からなくて|不安で息ができない。
「分かったよ」
くうは翼を広げた。鳳の権能を自覚した彼女は武器の呼び出し方も知っていた。
翼から羽毛を抜き、両手に挟むように叩く。羽毛は大鎌に変じた。くうは大鎌を握って薫の前に進み出た。
――一度彼女に殺された。悲しかった。辛かった。痛かった。怖かった。
だが、息を吹き返した。
生き返ったから許すという詭弁ではない。
認めよう。くうは薫に依存している。
異分子だと周りから線引きされた中学時代、薫だけが初めて友達になってくれた。その思い出が呪いをかけた。
友情という呪いを。
「行くよ、薫ちゃん」
薫はほっとした顔をして、凍った鉄に覆われた腕を構えた。
Continue…
後書き
友達という肩書が先にあって、それに自分を合わせていく。それが現代の友人関係だと作者は思います。
そんなもの逆転している、とお思いの方。友人を本当に心から「友人」と言えますか? 「付き合い」ではありませんか?
これはそんなテーマを投げかけたくて書いた編です。
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