トワノクウ
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トワノクウ
第五夜 明けまく惜しみ(二)
前書き
〝彼岸人〟と 妖
「おかえりなさいませ、朽葉さん」
「ああ、ただいま。――沙門様……」
やわらかかった朽葉の目は、沙門の前に座る佐々木に移った瞬間に、見開かれた。
瞳孔の拡大は興奮状態で起きるのだったかと、理科の豆知識を引っ張り出し、くうは朽葉の緊張を悟る。
「――、ご無沙汰しています、佐々木殿」
朽葉は座って佐々木に礼をした。
「いえいえ、元気そうで何より。たまには寮に顔を出してくださいな。緋褪が寂しがっていましたよ」
「時間が空きましたら、お伺い……します」
お茶のおかわりを持ってくる口実で朽葉を連れ出そうとしたくうだったが、その前に朽葉が抱えた荷物に目が行った。
――動いている。じたじた、と。
「朽葉さん……それ何ですか?」
つい普通に尋ねてしまうと、朽葉はああ、と気づいて袋を開けた。
「わあ……っ」
出てきたのは目が線のように鋭いイタチだった。しかも薬壺を背負っている。
「珍しいか?」
「ひゃいっ」
噛んだ。恥ずかしながら、くうは急いで朽葉の横まで座ったまま畳の上を滑って移動した。
「かわいい~っ」
「カマイタチの一匹だ。怖くないのか?」
「いいえ、全然! このくらいへっちゃらですよ!」
この程度のモンスターならオンラインの体感型RPGで何度も見た。一時期、母にものすごい剣幕で怒られるくらいに体感ゲームには熱を上げた(母は体感型のようなバーチャル技術をひどく嫌う)。
見下ろすとイタチはだるそうに身体を丸めている。先ほど暴れて力尽きたようだ。
触っていいかの許可を朽葉から得てイタチを抱き上げると、イタチはまたわずかに暴れた。愛嬌がある。
(こんなに可愛いのに袋詰めにしてしかもお札貼ってある。朽葉さん、顔に似合わず酷いことします)
「カマイタチがどんな妖が知っているか?」
「いいえ?」
「一匹目が倒し、二匹目が斬りつけ、三匹目が薬を塗る。三匹を総じて一匹の妖と見なす。これはその三匹目だ。こいつがいないから最近は酷い切り傷を負う者が増えている。逆にいえば、こいつさえ帰せば、ちょっと肌が切れた程度には戻る。人は不気味がるだろうが、実害はないに等しい」
くうは一分前の考えを恥じた。くうは朽葉を信用していなかった。朽葉を、ただ妖となれば斬りかかる野蛮人だとどこかで思い込んでいた。
否。朽葉の仕事には「見極め」がある。見極めた上で判断を下す。
その仕事ぶりは裁判に似ていた。被告の行為と信条を隅々まで検分し、罪状を定め、量刑を決める裁判官。この時代の言い方をするなら大岡裁き。
(ここまで人間性を発揮したお仕事をなさるには、相当な積み重ねが必要なはず。朽葉さんって歳に似合わず『職人』だ)
「だから、こいつの兄弟を探すのが今回の仕事――、くう?」
「ひゃい!?」
また噛んだ。もう帰っていいデスカ?
「………………………ぷっ」
朽葉が噴き出すに至って、くうは本気で腕の中のイタチと共に旅に出ようかとの決意を固めかけた。
「い、いや、すまん……っくく、はは、あはははっ」
「ふぅ~~~~っっ」
好きで失敗したのではないのに笑うなんてひどい。そう訴えたいが羞恥心が暴れて収まらないので言葉が出ない。
涙目のくうは、しかし、目の前の朽葉の笑顔に心奪われてしまった。笑われているのに、朽葉はきれい。とてもきれいに笑う。ああ、悔しい。
「盛り上がってるとこ悪いんですが」
佐々木に水を差されて、ぴたりと朽葉は笑いやんだ。もったいない。
「三匹を総じて一体となすカマイタチの、よりによって薬師が抜けたせいで巷がどれだけ騒がしいかはご存知ですよね?」
「……、瞬時に傷を治すこの三匹目がいないせいで、ひどい裂傷を負う者が増えている、ということなら存じ上げています」
くうは先ほどとは一八〇度異なる目で腕の中のイタチを見下ろした。この子の兄である二匹の獣がそんな酷いことを――
何のために?
(前にやったシミュレーションでも理由は設定されてないパターンがけっこう多かった)
物語の展開上必要な悪役には総じて悪行の動機が綴られない。それと同じようにここでも理由はなく、ただの生態なのかもしれない。
「ですが佐々木殿、これさえいればカマイタチはさほど危険では」
「いや、それは分かりますがね」
佐々木のわざとらしい落胆にくうは嫌な予感がして、まさか、と肩から背中が強張った。
「ウチの祓い人が出かけちゃったんですよ、そのカマイタチ退治」
「なっ……!」
朽葉がわずかに腰を浮かした。佐々木に詰め寄ろうとしたのだろうが、その先の動きが続かなかったのは動揺からか。
「今まで市民が襲われた場所から割り出すに、今日あたり日比谷の大名屋敷一帯に出没するだろうということらしくて」
日比谷というと江戸城の近くだ。大名屋敷とは、江戸城近郊や郊外に建てられた、参勤交代で上京する大名たちが住む邸宅である。屋敷町は公的な用途で大名に使われた邸宅とされている。
「場所が分かってんなら退治に出てきてくださいと部下に言っちゃったんですよ」
くうも身を乗り出した。その勢いにびっくりしたイタチが慌ただしく、くうの首に巻きつき、生きた襟巻きになる。
「そ、それってこの子のお兄さん達を、あの、駆除、しちゃうってこと……」
「そうなりますねえ」
「! 朽葉さん!」
くうは倒れかかるも同然に朽葉の着物を掴んだ。助けてくれ、か一緒に来てくれ、か。どちらを訴えたかったのかはくうにも判然としない。
朽葉は厳しく、頷き返してくれた。
「沙門様、もう一度出かけてきます。――くう、日比谷へ急ぐぞ」
「はいっ」
くうは立ち上がった朽葉に続き、イタチをしっかり抱えて立って居間をとび出した。
女二人の慌ただしい足音が去ってから、沙門は呑気に茶菓子を摘む旧友を見据えた。
「只二郎。お前、朽葉に別口で依頼が入っとるのを知って陰陽衆を動かしたのか」
「もちろん。市井の祓い人一人のために寮全体の足並みを乱すわけにはいきません。これも人々に請われての結果ですよ」
――佐々木只二郎という男は常にこうだ。一族全体で「幕府を守る」という志を頑として貫いていた頃から、幕府なき今も己の立ち位置を変えようとしない。
陰陽寮は、妖を視る目を持った異端者たちの最後の寄る辺。そこを守り、妖の世と交わってしまった人々の最後の居場所を守り通すのが、今の佐々木只二郎の意地なのだ。
情がないわけではないのに、情を踏み越えてしまう。それだけ必死なのだ。その必死さが沙門としては心配になる。
「私も貴方に聞きたいことがあります」
佐々木は切子に残った冷茶を飲み干し、卓に置いた。
「いつから『三人目』を手元に置いていたんですか?」
「三人目?」
「〈白紙の者〉を除いて〈彼岸人〉だけを数えれば三人目でしょう、彼女は。くう、といいましたか」
やはりごまかせなかったか。くうが〝彼〟と同じ両目――鵺に取られた目をしている時点で彼岸に関わる者と公言しているも同然だった。
「天網はなくなった。だから〈白紙の者〉とは呼ばずただの〈彼岸人〉になったんだろう。くうにゃあお前が期待するような力はない。その上であの子をどうするつもりだ、只二郎」
「おや、すっかり信用をなくしましたねえ。心配しなくても何もしませんよ。彼女含め我々の元にいる|彼岸人にせよ、神社にいる彼岸人にせよ、現状を打破しうるとは思えませんしね」
妖は各地で活発に動き始めている。〝彼〟がいなくなってからの六年間は天座が率先して妖を森や山に下がらせていたにも関わらず、どんな弾みがついたか、昼日中でも市内で暴れるものもいる始末だ。だからこそ沙門も朽葉も、佐々木らも廃業していない。
本来なら妖は表舞台から少しずつ消え、人々の伝承に上るだけの存在になり、互いに領分を侵さず生きていけるはずだった。
ゆるやかに、ひそやかに、たしかに、この世は変わり始めていたはずなのに――誰が歯車を巻き直した?
「今回はお手並み拝見ということで」
佐々木は至って楽しげに口の端を上げた。
「妖怪に相対したあの娘さんが〝彼〟と同じ行動を起こすか、はたまた別に動くか、それを見極めさせてもらいましょう」
Continue…
後書き
新用語「彼岸人」。
文字通り彼岸から来る人の意。天網がない世では白紙の者も何もないためそう呼ぶ。白紙の者のような特別な力はない――はず?
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