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トワノクウ

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トワノクウ
  第六夜 ふしぎの国の彼女(一)

 
前書き
 青いしるし 

 
 寺を出て街中に入ってから、くうはイタチを襟巻のように肩に乗せ、息を切らして朽葉を追った。
 持久走が苦手なくうは朽葉を見失わないようにするだけで精一杯だ。

「く、朽葉っ、さん! ま、待って~っ」
「こら! だらしないぞ、四半刻(三十分)と走ってもいないのに」
「げ、現代っ子の、基礎体力のなさを、なめんなですよお」

 くうは右手を、戻ってきた朽葉の前に突き出し「待った」のポーズで、左手を膝について息を整える。
 肺が潰れそうだ。酸素を吸うのも苦しいが、吸わないともっと辛い。

「……くう。その手の入墨はなんだ?」
「ふぇ?」
「ほら、それだ。手の平」

 くうは分からず、朽葉が指した右手を見てみた。
 アトラクションの前に入場スタンプを押した手の平に、細い線で描かれた流麗な模様が浮き上がっていた。モチーフは翼だろうか?

「な、なんだろ。わ、分かりま、せん。知りません」

 身体のどこかに印があると民衆に嫌われる。3Dシミュレーションではお約束だったし、それで迫害されているという設定のプレイヤーキャラクターを選んだこともある。
 だから、くうは慌てて自身の非を否定した。これは現実だ。あんな不遇をかこつのは御免だ。

 すると朽葉は袖の中から手ぬぐいを出し、おもむろにそれを細く破いた。
 見守るくうの手が朽葉に取られ、右の手の平を破いた手ぬぐいでぐるぐる巻きにされた。手を怪我した人のようになった。

「隠しておけ。それが何かは分からんが、見られると面倒だ。左腕でないだけマシとは思うが」
「あ、ありがとうございます」

 今度進んだ朽葉は走るでなく早歩きになったので、くうもついて行きやすかった。

(間に合うでしょうか? この子の兄弟がいなくなるのは人間にとっていいことかもしれないけど、でも、この子さえいれば無害なんだから。そこまですることないのに)

 肩に乗ったイタチの毛並みを撫でると、イタチは鼻先をくうの手に押しつけた。意思疎通が成ったようで少し慰められた。

(人間に適応しない種族は人間がいないとこにいけばいいって思ってた。野犬とかカラスとか、何でこんな町中にいるんだっていつも感じてた。なのに、環境が変わるだけで、もっと別の道があるじゃない! なんてヒロインぶりたくなっちゃうなんて。いやな子だ、私)

「くう? どうした」
「あ! いえ、ちょっと考え事です。気にしないでください」

 くうは慌てて手を振った。朽葉は、ならいいが、と納得してくれた。

「朽葉さん、さっきの佐々木さんなんですが。ウチの祓い人って、佐々木さんてどこか大がかりな組織の上司だったりします?」
「ああ、よく分かったな。佐々木殿は陰陽寮をまとめておられる」
「陰陽、寮……」

 平安の世、律令制において中務省に属し、占いや天文、時や暦を専門にしていた機関だ。平安ジャンルにひんぱんに登場する陰陽師・安倍清明も、史実ではこの組織の天文博士である。

「ちょー……っと待ってください? 佐々木さんが、その陰陽寮、の一番偉い人ですか?」
「ああ。そもそも佐々木殿が作られた組織だからな。性別性格、果ては前科も問わず異能者を集めて妖と戦う戦闘集団だ」

 歴史と違う。
 一世代前のメディアや今普及しているソフトのおかげで有名だが、陰陽寮はれっきとした学者や学士の集まりで、陰陽師に妖怪退治ができるというのはファンタジーの中のことだ。さらには、陰陽寮は今年、つまり明治3年までは存続しており、安倍清栄の代で廃止になることになっている。

(つまり、そういうこと)

 ここは厳密には日本ではないことが確定。

(陰陽寮は学問集団じゃない。妖と戦う専門機関)

 くうはこの世界での新出項目を頭にインプットした。

「妖と戦うというのはそれだけで相当高い腕が求められるし、死人も出る。最近は人手が足りないと佐々木殿も言っていなかったか? ここのとこ妖が活発になって、奴らも神経質になっているんだ。仲間を奪ったのは妖だ、一刻も早い駆除を、と望む輩も多い」
「朽葉さんはその意見、賛成なんですか?」

 このイタチを兄許に帰してやろうとするほどの女性なのだ、それはないと信じたい。

「妖の全てが悪と決まったでもなし。どんな事件にせよ、真実が分かるまではどちらの肩も持つつもりはない」

 やはり朽葉は「見極め」を怠らない。仕事人として尊敬すべき姿勢だ。くうの世界にいたなら、朽葉は名裁判官として名を馳せたに違いない。

「お前はどう思うんだ?」
「ふえ?」
「妖の活性化だ。やはり単純に人間を追い出したいから暴れているのだと思うか?」
「そ、そんな。まだ分かりません。くう、まだここに来たばっかで、分かんないことだらけですしっ」
「直感でいい。意見を聴かせてくれ」
「……単純じゃないような気がします。勘ですけど」
「根拠はないんだな?」
「強いて言うなら、彼岸だとそれがセオリー……定石だからってことですかね。こういう時は陰謀を持った第三者がやってるってのがお約束です」

 どの3Dアドベンチャーでも双方が互いを犯人と決めつけ諍いを起こせば、最終的に第三者の黒幕が争いを誘発していたと判明し、その黒幕と戦うために和平するのが鉄板だ。白ける構造なのに、ラスボス戦で対立する二つの組織や種族が手を取り合って戦うシーンではいつもぐっと胸が詰まった。

「そうか……そうだな、うん」

 朽葉は文字どおりその豊かな胸を撫で下ろした。妖が全面的に悪玉では不都合があるらしい。

(シナリオゲーだと向こうに知り合いがいて種族で板挟み、とかですよね)

 人の切実な様子さえそう解釈してしまうゲーム脳が憎い。

「今の妖って、そんなにたくさん人を襲うんですか?」
「本来ならこういう事態にはならないはずなんだ。妖は血の穢れに弱いから、そそのかすことはあっても実は人を食べることはしないと――知り合い、も言っていた。食らうとしたらそれはすでに何かの弾みで人を殺めて止まれなくなったか、夜行に穢れを植えつけられたかだ」
「夜行ってそんなこともできるんですか」
「奴は〝狂わせる〟という形で干渉するからな」
「そんな夜行におかしくされた妖達が表に活発に出てきて」
「人間を食らう数が増えた――奴らも天座のおかげで近年は人の血肉が毒になると分かってきているはずだから、状況と矛盾するんだが……」

 本当に朽葉は妖事情に通じている。話すだけで百科事典(データベース)を閲覧しているようだ。

「そもそも奴らが人と争うのは縄張りを侵された時だけだ、基本は」
「基本以外には?」
「まあ、仇討ちや恩返しとか」

 妖は他者のためにこそ力を揮うのであって己のための人喰いはしないはずだが、妖の生態に背いてまで人喰いをしている。
 人喰い妖は血の穢れに酔ったか、夜行に狂わされたか。現時点では犯人は不明。
 ――それがある限りの情報から導かれる現状。

 くうは両手でこめかみを揉んだ。

「……むつかしいです」
「私もだ」

 朽葉は困ったように苦笑した。どんな笑顔もさまになる人だ。

「時間を食った。急ごう」
「すみませんっ」
「いいから」

 先に行く朽葉にくうも続く。揺れたくうの肩にイタチがしがみついた。

(優しすぎる人。くうなんかにこんなに気を遣ってくれて)

 人が人に注げる優しさなど極小だ。そもそも赤の他人同士がプラス感情でつながる自体に、くうは懐疑的である。迷子の子ども、ふらふらの老人、白い杖の人、家のないおじさん――誰にも助けはないのがデフォルト。

 では、まったくこれらの例外である朽葉は?

(私もこんな人になれる――わけない、よね)

 くうは、空洞(くう)。カラッポのスカスカ。中には何も持ちえない。
 満たされないし、満たしもしない。



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