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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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俺に可愛い幼馴染がいるとでも思っていたのか? 前編

 
―――玄関を出る直前に、俺は思った。奴は今日もいるだろうと。
いや、いる。摩り硝子の引き戸の向こうに、既にうちの学校の制服を着ているであろう女性的な細いシルエットが見えているのだ。俺はその相手を知っている。名前も知っている。だがその存在が分からない。

そのことが、いつも俺を落ち着かない気分にさせる。お前は此処に立って生きているのかという根源的な存在の確認を問われる。だが確認は行えるのだ。たしかにそれは存在するのだ。そのこと自体は否定することが出来なくて、しかし俺は事実を否定する。

もう既に何度も繰り返されたことだ。もう何度も認めろと言われたたことだ。例えばこの世界の全てが正常であって、俺だけが間違っているのだとしても。世界でたった一人、俺だけが皆と違う世界を見て生きているのだとしても―――俺の認識は俺だけのものである。

そう今日も意識を確りと持ち、戸を開ける。

「おはよぅ、さざめ君ー!今日もいい天気・・・って、あれ?」

どこか癖のある快活な声。鬱陶しさまでに届かない程度のエネルギーと明るさを保った、綺麗に通る声だ。その声の主の顔を見て、今日もいるのか、じゃあ今日も世界は狂っているなと確認する。

「どぉしたの、さざめ君?昨日は無視したのに今日は人の顔見てだんまりって、ちょっと変なんじゃない?」
「いや、今日もいるんだなと思っただけ」
「ますます変なのー!そんなに幼馴染を待ってちゃ変?」
「幼馴染なら変じゃないかもしれないな」
「えぇー、じゃあ良いじゃんか・・・」

この女こそが俺の認識を狂わせる元凶なのだ。
周囲に仲のいい二人だと言われようとも、ない。
天地がひっくり返っても無理。絶対に認められない。
別にいいじゃないかと言われても、俺は絶対認めない。俺一人だけは、認められないだろう。

「そんな事より学校行くぞ。お前の所為で遅刻して説教はごめんだ!」
「あっ!ちょっとちょっとさざめ君!それじゃ私の所為で遅れてるみたいじゃない!」
「だー!お前がそうやって長話始めようとするから急ごうって言ったんだろうがよぉ!毎朝毎朝人が家から出てくるのを待ちやがって、何なんだてめーは!!」
「なによう!幼稚園の頃からいつも一緒に行ってたじゃない!高校デビューついでに私を見捨てるつもりなのね、この薄情者!!浮気不潔男ぉー!!」
「誰がお前なんかを嫁に貰うか!!大体―――」

だから、俺は何度だって言うんだ。


「俺に幼馴染なんかいねえよ!お前は結局誰なんだ!?」
「だから幼馴染だってばぁ~!!」


お前誰やねん、と。

その口論を聞いた通行人は、その高校生の男女を見て「今日もやってるなぁ」と微笑ましげな目線を送るのであった。すっかり日常になってしまった、彼だけの異常。それがこの物語である。


 = =


俺に幼馴染はいない。

もう一度言う。俺こと延年冴鮫(のぶとしさざめ)に、幼馴染は、いない。
居ないと言ったら居ない。だって昔から友達少なかったし、近所の友達も小中学校に入ってからの友達だし。幼稚園から高校までずっと一緒のクラスだったとか、そう言う奴だっていない。少なくとも俺の記憶にはそんな人物は存在しないのだ。とても女っ気の少ない人生を送った自覚があるし、一度告白して断られたりもしている。その程度の青春だ。

「明日は小テストだね。英語の勉強した?」
「しねぇよ、面倒くさい。カンニングでいくらでも誤魔化せるのに誰がするか」
「むぅ、私はそういうのイケナイと思うなぁ!自分で覚えないとテストの意味が無いじゃない!大体さざめ君は昔っからやればできるのにサボってばっかりで―――」
「何が”昔から”だ。まるで見てきたような口ぶりじゃないか」
「見て来たよ!幼稚園から一度も別のクラスになったことないのに何言ってるの!?」
「そーかいそーかい」

そんなことはありえないんだがな、と心の中で付け加える。
有り得ないというのはテスト云々ではない。俺はカンニング常習犯なのでサボっていたことは確かだが、この女はその光景を目で見てはいないはずだ。何せ居なかったのだから。少なくとも俺の主観に基づく世界構成上はそんなこたぁ起きていないのだ。

―――要は、俺はこんな女知らんし、話したことも見たこともない。幼馴染とか有り得ん。

顔を見たのがたった1か月くらい前で、その時からこんな態度だった。馴れ馴れしい上に人のことを本当に見て来たかのように知りすぎている。何歳までおねしょしていたか迄知ってやがる。時々過去の思い出話的なものを聞かされるが、一切覚えが無いのはご愛嬌。その癖人のことは知っているのだから性質が悪い。

幼稚園も、小学校も、中学校も、俺は一度たりともこの女の顔を見たことが無い。名前だってそうだ。記憶違いじゃないかと言われても、やはり俺は見たことが無いという確信がある。だってそこまで付き合いがあったのなら覚えていない、心当たりがない事は可笑しいじゃないか。それに、どこぞのギャルゲモドキのライトノベルじゃあるまいしそんな都合のいい感じに女の幼馴染なんかいてたまるかと思う。

ところがどっこい、ここ最近―――というか高校に入学して以来、何故か幼馴染と名乗るコイツが前触れもなく突然現れた。それが俺の隣に突っ立ってにこにこしているのだ。女の子が好いてくれるのはいいことじゃないかと思うかもしれないが、当人からすれば一方的にこっちの情報を知られているなんてただのホラーでしかない。何で俺の生活サイクルから風呂に入った時に何所を先に洗うかまで全部知ってるんだコイツ。
横で俺の態度に不満そうな顔をして頬を膨らませているが、こっちだって不満があるわ。お前の正体が掴めないという現状が。

「もう・・・顔を合わせない日が珍しいくらいなのに、何でいつもそういう事言うかなぁ。何?私以外に好きな女とが出来たから古い女は切り捨てるって奴?サイテェだよそういうの!さざめ君のお父さんとお母さんにチクってやる!」
「出会って1か月の謎女にいきなり恋が出来るか。そして・・・・・・・彼女なんかできん」
「知ってる。何年の付き合いだと思ってんの?さざめ君ったらいつも変な所で卑屈なんだから」

ニヨニヨ笑ってこっちの顔を見上げるこいつは無性に腹が立つ。小生意気な奴め。
誰なのか全くわからないのに10年来の友達のようにくっついてくるこの女はマジで何者なのやら。毎日のようにうちの玄関の前で俺が出てくるのを待っている律儀すぎる奴だが、最初は悪質なストーカーに引っかかったのかと本気で疑った。

名前は田楽入子(でんがくいりこ)。何だ田楽にいりこって。いりこ出汁で茹でて田楽味噌でも塗るのか。変な名前だと言ったら俺の”冴鮫(さざめ)”だって十分変だと言い返された。ぎゃふん。
俺に並んで歩くいりこを見る。ボブカットヘアーを髪留めで止めてて女子にしてはそこそこ身長がある。顔良し、スタイルも出るとこ出てる、勉強も出来るし運動も人並み以上、学校での生活態度も比較的良好、そして誰に対しても優しく接する・・・所謂優等生ちゃんだ。

だがしかし、俺はその日初めていりこという女性を知覚したのであって、今まで一切会ったことはないし見た覚えもない。神に誓ってもいい、幼稚園以前となると自信はないが、これはそう言う問題でもない。

というのも、覚えていないのは俺だけで、”俺以外の皆はいりこを子供のころから知っている”というのだ。俺がいりこと一緒にいる光景も見飽きたものだとまで言われた。新手のドッキリか何かかと思っていろんな人に聞いても似たような回答が帰ってきて、耐えられず両親にあれは誰だっけと訊いたら「喧嘩でもしたのか?」とものすごく心配そうな目で見られて地味に傷ついた。俺がアイツを知らないという事実を可能性から排除されている、つまりいりこは当然として俺と一緒に過ごしてきた存在として知覚されているのだ。

幼稚園くらいの頃からいりこは俺の後ろをちょろちょろついてきて、小学校では虐められていたいりこを守る小さなナイト(他称)だったらしいが、記憶にございませんである。友達にそれとなく俺といりこの関係を訊くと「まだ付き合ってないの?」とまで言われた。俺とあいつの関係がそこまで良好に見えるのか?
そっこり家のアルバムや学校の卒業アルバムを確認すると、確かに仏頂面の俺といりこらしき女の子が映っている周囲の話と時期を照らし合わせてもこれといって不審点や矛盾は存在しない。

だからこそ、ぞっとする。自分の知らないことを周りが当たり前だと思っている現状の、異常性を。それまでの人生で認識していなかったのに突然日常に浮上してきたいりこという存在の非現実性を観測していない。
俺の記憶違いかもしれないと考えなおしても―――やはり、覚えていないのだ。俺はこんな女の子は知らない。俺の知らない事実が、俺の認識の外から滑り込んできて当然のように居座っている。人の記憶はあやふやなものだとは言うが、明らかに度が過ぎていた。あいつは、誰だ。田楽いりこという固有名を聞きたいのではない、もっと根源的な違いがあるように思えた。

そう周囲に漏らしても、皆笑いながら「また喧嘩したのか」と言うのだ。正直良いとも悪いとも言えない程度の魅力しか持ち合わせない俺に釣り合う女には思えないのだが、周囲は面白いくらいに気にしていない・・・いや、こちらはちっとも面白くないのだが。
推測するところ、俺はいりこ相手に結構ぶっきらぼうな態度で接することが多かったらしく、「あんな奴は知らん」などと口癖のように言って存在を忘れたふりをしていたようだ。おのれ皆の記憶の中の俺め、ややこしい事をしおって。・・・んん?俺の記憶の中にいる俺は、俺と同一の存在なのか?それとも俺の想う俺と俺の知覚する俺は俺という定義から外れた俺であってつまりそれは―――

「さざめ君」
「あん?」

思考の最中にいりこに呼ばれてそちらを見る―――ぶにっ、と俺の頬に人差し指が突き刺さった。いりこの綺麗な指が俺の頬にめり込んでいる。これは肩を叩いて頬をつつく”ほっぺトラップ”という(言っているのは俺だけだが)やつだ。やった側のいりこはイタズラ成功と言わんばかりに微笑んでいる。

・・・・・・・・・この女、他人の分際で楽しそうに人をからかいやがって。けらけら笑うその頬を摘まんで思いっきり引き伸ばしてやるの刑に処す。刑罰執行!

「あっはっはっ!引っかかった引っかかっふぇあぁぁぁ!?いふぁいいふぁいいふぁい!!」
「お前は・・・俺を怒らせた。主に小学生の嫌がらせ的な方面で!」

むにーん・・・ふむ、意外とよく伸びる。餅のような肌触りという奴か。しかしやられるいりこは堪ったものでは無いようで、上手く動かない口で必死に謝罪をしていた。まったく、人をからかうからそういうことになるのだ。

「ごえんなふぁいほうひまひぇん!ゆるひてくらふぁ~い!!」
「・・・ふんっ」

謝ったのでとりあえず刑罰終了。あうあう言いながら伸ばされた頬を押さえて涙ぐむ残念女を尻目に俺はとっとと学校へ向かうために踵を返す。結局今日もいりこに付き合わされて余計な時間を喰った。こいつは優等生のくせに俺に構って馬鹿をやらかすから、付き合い過ぎると本気で遅刻である。

「ああっ、待ってぇぇ~!」
「待たん!」

・・・こいつが幼馴染かどうかは別として、最近こういうやり取りが板についてきたような気がする。その事実に、俺の心は微かに焦るのだ。自分の認識が少しずつ塗りつぶされているようで、怖いのだ。


 = =


これは仮定の話であり、事実とは異なるものも多く含まれるだろう。だが仮定には考える事にこそ意味があり、可能性の模索の為には真実に到達するうえで非常に重要なファクターである。故にこれから行う仮定という名の推論にはその全てに意味があるとも言え、無いとも言える。早い話、合ってるかどうかはこの際度外視するという意味だ。

「ねぇね、美味しい?」
「うめー!やっぱり志枝の作った弁当は最高だぜ!」
「はは、作った甲斐があったよ」

む、今日もあいつらはいちゃついているな。クラスメートの立花と大良だ。弁当をがつがつ食っている日焼け気味の「女」が大良和希(おおらかずき)で、弁当提供者の「男」が立花志枝(たちばなしえ)である。・・・念の為に言うと、名前を取り違えはしていない。マジで女が和希、男が志枝なのだ。あいつらの両親は名前の付け方を間違えている気がしないでもない。
とても仲のいいカップルなのだが、立花は男のくせにやたら思考が女よりで、逆に大良は言動がほぼ男。クラス内では「TSカップル」等と陰で呼ばれている。

俺はいりこにあんなに親身に接する気にはなれない。もう入学数か月が経過したせいで腐れ縁の友達としては受け入れ切れているが、奴が俺の幼馴染を自称する点において俺はそれを見過ごせない。というか、俺はいりこという人物は大して怖くない。本当の事を言うと自分がおかしいのではないかというのが怖いのだ。
世界中で俺だけの認識が狂っているなんて、冗談じゃない。

例えばそこに10人の人間がいたとする。その10人にシルエットクイズを出してこれが何に見えるか聞いたとしよう。映ってたのが鳥ならば10人は鳥だと答えるだろう。
だがその中に鳥を見たことが無い奴がいたならば、そいつは分からないというかもしれない。鳥に詳しい人間ならばその鳥が何という名前の鳥かまで考えるかもしれない。或いはシルエットは黒いから(からす)だなんて言い張るやつもいるかもしれない。

だがここで、鳥を見たことがあるにもかかわらずそれをモナリザだ、オーストラリア大陸だ、チュパカブラだなどと言い出す奴がいたら、それは明らかにおかしい。似ても似つかないからだ。もしもその人間が嘘をついていないんだとしたら、彼にとってそれは鳥でないと認識しているのだ。10人の中で彼にだけ別の世界が見えているのだ。
そして9人が鳥だと言い、1人が鳥ではないと言った場合、健常で正常な思考を持った人間ならば「ならばそれは鳥だ」と言うだろう。単純な多数決であり、残りの一人は精神異常者かひょうきんものだと思っているのだ。

しかし、もしもそれが間違っていたら?

例えばだが、実はM78星雲の近所から来た謎の知的生命体が地球人の意識支配を試みており、彼以外の全員が鳥でないものを鳥だと認識していたとすれば、異常者扱いされた彼の意見は正しいのだ。ただ、大多数が正しくないと認識していればその社会の中ではそれは間違っている。彼は鳥でないそれを鳥だと言わなければ一生精神病院から出られないなんてことになる。

つまり、ひょっとしたら俺はこの地球で最後の正気を保った者であり、彼女の事を普通の昔からいた人間であると錯誤させられた皆は既に宇宙人の支配下に落ちている、とか。
だとしたらあのいりこという女は侵略者か何かなんじゃないか?インベーダーだ。地球侵略にやってきたのだ。人類最後の抵抗者である俺を常識から非常識へと引きずりおろしてしまおうとしているに違いない。神よ助けろ、哀れな仔羊が凄まじいまでの孤立状態だぞ。ヘルプミー。

・・・流石にそれは現実離れしすぎている。ならば俺が正気でない可能性だ。

まず、俺は少なくとも俺の認識する範囲内では健常な人間としての生活を送ることが出来ている。また、頭を打って綺麗に彼女の事だけ忘れたのではないかといろいろ調べても、俺が変な薬を飲んだとか頭をけがしたとかそう言う事実は存在しなかった。そも、忘れているなら何かしら記憶の齟齬が生まれたりして自分で違和感に気付きそうなものだ。

だがここで油断してはいけない。異常者というのは自分が異常であるとは思わない。現実が異常だと思い込み、その中で自身だけが異常なのだと気付けないから苦しむのだ。だから俺には彼女に対して猛烈に嫌な思い出やコンプレックスがあってそれを忘れるために脳が自己防衛本能で彼女の記憶を封じ込め・・・無いな、ないない。あの女には不信感を越えるものを感じないし、他に俺にとって差し迫ったストレスの種は存在しなかった。
いや、それすら夢オチだったといたら。実は俺は超誇大妄想者で未だに肉体は精神病院のベッドの上に藁のように乾されており、今こうして考えている俺とその認識する世界は全部俺のスーパー妄想力によって生み出された精神世界だとしたら。・・・自分で作った世界で自分が悩むなんてどんなマゾプレイだよ。もう少しいい人生送りたいわボケ。


とまぁこんな具合に俺の疑問は降って湧いては沈んでゆく。めくるめくサザメワールドの終焉訪れず、ああ無念なり無念なり。はぁ、とため息をつく―――瞬間、俺の口に予想だにしない異物が突然突っ込まれた。

「むぐぁ!?」
「おお、漸く気付いてくれた?もう、レディが目の前にいるのに無視するなんてひどいじゃない!」

気が付けば目の前にいりこの姿。溜息を吐いた瞬間に口に何か突っ込まれたらしい。取り敢えず舌の上で転がして咀嚼してみると、トマトソースの香りと酸味、そして玉ねぎ交じりのひき肉の味がした。これハンバーグか。美味いので咀嚼して飲みこむ。
改めて前を見れば、いつの間にか俺の机と自分の机連結システムを発動させたいりこと、彼女の用意した弁当が目に入った。

「人が崇高なる思考実験を続行中だったというに、何故邪魔するか不遜者めが」
「思考実験だか何だか知らないけど、昼休みの時間は有限なんだからご飯食べたら?お母さんの用意したのがあるでしょ?」
「おばさんといえおばさんと。別にお前の家族じゃねえだろうが」
「いぃじゃん別に。昔からお隣だったんだもん、私にとってもお母さんみたいなものだよ?お母さんが二人なんてお得感満載でしょ!」
「昔からねぇ・・・」

昔はお前いなかったろうが、と思うのだが、物証も目撃証言も向こうに分がある。裁判では敗訴確定。むしろ俺が何で覚えていないのかが不思議に思えてくるレベルで俺はこいつの事を覚えていない。当然と言うか、我が母君もこの娘の事を小さいころからよく知っている風だ。本当に幼馴染ならその程度は確かに知っているだろう。幼稚園時代の喧嘩から何から未だに話のネタにしている。

この意識のずれは何なのか―――むぐん。また開いた口に食べ物を詰め込まれた。この味は茹で人参だな。茹でる段階で何かしら味をつけてるらしく、無駄に美味い。ちくしょーニンジンの分際で生意気な。

「・・・ってこら!人の口にぽんぽん食べ物押し込むな!」
「だってまた考え事してるっぽいし。ダイエット中だし。男の子なら多少食べ過ぎても平気でしょ?はむっ・・・んん、今日の卵焼きは会心の出来栄え!流石私、将来の良妻は料理の腕が違う!!」
「自分で作った弁当なら自分で量減らせよ・・・というかお前専業主婦志願か?勉強できるんだから就職しろよ、女性の社会進出が進む」
「じゃあその間おうちはさざめ君に任せていい?さざめ君ったらお掃除は上手だもんねぇ♪」
「・・・・・・はぁぁぁぁぁぁ」

自分の料理を自画自賛(いや自作自賛?)したいりこは自分の弁当を自分で作っているらしい。そして故知時俺の口にああやって物を詰め込もうとするのだ。2つも詰め込まれたのは屈辱の極み、3度目は無いと思われたし。
おまけにこの調子で人を口説こうとして来る。いや冗談のつもりかもしれないが、訳が分からなくても可愛いと思わない訳ではないので確り気を保たないと心臓が変な音を出しそうになる。これでいりこ以外だったら内心ひゃっほうするとことだろうが、いりこ相手ではどうにも警戒心が拭えない。実は何か理由があって俺を籠絡しようとしてるんじゃないだろうな。・・・まぁこれ以上話していても疲れるだけなので、俺も自分の弁当を食べる事にした。

が、ふと思う。

「・・・ちょっと待ててめぇ。その箸、俺の口の中に突っ込んだよな?」
「うん」
「ちゃんと拭いたか?」
「必要ないでしょ。幼馴染なんだから唾液交換くらい気にしない気にしない」
「いや気にしろ馬鹿野郎!何だその生々しいワード!?まさか俺の口に突っ込んだ箸、お前が使用した後だったんじゃ・・・」

いりこの弁当に目を落とす。彼女が食べた卵焼き、俺の食べたハンバーグと人参一切れ、そして他に何かが入っていたであろうブランクがもう一つ。
―――食ってやがった。使用済みだ。かぁっと顔が羞恥で火照るのを感じて、慌てて悟られないように顔を伏せる。向こうは自分の弁当を食べている所為で今だけ見ていないが、俺は不覚だったと肩を震わせる。
・・・OKOK、思春期特有の変なテンションと羞恥心を鎮圧することに成功した。では改めて思考実験を再開しよう。

この女、いろいろと正気か?衛生上は勿論、一般人から見た倫理的にもお行儀のいい行為ではないというか、意図的な間接キスというか、ともかくいくら幼馴染だってそんなコトする訳あるか。普通は抵抗がある。男女間なら別ベクトルで抵抗があるはずだ。これは、今までそれほど気にしていなかったが「いりこが異質な存在である」という件をもう少し真面目に考える必要があるんじゃないか?

一つ追加された仮説。実はいりこは周囲の意識を改変する能力を持った超能力者的ナニーカであり、俺に偏執的猛愛を抱いた存在なんじゃなかろうか。思わずまじまじといりこの顔を見る。

「?」
「・・・・・・」

むぐむぐと弁当の中身を咀嚼するハムスターのようにつぶらな瞳。こちらの視線を不思議に思ってか小首を傾げている。―――むう、普通にかわいい。・・・じゃなくて!俺はもっとこう何かその・・・・・・駄目だ、考えが纏まらない。

「どしたの?さざめ君・・・はっ!まさか漸く幼馴染の大切さに気付いて・・・!?」
「人の唾液を呑み込んで興奮する異常性癖者め」
「はぇ!?こ、こ、興奮なんかしてないもん!!だ、大体子供の頃は一緒にお風呂に入ったことだってあるんだから今更それくらい―――あ。」

その大声は、クラス中の生徒の耳に飛び込んだ。いや、今までの口論も近くの奴には聞こえていたのだが、最後の一つだけすごく大きく響いた。
改めて言うのもなんだが、いりこはその俺にとっての気味の悪さを除けば可愛いし人当たりも良い優等生だ。俺が絡むと悪戯っぽくなるとは周囲の談だが、それでも校内のマドンナ的な立場には割と近い場所にいる。男子からの人気があるのだ。

そんなファンに当然ながら俺は疎まれている。幼馴染だか何だかと理由をつけてべたべたくっついてくるいりこをあしらう態度は勿論、彼女に特別視されている事実も彼等にとっては妬みの種だ。それを・・・まさかのカミングアウト。&俺アウト。彼等の嫉妬ゲージは振り切れてしまった。

「延年・・・屋上」
「延年・・・校舎裏」
「延年、面貸せ。久々に・・・キレちまったよ・・・」
「ででででで田楽さんの間接キスだけでなくおおおohuromadedededeededed・・・・・・・」

ゆらーりと嫉妬に狂う男達が立ち上がる。俺と彼女が一緒に登校していることが気に食わない連中とか、いりこファンを自称する連中とか、ユリィな子も若干名混ざっている。沸き立つ殺意は極上品であり、俺を殺すために目をらんらんと輝かすその姿は10人が10人怖いと思うだろう。
ゲットレディ、これより撤退行動に移る。エネルギーバイパス解放、FCS解禁、ECM正常作動。パワーレベルをクォーターからマックスへ、逃走ルート確認。これより任務を遂行する、オーバー。

「・・・自由への逃走作戦スタート!!」
「「「「待てゴルァァァァァァ!!!」」」」
「うう、余計なこと言っちゃったよぉ・・・」
「ねーいりこちゃん。お風呂の他には何やったの?ぜひぜひ聞かせてもらいたいなぁ♪」
「というか間接キスに抵抗なかったわけ?」
「いや、チューなら前にもしたこ・・・」
「うおーい!?お前は暫く黙ってろ馬鹿!!」

まさかの罪状追加らしい。おのれ皆の記憶の中の俺、既にファーストキスを女の子に捧げているとはげに浅ましき男よ。相手がアレだけど。言うまでもなく俺の記憶的には、ファーストキスはまだである。まだ、だよな?俺の認識する事実の中ではまだだ。だがあいつの認識する事実の中では終わっていて、つまりシュレディンガーだ。開ける箱が無いから中身は確かめられないが。

かくして俺の休み時間はこの馬鹿どもからの逃走に全てを費やされ、昼の弁当は授業時間中に処理する羽目になった。俺は悪くない筈だろう・・・おのれいりこ、人の皮を被った悪女め。
  
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