トワノクウ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
トワノクウ
第四夜 逢坂山
拝啓、私の尊敬する先生
こちらに来てからはや1週間が過ぎました。
私もすっかりお手伝いさんに慣れてきました。無心におそうじしたりお料理したりお洗濯したりって、びっくりなことに私に向いてる仕事だったみたいです。
この時代、まだご家庭三種の神器もないんで、おそうじはホウキとぞうきんで、お洗濯は洗濯板です。冷蔵庫もないからこまめに買出しにも行かなきゃなんですけど。
実際、こんな髪と目になっちゃったんだから、出ないほうが色々いいんでしょうけど。
私の目、左右で色が違うんですよ。鵺に取られちゃったんですって。視えなくてもあまり前と変わらないんで不自由はしてないです。
それでですね、今日もお寺の片づけにいそしんでいたのですが、その時、一風変わったお客さんがいらっしゃいました。今日はそのお客さんについて書きますね。
遠因ってことばがあるじゃないですか。私がその日に体験したたくさんのことは、実は大きなことの始まりで、そのお客さんが遠因っていうのになったかもしれないから。
くうは昼からずっと寺の掃除に勤しんでいた。
朽葉と沙門はそれぞれの仕事で出かけている。寺が留守なのでくうは心置きなく好き勝手に掃いて拭いて埃を落としていた。
何より、身元もはっきりしない、異世界から来たと夢見事を言う娘を残して出かけるくらいに信頼してくれる朽葉と沙門に応えたい。帰ってきた時に気持ちいいと思ってもらいたい。
(気合の証拠にドレスも封印したんですよっ)
くうは誰にともなく拳を握って主張した。
今のくうの服は地味な色の着物で、袖をたすきがけして、西洋エプロンもしてあるという、完璧な家政婦ルックなのだ。
最近はずっとこの格好だ。ドレスは借りた部屋のタンスの肥やしとなった。
「廊下はこんなものですね。お庭、は朝やりましたし――お買い物に行きますか」
てふてふ。くうは財布と籠を取りに行った。
外を歩くのは好きだ。彼岸には四季こそあれどコンクリートジャングルで季節を満喫するなどできず、実は本物の土を踏んだのもこの世がはじめてなのだ。
(どきどきする。胸がきゅってなる。夕日坂さんはこれを「懐かしい」っていうんだって言ってましたね)
日本人のDNAをしみじみ感じながら、この一週間で行きつけになった、にぎわいのある市を歩く。
取れたてと店主が叫ぶ岩魚や海老や蟹は、手渡された客が落とすと地面で跳ねる鮮度。肉を煮た匂いがするのは文明開化の江戸らしい。青果の店には、木箱に分別され、所狭しと積み上げられた夏の果実。箱から溢れんばかりの瓜に、小山になった紅玉色の棗、桃、杏。現代のスーパーマーケットさながらの品揃えだ。
(晩ごはん、どうしましょうかねえ)
籠をぶらぶらさせながら考える。
今日も暑いのであまり煮炊きはしたくない。現代ならそうめんや冷やし中華だが、明治にはまだ乾麺さえない。贅沢を言わずにきちんと作れという料理の神様のお告げだろうか。
「そうだ、お豆腐!」
豆腐がウナギに化ける節約料理を父に黙ってこっそり作ったことがある(父親は凝り性なので手抜き料理は認めないのだ)。夏といえばウナギだ。それに普通に調理しても、冷奴は冷たい料理の定番だ。
豆腐屋に到着したくうは、店員に声をかけた。
「くださいなー」
「へいらっしゃい! お、寺の娘っ子かい。今日の夕飯かい」
「はい。ウナギもどきを作ろうと思いまして」
「そりゃけったいな。百珍本にも載ってねえんじゃねえかい。上手くいったら教えてくんなっ」
目的物を買って豆腐屋をあとにする。ビニールといった便利なものはないので箱のまま籠の中である。水分が干からびる前にほかの買い物も終わらせねばならない。
(うな丼だったら汁物いりますね。こっちは普通に材料ありますし)
考えながら歩いていたせいで注意力が削がれた。くうは道端でおしゃべりしていたおばさんの集団に軽く接触した。
「あ、すみませんっ」
「気をおつけよ。……おや、あんた、前に鵺に襲われてた子じゃないかい?」
ぎくり。肩がこわばった。
「ひ、人違いじゃありませんか」
「そんな奇特な成りの娘を見間違いやしないよ」
そういえば、と他のおばさんたちも、くうに注目し、ひそひそと何かを囁き合った。気分が悪い。くうはその場を去ろうとした。だが、そうは問屋が卸さなかった。
「ちょいとあんた、あの寺で女中してるんだって」
「――そうですが、それが?」
「本当のところ、寺の娘はどうなのよ」
直感する。この人たちは朽葉を悪しざまに言おうとしている。
「どう、とは」
「知らないわけじゃないだろう。寺の娘は妖を飼ってるって噂」
思い出すのは巨大な狗。彼女は心から朽葉を案じていた。
「家一つ分はあるでかい犬だっていうじゃないか」
「あら、あたしは寺を一周するくらい長い蛇だって聞いてるよ」
「ちがうよ、狐だよ。寺の娘は狐憑きなんだよ」
「血を浴びると呪いを受けるとか」
「袈裟の下は腐肉なんだろう」
好き勝手に自分が知る「噂」こそ真実と主張し合い、やがてくうをやっと思い出して「どうなんだい」とおばさんたちが聞いてくる。
「はあ、そうなんですか」
くうは知らないし、知るとしてもこんな形では知りたくない。だから今、最善と思われるリアクションコマンドを選んだ。
「はあ、って、あんた、怖くないの?」
「さあ。外国から来たばっかりなので、まだこの国の常識に慣れてませんし。仮に朽葉さんが妖を飼ってたとしても」
――これから言おうとしていることは道義的には正しい。くうは正しい。そう言い聞かせても声にするのに心臓は痛いくらいに高鳴った。
「それで朽葉さんを怖がる理由として十分とは思えませんから」
おばさんたちは呆れた顔をした。この子は何にも分かってない、だの、外面に騙されて、だの、そんな感じの思惑が読み取れた。物知らずの異人娘への上から目線な同情だ。
(なけなしの勇気ふりしぼったのにこれじゃいやんなります)
くうはにこやかに、おばさんたちに暇を告げて、踵を返した。
買い物はおしまい。あとは有り物ですませる。すみやかに寺に直帰しよう。
寺の門を潜って庫裏へ回ったところで、くうは玄関の前に人が立っているのを認めた。
寺の正門ではなく庫裏に来たということは、私的な客人ということだ。
その客人は沙門と同じくらいの年頃の男だった。髷に袴という出で立ちから、商人や農民ではなく、士族。
「こちらのお寺に何かご用ですか?」
声をかけると男はくうをふり返った。
男はのっぺりした目でくうをじーっと見つめてきた。気まずい。
(やっぱり白髪にオッドアイは奇妙に映るんでしょうか。こんなことなら遠慮せずに朽葉さんに髪染め買ってもらっとけばよかったですぅ~)
「あの、どちら様でしょうか」
「ああすいません。私、佐々木といいます。沙門はいますか?」
「沙門さんでしたら、お仕事にお出かけです」
寺はそれ自体が運営しにくいご時勢なので、沙門も朽葉も外に働きに出る。二人の仕事は剣道道場の師範代である。師弟揃って剣術を修めているので向いた仕事だと夕飯時に教えてもらった。
「失礼ですが君は?」
ずい、と佐々木に顔を近づけられて、ついくうは身を引いた。
「私はこちらに住み込みで家事手伝いをさせていただいてる者です」
ふむ、と佐々木は腕組みをした。
「出家人のくせにこんな愛らしい女中さん雇ったんですか、あのくそ坊主」
「く、くそ坊主って」
確かに酒は飲むし酔った勢いであちこちで寝るし、寝たら朽葉に叩き起こされるし(この起こし方は一昔前のアーケード並みのコンボ技である。朽葉による沙門起こし、三回目からヒット数をカウントしていることは秘密だ)。
「まあいいです。沙門の帰りはいつ頃か分かりますか?」
「夕方前には帰るとおっしゃってました。上がってお待ちになりますか?」
幸いにして沙門の帰宅予定時刻までそう長くない。お茶を出して待ってもらっている間に沙門も帰ってくるだろう。
「そうですか? それじゃ上がらせてもらいましょうか」
「はいっ。中へどうぞ」
Continue…
後書き
佐々木 が あらわれた!(でろでろでろー)
佐々木さんの沙門さんへのくそ坊主呼び(アニメ版)が地味に好きですvv 本当にこの二人はどういう縁で知り合って友達になったのでしょうか…? 個人的には沙門も武家の出かと予想したりしているのですが。
ページ上へ戻る