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トワノクウ

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トワノクウ
  第三夜 聲に誘われる狗(二)

 
前書き
 朝の風景 

 
 台所はさすが江戸時代のもので、時代劇でしか知らないような造りにくうは感動の声を上げた。

 朽葉が草鞋を履いて土間に降り、もう一足の草鞋を出した。

「あとは汁物なんかだ。火を通すものは置いていたからな」

 くうはその草鞋に足を通して朽葉の後ろについて歩く。

「料理はできるか?」
「そこそこです。あー、洋食、洋食が主に得意分野ですけど」
「なるほど」

 苦笑しながら朽葉はくうを手招きする。
 台所中央の台の上にはすでにできたおひたしや煮豆が並び、横には調理途中らしき材料も並んでいる。

「それじゃあこっちを頼む」

 くうは朽葉から、ニンジン、しいたけ、レンコン、ひじきを細かく切って味付けしたらしい具のおひつを渡された。

「中の具を少しずつ飯に混ぜてくれ」
「五目ご飯ですか。すごいですっ」
「毎日こう凝った料理ばかり作るわけじゃない。今朝は特別だ」
「頑張りますっ」

 しゃもじも受け取って、くうは気合を入れて袖をまくった。……すぐに袖はずり落ちた。

「……朽葉さ~んっ」
「はいはい。ちょっと待て」

 朽葉は紐を持ってきてくうの後ろから袖を縛り上げた。たすき上げという作業着用の結び方だ。

「ありがとうございますっ」
「泣いたカラスがもう笑った、だな」

 朽葉が微笑ましいといわんばかりの表情を浮かべたので、くうは照れながらもその表情に見入ってしまった。笑った朽葉はやっぱりきれいで、同性のくうでもときめきのような拍動を抑えられない。

 さっそくしゃもじを構え直して、湯気を上げる白飯のおひつに少しずつ具を加えていきながらも、くうは火の前で卵焼きを作り始めた朽葉から目を離せなかった。

 朽葉はほのかに弾んだ表情で菜箸を動かしている。フライ返しがないから卵焼きも箸で返すのか。フライパンの代わりは中華鍋のような形の鍋だ。

(お父さんにご飯作ってあげる娘って、こんな感じでしょうか)

 くうは手元の作業と朽葉の表情を何度も交互に見た。

(何でしょう――デジャヴ)

 昨夜、朽葉の料理を食べて父親の味に似ていると感じた。味が近いなら作り方も近いことになる。この既視感は父親が料理する姿に重ね合わせて起きているものかもしれない。


〝お父さん、お父さん! わが家ではどうしてお父さんがごはんを作るですか? この前やったゲームでは家事はお母さんの仕事って言ってたですよ〟
〝向き不向きの問題だ。母さんは料理ができない人だから、できる誰かが代わりにやる。それが父さんだってだけだ。それともくうは料理なんてする父親は恥ずかしいか?〟
〝お父さんのごはん好きです! じまんの味です!〟
〝ならそれでいいだろ。――あと、また黙って体感型のゲームに手出したな?〟


 連想ゲーム的思考は朽葉へのときめきを止め、思い出の中の父親への不満が頭をもたげた。

(猛ダッシュで逃げましたっけ。篠ノ女家の3D禁止令はちょっぴり異常でした。おかげでトレンド乗り遅れて中学時代、苦労したんですからね)

 しゃもじを動かす手が少し乱暴になった。

 物言わず互いの調理に集中すると、鍋が噴く控え目な音と卵が焼ける快音と香ばしさが満ち、目の前の混ぜご飯から上がる湯気が朝日の線を浮き出した。

 静かで、それが心地よい朝。

(今日から毎日こうやって暮らせるなんて、ほんと素敵)

 期待に軽やかにしゃもじを動かしていると、快い静けさを壊す声が、玄関からした。

 ――ごめんくださーい!!

 ふり返った朽葉は怒りとも呆れともつかず、さらに脱力もまじった顔をした。

「何でしょう?」
「新聞の押し売りだ。ったく、何度も断っているというのにっ」

 朽葉は苛立たしげに菜箸を置いて台所を出て行った。

(えーと、明治でしかもこの年の新聞っていったら、柳川春三の中外新聞ですかね。()()新聞は1968年で廃止になったはずですし)

 外字新聞による外国事情の翻訳紹介とともに国内事情の報道にも力を入れた、日本人による最初の本格的新聞である。佐幕派新聞だったので一度は廃刊になるも、明治2年2月までは刊行されたはずだ。

(日本の歴史好きでほんとよかった。お父さん感謝です)

 最後の具を投入してしゃもじでご飯ごとかき混ぜて、混ぜご飯の完成だ。
 そうすると仕事はなくなり、くうは適当な場所に腰を下ろした。

「朽葉さん、遅いなー」

 新聞に限らず訪問販売はえてして長時間拘束される。夜明けが活動開始時間のお江戸ではセールスも朝から元気なのだろう。
 人間が訪ねて売るというシステムが廃れてきた現代日本では新鮮だった。

 朽葉が拘束されると、すなわち、朝食が遅れる。

 くうは立ち上がってほてほてと水場まで進み、まな板の上の野菜を見下ろした。大根、豆腐、油揚げ、長ネギ、横には味噌の壺。

(作っておいたら朽葉さんも楽できますよね)

 幸い、味噌汁なら家庭科実習のために父から習ったことがある。材料も道具も現代とさほど変わりない。
 目の前には食材と鍋。くうには経験とこの両手。

「やりますかっ」

 くうは腕まくりをして作業に取りかかった。



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