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トワノクウ

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トワノクウ
  第三夜 聲に誘われる狗(一)

 
前書き
 少女 と 犬神 

 
 くうは夏の朝の鋭利すぎる陽射しで覚醒した。
 まだ寝たい、だが起きる。夏休みのラジオ体操を思い出しながら布団から這い出た。

(居候になる身で昼行燈は頂けません。せめて家事手伝いくらいはしたいです)

 枕元にあった着物を広げる。
 ドレスでは目立ちすぎるため、朽葉が彼女自身の着物を貸してくれた。くうは小柄で朽葉より頭一つ分低いので昔の着物で充分らしい。

 帯まで結んで、借りた部屋を出た。目指すは台所だ。きっと朽葉が朝食の用意をしているはずだから手伝う。それが今朝の早起きの目標だ。

 台所に行くか、朽葉を探すか。

 どちらも念頭に置いて寺の中を歩き回っていると、朽葉自身が見つかった。やった、とくうはついガッツポーズを決める。まだ食事の準備をしていなかったなら、手伝えることも多いはずだ。

「おはよーございまーす!」

 くうが呼びかけると朽葉がふり返った。

「おはよう。よく眠れたか?」
「はい。あ、服ありがとうございます。ぴったりでした。ほら」

 両手で袖を持ち上げてはしゃぐようにして見せた。朽葉は軽く口角を上げるだけだった。

(反応薄いなあ。もっと目一杯わーっとやればよかったでしょうか)

 改めて盛り上げ方を考えていたくうの前に、朽葉が一歩進み出る。

「一つ、聞きたいことがあるんだが」

 ふと首を傾げる。朽葉はこんな声だっただろうか。昨日一日しか共に過ごしていないが耳が違和感を拭いきれない。

 ――くうは自身の能力がどれも中途半端だと知っているが、耳だけは最近発達したと自負している。高校で楽研に入部して質のいい部員の声や演奏を聴いてきた成果だ。

 その耳が、この声は違う、と訴える。
 だが、この姿はどう見ても朽葉だ。

「はい。何ですか?」

 くうはおかしいと感じる心を放置して聞き返した。

「お前はこの子――いや、私が好きかい?」

 くうは見事にフリーズした。

(ど、どうしましょう……? これはシミュレーションプレイで今までよくあった選択肢とかシナリオ分岐とかなんでしょうか? って、これ現実なんですから、そもそも朽葉さんも私も女なんですから、でもそういうシナリオで遊んだことはありますし、昔女の子同士の紙媒体書籍(テキスト)は流行ったらしいですし)

 表面上は素のまま思考がハツカネズミと化していた。

「どうなの?」

 朽葉の手がするりとくうの頬に伸びる。

 ……しまった。あちらだったか。
 そーですよねーでなきゃ見ず知らずの若い女の子なんて普通拾いませんよねー、と半ば逃避的になりかけた時――

「見つけた! ここにいたか!」

 朽葉がとび出してきた。……え?

「朽葉さんが二人!?」
「……っぷ」

 すると目の前にいたほうの朽葉が急に笑い出し、ふわりと庭にとび降りた。

 どろん、と。らしすぎる効果音と煙が立つと、そこにいたのは朽葉のそっくりさんではなく、

「ほえー……」

 見上げるほど巨大な犬だった。

「貴様、この私に化けるなどどういうつもりだ! 犬神!」

 朽葉は犬神と呼んだ獣に対して怒鳴る。巨大な体躯にも一歩も引かない。

『話をしてみたかっただけだよ。彼岸人に関わってろくな目に遭って来なかったろう。前の奴らのように質の悪い娘だったら困る。そうだろう、私の可愛い子』

 女の声だ。この犬の性別は雌らしい。

「良し悪しに関わらず、くうに関わると決めたのは私だ。貴様が要らぬ心配をする必要などない」
『また泣くことになってもかい?』
「愚問だな。私が奴らと離れて涙した日が一度でもあったか? ないだろう。分かったらさっさと戻れ」

 犬神は笑うように牙を覗かせて口角を上げると、再びどろん、と音と煙を立てて消えた。

「まったく! 油断も隙もない。許可なしに意識を乗っ取りおって。人が少し態度を緩めるとこれだからっ」

 朽葉の怒りの内容はくうにはよく分からないが、剣呑な単語が混じっていたので、朽葉に直接聞く勇気が湧かなかった。

 ひとしきり怒った朽葉の目がくうと合う。くうは何を言うべきか分からず戸惑った。

 ――あの大きな犬もあの鵺や夜行のような妖怪ですか? 妖怪がなぜ朽葉さんを大切にしているような発言をするんですか? 私が朽葉さんを心配させるような何かをしましたか?

 ――疑問はどれも言葉の形にならない。

「あのな、くう」

 朽葉は観念したように、腕を組んで少し顔を逸らした。犬神との関係を言うのだろうが、朽葉が好んで言いたいのではないとくうにも容易に知れた。

「私は犬神――」
「あ、あの!!」

 くうは急いで朽葉の言葉を遮った。

「い、言いにくいこと、なら、無理に言わなくていい、と思います。無理に知りたい、とか、私思ってませんから、その、だからっ」

 いつもはすらすら出てくる言葉が今に限って出てこない。

「朽葉さんがイヤなことなら、イヤイヤ言ってほしくないというか……」
「――、ありがとう」

 はっと泳いでいた目を朽葉に戻すと、朽葉は朝日に透けるような微笑みを浮かべていた。

 礼など言わないでいいのに。くうは伝えたい気持ちの半分も伝えられていない。朽葉の心に届く言葉を言えていない。
 そんな無様な結果に、そんな素敵な笑顔でありがとうなんて、もったいなくて切ないのに。

「今、朝飯を作っていたところだ。あれに中断されてしまったがな。もう少し待ってくれ」

 踵を返した朽葉に、くうはぴったりと追随する。

「くう?」
「お手伝いします。あんまりお役に立てることないでしょうけど。だめ、ですか?」
「だめということはないが……」

 いいですか、よりも、だめですか、のほうが相手に要求を呑んでもらいやすい。くうの経験則だ。案の定、朽葉は返事に期待できる逡巡をしている。

「分かった。手伝ってもらおうか」
「はいです!」



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