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トワノクウ

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トワノクウ
  第二夜 翼の名前、花の名前(三)

 
前書き
 月夜 と 回顧 

 
 夜色の天球に、ぽつりと欠けた白い月。夏の暑気は鳴りを潜め、廊下はちょうどよく涼しい空気に包まれている。境内には、虫一匹が星一つに唄を捧げてでもいるように、鳴き声が満ちている。

 くうは一人、じっと月を見上げていた。

 結局夕飯はあまり食べられなかった。まだ不調だろうから無理はするな、と朽葉が気遣ってくれたのは逆に苦しかった。

(迷惑、かけちゃう。朽葉さんにも沙門さんにも)

 例えば、くうが父親ほどに器用で要領がよければ家事くらいは手伝えるだろう。くうが中学での家庭教師ほど博識ならば生活術に応用できただろう。

 くうは二人のメリットになる材料を一つも持たない。
 家事はそこそこ、知識は高校生程度。通信教育で取った資格はどれもこの時代では使えないものばかり。

(私、何しにここにいるんだろ……)

 異世界トリップは体感型ゲームで何度もやった。いつでもくうが主人公。くうは強く凛々しい戦士であり、世界を救う戦乙女であり、人々に希望を与える女神だった。

 お馬鹿さん。本物の篠ノ女空なんてこんなものでしかない。

 返す宛てのない他人の厚意がこれほど重くのしかかると知らなかった。他人の行為が自身のカラッポさをさらに思い知らせるとは知らなかった。

 ――篠ノ女空はここにいてはいけない。

「早く出て行かなきゃ、だよね――」

 言い終わった瞬間、肩に仄かな重みともいえない感触が加わる。いつの間にか羽織が肩にかかっていた。見上げると、穏やかに細めた目でくうを見下ろす朽葉と目があった。

「腹、減ってないか? 結局あまり食べなかったろう」

 朽葉は右手の重箱と左手の茶器を持ち上げて笑った。くうは込み上げたものを堪えて、肯く。

「はい……ペコペコです」
「だろうと思った」

 朽葉はくうの横に腰を降ろすと手早く重箱を開けて、皿に煮物やら野菜やらを盛ってくうに渡した。手際がいい。

「……いただきます」
「ああ」

 食べながら、くうは朽葉をちらりと窺う。
 (もう)()を外した髪は尼らしく短い。それに包むようなまなざし。同性なのに胸がドキドキして、くうはなかなか箸を進められない。

「口に合わないか?」
「い、いいえ! 朽葉さんは召し上がらないんですか?」
「私はさっき味見で充分食べた。気にするな」
「味見でおなかいっぱいっていうのもすごいです……」

 ようやく緊張も緩んで料理の味が分かってくる。そこでくうはふと気づく。

「お父さんの味に似てる……」
「お前の父親の味?」
「は、はい。上手く言えないんですけど、そのぅ、味付けが。切り方とか火の通し方とかは違うんですけど、調味料の具合っていうのかな……お父さんのごはん、食べてるみたい」
「充分上手く言えてるじゃないか」

 朽葉が苦笑したので、くうは少し照れた。

「昔ここに賄いで通ってた奴がいてな、悔しいが私はそいつ以上の味を知らないんだ。それでつい真似てしまう」

 朽葉はとても懐かしそうな表情で、指で煮物を一つ摘まんで口に放り込んだ。

「それでも同じ味は出せないがな。我ながら女々しいことだ」

 そんなことないです、と言うべき場面()()()()気がしたので、くうは黙って食事を進めた。
 その間、朽葉は考え込むように俯いたまま、たまにくうを窺う程度だった。

 食べるだけ食べて、ごちそうさまでした、とくうは箸を置いて手を合わせた。

「――さっき、早く出て行かなければ、と言っていたな」
「聞こえちゃいましたか」
「あれだけはっきり言えば嫌でも聞こえる。――沙門様のご厚意は迷惑か?」
「いいえ! 私みたいな役立たず、きっと穀潰しになってしまいます。その上こんな格好ですし、ご近所から誤解されるかもしれませんよ? 悪いことしかありません。だからできるだけ、一日でも早く住むとこもお仕事も見つけなきゃって」
「希望を潰すようで悪いが、さっき言った通いの男はそれを成し遂げるまでに一年近くかかったぞ」

 つまりその賄いの男というのが朽葉が語った彼岸人の片割れだったわけだ。
 しかし一年も長く腰を据えて元いた世界に帰る方法を探せるだろうか。鵺と夜行は都合よく出現するものではないようだし、長期戦を覚悟すべきだろうか。

(潤君も薫ちゃんも心配してるのに。お父さんとお母さんに何も言ってないのに)

 朝、普通に「行ってきます」だけで出てきた。父も母も「行ってらっしゃい」「気をつけろよ」だけだった。

「……すまない。言い過ぎた」
「いえ、そんなこと」
「とにかく。沙門様が面倒を見ると言ったからには、お前はここにいていいんだ。何もかも焦って考えることはない。急がずにできることから始めろ」

 朽葉は重箱と食器をまとめると、くうの肩を一つ叩いてその場を去った。


(できることなんて大してない。でも、何もしないわけにもいかない。こういう状況、つらいな)

 くうは欄干に額を押しつけて俯いた。ただただ自分がキライになりそうだった。





 自室に戻った朽葉は、箪笥の抽斗からある物を取り出した。
 手の平に乗る程度の、四角い模様がある丸い眼帯。そして青い髪紐。

(まさか()()()が来るとはな。これはお前の仕業か? それとも彼岸人というのは一定周期で一人二人は来るものなのか?)

 篠ノ女空。篠ノ女。――これも特別に懐かしい響きだ。
 もっとも別れて六年しか経っていないのだから彼に子供など出来ようはずがない。偶然だろう。

(思い出と言うには、まだあまりに生々しい。お前達との日々は)

 朽葉はそっと眼帯を指で撫でる。
 結局それほど長い日数を着けずに外してしまったのに、何故かそれは〝彼〟のものだと言えた。


〝預けとくから。帰ってきたら返してよ〟
〝親の教えでさ。人と別れる時は思いきり大げさに惜しむことにしてんだよね。――一生の別れになっても後悔しないように〟


 朽葉は眼帯を両手で握り込んだ。伝わるのは皮の硬いざらつきばかり。〝彼〟のぬくもりなどどこにも残っていない。


「――鴇」


 呼んだ声はやけに大きく響いて部屋に染みた。


〝俺も篠ノ女も朽葉が大好きだから! 絶対離さない!〟
〝朽葉に会ってから嫌だったことなんて一つもない〟
〝ごめん……俺もほんとはずっと朽葉と一緒にいたかった……〟
〝こんなこと言うと怒られそうだけどさ――強く生きてね、朽葉〟


 優しくするだけ優しくして、未練を作らせるだけ作らせて、希望を持たせるだけ持たせて、夢中にさせるだけ夢中にさせて、結局帰ってこなかった。

 眼帯を胸に押しつける。嗚咽をかみ殺す。

 逢いたい。逢って声を聞きたい。締りのない笑顔を見たい。

 六年待った。昔よりは乱暴さも抜けた。家事も上達した。犬神とも上手くやっている。妖との関係も考えるようになった。

 だから、早く帰って来い。

 朽葉は膝を抱える。

 こんな夜はもう嫌だと、思いながらもまた同じ夜を迎えるのだろう。〝彼〟が朽葉の前に再び現れるその日まで――

                                        Continue… 
 

 
後書き
 朽葉が鴇らぶなとこをようやく書けましたー!
 イメージとしては鴇が帝天になる決意をした直後、仲間と別れて天に至る直前のシーンです。覚悟を決めて神様になった鴇と、帰って来ないと知りながら鴇を待つ朽葉。悲恋ぷまいれす。
 朽葉のようなタイプは一度恋心に開き直るとどこまでもそれに盲目になる気がします(例:沙門)。
 我が家の朽葉にはこれからも鴇ラブ路線を突っ走ってもらいます。
 
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