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トワノクウ

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トワノクウ
  第二夜 翼の名前、花の名前(二)

 
前書き
 〝こちら〟と〝あちら〟 

 
 到着したのはあちこちにガタが来た寺だった。
 中に入るほど壁の土が剥げて中の骨が覗いており、柱の傷みや砂状の埃が目立つ。

 朽葉は一つの大きな戸の前で止まる。

「こっちだ。静かに入れ」

 戸を押して入った朽葉に、くうも静かに続く。

 講堂だった。広く天井も高い室内には、一人の僧侶がいた。
 僧侶は向かって右側の毘沙門天像に両手を合わせて黙祷している。
 静謐で壊しがたい空気に、くうは緊張して息を殺す。

 その空気を破ったのは――

「ぐぅ」

 僧侶自身が舟を漕ぐ拍子に上げたいびきだった。

「沙門さ、ま! 起きてください、客人ですよ」

 朽葉の踵落しを脳天に食らった僧侶は、奇妙な角度で床に倒れ伏した。

「いててて……いかんいかん、説法を読む内に無我の境地に落ちてしまった」

(誰が上手いこと言えと。無我どころか無意識でしたくせに)

「んー? ――」

 僧侶の赤ら顔がくうに向き、くうはついびくりと肩を強張らせる。近くで接すると酒精の匂いが鼻を突いた。

「こりゃまた、今度は愛らしい娘っこが来たもんだ。六年前が蘇るわ」

 僧侶にずい、と顔を寄せられ、くうは背を逸らして引いた。

「沙門様」
「おお、すまんすまん。つい懐かしくてな。――俺は沙門。以後よろしくな、娘さん。歓迎するぞ、奇怪な客人よ」





 くうはできるだけ感情を削いで精細に、こちらに飛んだ瞬間のことを話した。朽葉が冷茶と茶菓子を用意してくれたが、手をつけられなかった。

「ふむ。くう――といったか。お前さんも『別世界から来た』と言うわけだな。そして、帰る方法を知りたい、と」
「そう、です」

 体感型アドベンチャーで何十回も異世界トリップしてきたくうは、抵抗もなく、カラカラの喉から肯定を押し出した。喉は乾いているが、今食べ物を入れたら胃が跳ね上がる気がした。

「朽葉」
「はい、沙門様」
「話してやってくれるか。俺よりお前のほうが詳しいだろう」
「分かりました」

 淀みのない声の続きを待つ。

「今までで私が知る彼岸人は二人。一人は未だこの世に留まり続け、一人は彼岸に帰って行った」
「じゃあ帰れるんですね!?」
「帰れることは帰れるんだろう。だが、あの男は帰り方を残して行かなかった。自分の他にこの世に来る者がいるとは思わなかったんだろうな」
「そう、なんですか……」

 くうはしゅんと項垂れかけ、頭を振った。

(負けるなです、篠ノ女空! まだどうにもならないとは決まってません!)

「もう一人の方にはお会いできないんですか?」

 そこで朽葉の表情に陰影が差した。不意に見えた朽葉の女らしい顔に、くうはどきっとした。

「……遠くにいる。会いたくても会えないくらい遠く」
「そ、そうですか。無茶を言ってすみません」

 気まずい沈黙が下りる。普段なら適当に話題を振るくうも朽葉の思い詰めた表情には太刀打ちできない。

 沈黙を破ったのは沙門だった。

「朽葉。すまんが新しい茶を淹れてきてくれんか。この暑さに飲み過ぎた」
「あ、はい。分かりました」

 朽葉は急須を持って部屋を出て行った。くうはつい溜めていた息を吐いた。

「気詰まりにさせてすまんな」
「いいえ。私こそ朽葉さんにご不快な思いをさせたようで、すいませんでした」

 おそらく朽葉は例の彼岸人の片割れに特別な感情を抱いていたのだろう。帰ってはいない、しかし逢えない。辛いに違いない。

 沙門にまた気を遣わせないよう、くうは疑問を話題に変えた。

「朽葉さんは尼さんなんですか?」
「うーむ……」

 沙門は何ともいえない表情を浮かべて頭を掻いた。

「出家はしとらんが……心映えはすでに尼と変わらんな。こんなご時世だから仏門に入ると厄介だと止めたんだが」

(あ、そっか、廃仏毀釈。でも心境は尼さん? どういう意味だろ)

 歴史的に尼というキーワードが当てはまるものを脳内検索して、くうは大奥を思い出した。御台所は将軍の死後に再婚しない意味も込めて出家するのが慣例だった。

(まさかご主人が亡くなったとか!? あの歳で本当に未亡人!?)

 晩婚が進む時代に生まれたくうにはカルチャーショックもはなはだしかった。くうの親も晩婚組で、母など父と結婚した時は三十路だった。

(世界観が色々違いすぎるよ~。ほんとに異世界なんだぁ)

 そう、異世界、なのだ。帰り方も分からない異郷。

(前の人はどうやって帰ったんでしょう。くうはここに来る時はゲームしてましたけど、その人達も体感型ゲームから飛んじゃったんでしょうか。六年前っていうとアミューズメントパークはなかったから、限られた場でプレイできる立場の人ってことに……)

 障子が開いた。くうは思考を中断する。

「お待たせしました、沙門様」

 お茶のお代わりを持って入ってきた朽葉に対し、くうは先ほどとは異なる目を向ける。もしかしたら未亡人かも、という可能性は急に朽葉を大人びた女性に変えた。

 沙門の湯飲みに冷茶を注ぎ足す朽葉と、一瞬目が合う。
 朽葉は、微笑(わら)った。

(朽葉さんの笑顔、ふわって咲いたお花みたい。穏やかだけど少し儚げで、女のくうでも見ててドキドキします)

 座り直した朽葉は再び真面目な顔をする。ああ続くんだ、とくうも背筋を伸ばし、耳を澄ませた。

「続きを話そう。――彼岸というのはそもそも神域を指す。この世の者にとってあちらの世の人間は神に等しい存在、天人のようなものだ。帰る方法も彼岸人にしか分からない。以前の男は独力で帰ったんだ。どういう方法かは『説明しても理解できない』と言って語らなかったし、私もそういうものかと追及しなかった。こんなことになると分かっていれば少しでも聞いておいたんだが……」
「い、いえっ。くうが勝手に来たのに、朽葉さんがそんなこと気になさることないです」

 そもそも異世界人がぽんぽん来るものだとは誰しも思うまい。くうとて元の世界にいても、いつか別世界から異邦人が来ると信じて備えをしたりはしなかった。――互いが常識外の存在なのだ。

「彼岸が神様の国ってことは、朽葉さんや沙門さんには、私みたいな彼岸人はつまり……神様?」
「そうなるな。もっとも彼岸人だろうと人間は人間だ。妖のように異形でも脅威でもなし。何か奇跡を起こすんでもない。そう気負うな」

 沙門はからっと笑った。力強い。くうも苦笑して頷いた。

 確かに彼岸には、くうの世界にはここ明治にないテクノロジーもサブカルチャーもある。この時代よりも便利な暮らしがある。
 だが、それはくうが自らを神と誇る要素にはなりえない。自分もまた無力な人間だと肝に銘じておかねばならない。

「さてっ」

 切り替えるように沙門が膝を叩いた。

「お嬢さん。とりあえずここでの生活は俺が世話しよう。悪いようにはしない」
「ふえ?」
「なあに。お前さんみたいな正体不明の奴を放っておくよりは、手元に置いとくほうが騒ぎも起きん」

 人一人養うのがどれだけ大変か知らないくうではない。衣食住の保障から、何か厄介事を持ちこんだら責任問題まで、他人の子を引き受けるなど笑って提案できることではない。
 そのリスクを背負ってまで、沙門はくうを世話すると言ってくれている。

「あ、ありがとう、ございます」

 こんなに感極まっているのに、ありきたりな礼しか言えない自分が情けなかった。

「そうと決まったら飯にしよう。朽葉の作る飯は美味いぞ」

 朽葉は沙門に褒められたからか嬉しげに頬を緩める。
 実は食欲がなかったりするのだが、断るのも失礼なので、くうはそれを飲み込んで礼を言った。



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