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トワノクウ

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トワノクウ
  第一夜 空し身(二)

 
前書き
 未知 との 遭遇 

 
 体感型の利点の二つ目として、現実時間の倍速で流れる空走時間が挙げられる。
 これはオンラインRPGのシステムを基盤に設計されており、有り体にいえばプレイ中は時間を現実より長く感じられるのである。

(これでも本当は分単位しか経ってないんですよね。時々不安になっちゃいます)

 くうは気合の声と共に妖怪を一刀両断した。
 現実感のない肉の斬り応えと、アイコンが倒れたことによる地響きが五感を刺激した。
 ただ、返り血だけはなかった。ソフ倫への配慮か。

 プレイ時刻はじき夜になる。夕焼けの光が都市を染めてゆく。乾いた空気もお日様のにおいもこんなにリアルだ。
 さすがは東雲。くうは親の仕事につい笑みを零した。

 手の中の大鎌を音声指示で素子分解して消す。

「さて、帰りますか」

 くうの職業は「お雇い外国人の教師」である(これも単純に収入の多さで選んだ)。開国直後の日本に欧米の技術を伝えるのが仕事だ。

 歴史通りに「外国人居留地」――くうの場合は、かの青山学院大や明治学院大の発祥の地でもある、築地居留地へ戻らなければいけない(実際の歴史では築地の開放は十一月からだが、そこはご愛嬌だ)。

「ふわーん! どっちだっけー!?」

 プレイ開始三日ではまだ道順を覚えられない。点呼に間に合わなかったらストーリー展開が変わる。

 くうは必死で何度もマップを呼び出しながら走った。

「パッと行くシステムとかないんですかー!」

 そして案の定、マップから外れた場所を迷走した。

「はわわ! 戻らなきゃ戻らなきゃ……って、あれ」

 くうは呼び出したマップの現在点を見て首を傾げた。

(おかしいな。マップ外なのに進めてる。バグですかね)

 くうは好奇心に従って歩けるだけ歩いた。
 一定距離をはみ出したら強制送還されるシステムでもないらしく、やはりマップから現在地を示す点は消えたままだ。

 くうは微かな違和感を覚えながら、さらに一歩を踏み出した。

 ――その時に走ったショックをどう形容すればいいか。

 電気ショックにしては弱かったが、それ以外にそぐう表現がない。一瞬のブラックアウトは目眩に似ていた。









 黒いブランクはくうの体感時間で数分ほど続いた。
 白昼夢から醒めたように、くうはひゅっと息を呑んでたたらを踏んだ。

 辺りを見渡すと、先ほどまでとは何が違うのか識別できない程度に違う風景が広がっていた。

 ――橋が右手にある。これはいい。マップ外だが視覚映像では城に繋がる橋があった。景色は黄昏。ゲーム内時間は夕刻だからこれもいい。人が往来を歩いている。町中にモブキャラクターがいるのは当然だからこれもいい。

(広がった、感じ? さっきまではもっとこう……カプセルの中にいるってイメージ強かったのに、今は本当に外にいるみたい。リアルすぎるからマップ外だったのかしら?)

 とにかく進まないと埒が明かないので、くうは横にあった橋を渡ることにした。
 橋の中央に差しかかった頃、目の前に妙なものが現れた。

「敵キャラ?」

 尋ねてバーチャルアイコンが答えるはずもないが、答えるのではないかと思えるくらい目の前のアイコンは精巧だった。

 北極グマの身体にライオンの頭を接いだような獣と、その上に乗る、一つ目の布で顔を隠した水干姿の小人。

 悩んでいると後ろで悲鳴が上がった。時代がかった風貌の人々が口々に叫んでいる。

「妖だ! 妖が出たぞーっ!」
「おい、ありゃあ鵺じゃねえか!?」
「妖祓いを呼べ!」
「お嬢ちゃん、危ないよ! 逃げなさい!」

 驚いた。敵キャラクターが登場したのにモブキャラクターが動いている。騒ぎ方もリアルだ。これもマップ外ゆえの精巧さだろうか。

「敵ステータス表示」

 しかし、視界は変化せず数値も表示されない。目の前にいる敵アイコンも変化しない。

「ん~? ステータス表示っ」

 やはり視覚情報に変化はない。マップ外に来た弊害がこんなところで現れたのだろうか。HPも分からない敵とやり合うと、こちらのLPが削られる。バトルフェイズは始まらないようだから一旦引き返そう。

 結論付けて、くうは背を向けた。集まった見物客の顔は総じて青白い。

「危ない!!」

 見物客の注意と高い声での悲鳴が何重にも上がった。

 首を傾げる。なぜこんなにも彼らは恐れているのだろう。ただのアイコンのはずの彼らがなぜこんなにも感情豊かなのだろう。

 がっ、と猛獣の前足がくうの頭を捉えて橋に押し倒した段になって、くうはやっとその理由を理解した。

『ひとつ、虚とはなんぞや』

 くうが懸命に上体を起こすと、猛獣の爪が振り下ろされた。くうの視界は真っ赤になった。

「きゃああああああああああああ!!!!」

 くうは左目を押さえて転がり回った。

 熱い熱い! やめて助けて! 目が焼ける! いっそこの眼球を抉りだして! 痛い!

(これ、ショックオンリーじゃない。まぎれもない現実の痛み! なんで!? これはバーチャルなのに、ゲームなのに、現実じゃないのに!)

 どうにか手をどかした時には、猛獣が今度はごつごつした歯を誇示するように大口を開けていた。

 食われる――!

『ひとつ、実とはなんぞや』

 逃げることもままならず、くうは頭を抱えてうずくまった。


「――動くなよ、娘」


 耳だけが、他人の訪れを脳に伝達した。

(え――人?)

 かち、と明らかに鞘から真剣を抜くのとは異なる音がした。潤が真剣稽古で刀を抜いた時の音ではなかった。

 びちゃ。びちゃ。生暖かい液体がドレスを濡らす。最初、くうはそれを己の血液だと思った。
 だが、待てども先ほどのような鮮烈な痛みは訪れない。
 くうは勇気を出して腕を頭からどけた。

 ざっ。草履が地面を鳴らすのが見えた。

(女の、人?)

 まだ若い。二十代と思われる。墨染の衣に、豊満な体型を浮き立たせるほどぴたりと着た袈裟。その出で立ちから尼と分かるのに、ひどく女は色めいていた。

 見物客から歓声が上がった。

「妖祓いの方が来てくださった!」
「早く鵺を退治しておくれ!」

 女は答えず、刀から血を払って再び猛獣に斬りかかった。
 くうが刀身の鈍いきらめきに魅入られる間に、女は刀を一閃、猛獣の首を斬り裂いた。

 ぐあああああああああっ

 猛獣が上げる悲鳴にくうは竦み上がる。しかし、猛獣はそれ以上の追撃をせずにどうと倒れ、水面のように地面に沈んでいった。わっ、とまた大きな歓声が上がった。

 女は刀身から血を払うと、猛獣からとび立った小人に向けて刀を薙ぐ。
 刀は小人を斬ることなく、小人は空中に溶けるように消えた。

「やはり仕込み刀は勝手が狂うな」

 女は肩までの黒髪を隠すように真っ白な(もう)()を頭からかぶり、くうをふり返った。

「平気か? 鵺に襲われるなんて、……その髪や風体といい、まさかお前も彼岸人か?」
「ぬ、え? ひがんび、と?」
「鵺はあの獣。小さいほうは夜行という」

 女はくうに手を伸ばす。くうはためらいながらも手を出す。女はくうの手を取ってくうを立たせた。手にマメがたくさんある。

「まずここを離れるぞ。目立つのはお前も本意ではあるまい」

 見物客の視線は女一人に注がれている。英雄に対する煌々しいものもあれば、期待外れを訴える胡乱なものもある。こわい。くうは女の言葉に従った。




 女に連れられて見物客の間を抜け、往来を歩く。
 応急手当はしてもらった。医者に連れていってくれるというので、くうは大人しく女に手を引かれて歩いた。

 あらためて見ると、その女はまさに「大人の女」だった。何というか、そう、未亡人が出す空気に近いものを彼女は持っている。

「彼岸人とは、こことは異なる世界から来た人間を言う。最近流れてくる外国人とは違う、完全に異世界の人間だ」
「異世界……」

 くうは立ち止まり、女の手を離した。

 パンフレットにはそんなこと一言も書いてなかった。生活冒険RPG。普通に明治時代の人間になれるはずではないのか。異世界ファンタジーの要素などなかったではないか。


 ――〝アクシデントがございましたらカプセルの内側のどこかに触れれば係員が……〟――


 くうは思いきり両手を伸ばす。どこにも当たらない。

(だって、ここはただの3Dアドベンチャーで)

 腕を振り回す。どこにも当たらない。自分の足で駆けてもどこにもぶつからない。飛んでも跳ねても求める感触はない。

(カプセルを出ればホールの壁が見えるはずで)

 カプセルが、ない。

「――っ!!」

 違う。
 これはまぎれもない現実の光景だ。

 ふらついたくうの視界を白銀がよぎる。
 蜘蛛の糸でもつけたかと思って指をやると、白銀はくう自身の髪の毛だった。

「――や、」

 くうは髪を引っ張って目の前に持ってきた。白い。いくら髪を掻き乱しても白しかない。母譲りの黒い毛がどこにもない。

 頭を抱えて膝をついた。

「いやあああああっっ」

 ――篠ノ女空は、異世界に来てしまった。





 ちりーん。ちりーん。
 通りゃんせ、通りゃんせ。ここはどこの細道じゃ。



                              Continue…
 
 

 
後書き
 イロモノ作品をここまでお読みいただきありがとうございました。作者でございます。

 拙作は原作の謎解き&バッドエンドを前提のお話です。ですからせめて原作が完結してからと思っていたのですが、完結後にはもはや自分の考えた答えが一つとして成立しなさそうでしたので、こうして連載に踏み切った次第です。
 違うなら違うで笑い飛ばしてやってください。 
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