トワノクウ
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トワノクウ
第一夜 空し身(一)
前書き
少女 は 踏み込む
拝啓、私の尊敬する先生
届くとは思えませんが、お手紙を書きます。
先生が私の家庭教師をおやめになって、早いものでもう一年が経ちました。
どうしてメールじゃないのかって? それは追々お話しします。
先生のおかげで、私は合格した志望校で楽しいスクールデイズを送っていました。
学校という、同世代の子たちが大勢まわりにいる環境は高校で二度目なのに、まだまだいっつもどきわくしっぱなしです。通信で資格だけ持っててもダメですね、はい。
実は学校でバンドなんて誘われちゃって、そのグループの親睦会で新装開店のアミューズメントパークに来たんです。どきどきです、わくわくです、きらきらです!
アミューズメントパークというのも先生の若い頃とは別の意味があるんですね。どちらかというとアトラクションはおまけ。3Dアドベンチャー隆盛期の現代では、何百とある会社が競合して我先にと「触って歩けるアドベンチャーゲーム」ソフトを発売して、それを私達が遊べる場をアミューズメントパークと呼びます。いわばゲームセンター拡大版ですね。
でもあそこは昔ながらの屋外アトラクションも充実していて、 キンダハも真っ青な垂直真横大回転ジェットコースターとか、知力体力時の運ぜんぶなきゃ制覇できない巨大迷路とか。楽しくて目が回っちゃいました。
だったんですが……“Rainy Night Moon”というアトラクションに入ってからが大変だったんです。
驚かないで、信じてください。
私、篠ノ女空は今、異世界にいます。
「ふわぁ~~~~~~」
くうは帽子のつばを両手で引っ張りながらまぬけな声を上げた。広い、広すぎるぞこのアミューズメント。
アドベンチャー100種、音楽・学力などのスコア30種、景品ゲーム15種、飲食・おみやげテナント400店舗は伊達ではない。
「おーい、しののめー。おいてくぞー」
「あ、待ってっ。待ってくださいっ」
くうは、お祭り騒ぎのような空気に突撃していくグループの仲間を慌てて追いかける。
あと一メートルというところでくうはミュールを履いた足に足をひっかけてつまずいた。
前のめりに倒れたくうを男子の一人が受け止める。
「大丈夫、篠ノ女さん?」
「だ、だいじょぶでした。すいません、潤君」
中原潤だ。音楽研究会、略して楽研では吹奏楽器担当。といってもサックスやトランペットはライブではあまり出番がないので、サブボーカルで同じく出番が少ないくうとはよく一緒にいる。
よかった、と潤の目尻がメガネ越しに下がる。
男子にしては低い背は、くうと並ぶとちょうどいい身長差。動物にすればマルチーズだろうという雰囲気は、くうをいつも和ませる。
「慣れないおめかしするからですね。えへへ」
「そう? 僕はいいと思うけど」
「いい、でしょうか?」
くうは帽子のつばを握って潤を窺う。
肩にレースをあしらった濃い緑のミニスカワンピース。首元には黄色いスカーフ。肩も足も露出度が高い恰好は普段なら絶対しない。
「うん」
潤はそれだけだったが、柔らかい笑顔とセットだったのでくうには充分だった。
「くう、中原、イチャついてないでとっとと来い!」
「イチャついてません!」
くうたちに喝を飛ばしたのは、先頭集団からあからさまに外れた位置を歩いていた女子――長渕薫だ。
くうと潤は追いついて薫に並ぶ。
「とっとと行くよ。計画的に回んなきゃなんないし、菜月野たちとはぐれたら合流だけで一日潰れる」
「ごめんなさーい。ちゃっちゃか歩きまーす」
「はぁ。あんた、ほんとに分かってんの?」
薫はくうと正反対にボーイッシュな出で立ちの女子である。髪はサラサラで口元も目元も整っているから、着飾ればどこの令嬢かと思うくらいの美少女なのに、いつも機能性優先の服しか着ない。もったいない。
「マイペース結構だけど団体行動の時くらいフットワークよくしなさいよ。あんた、ただでさえトロいんだから」
「は、はぅぅ」
「まあまあ。長渕さんもそう怒らないで。計画的に回るんでしょ? せっかくの楽研親睦会なんだから、あんまりカリカリしないで行こう? 篠ノ女さんが遅れたら僕が引っ張ってくから。ね?」
「――はいはい。その子の世話は中原に任せるわよ。行きましょ」
「「うん!」」
まずはアドベンチャーよりも屋外アトラクション&イベント優先でいこう、との部長でギタリストの菜月野叶子の意向によって、外回りコースを選んだ。3Dアドベンチャーなら、今時の若者は自宅に6台か7台は確実に持っているものだからだ。
もっとも、篠ノ女家の教育方針は「体感型ゲーム禁止」なので、くうとしては早く行きたくてうずうずしていたが。
ジェットコースターに巨大迷路、メリーゴーランド、コーヒーカップ、おばけ屋敷、パレード、おみやげ店。定番とされる屋外アトラクションとイベントを大抵回り終えた頃合になって、菜月野が行きたいアドベンチャーがあると言い出した。
ここまでのリードは菜月野か、ベースの夕日坂茜がしていたので、くうたちも文句は言わずに付いて行った。
「ここだここ! 新しいアドベンチャー」
菜月野は丸めたパンフレットでズビシ! とそのアトラクションドームの看板を指した。
「〝Rainy Moon Night〟?」
「そ! 東雲コーポレーションお得意の仮想現実をふんだんに盛り込んだ明治浪漫冒険譚。つっても東雲本社じゃなくてそこのシステムを使った全然無関係の会社が開発したのだけどね」
キーボード兼ドラムの根岸春樹が説明を引き継ぐ。
「お客は好きな職業をセレクトして、昼は明治時代を体感しつつ、夜は闇に潜む魑魅魍魎を退治する。ま、生活冒険RPGってとこだな」
「でも、明治なのになんで英語なんだろう?」
潤の疑問はしかし、フィーリングじゃないん? という根岸の深く考えない一言でスルーされた。
菜月野、夕日坂、根岸の順でアトラクションの受付に入っていくのを見送りながら、くうは潤が疑問に思ったことを考えてみた。
(明治を舞台にするなら漢字を重ねたほうが雰囲気は出る。それをあえて英語で、しかもありふれた外来語を並べただけの名前にした理由はなんでしょう?)
「くう、中原、ボーッとしてんな。あたしらも受付行くよ。もうあいつら先行っちゃったよ」
「え、ほんと!? ごめん、すぐ行きます」
くうは潤と共に慌てて薫を追いかけた。
くうたちは駅の改札のような受付でフリーパスチケットを係員に見せる。
係員は入場証です、と言ってくうの手の平と潤の手の甲に円形のスタンプを押した。くうはそれを潤と見せ合って、へらっと笑った。
「待っててくれてありがと、薫ちゃん」
「三人ずつらしいからね。あたしがあっちに混ざると人数が合わない」
「うん。だから、こっちに来てくれてありがと」
不機嫌そうに顔を背けた薫の二の腕にも、例のスタンプがあった。円形でアトラクション名もイラストもない、無味乾燥なデザイン。
「東雲ってさ」
係員に誘導されながら潤が口を開く。小声だ。
「篠ノ女さんの実家なんだよね」
「はい。お父さんが立ち上げた会社です。結構有名ですけど、本社はお父さんとお母さん、それにお父さんのお友達だけの小さなとこなんですよ。大きな会社にするのは窮屈だって」
「社長のくせに。親子揃って無欲なのは血筋なわけね」
「違うよ長渕さん。篠ノ女さんは無欲なわけじゃなくて、したいことの方向が一般からずれてるだけ」
「じゅ、潤君、ヒドイです……」
「ごめん! そういうつもりじゃ」
「――付き合ってらんない」
こうやって他人と話して笑い合うのがこんなに楽しいなんて知らなかった。
小学校といわれる時分には、くうは自宅の通信教育だけで単位と資格の数々を取った。この世代ではこれも普通のことだから、人と接さなくても生きていけるのだと信じていた。
潤に、薫に、出会うまでは。
薫からは自分の中にない価値観や考え方をいつも教えられる。
潤といるとぐちゃぐちゃな自分の内側が透明になっていく。
二人になら、百回でも千回でも「すき」と言える。
くうは潤と左手で手を繋ぎ、先を行く薫に追いついて右手を繋ぐ。
「し、篠ノ女さん?」
「ちょっと何すんの」
「えへへ。なんとなく、です」
動揺しきりの潤と鬱陶しそうな薫に、くうはにっこり笑った。
ゲーム内でのコスチュームをレンタルで着るのもゲームの内らしい。くうと薫は選択した服を持って更衣室に入った。
くうはレースをあしらい肩を露出した黒いドレスと鍔広帽子。
薫は白地に三日月を散らした紬と濃紫の陣羽織のアンサンブル。
更衣室で着替えていると、黙っていた薫がふいに話題を振ってきた。
「あんた、中原とはどうなってんの」
「潤君? どして?」
「好きなんでしょ、中原のこと」
ファスナーが背中の皮膚に食い込んだ。
「いひゃ!? ふぇ、あれ!?」
地味に痛い。くうは慌ててファスナーを解こうとするが、パニックになって外せない。
軽く涙目になったところでようやく薫が手伝ってくれて外せた。
「脈アリだと思うよ。とっとと告れば。今日中にでも観覧車とか乗って。せっかくの遊園地だし」
「で、できるかな……迷惑じゃないかな?」
「あたしが知るか。傍で見てていい加減ウザイ。とっととくっつけ。ほんで永久にふたりの世界作ってろ」
「ひ、ひどいですぅ~。投げやりすぎないっ?」
「なんとかなるでしょ。中原、あたしに『篠ノ女さんって好きな人とかいるのかな?』って聞いてきたからさ。気になってんでしょ、あんたのこと」
「そ、そう思う? ほんとにっ?」
「ほんとほんと。つか行くわよ。その中原待たせちゃ悪いし」
「う、うん」
更衣室を出る薫に付いて行きながら、くうは潤に意識されているかもしれないという事実に夢中だった。
「こら、足元見て歩けって」
「はぅっ」
くうは薫の忠告で現実に帰ってきた。
「着いたわよ」
アトラクションのあるメインルーム。晴れた大空を象った天井の装飾が、地平線となるドームの端まで続いている。
階段を下りた先にある床はガラス張りになっていて、下には和洋が混在し始めた町並みのミニチュアが一面に広がっている。おそらくこれが冒険の舞台だ。そして、中央に三角形に配置されたカプセル、あれらがこのゲームを体感させてくれるのだ。
「わあ、すごーいっ」
「あ、こら、くう!」
くうは好奇心のままに階段を駆け下りた。そして、いざカプセルに駆け出そうとして、床を這っていたコードの群れに躓いた。
ぶつかるかと思いきや、誰かが驚くべき速さでくうと床の間に滑り込んでくうを受け止めた。
「びっくりした~。来たら篠ノ女さんがこけてんだもん。怪我、ない?」
「潤君……だ、大丈夫ですっ」
潤はくうを抱えたまま息をついた。
近くで見つめると、性格に反して精悍な顔だちをしている。剣道で鍛えた男子はこんなふうに格好よくなるものなのだろうか。
「ちょっとここのスタッフ何やってんの! 明らかな手抜き作業じゃない。あとでクレームつけてやんないと」
薫が苛立たしげにコードを蹴とばした。着物で乱暴な動きをすると足が露出すると考え至らないのは、彼女が帰国子女だからか。
「そ、そこまでしなくてもいいよ、薫ちゃん」
「あんたのためじゃなくて。これほっといたらあとから来た人が困るでしょーが!」
「そ、……そうだよね。ごめんなさい」
しぼむくうにはお構いなしで、薫は肩を怒らせながらコードを避けて歩き出した。
「怒られちゃいました」
「はは。あれも長渕さんなりの照れ隠しじゃない?」
「そうですかね?」
「そうだよ」
潤はくうの手を引いて立ち上がる介助をしてくれた。好きな男子に手を握られたのは至極幸せだが、しかも今日はかなりいい雰囲気で何度もこうして手を繋ぐ機会があったが、くうの関心は別の点にあった。
「潤君、薫ちゃんのことよく分かってるんですね」
ちょっとだけ悔しい。出席番号の前後なので仲がいいのはしかたないが、この分かり合っている感が悔しい。
「篠ノ女さん?」
「なんでもありませんっ」
くうはアナウンスの誘導に従い、潤の硬い手を離して歩いていった。
カプセルは三色。赤、青、紫。くうは青いカプセルを選んだ。
(天使の卵みたいなデザインです)
アナウンスがカプセル内に入るように指示した。薫が紫、潤が赤のカプセルに入ったのを見てから、くうもカプセルに入った。
(中から見ると意外と広いですね。表面は……マジックミラーですか。外がよく見えます)
くうは台座に立ち、ちょうど腹の高さに設置されたリングの所定位置に両手を乗せ、上からぶら下がったヘッドギアを装着した。この手のシステムはゲームセンターでもやった経験がある。
『本日は次世代型体感アトラクション「Rainy Night Moon」にお越しいただき、まことにありがとうございます』
アナウンスと共に内部の鏡面がスクリーンに反転する。
「うわあ! ほんとに明治時代です!」
ヘッドギアのエフェクトと合わせて本当にその場にいるかのような臨場感だ。背の低い建物。道行く和服の人々。活気と喧噪。ドラマで観た明治そのものだ。
説明画面では実際の操作模様がくり広げられる。くうも実際に操作してやり方を覚える。バトルフェイズの武器としてくうは「鎌(Death-scythe)」を選択した。単純に攻撃値が高いからだ。
『当アトラクションはショックオンリーとなっております。ゲーム内でのダメージは一切肉体には反映されません』
体感型の最大の特徴はバトルアドベンチャーでの臨場ダメージにある。よりリアルな「苦痛」を肉体に悪影響を与えず、かつ法令に引っかからず再現できるメーカーほど売れる。
くうも良質な体感型ゲームは好きだが、母親が体感型をひどく嫌うので、こういうゲームセンターで隠れてやる程度にしかできない。
『アクシデントがございましたらカプセルの内側に触れれば係員が参ります。それでは、明治綺譚をお楽しみください』
Continue…
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