戦国御伽草子
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参ノ巻
死んでたまるかぁ!
3
うん、朝の空気はすがすがしい!よーし働くぞ~!と早速次の日からあたしは尼姿に腕まくりで意気込んでいた。何せ石山寺は広い。やりがいはありまくりだ。尼姿はなんだかつるんとして恥ずかしいけれど、いつもは下ろしている前髪から後ろ髪までぜーんぶ尼頭巾にひっつめているおかげで、ぱっと見は本物の尼さんに見えるんだろう。これで来訪客があってもばっちりね。
「ピィ!おまえ何してる!」
「いたたた・・・何って、雑巾がけ?」
足を滑らせすってんころりんと転げたところに、丁度惟伎高と居合わせた。
「おまえなァ・・・」
惟伎高はずかずかと目の前まで来ると、ぐいと腕を引き上げ、あたしの体勢を戻してくれる。
「ありがと~おはよ」
あたしは同じ目の高さになった惟伎高にへらりと笑いかけた。
「おはよ、じゃねェよ・・・安静にしとけって言ったァろォが!」
「わー!」
けれど惟伎高はお気に召さなかったようで、びしばしと眉間の皺を増やすとぐいと耳をつかまれて、思いッきり叫ばれた。うーるーさい~!
「おまえ、自分がどれくらい危ない状態だったか、わかってねェだァろ!死ぬところだったんだァぞ!俺だってダメだと思った。一月半!目が覚めなくてェな!ずっとあの世とこの世を行ったり来たりだ。本来こうして目が覚めたからってすぐ動いて良いモンじゃねェんだよ!」
あー・・・一月半も・・・道理で、足や手に力が入らない訳だわ。息も喋るだけですぐ切れるし、体中がへろっへろに衰えちゃってるのね。
前田家が燃える前、秋頃も七日ほど眠り続けたことがあったけど、それとはもう段違いの辛さだ。
「でもほら、こうして生きてる訳だし?終わりよければ全てヨシ的な?それになんにもしないでただ寝てるってのも・・・」
「いいから、なンもしねェで、ただ寝とォけ!阿呆!」
ひょいっとあたしは惟伎高に抱え上げられた。
「あー!横暴!折角ここまできたのにー!あたしがここにくるまでにどれだけ時間かかったと思ってるのよぉ~!」
「暴れンな!ここまでってすぐそこじゃねェか!ンな距離も動けねェのに、掃除なんてしようとするンじゃねェよ!」
一頻りぎゃいぎゃい騒いで息を切らしながら、あたしはもといた布団に戻された。
「たく・・・鳥のピィのが余程大人しかったぜ?」
「飽きなくて良いでしょ?」
「口の減らねェ奴だ」
惟伎高はそう言いながら、そのまますとんとあたしの枕元に腰を下ろした。
「え、ちょっと。あんた仮にも坊主でしょ?オツトメとか無いの」
「当然あるが、俺が目を離したらおまえすぐ脱走するだろう。当分はここで見張らせてもらうことにしたからな。・・・とンだお姫様を拾ッちまったもンだ」
最後は独り言のように呟いた。
えぇ~。脱走とは人聞きの悪い!役に立ちたいと思うことのどこが悪いのよ。
あたしがむくれていると、惟伎高ははぁと息をついた。少しどきっとする。その溜息の付き方なんて本当に高彬そっくりで。そして惟伎高はちらりとあたしを見た。あたしはまたどきどきっとする。って言っても勘違いしないで欲しいんだけど、このどきっは色恋のどきっとは全然別のどきっよ。
有能らしい高彬と、佐々の頂を競う人・・・。やっぱり、色々頭の回る人なんだと思う。何を考えているのか、時折その視線はあたしを見ているようで居て素通りし、あたしを含めたもっと未来の大きなものを見ているんじゃないかとも思うようだ。
高彬もとっても凄いのよ。それは間違いない。高彬は誰よりも努力する人だ。真面目で、一本気で。そしてまた惟伎高もとってもできた人であることは、昨日少し喋っただけのあたしですらわかる。そう、二人とも凄いのだ。でも、佐々の長を二人で務めることはあり得ない。頂きで佐々を率いるのはたった一人、ひとりなのだ。前田家の本家筋は兄上とあたしの二人だけだったから、男子が家を率いるべしというこの戦国の無言の常識に擬えれば例え他に姫が何人居ようとも十割方兄上が跡を継ぐことは決まっていて、選択肢なんてないに等しかったし、そう考えると選び放題の佐々家は嬉しい悲鳴と言えば言えるのかもしれないけど、でもやっぱり掃いて捨てるほど居る息子の中からたった一人だけを選ばなきゃいけない忠政様の苦労は想像するに難くない。少なすぎるのも、多すぎるのも良くないわよね。ほどほどがイチバン。
うーん、なんかね、あたしのあくまで印象だけど・・・高彬と惟伎高、佐々の次期当主にどっちかを選びなさいって言われたら・・・惟伎高を選ぶ人が多いんじゃないかなぁ、と・・・思う。高彬の真面目さが、人によっては取っ付きにくい印象を与えてしまう事があるかもしれない。高彬は相手にあわせて媚び諂うような性格でもないし、間違っていることがあったら、「あなた、それは、違いますよ」と正直に言ってしまう。上にバカがつくほどの真面目クンなんだから。そういうところが世渡り下手だなぁ、とも思うし、いいところだとも思う。かと言ってじゃあ惟伎高が他人の顔色ばかり窺ってぺこぺこしているかって言うとそう言うことでもなくて。何て言うのかな…惟伎高はすぐ他人と打ち解けられそう。人望とでも言うのかしら、他人に頼らせる何かを持っている。
どう、なってるんだろうなぁ。佐々の世継ぎ問題って。あたしが考えても仕方ないんだけど。惟伎高のが高彬よりも支持されそう、とは思う。でも惟伎高は最早仏門に下り僧形。普通に考えれば順調に高彬が跡を継ぐ・・・ハズ。けどそうはなってないし、おまけに惟伎高は剃髪していない。これは今とりあえずは僧だけれど、ゆくゆくは佐々の跡を継ぐために還俗を見込んで髪を切っていない…と思われても仕方が無いわよね?うーん?なんというか、僧になったのが惟伎高自身の意思で、そういう佐々の後継とか世俗間の面倒くさいあれやこれやも捨て去ってきたのなら、髪を剃らないなんて騒動の種、惟伎高だったら真っ先に排除しそうなんだけどな。惟伎高なら、もう僧になりましたー僕は跡継ぎになんてなーんにも興味ないですーって対外的な主張ぐらいうまくしそうなものだけど・・・。
「何を考えている?」
あたしが長い間黙っていたからか、惟伎高がそう聞いてきた。
「んー・・・あんたが女嫌いって言うのって嘘なんだろうなぁって」
あたしがそう言うと、惟伎高は面白そうに口の端を上げた。
「ほォ?それも風の噂か?」
「うん。筋金入りの女嫌いだって聞いてたけど、あんた、そうじゃないわよね?」
「何故そう思う」
「んーなんとなく?」
「なんとなく、か。ははは、おまえはいいな!ピィ」
惟伎高があたしの頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
この惟伎高が、女だ男だなんてちっぽけなことに拘って差別するような人には、ど~しても見えないのだ。
そして、否定しないということは、女嫌いというのはタダの噂なんだろうな。いや、タダの噂というのは語弊がある。赤の他人ならいざ知らず、義妹の由良が言っていたのよ、筋金入りの女嫌いだって。てことは、意図的に流した噂、と考える方がいい。そしてどうしてそんな噂を流す必要があったかと思うと、やっぱりそれは跡継ぎ問題に絡んでくるんだろう。
うーん、ややこしい話だ。
「他には何を考えていた?」
「んー・・・なんで剃髪しないの?とか?」
「面倒だからだ。・・・と言いたいところだァが、約束した。髪は落さねェと」
「・・・そう」
それが予想以上に重く聞こえあたしは内心驚いた。その声の強さにじゃなくて、他でもない惟伎高が、心を覗かせたことに。
「難儀だァな?」
すぐにへらりと惟伎高は戯けたが、その顔には拭いきれない感情が残っていた。
「その訛り何なの?あんまり聞かないけど、東の方の出?」
あたしは察してさらりと話題を変えた。
「そォだ。母がな、武蔵国あたりの出でなァ」
「武州かぁ・・・行ったことない」
「俺だってねェよ。行きたいとは思うが、如何せん遠くてなァ」
惟伎高が遠いと言うのには全面的に頷ける。ここ淡海国から武蔵国に行こうと思ったら、相州道を通って十日はかかる。寄り道しなくてこれだから、往復だと余裕を持って一月ぐらい・・・。うーん、ホント遠い。道々山賊やら追い剥ぎやらがわらわら待ち構えているであろうことを考えると、やっぱり気軽には行けないところよね。
「兄弟は?」
「二人きりだ。兄が一人。いや、異腹の兄弟は数え切れねぇほどいるが」
「あはは。佐々家だもんね」
「まぁ僧形となった今になッちゃァ、家は捨てたも同然だァがな」
「ふぅん?」
あたしは唸って目を閉じた。やっぱり、惟伎高自身に権力を求めるとか、そういう感じは全くしない。むしろ忌避している感さえある。髪のことも、そういう家とか血とかごちゃごちゃしたところとは無縁のところで、本当に約束のためだけに切ってないだけみたい。
「おまえは誰なんだろォな、ピィ?」
髪を撫でる手も、優しい声もそのままに惟伎高は言う。
「絹の寝間着を着てたかと思えば、言動は村娘そのもので。かと思えば鋭いことを言ったり、やけに内情に詳しかったりする。まさか音に聞こえる前田の姫でもあるまいし」
おっ!?おおぅ・・・今無反応だった自分を褒めてあげたい。いくら佐々家から離れて久しいとは言え、そりゃあ帯刀するぐらい用心している惟伎高のこと、噂ぐらい集めてるわよねぇ・・・。前田の瑠螺蔚姫はそれなりに有名だし、「るらい」って名前は珍しい。そりゃあ同一人物かもって一瞬は考えるわ。しかし「音に聞こえる」ってどうせあれでしょ?柴田捕まえた時の功績だけが一人歩きして、聡明かつその美しさは眩い天女の如し、とかそんなとこでしょ?それはね、絶っ対にあたし本人には結びつかないわ。あーよかった。その噂を聞いていた時はアホらしと一蹴していたけど、今なら言える。尾ひれ背びれをつけまくって噂を流してくれた人、どうもありがとう!
「俺を殺しに来た刺客にしては抜けてるし、まして土蜘蛛や波美・・・いや」
はっとして惟伎高は口を閉じた。それがあまりにもしまったと言う感じだったから、あたしは逆に気になった。
「ツチグモとかハミって、何?」
「知らなくて良い」
惟伎高にしてはお粗末な話の終わらせ方だった。普段の彼だったらもっと上手くやっていただろう。そんなことをされれば、人はもっと興味を引かれてしまうものなのに。
「教えてよ」
あたしは食い下がった。惟伎高は明らかに苦い顔をしていた。
「土蜘蛛・・・どこかで聞いたことある。確か・・・山族?」
あたしがそう言うと、惟伎高はちらりとあたしを見て、溜息をついた。
「・・・そうだ。古い山族だ。今となっては眉唾ものの、古い古い一族。遙か昔、このクニに渡来人が来て、土着の人は土地を追われて山に移り住んだ。それがいつしか土蜘蛛と呼ばれるようになった。何千年も前の話だ。この戦の国の世じゃもう滅んだって言われてェる。今山にいるのは山族じゃなくて山賊ぐれェだ」
「じゃあ、波美は?」
「瑠螺蔚」
あたしの言葉に被さるように惟伎高は静かに言った。真名を。
「おまえのその好奇心に応じて、一度だけ教えてやろう。集団の中には、必ずそこに馴染まない人間が出てくる。土蜘蛛の一族も例外じゃなかった。いつしか土蜘蛛からあぶれた者同士、集まってまた一つの集団ができた。それを波美と言う。波美とは隠れ窺見」
「窺見・・・」
忍ってことだ。山に棲む忍?それを波美って言うの?
「疑問は晴れたな?」
惟伎高は有無を言わせず爽やかに笑った。
「好奇心猫をも殺すと言うが、鳥も殺すと覚えておけ、ピィ?」
惟伎高はそう言ってあたしの髪をくしゃくしゃと撫ぜた。
「・・・脅し?」
「まァなァ。俺はおまえを割と気に入っているし、おまえのその何にでも首を突っ込みそうな好奇心は危険だと思っているよ。脅しというか、忠告だ。暗部まで気の向くまま何でもかんでも知ろうとするのは、良くねェな。今回は俺も悪かったが、聞かないふりもできるよォにしとけよォ?」
「・・・あんた波美のこと、全部話した訳じゃないわね?」
「ピィ。俺が言ってンのはそれのことだァよ。今の話は、忘れろ。おまえが関わることは絶対にねェ話だ。土蜘蛛は昔話として知ってる奴も居るが、波美は違う。名も禁忌。その存在すら、名のある家の宗主しか知らねェ」
「じゃあなんであんたは・・・ああ佐々家か」
あたしはふむと頷いたが、その時、惟伎高があたしを見た。
空気が変わった。惟伎高は何かを推し量るように、じっとあたしを見る。
あ、あたしまた何か地雷踏みましたかね・・・あっ!
さ、佐々家って言っちゃった・・・。
惟伎高が佐々家の出身なのはもう知ってるし、惟伎高にもあたしがそのことを知っているということはバレてる。
でも、惟伎高が佐々家の次期宗主と目されていると・・・そういう内情は、外部の者が知ってたらおかしいから、あたしが知ってるってことは伏せてた・・・のに!
今あたし、完全に話の流れから惟伎高が次期当主っていうこと知ってるって言っちゃったようなもんよね。
「おまえは、誰なんだろォなァ、ピィ?」
惟伎高はもう一度、そう言った。
「佐々家じゃねェのは、確かなんだがなァ・・・ヌけてるくノ一と言われた方が余程しっくりくるぜ」
抜けてるは余計よ。
「まァいいかァ。俺には最早関係ねェからなァ。優雅な隠居暮らしを手放すつもりは毛頭ねェし。おまえがこの命、狙っているというのならそれもまァ悪くねェ」
そう言って、惟伎高はあたしの横にごろんと寝転がった。
「ちょっと。寝るの?」
「寝ねェよ?おまえが逃げるからなァ」
「逃げないわよ!」
「どォかなァ?」
そう言って、惟伎高は目を瞑った。
寝る気満々じゃないの。まぁ仕方ないか。まだ鶏すら鳴く前だ。
しかし寝るなら寝るで、掛けるものもないのは寒いはず。
「ちょっと惟伎高。あたしが本当にあんたの命を狙ってたらどうするの?それにそんなとこで寝たら寒く・・・ってうそ、もう寝てる?」
あたしは呆れたがどうやら本当に惟伎高は眠ってしまったみたいで、すうすうと微かに寝息を立てていた。
どうしよ・・・。
取りに行こうにもそもそも寝具がどこにあるのか知らないし、あたしは仕方なく、自分の掛けていた布団を惟伎高に掛けてあげた。
しかしまぁこれは、あれですよ。好機ってやつですよ。
鬼の居ぬ間に洗濯とばかりにあたしはこっそり起き上がると、抜き足差し足でコソ泥宜しくそっと部屋から出て障子を閉めた。
自由だー!
惟伎高が寝ている間に掃除しといて起きてから驚かせるのも良いけれど、とりあえずこの間に石山寺探索といきますか。
あたしはのそのそと歩き出した。
「もうし」
どこから見て回ろうかな~。ここはまずどこなんだろう。社務所?寺の仕組み自体よくわかんないんだよね~。どこかに説明書きか地図無いかな。惟伎高に聞くのが一番良いんだろうけど、だって惟伎高、あたしに大人しくしてろって言うしぃ。絶対教えてくんないよ。
「もうし、尼君様」
「うぅわっ!びっくりしたっ!って誰!?」
人なんか滅多に来ないと聞かされていた境内で、誰かに裾を引かれて心臓飛び出るかと思うぐらい驚いて見たら、後ろに旅の格好である壺装束を着た背の高い女の人が立っていた。
さ、さ、参拝客かしら、ええと?
「尼君様」
女はがらがらな掠れ声で小さくそう言った。
誰のこと?って思ったけど、そうだよ今あたし尼姿なんだった。
その女の雰囲気が、なんて言うか鬼気迫るというか・・・切羽詰まってる感じがありありと出ていて、あたしはちょっと身を引いた。
どっどっどっ、どうしよう!?惟伎高ー!
「出家を・・・」
そう言い終わらないうちに、女はぐらりと身を崩して、目の前でばたりと倒れてしまった。
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