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Meet again my…

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Ⅲ マザー・フィギュア (2)


 僕はマンションの庭園で夜を明かした。

 厳密には野宿ではないと述べておく。僕は持ってきた弓を一晩中引き続けたからだ。実戦じゃないから八節に従ってのシミュレーションだ。いくら射たのか――いや、具体的な数値を出す意味は今はない。

 番えて、放す。一見してシンプルな動作だが、この過程で雑念はほぼ削ぎ落とされた。今の僕なら麻衣に触れられようと心揺らすことはないと断言できる。

 よくも一晩、一人で外にいられたものだって? ああ、確かに単独行動は避けないと日高に狙われるとさんざん警戒したのは僕だ。だが、今はあの白い魔女の魔法の檻にいる。彼女の「魔法」というのは犠牲者を出さないものだというのは説明したな。
 ――無欠の魔法。
 白い魔女自身は苦手だが、これには感謝しておいてやろう。

 さあ、戻らないと。

 弓を持ち直してマンションに入り、部屋に戻る。エレベーターは使わない。寸暇を惜しんで鍛えろ、との師の教えによりこの手の文明の利器は使用を禁じられている。

 部屋の前に着く。鍵は――開いていた。



 無言で部屋に上がる。リビングに行くと、ソファーで麻衣が寝ていた。
 昨日も言ったのに同じ轍を踏むのか、この女性は。
 僕はため息をつき、麻衣を抱き上げた。起きる様子はない。寝室に連れて行ってベッドに麻衣の体を横たえる。布団をかけてやると、身じろぎはしたが起きなかった。

 待っていたのか、僕を。

 寝室を出て、さっきまで麻衣が寝ていたソファーに腰を下ろす。まだほのかに温かい。深呼吸すると、暖房もつけていなかったリビングの空気がノドを刺した。

 君は馬鹿だ。誰より危機感知に優れているくせに、一番案じてはいけない男の身を案じているんだぞ。

 ――。

 ――――。

 やめた。僕が言ってやめるなら麻衣もとっくに静かになっている。ここで粘るから谷山麻衣なんだ。彼女の『ナル』もそういうところにほだされて交際するようになったに違いない。

「ネージュエール卿、質問があります」

 ちりん。いつのまにか正面に座っていた白猫は、すぐさま白い魔女に変じる。対談形式になった。

「私に答えられることなら」
「あの麻衣が僕の秘密を知ったら、帰ったあとの麻衣の時間軸はどうなりますか」
「それは答ええない問い。貴方が彼女に何を託すかで彼女の道行きも変わる。ただ、知ったとて歴史は簡単に変わらない。彼女が覚悟を抱いても、『彼女のナル』が同じ意志を持つとは限らないから」
「まるで意志さえあれば歴史は変わるとでも言いたげですね」
「かなりのところまで変わるわよ」

 それも、そうか。でなきゃ日高みたいな輩がのさばれるはずもないな。

 ただの怨霊だったものが、僕ら「グリフィスの男児」への憎悪で自らを呪いへと変えた。祖父を殺した辺りから日高の都合のいいように事が運んだのは否定できない。日高が行動しやすい日本に父たちが踏み込んだのもあながち偶然の重なりとは言えない部分がある。

「では麻衣が帰ったあと、僕のこの時間軸は?」
「変わらない」

 即答か。まあそうだろう。いわゆる親殺しのパラドックスだからな。

「彼女が心配?」
「どうでしょうね」

 僕が麻衣の先を思い煩ったところでどうにもならない。今から僕の秘密を教えてやれば変わりはするかもしれないが、教えてどうなるという諦観もある。
 第一、今の僕に何を思い煩えるのか。僕は日高を殺したあとで10年前の僕に戻って、死ぬ。生命の停止にせよ精神の停止にせよ、僕に先がないのは決定事項だ。死体が生きた人間を上等に案じてどうなる。

「そうね。生者を変えられるのは生者だけ。死者には何も、ない」

 心を読むな。

「……僕の10年は、何だったんでしょうか」

 一人の女を憎むことに専心すると決め、奴を殺すのに必要としない経験や情愛は切り捨ててきた。養父母やプラット研究所の同僚、思い返せば彼らに冷酷な仕打ちばかりしてきた。

 それでも、10年前に殺された心は、どんなに愛されてもコトリとも揺れなくて。

 それも日高を殺す日を思えばかすかな希望を見出せた。

 ゆうべ、打ち砕かれたけどな。

 考えてはいけない。ふり返れば、重さに潰れて、それこそ本当に、奴との決戦に臨む前に死んでしまう。ああ、なのに、なのに!

「今は眠りなさい」

 白い魔女が手を僕の両目にかぶせた。陶器の感触がする。体温なんてない無機の手だ。従いたくないのに急速に眠気がやって来る。

「目が覚めたら、今日一日だけでいい、『日常』を知りなさい。それは貴方の糧になるから」

 僕は師に受けたトレーニングのおかげで食欲や睡眠欲はほぼコントロールできるから、一晩徹夜した程度では蚊ほども堪えない。
 それを強制的に眠らせるんだから、本当にこの女の親切はありがた迷惑だ……

 
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