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Meet again my…

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Ⅲ マザー・フィギュア (1)

 帰宅すると、麻衣がリビングのソファで寝ていた。まったく、2月に上にかけるものもなしに寝るな。風邪をひかれたらこちらが困るんだからな。ただでさえ緊迫した状況の中で病人を庇える余裕など僕にはないんだ。

「麻衣、起き……」
「起きないわ、まだ」

 ……そろそろ慣れた。もう驚かない。
 顔を上げれば、麻衣が頭を向けた方向にしゃがみ込む白い魔女。

「起きないとは?」
「『時』ではないから起きはしない。彼女は今、夢の中にいる」

 夢か。さもありなん。麻衣のセンシティブはASCないしd-ASC――変性意識状態ないし分離性変性意識において発動するらしい。本人の主観としては「夢を見る」。そして情報を自分の中に汲み上げる、らしい。この「らしい」というのは、僕も人づてに聞いただけだからだ。

「夢とは本人の心象世界であり、現実世界の反魔法干渉常態の及ばない領域。あらゆる因果が交差してもおかしくない」
「人間の言葉をしゃべっていただけますか。卿の言葉は難解に過ぎる」
「谷山麻衣の才能は過去に向いたもの。よくて現在進行形の過去を感知することしかできない。ただし、谷山麻衣は他者との交感によって能力行使領域を拡張する稀有な能力者。今までは双子とのラインを利用していた」

 白い魔女は僕を指さした。

「今は貴方とリンクしている」
「……僕が『ナル』だからですか?」
「そう。谷山麻衣の『ナル』でなくとも、この世界の今では貴方が『ナル』。これはまだ覆らない」

 まだ、ね。
 産み直しの儀式だったか。本当に『僕』を取り戻させるつもりらしい。
 はっ、ありがた迷惑だ。僕は『ナル』で、日高を殺すまでは『ナル』でいつづけるし、日高を殺したあとを考える意味なんてない。奴が死ぬまでにそんな夢想をする余分はない。そんなものは命取りだ。

 一念のみを抱け。本懐のみに邁進しろ。
 僕は安部日高を殺すまで死ぬわけにはいかないんだ。

「これを視てもそう言える?」

 白い魔女はおもむろに僕の手を掴んだ。彼女のもう片方の手は、麻衣の額に置かれている。
 まずい。つながれる!
 ふりほどくより先に視界が他者の――麻衣のヴィジョンにジャックされた。



 返り血と流れた血でできた水たまりに座り込んで自失する青年。漆黒の衣装はアカによって色あせてしまっている。
 全てを終えて彼に残ったものは何もなかった。達成感も充足感も解放感も、未来への展望も過去の清算も、死の恐怖からの脱却も生への歓喜も、彼の裡に湧くことはない。
 目標に辿り着き、悲願を成就した果てに、彼は彼を支えてきた土壌を失った。
 彼はカラッポになってしまった。

(だめ)

 彼はただ心臓が全身に血液を循環させるだけの生ける屍と成り果てた。

(いけない)

 彼の心は――死んだ。

(そんなこと絶対にあっちゃいけないのよ!!)




 弾かれるように我に返った。
 なんだ、今の。あれが麻衣の夢だっていうのか。まるっきり僕のことじゃないか!

「貴方とリンクしたせいで貴方の力の一部を用いた夢を見ているの」

 僕は日高に殺された『僕』を取り戻したくて戦いに赴くはずだ。僕が存在する限り永劫解けない安部日高という呪いを打ち破るために、血ヘドを吐いて生きてきて、死の呪いを超えて生を掴もうとしたんだ。
 それが何だあれは! 何も戻ってこないじゃないか! じゃあ僕は何のために10年もこんな生き方をしてきたんだ。養父母の注ぐ愛情も蹴って、自分を慕うあらゆる人間を弾いて、人として最低な生き方をしてきて、その代償がこれ? ふざけるな!

 ひとしきり無言で激昂して――醒めた。

 ――ああ、でも、それでアタリマエなんだ。

 10年前に僕は殺された。僕はとうに死んでいる。死んだ人間は生き返らないと師も言ったじゃないか。
 滑稽だ。死体が生者に復讐しようとしてたわけだ。

 望むところだ。
 未来がないのならば憎しみを燃やす尽くすためにだけ進んでやろう。もはや先なんて度外視だ。家族を殺したあの女への憎悪、あらゆる殺戮で叩きつけてくれる。



 パチ。麻衣が目を覚ました。
 白い魔女は消えていた。ああもう追及するのも馬鹿らしい。

「ん……ナル……」

 麻衣は僕のシャツの裾を指で弱々しく掴むと、そのまますり寄ってきた。彼女の「ナル」とはこういう付き合いだったんだな。口ではやかましく言っていたくせに、寝ぼけたとたんに無防備になるなよ。

「寝ぼけるな。起きろ」
「うー……おかえり」

 麻衣はまぶたをこすりながら起き上がった。しばらくはボンヤリしていたが、意識がはっきりしてくるにつれて、僕を見る内に表情が硬くなっていく。思い出してるんだろう、僕が殺人者予備軍だと。
 今に至って気遣ってやる意味はない。
 僕は真実その道を進むんだ。そしてその先はない。人殺しになって、人殺しとして死ぬ。だから麻衣が僕に人間として接する意味は消えた。

「どうした?」

 意地悪く聞いてみる。

「あのさ、ナル、何かあった?」
「何故?」
「辛そう」

 辛そう? 僕が? とんでもない。それどころか今の僕は箍が飛んだように晴れやかな気分だ。

「別に」
「うそ! あんた、そういうの絶対顔に出さないくせに、あたしにも分かるなんて相当だよ! ねえ、ほんとに何があったの? また襲われた?」
「何でもない。しつこいぞ」

 必死に訴える麻衣を突き放す。麻衣は子どもじみた顔で僕をじっと見ている。

 何故なんだ。君のセンシティブなら僕が危険な存在になったと、これからなると分かるはずだろう。たったさっき夢に視ていたじゃないか。それで何故君は僕に普通に接してくるんだ。
 さっきの「夢」を知る前ならもっと別の感じ方をしたかもしれない。でももう遅い。今の彼女の態度はひたすらに厭わしい。

「もう夕方だ。夕食はどうする気だ?」
「は?」
「作らないのなら何か買いに行くかデリバリーか。とにかく好きにしろ。僕はいらない」

 麻衣は昼食を食べていない。自覚してなくても空腹なはずだ。話題を出せば食いつくだろう。

「そのくらい作るよ。自活生活長いんだから。作るからナルも食べて」
「さっきの台詞を聞いてなかったのか。いらない」
「やだ。あんたの分も作ってやる」

 やだ、だと? 子どもか。麻衣は普段から「ナル」にこういう態度をとっていたのか。

「僕に構うな」
「いやだって言ってるでしょ!」

 麻衣は立ち上がって、毅然と僕を見据える。

「ねえ、ナル。あたしね、ナルが出かけてからずっと考えてたんだ。日高って女のこと、ナルのご先祖様のこと、ナルがしようとしてること。それを知って、あたしはどうすればいいのかって」

 言って、麻衣は僕を封じるには充分すぎる行動に出た。
 僕に、思い切り抱きついたのだ。押し当てられたやわらかな肉、背中に回った両腕、くぐもる声。何もかもが生々しい。

「夢ならいいのにって思った。この、あたしが知る東京とはどこかズレた街も、あたしの知るナルとは違うナルも、ナルがこれから家族の仇を殺すことだって、全部夢だって割り切れたら楽なのにって。でも、こんなにリアルな出来事を、どうやって夢だと思えばいいのよ。感触も匂いも確かに感じているのに」

 この現実が夢なのか、夢が現実なのか。
 ――胡蝶の夢。
 自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分になった夢をみているのかという、荘子の説話。

「い、言っとくけど、あたしのナルにだってこんなマネしないんだからねっ。あんたが、あんまりほっとけないから……まだ頭ぐちゃぐちゃなのに、こんなことしちゃうんだから」

 僕だけ、特別。
 馬鹿みたいにそのフレーズを思い起こした。

 僕は麻衣を引き剥がした。降ろしていた弓を掴んで、向かったのは玄関。ドアを乱暴に空けて外に出る。2月の冷たい風が全身をなぶった。

「ナル!!」

 今は麻衣と同じ空間にいたくない。
 これ以上彼女に触れられていたら、とうに潰えた希望を、空々しく信じてしまいたくなる。
 そんなものはない。
 僕は日高を殺して、日高に殺されたあの頃の僕に戻って、死ぬ。
 それだけなんだ。

 
 

 
後書き
 麻衣の夢に主人公が動揺したのはですね、生殺与奪を握っている仇を殺して自分を取り戻したかったのに、殺した瞬間自分も死ぬという未来を見てしまって絶望したからです。
 本編で書け? 書けないからここに書いたんだよ!(泣)
 
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