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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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六十九 約束

崩壊する城。
天から降り注ぐ瓦礫の雨を彼女は仰いだ。空を切って飛んできた破片が足下で散在する。

あれだけ威風堂々とした短冊城はもはや見る影も無い。観光名所の一郭を破壊した張本人は、何事も無かったかのように崩れた瓦礫を踏みつけた。

「随分と久しぶりねぇ…綱手」
「出会い頭に文化遺産破壊しておいて言う台詞かい?」
「形あるモノは何れ朽ちる…それが遅いか早いかの違いよ。大した問題じゃないわ」

くくっと喉奥で笑う相手は一見余裕めいている。
だが医療スペシャリストとして名を馳せた綱手の眼は誤魔化せなかった。

(…心拍が荒い。顔色からしてかなりの発熱。疲労状態が続いている……それに、あの腕は―――)
一目で体調を見抜く。腹の内とは裏腹に、綱手は素知らぬ顔で訊ねた。

「今更、私に何の用?昔話でもしようってのかい」
「……お願いがあってね」
不調にも拘らず大蛇丸は綽然たる態度で口許を歪めた。その隣で控えていたカブトがおもむろに口を開く。
「綱手様。貴女ならもう御解りのはず…―――腕を治していただきたい」

既に傷の重さを分析していると見て取ったカブトが綱手に頼む。(この付き人…出来るわね)と内心感嘆しつつ、綱手は改めて大蛇丸と顔を合わせた。
「…その腕、ただの傷じゃないわね?一体何したっての?」
「なぁに…」
腕の激痛に耐えながらも大蛇丸は愉快げに眼を細めた。事も無げに嗤う。

「三代目を殺した時にちょっとね…」

その一言で綱手とシズネの間に緊張が奔る。彼女達の眼付きが徐々に険しくなる様を大蛇丸は涼しい顔で眺めた。
「そんなに怖い顔しないでよ。さっきも言ったでしょう?」
後ろを振り仰ぐ。城の残骸に目を遣って、大蛇丸は蛇の如きねっとりとした声音で歌うように囁いた。
「形あるモノは何れ朽ちる…人も同じよ」

一時の静寂。ピリピリとした緊張が空気を揺るがす。
膠着状態が続く中、シズネがじり…と戦闘体勢をとった。互いに互いが相手の出方を窺う。

「大蛇丸…」
ふっと肩を落とした綱手がにっこりと微笑む。どこか薄ら寒い笑顔を顔に貼り付け「私の性格はよく知ってるでしょ?」と笑う綱手に、大蛇丸も笑みを返した。
「その言葉、そっくりお返しするわ」



瞬間、大蛇丸が動いた。


口を開く。蛇のように長き舌。その奥から覗き見える本物の蛇もまた、しゅるりと舌を伸ばした。
其処にあるのは一振りの刀。

猛然と迫る。大蛇丸のまさかの攻撃に綱手は一瞬対処に遅れた。その上、足下の瓦礫で体勢を崩す。
シズネが叫んだ。
「……綱手様っ!!」


鮮血が、宙を舞った。











ぽたた…と地に滴下する。

迸る鮮やかな赤を見下ろして、大蛇丸はぽつりと呟いた。
「殺すつもりはなかったのに…」

一瞬、気まずげな表情を浮かべる。だが即座に刃物を口内に納めた大蛇丸は、刃先に滴る血をぺろりと舐めた。
「ちょっと血を見せてあげようと思っただけ。私は悪くないわ」
唇に付着した血を舌で拭う。悪びれる様子も無く、大蛇丸は肩を竦めた。

彼は綱手の血液恐怖症がまだ治っていないだろうという思惟から、脅しのつもりで軽い傷をつけようと仕掛けたのである。だが刃先が綱手に届く前に影が割り込んできたのだ。

綱手に掠り傷を負わせるはずだった刃は、両者の間に押し入った人物を見事に貫いた。


「……ッ、」
いきなりの展開に声を失う綱手とシズネ。愕然とする二人の眼前で、全身を血に染めた乱入者はガクリと地に膝をつく。
崩れ落ちた姿を目にして、ようやく我に返った綱手の叫びが沈黙を切り裂いた。


「――――アマルっ!!」














彼女の髪は果たして元から赤かっただろうか。

全身を真っ赤に染めた弟子。駆けつけた師は、そのあまりの血の量に怯んでしまう。
代わりにシズネが急ぎ、アマルを胸に掻き抱いた。
まだ、息はある。
すぐさま医療忍術で治癒し始めたシズネを、大蛇丸は嘲笑った。

「綱手…あんたを庇ったその子が悪いのよ」
無言で治療するシズネと血の恐怖で震える綱手へ視線を這わす。最後に血濡れのアマルを視界におさめ、彼は更に言い募った。
「綱手の弟子になったばかりに……災難ねぇ」

医療忍術を施すシズネの傍らで子豚が腕の中を覗き込んだ。アマルと一緒に来たのだろうか、心配そうに窺うトントンが切なげな声で鳴く。

この時、治療に専念していたシズネは、なぜアマルが綱手の弟子だと大蛇丸が知っているのか疑問すら浮かばなかった。一方の綱手も血への恐怖から、大蛇丸の言葉など気にも留めなかった。
しかしながら震えつつも「黙れ…ッ!」と気丈に言い返す。

「そうつれなくしないで…―――取り引きしましょう」
咽返るほどの血臭に、大蛇丸はうっそりと目を細めた。


「―――お前の愛した弟と男を生き返らせてあげるわ……その弟子もね」
「……ッ!?」
「笑わせるな…ッ!」
大蛇丸の一言に反応を示した綱手に反して、シズネは声を張り上げた。アマルを抱く腕に力を込める。
「第一、この子はまだ生きている!!勝手に殺すなっ!!」

息も絶え絶えの様子だが、確かにアマルはまだ生きている。そう主張するシズネの前で大蛇丸はカブトの名を呼んだ。
察したカブトが静かに眼鏡を押し上げる。地に広がる赤い泉の量を分析し、彼は冷然と答えた。

「確実に致死量を超えていますね。もって三日…」
「そういう事よ…。つまり貴女は近い内に、三人、失う事になる」
愕然と瞠目する綱手を大蛇丸はねっとりとした眼差しで見据えた。

「綱手…お前にとっての最愛の人を―――」


弟・恋人・弟子。
弟と恋人の死もまだ受け入れられずにいるのに、ましてや弟子までも失う事が綱手には耐えられなかった。
シズネの諫言に耳を貸さず、ひとえに黙する綱手を見て、大蛇丸が満足げに頷く。
「返事は今すぐじゃなくても構わないわ。一週間あげる」

溢れる血臭。その中で仄かに香る酒気に「酔っ払いは相手にしたくないの」と大蛇丸は苦笑を漏らした。
「今度は昼間に会いましょう。色好い返事を期待しているわよ…――綱手」

最後に一瞥を投げ、立ち去った大蛇丸とカブト。
彼ら二人の気配が消えるにつれ、綱手とシズネの前に見知った顔が近づいてきた。






「綱手…!何があったっ!?」
カカシの忍犬を筆頭に自来也と波風ナルが駆けて来る。

濃厚な血臭が鼻に衝いて顔を顰めるパックンに対し、ナルは血の気が引いた。酷い惨状に顔を青褪める。
「あ、アマル…?ど、どうしたんだってばよッ!?一体何が…」

先ほどまで仲良くお喋りしていた友の有り様に、動揺のあまり支離滅裂になるナル。弟子のうろたえ様を見て逆に冷静になった自来也が一喝した。
「とにかく医療設備がある場所のほうがいいだろう!この街の病院へ連れて行くぞ!!」
「は、はい!」
自来也のもっともな発言に、シズネは一端治療の手を止めた。素早くアマルを背負った自来也と共に、病院を捜す。

再びパックンの先導で走り出した自来也とシズネの後ろ姿を見て、ナルは慌ててトントンを抱えた。追い駆けようとした矢先、未だ呆然と佇む綱手の姿が目に留まる。
「…行こうってばよ!」

綱手の手を掴む。ナルに半ば強引に引っ張られ、綱手は足下に広がる血の海から逃れた。自来也達の後を追う。

城跡と化したその場には、飛び散った赤い染みと血臭のみが残された。













怪我人を連れて駆け込んだ病院。
シズネが治療に携わるのに対し、当初渋っていた町医者だが、綱手の名を出すと手のひらを返したように快く応じた。一般人と言えども医療スペシャリストとしての綱手の名前は存外知れ渡っているようだ。

しかしながら控室で待つのは自来也とナル…そして当の本人の綱手であった。


「なぁ、姉ちゃんが綱手っていう何でも治せる凄い医療忍者なんだろ?」
自来也が彼女を綱手と呼んでいたのを聞いていたナル。故にこの人がアマルの師匠かと思い当ったのだが、手術室に入ってゆくシズネと町医者に対し綱手は控室に残っている。その現状に首を傾げる。

なぜ治療しないのか。綱手が此処にいる事自体がナルには不思議だった。
しかし怪訝に思うより先に、綱手に頼み込む。

「頼む!アマルを助けてくれってばよ!!」
「私はもう…医療は止めたんだ」
「嘘だろ!だって姉ちゃんは医療スペシャリスト…」
「よせ。ナル」
見咎める自来也の制止を振り切って、ナルは猶も懇願した。綱手の服を掴み、縋る。

「アマルが言ってたってば!あんたは優秀なお医者様だって!すっげぇ名医だって!オレもいつか先生みたいな医療スペシャリストになりたいって言ってたってば!!」
「……ッ」
「お願いだってばよ…っ!オレ…オレ、アマルと約束してんだ!新術を完成したら一番に見せるって…!オレにその約束、破らせないでくれってばよぉ!!」
「ナル…お前、」
椅子に座っていた自来也が思わず身を乗り出す。

反面、綱手は終始俯いていた。未だ治まらぬ身体の震えに、内心苛立たしげに舌打ちする。
血液恐怖症を克服する努力はしてきたはずなのに、いざという時には動けない自身が情けなかった。



火影就任要請が綱手に下されたという話をパックンから聞いたナルとアマル。
驚愕したナルはアマルとトントンには宿で待機するよう告げ、彼女自身はまずパックンと共に自来也を捜しに居酒屋に向かった。
だが残されたアマルとて、居ても立ってもいられなかった。綱手から詳しい話を聞こうと、トントンに匂いを追跡してもらい、宿を飛び出してしまう。

トントンの案内で短冊城に辿り着いたアマルは、今正に綱手へ迫る大蛇丸の光景を目の当たりにする。師の危機に直面した彼女は思わず二人の間に割り込んでしまった。

一度自来也に会う為居酒屋に向かったナルと、真っ先に綱手がいる観光名所へ行ったアマル。
この些細な差異が今回の悲劇を呼び起こしてしまったのである。



伏せたまま動かぬ綱手をナルは暫しじっと見つめていたが、やがて踵を返した。控室の扉を開ける。「何処へ行く?」と自来也に呼び止められた彼女は何の脈絡も無い答えを返した。

「オレの夢は火影になる事だ」

唐突に告げられた夢。
だがその一言は綱手の心を動かした。ハッと顔を上げる。

三忍二人の視線を背中で受けた子どもは振り向かない。振り返る素振りもない。
ただ、独り言のように淡々と続ける。
「でも…約束一つ守れない奴が火影になんてなれるかよ」
そこで振り向く。一点の曇りも無い青い瞳が綱手を射抜いた。

「修行、行って来るってば――――いつアマルが起きてもいいように」
術、完成させてみせるってば、と最後に一言言い残し、ナルは控室を後にした。


片や三忍、片や下忍。だがそのたかが下忍の眼光に綱手は怯んだ。ナルのあまりにも真っ直ぐな眼差しには、かつての最愛の人の面影があった。
息を詰まらせる綱手を横目で窺い、自来也は瞳を細める。

「今のがわしの弟子―――波風ナルだ。面白い奴だろ」
「どうして…あんなガキを連れて来た」
「似てるだろ。年の頃も同じだよ。お前さんの弟子もそうだろ」
綱手の頭にふっと一瞬弟の顔が過る。その顔は笑顔だったが、だからこそ自分を責めているようで、彼女はぎゅっと震える我が身を抱き竦めた。

無言で綱手の様子を見ていた自来也がやにわに腰を上げた。ガタタ、と椅子の軋む音に気づいた綱手が自来也の動向を目で追う。
どうするつもりだ、と問う視線に応え、自来也は控室の扉に手を掛けた。

「わしは一応、アイツの師匠なんでの」
新術の修行をつけてくると言外に答えると、自来也は「じゃあのぉ」とひらひら手を振った。だが完全に外へ出る前に再度振り返る。

「アイツの忍道、知ってるか?『真っ直ぐ自分の言葉は曲げない』だと…――――全く、馬鹿な奴だよ」
どこか誇らしげにそう伝え、自来也もまたナルの後を追い駆けて行った。


控室に独り取り残された綱手はのろのろと視線を手術室へ投げた。静寂に満たされた空間内でも視線の先では慌ただしい緊張感が溢れている事を彼女は理解していた。
「そうだ…」

しん…と静まり返った室内で響く独り言。だがその声音は彼女の決意の現れが強く滲み出ていた。
先ほどのナルに倣うように、己に言い聞かせる。
「弟子一人救えなくて何が三忍だ。何が医療スペシャリストだ」

深く深く言葉を噛み締める。そして綱手は一歩足を踏み出した。
もう、震えは無かった。







「く…っ、血が止まらない…」
手術室。
其処では、シズネがひたすらに治療していた。ぐったりと横たわるアマルを前に、唇を噛み締める。
既に匙を投げた町医者が「この出血量だともう…」と断念した時、室内に明かりが射し込んだ。
「泣き言を言うな!」

控室から洩れる光を背に佇む存在。その姿を目にした途端、シズネの顔が一転して明るくなる。
「綱手様!」
「私が診る。サポートしてくれ」
アマルの容態を一瞥し、綱手はすぐさまシズネと町医者に指図する。慣れた様子のシズネと戸惑う町医者がそれぞれ従う中、綱手はアマルを見つめた。
「絶対助けると約束する…なぜなら私は―――」

生きるか死ぬかの瀬戸際。死生を彷徨うアマルにとって、綱手は正しく最後の希望の光だった。

「―――火影になる女だからね」



師と友の力強い約束に、ほんの一瞬、アマルの顔に生気が戻った気がした。





















細長い通路を幾重にも曲がってゆくと、やがて大きな家に行き当たる。突き当たりの白い壁を一瞥した彼は、深い溜息をついた。
空を仰ぐと、中天に月が掛かっている。

皓々たる月明かりに目を細めたサスケは、(今日はこのあたりにしておくか)と身体を反転させた。帰路につく。
一日中署名運動に走り回り、疲れ切った身に鞭打って踵を返した、ちょうどその時。

背後で獣の声がした。


即座に避ける。口から牙を覗かせる狛犬のようなソレをクナイで一閃。真横から迫るもう一匹を仕留めた後、サスケの眼は素早く真向かいの家を捉えた。

ペンキの剥がれた青い屋根。その上に誰かいる。

再び屋根から躍り出た数匹の狛犬。それらの猛攻を全てかわし、屋根へ飛び乗る。途端、サスケの眼前に短刀が突き付けられた。

月光の許、カキンと刃物と刃物が搗ち合う音が響く。


「力、弱いな…。君、それでもチンチンついてるんですか?」
朗らかな笑顔に反して下品な物言い。短刀をクナイで受け止めたサスケは露骨に顔を顰めた。足蹴りを繰り出す。
相手は容易にそれを避けたが、背後から聞こえた声にぴたりと動きを止めた。
「お前こそ、弱いな。それでも男かよ?」


少年の前にいたサスケが白い煙と化す。何時の間にか作っていた分身を囮に、サスケ本人は少年の背後を取っていた。
しかしながら、首筋にクナイを突き付けられた少年は動揺一つない。むしろ、その口許には笑みが湛えられている。
「…ふふっ。流石ですね」

微笑を浮かべた少年は短刀を納めた。その嘘臭い笑顔に、(胡散臭い奴だ)とサスケは内心悪態をつく。
警戒を緩めないサスケに、少年は肩越しに微笑んだ。その白い肌は月下にて益々生白く見える。



「僕はサイ。よろしくね、サスケ君」
それは嘘の皮を被った、完全なる笑顔だった。
 
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