エース
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第三章
第三章
「俺は大丈夫だがな」
「悪いけれどそうは聞こえないよ」
しかし少女は今の彼の言葉は否定したのだった。
「何っ!?」
「あんたの今の顔を見ているとね」
すぐに反応して自分の方を見上げてきた赤藤に述べた言葉だった。
「とてもそうは見えないさ」
「気のせいだ」
赤藤はまずは強がってみせた。強がりだが自分にも言い聞かせている。
「それはな」
「どうだか。不安じゃないってはっきり言えるかい?」
「言えるさ」
また強がりであった。
「何度でもな」
「じゃあその右腕で」
少女もまた正面を見据えている。赤と銀色に輝く冬の夕刻の川辺を見ながら彼女も言う。
「小石を川に投げられるかい?」
「何っ!?」
「投げられないよね」
彼女が言うのはそれだった。今彼がとてもできないことだった。
「だったら安心とは言えないさ」
「まだそんな時期じゃない」
医者から言われたことを自分の口でも言ってみせる。顔は苦い顔で正面に戻った。
「だからいいんだよ、これでも」
「どうだか。実際何時投げられるかわからないんじゃないのかい?」
「すぐだ」
半分ムキになった言葉だった。
「すぐだ。だから」
「いいのかい」
「あんたに言われることじゃない」
また言葉が強がりになっていた。しかし今度は自分では気付かない。
「俺の問題だからな」
「だったらいいけれどね」
強がりに対する少女の返事は素っ気無くかつつれないものだった。
「それならそれでね」
「何が言いたい」
「別に」
嘲笑ってはいない。しかしやはりつれない響きの言葉だった。
「あんたの問題さ。ただ」
「ただ?」
「不安に押し潰されたら終わりだよ」
少女の今度の言葉はこうだった。
「それでね。終わりさ」
「ちゃんと手術もして治療も受けている」
そのことをあえて強調してみせた。
「何の心配もいらないさ」
「だといいけれどね」
「少なくともあんたに心配されることじゃない」
今度は完全にムキになった言葉だった。顔も少し俯き気味になりさらに苦いものになっていた。
「放っておいてもらいたいものだ」
「そりゃ放っておけっていったら放っておくけれど」
「だったらそれでいい。俺は俺だ」
次第に意固地な言葉になっていた。しかしこれも自分では気付かない。
「今年に復帰する。だから安心しろ」
「だといいけれどね。それじゃあ」
「帰るのか?」
「こっちも忙しくてね」
赤藤の横で踵を返しつつの言葉だった。
「家に帰って色々とやることがあるんだよ」
「色々と?」
「トレーニングさ」
こう赤藤に答えるのだった。
「それをしなくちゃいけないんだよ。この自転車だってその一つだけれどね」
「何だ、スポーツ選手だったのか」
「高校の部活なんだよ」
今度の返事はこうだった。高校生だという。
「陸上部。名前は」
「名前は?」
「楠未樹」
名前を名乗ってみせたのだった。
「それが私の名前だよ」
「楠未樹。陸上部か」
「そうだよ。覚えてくれたかい?」
「覚える必要はないが覚えたな」
ぶしつけに言葉を返した。こうした言葉になった理由はやはり今までのやり取りが大きな原因である。
「橘さんっていうのか」
「そうだよ。学校じゃ未樹って呼ばれてるよ」
「未樹か」
「どっちで呼んでくれてもいいさ。こっちはどっちでもいいしね」
「そうか」
「ああ。それでね」
その少女未樹は自転車のすぐ側まで来ていた。そのうえで赤藤に応えるのだった。
「また明日もここを走るんだよね」
「ああ」
未樹のその言葉に座ったまま頷いてみせた。
「そのつもりさ。走るのは続けるさ」
「それはいいことだね」
「スポーツ選手だからな」
それを理由としていた。しかし理由以上のものがここにはあった。
「走るのは好きだしな」
「へえ、意外だね」
「好きじゃないとやれないさ」
こうも言ってみせた。
「走らないとピッチャーになれないんだよ」
「そうらしいね。じゃあまた明日ね」
「あんたは自転車か」
「さてね」
今の質問には惚けてきた。
「どうなるかわからないね、それは」
「?どういうことだよ、それって」
「それは明日わかるよ」
やはり答えようとしない。赤藤はそんな未樹の言葉にどうも違和感を感じるのだった。
「明日ね」
「明日か」
「明日は絶対来るしね」
顔は見ていない。しかし声は聞こえる。その声がにこりと笑っているのがわかった。赤藤にも。
「その時わかるよ」
「明日か」
「そう、明日」
明日という言葉を強調する未樹だった。
「明日は来るからね」
「そうだな。生きている限りはな」
「生きていればね。じゃあまた明日ね」
「ああ、明日な」
未樹の言葉に頷く。後ろから自転車の音が聞こえる。赤藤は自転車のその音を聞きながら座り続けていた。しかし音が聞こえなくなるとゆっくりと立ち上がった。
「明日か」
明日という言葉がやけに耳に残る。その中で身体を動かしそれからトレーニングを再開する。川辺から目を離しランニングに入るのだった。
その次の日。また岸辺の道で走っているとその横に。一つの影が来た。
「んっ!?」
「こんにちは」
未樹だった。髪を後ろで束ねて青いジャージを着て走っている。
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