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誰が為に球は飛ぶ

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焦がれる夏
  弍拾玖 耐えろ、粘れ

第二十九話



碇君に初めて会った時…
そのか細さが気になったの。
見た目や、体型じゃない。
どこか、繊細で、壊れやすいような。
そんな気がした。

碇君に惹きつけられたのは、
彼がそれだけか細いにも関わらず、
私との距離を詰めてきたから。
何だか、その姿が愛おしく感じた。

今、彼は灼熱のグランドで、
人の思いの渦の中心に居る。
この夏が始まってから、ずっとそう。

少し心配になる。
壊れてしまわないか。




頑張って。
踏ん張って。

碇君…




ーーーーーーーーーーーーーー


玲はスコアボードを見た。
回は5回が終了して、今はグランド整備のインターバルがとられている。
スコアは4-1で依然として自軍のリード。
初回に点を取り合ってから、膠着状態が続いていた。


しかし、0点に抑えているとはいえ、是礼の打線に押しに押されている。
5回まで毎回の8安打を放ち、常に塁上に賑わせている。全てが単打である為に中々塁が進まず、結果として無得点だが、明らかに真司の投球を苦にしていない。
何とか抑えている。そんな感じだった。

(あと4回…碇君、大丈夫かしら…)

玲の心配は、真司のメンタル。
攻められ続けるプレッシャーに耐え切れるのか、それだけが心配だった。



ーーーーーーーーーーーーーー


「おー、島木。暑そうにしてんなァ」
「はい!暑いです!」

グランド整備の間にトイレに行ってきた魚住は、ユニフォーム姿で応援席に居る1人の1年生を小突いた。1年生はビッと立ち上がり、直立不動で魚住に応える。

「負けてて嬉しいだろ?鬱陶しい東雲サンがもうすぐ居なくなるんだもんなぁ嬉しいよなぁ」
「いえっ!そんな事はありません!」

この1年生はいつも東雲の不興を買って散々シゴかれてきた1年生だった。

「東雲さんは嫌いですが、夏休みの練習が長いのはもっと嫌です!今までイビった分、勝って貰わないと困ります!」
「…………」

魚住は、この1年生を東雲が嫌う理由が少しわかったような気がした。

「よーし、じゃあ必死こいて応援すっか。東雲さんの為じゃなくお前らの為によォ」
「はい!めっちゃ声出します!優しい魚住さんの為に!」

バカ言うな、と魚住は1年の頭をはたき、応援席の最前列に戻っていった。


ーーーーーーーーーーーーーー



「碇の配球はどうなってる?」

是礼ベンチで冬月が真矢に尋ねる。
真矢はいつも通りすぐに結果を出した。

「スライダーを殆どストライクゾーンに入れてこなくなりました。外と内の真っ直ぐをカウント球に、スプリッターの割合が普段の倍程になっています。」

冬月はニヤりと笑う。
真矢はその笑みに疑いを覚えた。

「こちらの打線はヒットこそ打ってますが、外低めの真っ直ぐを流したもの、内の真っ直ぐを詰まりながら振り抜いたものが殆ど。打球は普段に比べて上がってませんし、勝負所で内の真っ直ぐとスプリッターに抑えられてます。まだ、外のスライダー狙いの指示を変えませんか?」

真矢に言われても、冬月は指示を変更する素振りを全く見せない。むしろ今までの展開は冬月にとっては順調だった。

(碇の特徴は全てのコースに全ての球種を投げ込める制球力だ。その配球に、打者が迷ってしまう事が何よりもいかん。何か一つ狙いを定めて、打者の迷いを無くすのが先決だ。)

冬月はベンチにかけてあるタオルを手に取り、汗を拭う。

(我々の打線のスイングスピードなら、スライダー狙いの状態から外の真っ直ぐを流す事もできるし、内側の真っ直ぐを強引に振り抜く事もできる。狙い通りのスライダーは言わずもがなだ。抑えるには内の真っ直ぐとスプリッターに頼る事になるだろうが、投げるのに細心の注意を要する内の真っ直ぐと、握力の要るスプリッターをピンチで多投するとなると、疲弊しない訳がない。必ず、崩れる時は来る。)

ジャグからスポーツドリンクを汲み、一気に飲み干した。

(後は、選手がこの作戦をどこまで信じて、徹底できるかだ。ここまでの逸機で芽生える疑念をどこまで払拭できるかだ。)

整備が終わったグランドに飛び出していく選手を見守り、冬月は息をついた。

(…試されているのは、私の信頼か)


ーーーーーーーーーーーーーー


バシッ!

高雄の真っ直ぐが威力十分に投げ込まれる。
打席の藤次はその威圧感に舌を巻いた。

(こいつ初回は全然打てる感じやったのに、どんどん球が良なってるやないか)

初回に満塁ホームランを打たれて以降、是礼先発の高雄は開き直ったのか、真っ直ぐでガンガン押してくるようになった。制球が甘い事もしばしばだが、それを投げている本人が気にしない。
重心が高く上半身主体の、やや力任せの投げ方だが、力任せな分ラグビー選手のような体のパワーが活きる。初回に健介のラッキーヒットを含めた3安打されて以降は、4回の先頭打者多摩にシングルヒットを許したのみ。四球は二つあるが、ネルフ打線を抑え込んでいる。

カン!

続いて真ん中高めに入ってきた真っ直ぐに藤次は手を出すも、バットが押し返されてファウルになる。球場のスピードガンは140キロを計測していた。
球持ちが悪くリリースが見やすい分、初戦の八潮第一・御園公也ほど速さは感じない。かといって、簡単に打てる球速ではない。

(真っ直ぐばっかりなんや…押されとったらアカンわ)

気持ちバットを短く持って、藤次は速球に備える。そうやって待たれていようが、高雄は愚直に真っ直ぐを投げ込む。

ガキッ!!

鈍い音がして、打球はフラフラと三塁ファールゾーンに上がる。サードの最上がフライをしっかり捕球して、ワンアウトとなる。

「高雄!新記録だな!142出たぞ!」

ショートの琢磨が声をかけ、高雄がすっかり自信を取り戻した顔で頷く。
これがエースの投球。
"最弱世代"のエースの投球だった。



ーーーーーーーーーーーーーー



<6回の裏、是礼学館高校の攻撃は、5番サード最上君>

6回表を3人で斬った是礼のその裏の攻撃は5番サードの最上から。比較的活発な打線の中で、今日はここまで2打数無安打と当たっていない。

(インコースに二つ詰まってんだよなぁ。またインコース投げられたら…)

最上はベンチの冬月を見る。
攻撃前の円陣では、狙い球の継続を強調していた。今までと変わらず、外のスライダーに目付けしてしっかり踏み込めと。

(…俺たちは能力が無いんだ。監督を信じないでどうするんだ。俺たちの力だけでどうにかできる訳ねぇよ。)

最上は今まで通りベースギリギリに立つ。
分田にも負けていない181cm85kgの体格でドシッと構えた。

ガキッ!

真司は変わらず踏み込んでくる最上に対して、負けじとインコースを果敢に突き続ける。元々腕が長めでインコースが苦手な最上はファウルにするのが精一杯だ。

(本当にギリギリしかこねぇなぁ。デッドボールは怖くないのかよ)

あっさりと追い込まれた最上は打席で歯ぎしりする。あの初回のバント飛球を捕れなかった上、打撃でも凡打を続ける訳にはいかない。
何とか自分の仕事をしたい。

焦る最上に、ようやく真司が甘い球を投じた。真ん中内寄りのコースに、中途半端なスピードの球がフッと入ってきた。

(いくしかないッ!)

最上はすかさず食らいついた。
あまり回転のかかっていないその球を思い切り引っ張りこむ。

カァーーン!

恵まれた体格からのフルスイングが球を叩き潰し、白球が"光線"となってレフト線にぐんぐん伸びた。


(打球…速ッ!!)

フェンス間際に深々と守っていたはずの日向も、打った瞬間追うのを諦めてクッションボールの処理に備える。
ドンッと音を立てて打球がポール下のフェンスに当たり、グランドの内側に戻ってくる。

「セカン行った!!」

日向がボールを拾って振り向くと、ショートの青葉が球を呼ぶ。打った最上は一塁を蹴って二塁に向かっていた。日向は中継の青葉に投げ、捕った青葉は二塁ベース上の健介に投げる。
手際良く中継プレーが為されたが、最上の足が勝った。

「よっしゃーー!!」

二塁ベース上で、最上が自軍ベンチに高々と拳を突き上げた。



ーーーーーーーーーーーーーー


「ぉおおおおお」
「「イェーーーッ!!」」

最上の二塁打に沸く是礼応援席で、応援リーダーを含めた野球部が密集した後、一斉にバックスクリーン目がけて手を伸ばす。
阪神タイガースの「グラティ」ポーズの真似だ。
これは今年から長打が出た時にやっているポーズである。ここまで7本塁打を放っている強打、その長打力が今日初めて発揮され、応援席も意気が上がる。

「チャンスー!これチャンスくるぞー!」

魚住が叫ぶと、応援席の野球部、一般生徒が一斉にしゃがんだ。部員100人近い吹奏楽部がイントロを演奏し始める。


パパッパパッパパッパパッラッパパ
パパッパパッパパッパパッラッパパ
パパラパパパパパー♪
「「わっしょーい!!」」

応援リーダーの声と共に、しゃがんでいた応援団全員が一斉に勢い良く立ち上がった。

「「おまえのっ 出番だっ!
(ヘイヘイヘイ!)」」

これまで甲子園でも数多のドラマを演出してきた是礼のチャンステーマ「サウスポー」。
古めな曲調でありながらテンポが良い、まさに高校野球の応援の鉄板であるこの曲に是礼応援席が揺れる。

「「「オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!
ゴーゴーゴー!!」」」

野球部も一般生徒も一緒になって声を上げ足を上げてメガホンを持った両手を突き上げる。

「「「今だ チャンスだ かっとばせ(ヨッ)
是礼打線の意地を見せろよ(わっしょーい!)
燃えろよ 高雄」」」

応援リーダーが更に気合を入れて演舞し、
チアリーダーも黄色い声を張り上げる。
シンプルな応援だが、それゆえに、この波が球場全体に広く波及していった。



ーーーーーーーーーーーーーー


「スプリッターが抜けたな…作戦が実を結びはじめたぞ」

冬月は珍しく、ベンチで興奮した様子を見せていた。その様子を見て、真矢は安心する。




<6番ピッチャー高雄君>

打席には高雄が入る。ピッチャーながらユニフォームがパンパンの体格を生かし、スイングに力がある。今日は真司からヒット二本を放ち、当たっている。

(最上が打ったのは甘く入ってきた球だな。たまたまか、それとも、乱れの兆候か。とにかく…)

高雄はバットのグリップをグッと握った。

(俺は監督の言う通りのバッティングをするだけだ!)

高雄は初球から、ガツンといく。
そもそも打撃に関してあまり難しく考えていない高雄は、その力いっぱいのフルスイングでボールを弾き返した。

ガチッ!!

真司の癖球はバットの芯を外す。
芯を外されてるのにも関わらず、打球は三遊間を襲い、横っ飛びするショート青葉の横を点々と転がっていった。

最上は三塁を回って本塁へ向かう。
深めに守っている日向が前進し中継の敬太に返球した時には、既に本塁を駆け抜けていた。

「やったー!」
「いいぞ高雄ー!」

遠かった二点目をとり、重苦しい雰囲気が払拭された是礼ベンチはだんだん空気が明るくなってきた。高雄は気合いの入ったガッツポーズで歓声に応える。応援席は校歌の大合唱だった。




(マズい……厳しいコースに投げても打ち返されるし……球そのものが通用してない…)

マウンドでは、真司が天を仰いで大きく息をついていた。その首筋を大粒の汗が滴り落ち、表情は険しく、苦しそうだ。
一つ間違えば長打のパワーがある上、空振りが少なく、詰まりながらもヒットにしてくるしぶとさも備えた是礼打線の攻めに、かなり消耗していた。既に被安打は10本。未だ三振は一つもない。球数も増えてきている。

「碇!気にするなよ一点くらい!」
「詰まらせてる詰まらせてる!」
「碇さん、打たせるピッチ得意っしょ!?」
「捕ってやるから、安心しろ!」

しきりに声をかけてくれるバックの守備に、真司は少し気が楽になる。まだその声援に笑顔を返す余裕は残っていた。

(そうだ……アウトさえ取れればいいんだ…相手を抑え込まなくてもいいんだ)

そう自分に言い聞かせ、折れそうな心を奮い立たせる。




7番の筑摩は送りバント。
一死二塁に、状況が変わる。
打順は下位、8番の長良。
応援席が「サウスポー」で後押しする。

(ここでもう一点、とっておきたいよなァ。一点差で上位に回せば、もうこっちのもんだ。)

8番ながら長良の今大会打率は四割超え。
その強打は普通の公立なら余裕で4番を打てる。

(おっと)
「ストライク!」

真司は初球、カーブから入った。
大会を通じても、それほど投げていない、あまり精度の高くない球である。

(目先を変えようってか?そもそも、ここまであんま投げてこない時点で、お前ら自身がカーブを信用してないってのはわかってんだよ)

長良の目が爛々と輝く。
獲物を狩る獣の目をする。

二球目も、真司の投球はカーブ。
少し高めに浮いた。

(…それでも投げるなら打つまでよ!)

しっかり引きつけ、長良はカーブを逆方向に流し打った。芯を食った打球が、強烈な速さでセカンドの頭上を襲う。長良は打った瞬間、ヒットを確信した。

バシィッ!

しかし、セカンドの健介が反応良くジャンプし、頭上のライナーをもぎとる。
着地しながら二塁へトスすると、すかさずショートの青葉が二塁ベースカバーに入ってそのトスを掴んだ。

「アウトー!」

二塁ランナーの高雄は戻りきれず、ダブルプレーが成立する。是礼応援席が大きなため息に包まれた。

「ナイスプレー!」
「よく捕ったっすね相田さん!」

ネルフナインは快哉を上げてベンチに戻る。
ファインプレーでピンチを防いだ健介はベンチの控え選手にもみくちゃにされた。
真司はホッとした表情を浮かべ、健介とハイタッチを交わす。






「あー、くそー!」

飛び出してアウトになった高雄は声を上げて悔しがっているが、7回表の守備に向かう是礼ナインの足取りは軽い。ネルフを着実に追い込んでいる手応えがある。下位打線でここまで捉えてきてるのだから、上位に回る次の回には大いに期待できる。

「高雄!この回大事だぞ!3人で斬って、裏には逆転だ!」
「おう、分かってる!」

琢磨の声かけに、高雄は頼もしく頷いた。


4-2。ネルフの2点リード。
試合は終盤へ突入する。




 
 

 
後書き
自分で書いてて思うんですが、
是礼打線強すぎですよね。
これで前評判高くないというのは、
ひとえに、戦犯高雄のせいです(笑)

是礼応援団のモチーフは広島の如水館。
広島では広陵を初めとして、野球部が応援リーダーをやる
場合があるのです。
野球部の大会なのだから、ベンチ外の選手が応援リーダーをやるのは
私は素晴らしいと思います。
というより、スタンドで所在無さげに居る野球部員の姿が
あまり見たくない。 
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