銀河英雄伝説~美しい夢~
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第四十二話 密談
帝国暦488年 3月 1日 オーディン ゲルラッハ子爵邸 エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク
ゲルラッハ子爵から内密に相談したいことが有ると言われた、他聞を憚ると。嫌な予感がしたが断ることは出来ない、目立たない平服を着て夜遅く、九時を過ぎた時間にゲルラッハ子爵の屋敷をこっそり訪ねた、裏口からだ。護衛はフェルナー一人、地上車は屋敷から離れた場所に待たせた。
子爵邸の使用人は俺とフェルナーをある部屋に案内すると無言で出て行った。応接室ではないし居間でもない、ソファーとテーブル、そしてアンティークのガラスキャビネットが有るが他には何もない、おそらくは密談用の部屋だろう。貴族の屋敷にはこういう部屋が必ず有る。ブラウンシュバイク公爵邸にも有る。
ソファーに座るとフェルナーが俺の後ろに立った。隣に座れとは言わないしフェルナーもそれを望まない。もうすぐゲルラッハ子爵が来るだろう、けじめをつけられない男だと思われてはならない。偉くなるのも善し悪しだ、不自由な事ばかり多くなる。
ドアが開いてゲルラッハ子爵が入ってきた。フェルナーが一礼すると部屋を出て行った、外で警備をするのだろう。子爵は何も言わずにガラスキャビネットからグラスと飲み物を取り出した。
「私は飲めませんが」
「御安心を、これは水です」
「お気遣い、感謝します」
「いえ、そうでは有りません。酒を飲んで話せる内容では無いのです、お気になさらないでください」
ゲルラッハ子爵が俺の正面に座った。グラスを置くと水を注ぐ。
「夜分に御足労を願いまして申し訳ありません。本来なら私が伺わなければならないのですが……」
こういうのって面倒だよな。役職から言えばゲルラッハ子爵の方が上だ。しかし俺は皇帝の孫の婚約者で公爵だ。宮中序列では俺の方が上になる。
「それこそ気になさらないでください、内密との事、私がこちらに来た方がいいでしょう。あの屋敷は見張られている可能性が有ります」
見張っている人間は色々だ。フェザーンもあるだろうが門閥貴族の手の者、そして独立商人も最近では俺の動きを探ろうとしている。俺は改革の旗振り役と認識されているのだ。
「それで、お話とは?」
俺が尋ねるとゲルラッハ子爵が一冊のファイルを差し出した。読めという事か、それほど分厚いものではないが時間をかけてゆっくりと読んだ。ゲルラッハ子爵が苦みを帯びた表情で俺を見ている。気持ちは分かる、この問題が有ったな、溜息が出そうだ。
言葉を出す前に水を飲んだ、ゲルラッハ子爵も水を飲む。
「このような事は言いたくありませんが、貴族というのは何を考えているのです? 領民に対する義務と責任は欠片も無いらしいですね」
ゲルラッハ子爵の表情が歪んだ。平民出身の俺に言われるのは屈辱だろう、しかし俺の言葉を否定はしなかった。否定出来るのなら俺をここに呼んだりはしない。
ファイルは貴族専用の金融機関、特殊銀行、信用金庫から融資を受けている貴族の一覧だった。そして使い道も記載してある。原作ではラインハルトが改革を始めると真っ先に潰された制度だ。この融資は無利子、無担保、無期限というふざけた融資内容になっている。
元々は惑星開発には金がかかるからという事で作られた金融機関なのだが現状では資料を見る限り領地経営に使われてはいない。フェザーンの投資機関に預けたり、場合によっては自分で金融機関を営む事に利用している。それで得た利益が遊興費や私兵の維持に使われるわけだ。そして融資額は年々増加している。
「帝国が財政難になるわけですよ、領地経営もせずに帝国から金を借りて遊びまくっている貴族がいるのですから」
「その通りです。財政再建にはこれを何とかしなければどうにもならないと思います」
前財務尚書カストロプ公は何もしなかったのだろう。自分が不正をしていたから何も言えなかったに違いない。いや、それ以前に自分の蓄財以外には関心が無かったか。皆で仲良く甘い汁を吸っていたわけだ。
「リヒテンラーデ侯は何と?」
「ブラウンシュバイク公に相談せよと、国務尚書閣下も以前からこの問題では頭を痛めていたようです」
頭を痛めているって、それで俺にぶん投げるかよ。あのジジイ、究極奥義丸投げを使うのは止めて貰いたいものだ。俺の方が頭が痛くなってきた、どうしたものか……。
「これを強制的に回収すればどうなると財務尚書は見ていますか?」
俺が問い掛けるとゲルラッハ子爵は力無く首を横に振った。
「帝国は大きな混乱に見舞われると思われます。金融機関を営んでいる貴族は資金不足に陥る可能性が有ります。そうなれば信用不安が発生します。最悪の場合帝国政府が公的資金の投入に踏み込まなければならなくなるでしょう。回収は混乱を起こしただけで意味のないものになる可能性が有る。それが財務省の見解です、何とかしようと思ってもどうにも出来ない、ズルズルと今日まで来てしまいました……」
「フェザーンも同様でしょうね。貴族が資金を回収すれば投資機関は資金不足に陥る可能性が高い。彼らは不足した資金を何処からか補わなければなりません。最初に行うのが帝国からの資金の回収……」
「はい、財務省も公と同じ見解です」
今度は本当に溜息が出た。同じ見解と言われても少しも嬉しくない、頭痛が酷くなるだけだ。どうにもならん、楽に稼げる道が有る以上、貴族達は面倒な領地経営には消極的になる。使い道が違う以上融資を引き揚げるべきなのだがそれをやれば帝国は混乱する……。もう一口水を飲んだ。
「とりあえず新規融資は止められませんか? 用途を確認し領地経営以外には使わせない……。当主が死んで代替わりすれば一度融資は返済されるはずです。それを機に少しずつ整理する……」
俺が提案するとゲルラッハ子爵が首を横に振った。
「それを行えば政府が融資の引き締めを行い始めたと皆が理解します。それだけで混乱が生じかねません」
なるほど、貴族が経営している金融機関は預金の流出が起きるか……、深刻な資金不足が発生するな……。
「しかしこのまま放置すれば一年後には問題になりますよ、そうではありませんか?」
「公の仰る通りです、間違いなく問題になるでしょう。それで頭を痛めております」
もう一度ファイルを見た。貴族達が借りている金額はかなりのものだ。ゲルラッハ子爵が俺を上目使いで見た。
「少しずつ返済させるしかないと思いますが……」
「現時点で既に借金まみれの貴族も居ます。全てを返済までにどれだけの時間がかかるか……」
ゲルラッハ子爵が顔を顰めた。融資を受けている貴族の中には例のフェザーンからの借金を帝国政府に肩代わりしてもらっている貴族も居る、それもかなりの人数だ。フェザーンに金を預けて資産運用を行い利益を得る。それでも足りずにフェザーンから金を借りて遊びまくる。貴族ってのはホント何考えてるんだ? 俺にはさっぱり分からん。
結局結論は出なかった。ゲルラッハ子爵は俺に相談してほっとしたような表情をしていたが俺にとってはまた一つ重荷を背負わされたようなものだ、地上車で帰る時も対応策を考えたがどうにも良い案が出ない。これじゃ宇宙統一なんて何時の事になるのか……。内政改革だけで一生を終えそうな気がしてきた。
「エーリッヒ」
「うん?」
「大丈夫か? 顔色が良くないが……」
フェルナーが俺の顔を覗き込むように見ていた。
「難問続出だ、頭が痛いよ」
「俺に話してみたらどうだ。ゲルラッハ子爵が絡んでいるとなると財政の事だろう。経済や財政の事は分からんが話すことで何か良い考えが浮かぶかもしれない」
心配そうな表情だ、どうやら俺は表情が直ぐ顔に出る悪い主人らしい。
「そうだな、屋敷に戻ったら聞いてもらおうか」
俺が答えるとフェルナーが頷いた。俺をブラウンシュバイク公にしたのはこいつを含めた公爵家の人間だ、もしかするとフェルナーは俺に対して罪悪感でも感じているのかもしれない。
「……アントン、私はブラウンシュバイク公としてはどんなものかな」
「……良くやっていると思うよ。俺だけじゃない、アンスバッハ准将、シュトライト少将もそう言っている。帝国の文武の重臣として良くやっているさ」
「……」
「ただ、不運だと思うよ」
「不運?」
冗談かと思って俺が問い返すとフェルナーが真顔で頷いた。
「あと百年早く生まれてブラウンシュバイク公になっていればこんな苦労はしなくて済んだのにな」
「百年前なら誰も改革など必要としなかったさ」
思わず笑ってしまった。しかしフェルナーが哀しそうな表情をしていたので直ぐ止めた。時代が人を必要とするのであれば原作世界では貴族達の政治が限界に達したからラインハルトが登場したのだと俺は思う。だとすれば俺がこの時代に生まれたのも偶然では無く必然なのだろう。
フリードリヒ四世が言うように全てを焼き尽くすか、不要な物を流し去るか、その担い手を必要とする時代が来たのだと思う。もっとも俺がその不要な物を流し去る担い手に選ばれた事は不本意の極みだが……。
屋敷に戻ると俺とフェルナーは密談用の部屋に入った。俺がそれを望んだ。話している最中に貴族に対して罵声が出そうだ。大公や大公夫人に聞かれたくは無い、エリザベートにもだ。改革の必要性は認めているだろうが貴族に対する批判を聞くのは辛いことも有るだろう。
フェルナーにゲルラッハ子爵との話しを説明した。話しが進むにつれてフェルナーの表情も厳しくなる。終わった時には大きな溜息を吐いた。
「難問だな、しかし一年後に問題になるというのはどういう事だ?」
「決算報告書と資産目録が公表される。連中が領地開発のために借りた金を資産運用に転用している事が公になる。領民達は大騒ぎだろうな」
フェルナーがまた溜息を吐いた。
「対策が難しいのなら決算報告書と資産目録の公表は延ばした方が良いんじゃないか?」
「無理だよ、公表は平民達もフェザーンの商人も心待ちにしている。延ばせば何か不都合が有ると感付くだろう。無責任な噂が出かねない、そちらの方が危険だよ」
それくらいなら正直に公表した方が良い。貴族、政府に対する不満は出るだろうが訳の分からない信用不安は起きずに済む。
「年内に何らかの手を打つ必要が有る、そういう事だな?」
「そういう事だ、だがその打つ手が見つからない……」
今度は俺が溜息を吐いた。
「……卿は反対のようだが少しずつでも返済させるしかないんじゃないか?」
「……平民達が納得すると思うか?」
俺が反問するとフェルナーは顔を顰めた。
「領内開発に使うべき資金を他の目的に使っていた。そこから出る利益を領内開発に回すならともかく遊興費と私兵の維持に使っていたとなれば領民達が納得するとは到底思えない。おまけに返済するとなれば領内開発に回す資金は僅かなものになるだろう……」
「ではその利益を領内開発に回すというのはどうだ? 改革の成果として領民達には受け取られるはずだ」
「融資を受けた貴族の中には例のフェザーン商人から借りた借金を政府に肩代わりしてもらった貴族がかなり含まれているんだ。その連中は政府に五十年近く借金の返済をし続ける事になる、しかも無利子でだよ、アントン。さっきも言ったが返済を続ければ領内開発に向けられる資金はごく僅かになる。本格的に領内開発が行われるのは五十年後だろう。彼らの統治を受ける領民達が納得すると思うか?」
「……無理だろうな」
フェルナーが力無く首を横に振った。
「何らかの形で貴族に罰を与えなければならない、目に見える形でだ。そして帝国の財政を好転させる必要が有る。先日の貴族の救済だが平民達は決して快く思ってはいない。帝国が混乱するよりはましという事で仕方なく納得しているだけだ。今また融資を引き揚げれば混乱すると言ってそれを認めれば如何なる? 平民達は政府は貴族に甘い、自分達にその分の皺寄せが来ると不満を持つだろう。そして貴族達は改革など掛け声だけだ、自分達は何をやっても許されるのだと思いかねない」
フェルナーの表情が暗い、俺も同様だろう。俺もフェルナーも平民に生まれた。そして俺達は士官学校に入り士官になった、それなりに昇進もした。平民としては十分に恵まれた方だろう。だが帝国には俺達よりもはるかに劣悪な状況にある平民が居るのだ。彼らの統治者に対する不信感を甘く見るのは危険だ。
少しの間、沈黙が落ちたがフェルナーが“喉が渇いたな、水を持ってくる”、そう言って席を立った。広い屋敷だ、戻るまでに十分はかかるだろう。本当なら対策を考えなければならないのだがどうにも考える気になれない。馬鹿で無責任な貴族が不始末をしでかし平民の俺が後始末を付けるために苦しんでいる。馬鹿げている、フェルナーが戻って来るまで溜息ばかりが出た。
「いっそ貴族達から領地を取り上げたらどうだ」
戻ってきたフェルナーが水の入ったグラスを俺に渡しながら言った。冗談かと思ったが目が笑っていない。
「本気で言っているのか? 随分乱暴な意見だが」
「乱暴かもしれないが問題の本質は突いているだろう。領主としての責任感と義務感の無い連中が領地を持っている事が問題なんだ。それを解消すれば良い」
「なるほど」
確かにそうだ、問題は貴族に有るのではない。正確には領主として不適当な人間がその地位に有る事が問題なのだ。
「連中から領地を取り上げれば領民だって納得するさ」
「帝国の直轄領にするという事か」
「ああ」
悪い考えではない、直轄領にするという事は税の増収が見込めるという事だ。しかも一時的なものではなく恒久的に見込める。開発も政府主導で行えるのだ、領民達も納得するだろう。そして貴族達の力が弱まり政府の力が強くなる。原作に近い考え方だな、貴族達が消え去り領地が帝国の直轄領になった。問題は貴族達が納得するかどうかだ。当然反発するだろう、混乱を最小限にするにはその反発を減らす必要が有る……。
「もう一捻り要るな、アントン。貴族達の反発を少なくする何かが」
フェルナーの顔を見た。
「そこは卿が考えてくれ、俺にはこれが精一杯だ」
「……」
また溜息が出た。こいつ、肝心なところで役に立たん……。しかし領地を取り上げるか、可能ならベストだが……。
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