銀河英雄伝説~美しい夢~
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第四十三話 踏み絵
帝国暦488年 4月 10日 オーディン ブラウンシュバイク邸 エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク
ブラウンシュバイク公爵邸にある密談用に部屋に三人の男が集まった。オットー・フォン・ブラウンシュバイク大公、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵、そしてエーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク公爵。帝国貴族四千家の中でも頂点に立つ実力者の筈だが俺にとってブラウンシュバイク公というのは厄介事ばかり持ち込まれる何かの罰ゲームじゃないかとしか思えない。
「わざわざ此処で話すという事は余程の厄介事のようだな」
「一体何が起きたのかな、ブラウンシュバイク公」
ソファーに並んで座る義父殿とリッテンハイム侯の表情は硬い。幾分緊張しているのだろう。俺も多少の緊張は有る。
「自分は平民として生まれ育ちました。ですので自分が考えている事が貴族にとってどのような意味を持つのか、判断出来ないところが有ります」
「それをわしとリッテンハイム侯に判断しろと言うのか」
「はい」
義父殿とリッテンハイム侯が顔を見合わせ、そして俺を見た。表情は厳しい、そして警戒の色は有るが拒否の色は無かった。
「これをご覧ください」
一冊のファイルを差し出した。ゲルラッハ子爵から借りた資料、貴族専用の金融機関、特殊銀行、信用金庫から融資を受けている貴族の一覧だ。義父がファイルを受け取り読み始めた。読み進むうちに義父殿の表情が渋くなり口元が歪む。読み終わると大きく息を吐いてファイルをリッテンハイム侯に渡した。
「ゲルラッハ子爵か」
「はい、リヒテンラーデ侯が私に相談しろと言ったそうです」
「また面倒な物を……」
義父がぼやく。そして隣でファイルを読むリッテンハイム侯の表情も苦虫を潰したような表情になった。確かに面倒だ、持ち込まれた俺は増々貴族が嫌いになった。
「帝国が財政難に喘ぐはずだな。これを見ると良く分かる」
「どの程度の家が借りているのだ、エーリッヒ」
「帝国貴族四千家、その内ざっと三千家は借りています。借りていないのは余程に裕福で借りる必要が無いか、逆に貧乏で貸し出しを渋られたか、或いは力が無いかです」
二人が疲れた様な表情を見せた。俺の苦労が少しは分かってくれたかな。
リッテンハイム侯が俺にファイルを返そうとしたが断りもう一冊のファイルを渡した。
「これは?」
「フェザーン商人から借金をしていた貴族です。現在では政府が肩代わりしています」
リッテンハイム侯が義父殿に視線を向けてからファイルを読み始めた。直ぐに溜息を吐いて義父殿にファイルを渡した。義父殿も同じだった、読み始めて直ぐに溜息を吐いた。
「同じ名前が載っているな、公」
「はい、肩代わりをした殆どの貴族、五百人程ですが彼らは金融機関から融資を受け更にフェザーン商人から借金をしていました」
そんな不機嫌そうな顔をしないでくれ。借金をしたのは俺じゃないんだから。何で俺がこんな思いをしなけりゃならないんだろう……。
「金融機関から受けた融資はフェザーンの投資会社に預けられ運用されるか、或いは貴族自身が企業を営む事に利用されます。そこから得た収益が貴族達の遊興費になるわけです。投資会社も決して貴族達に損はさせません。損をさせれば貴族達は二度と金を預けなくなりますからね、信用にも関わります。フェザーン商人が彼らに融資するわけですよ、返済の当てが有るのですから」
目の前の二人は黙ったままだ。面白くない話だからな、怒鳴り出さないだけましか。
「来年から決算報告書と資産目録の作成と公表が義務付けられます。そうなればこれらの事が平民達の知るところになる。その時、何が起こるか……」
「暴動が起きかねんな」
義父殿が言うとリッテンハイム侯が頷いた。その通りだ、本来なら領地開発に使うべき資金を遊興費を稼ぐために使っていたのだから。それでも足りずに借金までする阿呆もいる。せめて利益を領内開発に使ってくれれば……。無理だよな、平民なんて貴族にとっては虫けらだ。
「それで公はこの事態、如何すべきだと考えているのだ?」
「……何もしないというのも一つの選択肢として有ると考えています」
「……」
二人が顔を見合わせている。
「現状では資金の回収は出来ません。強制的に回収すれば帝国は大きな混乱に見舞われるでしょう。これは財務省も同意見です。おそらくフェザーンも混乱するでしょうし、その混乱は同盟にまで及ぶ筈です。そうなれば銀河系全体に混乱が及ぶ事になる」
どうにもならない。帝国から資金をフェザーンに預けフェザーンがそれを運用するという金融システムが出来てしまっている。止めればフェザーンはとんでもない資金不足に陥るだろう。
「だから何もせず暴動が起きるのをただ待つというのか」
「……」
「公、何を考えている?」
リッテンハイム侯の声には咎めるような色が有った。怒っても無駄だよ、俺も怒ってるんだ。
「暴動が起きた時点で政府が介入します。そして状況を調査し“施政宜しからず”と判断して取り潰す」
“馬鹿な”、“何を考えている”と二人が呆れた様な声を出した。声だけじゃない、視線もだ。まるで気でも狂ったかとでも言いそうな目だ。
「取り潰した貴族の財産は全て帝国政府の物になります。貴族の経営する企業、投資した資金全てがです。事実上回収したと言えるでしょう」
「それは……」
俺が何を考えたか分かったのだろう、二人の顔が強張った。
「領地も接収されますから直接税も増収となりますし領地経営が出来ない貴族達を淘汰する事にもなります。財政再建と貴族階級の質の劣化の防止、一挙両得ですね」
フェルナー、お前の言う通りだ。領地経営の出来ない貴族が領地を持つから、貴族は帝国の藩屏、守るべき存在なんて考えるからおかしくなるのだ。むしろ取り潰すべき対象と考えた方が良い。そうすれば貴族も甘えなくなる。モデルは江戸幕府だ。どんな些細な事であれ大名に非が有れば容赦なく取り潰して領地を接収した。おかげでどの藩も領内統治には力を入れた。一揆なんかが起こったら幕府に取り潰しの口実を与えかねない。
「エーリッヒ、暴動が起き取り潰される貴族はどの程度になるとお前は見ているのだ?」
「最低でも五百は下回ることは無いでしょう。上は……、二千を超えるかもしれませんね。一つ暴動が起きればあとに続くのは難しくありません。不満なんて嫌になるほど有るんですから」
義父殿が溜息を吐きそして俺をじっと見た。
「お前は怒っているのか」
「怒っています」
「……」
「貴族は帝国の藩屏? 冗談じゃありません、これを見れば分かりますがどう見ても帝国を食い荒らす害虫ですよ。馬鹿げたことに帝国はこれまでその害虫共を保護してきた。おかげで帝国は酷い虫食い状態です。このままでは帝国は害虫どもに齧り倒されてしまうでしょう」
義父殿が首を横に振った。
「混乱するぞ、連中が大人しく取り潰されるとは思えん。お前が貴族達を潰したがっていると知れば連中は協力して反乱を起こすだろう。大きな内乱になりかねん」
「大公の言う通りだ。公の気持ちは分からんでもない。しかし他に方法は無いのか? 取り潰すなとは言わんがそれは最後の手段にすべきだろう。最初から取り潰しが狙いでは生き死にを賭けた戦争になりかねん。帝国は混乱する、反乱軍がそれに付け込む可能性も有る」
やっぱり反対か、まあ或る程度は予測出来たけどな。義父殿もリッテンハイム侯も改革の必要性は認めている。ある程度の貴族の抑制も必要だと認めている。しかし混乱は望んでいない。この二人が望んでいるのはソフトランディングだ。原作でラインハルトが行ったようなドラステックなハードランディングは望んでいない。
結局は体制内での改革という事になる。この二人だけじゃない、リヒテンラーデ侯も同じ考えだろう。ラインハルトのような体制そのものを変える改革にはならない、望まない。その分だけ改革は徹底したものにはならないだろう。中途半端で対処療法に近い政策の継続になる。消化不良になりそうだな……、しかしやり過ぎると俺自身が排除されかねん。さりげなく、無理なく改革を進めなければならない。婿養子は辛いよ、立場弱いわ……。クーデターを起こしたくなるな。
「では、次善の案としてですが金融機関から借りているだけでなく政府からも借金をしている貴族ですがこれは借金を全て棒引きとします」
「棒引き?」
「はい。但し領地は取り上げます、領地経営をするだけの能力を認められませんから」
二人が唸り声を上げた。
「悪くない取引だと思います。面倒な領地経営はしなくても良いし借金も無くなります。おまけに融資した資金はそのまま財産として認められる。財政状況は一気に改善するでしょう。領地を失う事に抵抗は有るかもしれませんが爵位はそのまま認めます。よくよく考えれば得をしたと理解出来る筈です」
「……」
「政府は直轄領が増えますしそこから直接税の税収が見込めます。短期的には赤字でも長期的に見れば元は取れる」
「……」
「それと領地経営をしない以上、税の免除は認められません。今後は税を納めて貰います」
また唸り声が聞こえた。
「領地を失い税を払うか……、厳しいな」
「うむ、厳しい。……公、もしこれを受け入れなければ如何なる」
「何もしません。但し暴動が起きれば……」
「取り潰すか」
「はい、彼らが望んだ事です。容赦はしません。私としてはその方が有り難いですね。これ以上あの連中の面倒をみるのは御免です」
二人が顔を顰めて大きく息を吐いた。不満か?
「これ以上は譲れません。借金を棒引きの上に融資も呉れてやると言っているのです、甘すぎるくらいですよ。平民達も簡単には納得しないでしょう、余程に丁寧に説明する必要が有ります。彼らに不満を持たせればその不満は政府に向かうのですから」
義父殿が大きく息を吐いた、何度目だ?
「已むを得んな。それで、エーリッヒ、他の連中は如何する。借金はしていないが融資を受けている連中だが」
「融資を回収するのは無理です。となれば融資を使って得ている収益の一部を領内開発に回す事で現状を認めるしかありません」
「なるほど、具体的には如何する」
「融資から得た収益の十パーセントを政府に収めさせます。そして三十パーセントを領内開発に投資させます。これは法律で義務付け違反すれば罰を与えます。基本的には罰金ですが違反の度合いが酷い場合には領地の取り上げも有ります。決算報告書と資産目録が作成されれば法の執行は難しくは有りません」
収益の全てを領内開発に投資しろと言えば貴族達は反発するだろう。しかし半分以上を自由に使って良いと言っているのだ。我慢して貰わなければ困る。平民達も不満は有るだろうが領内への投資金額を確保した。それに融資期間が長期になれば領内開発への投資金額は最終的には融資金額を超える可能性も有る。こっちも我慢してもらう。政府も定期的に収入を得ることが出来る。長期的には元が取れる筈だ。
「如何思うかな、リッテンハイム侯」
「領地取り上げ、税の支払いはいささか厳しいが已むを得まい。暴動が起きれば取り潰されても文句は言えぬのだ。それを考えれば優遇と言っても良いだろう。公の言う通り、甘過ぎる処置と非難が出かねんくらいだ」
義父殿が“そうだな”と頷いた。
まあ上手く行ったか。最初から領地取り上げ、税の支払いを提案すれば厳しいと難色を示しただろう。敢えて取り潰しという極端な強硬案を出したのは領地取り上げ、税の支払いを受け入れさせるためだ。これでリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵にも義父殿とリッテンハイム侯は賛成していると説明出来る。あの二人も渋々ではあれ受け入れるだろう。
帝国暦488年 4月 10日 オーディン ブラウンシュバイク邸 アントン・フェルナー
エーリッヒに書斎に来るように言われた。ここ最近エーリッヒは機嫌が良くない。シュトライト少将、アンスバッハ准将と共に急いで書斎に向かった。書斎に入るとエーリッヒにソファーに座るようにと勧められた。両端にシュトライト少将とアンスバッハ准将、真ん中に俺、またこの配置だ。勘弁して欲しいよ……。
「お話は御済になったのですか」
アンスバッハ准将が話しかけるとエーリッヒが頷いた。
「大公、リッテンハイム侯は私の考えに賛成してくれました」
思わず息を吐いた。俺だけじゃない、両脇の二人も息を吐いている。エーリッヒから相談を受けていたがあの二人が受け入れてくれるかどうか疑問だった。領地を取り上げる事に、貴族に税を払わせる事に同意したか……。
「この後はリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵に説明する事になります。多少は揉めるでしょうが大公とリッテンハイム侯が賛成しているとなれば反対はしないでしょう」
帝国は変わる、貴族が税を払うのだ、平民達も帝国が変わったと実感するだろう。
「シュトライト少将、領地を失う貴族達ですが私兵を有している筈です。領地を失えば不要になるでしょう、軍の方に組み入れたいと思います。どの程度の兵力になるか、調べて貰えますか。出来れば練度も分かれば有り難い」
「承知しました、早急に調べます」
なるほど、下手に放置すると海賊になりかねん。軍への編入が必要だな。五百家ともなるとかなりの兵力だろう、五万隻ぐらいになるかな、いや借金をしているからもっと少ないか……。
「それとアンスバッハ准将」
「はっ」
「彼らが保有している農奴の数を調べてください」
「農奴、ですか」
准将が問い返すとエーリッヒが“そうです”と頷いた。
「領地が無くなる以上農奴は不要になる。私有財産ですから政府が買い取る方向で進める必要が有るでしょう。貴族達の間で取引をすると安く叩かれる可能性が有る。政府が妥当な値段で買い取れば喜んでくれるでしょう。多少はサービスをしないと」
「なるほど、分かりました。直ぐ調べます」
「金がかかりますな」
俺が指摘するとエーリッヒがジロリと俺を見た。そんな怖い眼をしなくても良いだろう。
「そのための財源は用意した。貴族達から収益の十パーセントを徴収するし取り上げた領地からは直接税も入る。問題は無い」
不機嫌そのものだ。と思ったらエーリッヒが微かに笑みを浮かべた。
「いずれ直接税の収入はもっと増える」
えっと思った。俺だけじゃない、シュトライト少将、アンスバッハ准将も訝しそうにしている。それを見てエーリッヒが更に笑みを大きくした。だが目は冷たい、明らかに冷笑だ。
「収益の四十パーセントを奪われる貴族達がそれに我慢出来ると思うか、アントン」
「……」
「無理だ。殆どの貴族は投資会社にもっと利益を出せと要求するだろう。より大きいリターンを求めるためによりハイリスクな商品に手を出す事になる。いずれ失敗して損失を出す事になるだろう、取り返しのつかないほどにね」
「損失が出れば当然だが領内開発に回す資金は無くなる。領民達は納得しないだろうな。政府も納得はしない、収益を出し領内開発に金を出すから投資会社に融資を預けるのを認めていたのだから」
「……どうなるのです」
シュトライト少将が掠れた声で問い掛けた。
「領地は取り上げる」
「それは……」
絶句するシュトライト少将をエーリッヒが冷たい眼で見た。
「領内開発が出来ない以上領主としての資格は無い。私の予測では十年も経たないうちに帝国貴族四千家の内半分以上は領地を持たない貴族になると思っています」
アンスバッハ准将がゴクッと喉を鳴らした。
「その事は大公閣下、リッテンハイム侯は……」
「知りません。これはあくまで私の予想です。外れる可能性も有りますからね、言いませんでした」
嘘だ、言えば反対すると思ったのだ。エーリッヒの真の狙いは貴族の無力化だろう。そうする事で改革を進めようとしている。だがそれを表に出せば大公とリッテンハイム侯は反対すると見た、だから表向きは貴族を優遇する様な政策を出して説得した……。
「義父に伝えますか?」
さりげなく出たエーリッヒの言葉に両脇の二人が身体を強張らせた、俺もだ。試されている、改革を支持するのか否か、自分を支持するのか否か……。エーリッヒが笑みを浮かべて俺達を見ている。空気が凍った、震え上がる程の恐怖を感じた。
「シュトライト少将、アンスバッハ准将、先程頼んだ事、早急に調べてください」
「はっ」
空気が緩んだ。
「アントン、ゲルラッハ子爵に連絡を取ってくれ。例の件で相談したいと」
「分かりました」
それを機に書斎を辞した。部屋を出ると三人皆太い息を吐いた。
「如何する、シュトライト少将」
「さて、卿は如何する、アンスバッハ准将」
「如何するかな、……フェルナー大佐、卿は如何する」
「……さあ、小官には何とも」
結局誰も答えを出さなかった。顔を見合わせ、そして歩き出した。
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