銀河英雄伝説~美しい夢~
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第四十一話 次なる難題
宇宙暦797年 2月 10日 ハイネセン ワルター・フォン・シェーンコップ
ブラウン達と相談してヤン・ウェンリー准将とはブラッドシェッド号で会う方が良いだろうという事になった。俺が直接彼に連絡を取るのは危険だ、ブラウンが連絡を取り彼をブラッドシェッド号に連れて来るという事にした。幸いにヤン准将は暇な男らしい、段取りを付けた当日に彼を捕まえることが出来た。ブラッドシェッド号に有る会議室で俺、ヤン准将、ブラウン、ウィンクラーの四人で会った。
「まさか貴官がここにいるとは……」
ヤン准将が首を横に振っている。この男とは初対面ではない、あの作戦を最初に俺の所に持ってきたのはこの男だった。
「最初に言っておきます、我々は同盟を裏切ってはいない。小官は帝国の捕虜です。もっともブラウンシュバイク公からは仕官を勧められていますが」
「では何故ここに?」
「ブラウンシュバイク公が様子を見て来ては如何だと言ってくれたのですよ」
「様子を……」
困惑している、正直な男らしい。
「同盟は我々が裏切った事で作戦が失敗したと思っているのではないかと、無実を訴えてきては如何かと。なかなか親切な御仁だ」
「……」
「軍上層部はどう考えているんです?」
表情が渋い、つまり裏切ったと見ているという事か
「……」
「では貴方は?」
ヤン准将は溜息を吐いた。
「貴官が帝国に通じたとする、しかしリューネブルク中将をイゼルローン要塞に配備するには時間が無い、不可能とは言わないがかなり厳しいだろう。リューネブルク中将はイゼルローン方面軍が編成された時点で要塞に配備された、そう見るべきだと私は考えている。理由は貴官達を知っているからだ、だから彼の人事発令は伏せられた。待ち伏せされたのだと思う」
「つまり、我々は裏切っていない」
ヤン准将が俺の言葉に頷いた。
「上層部はそれを理解していないのですか」
「いや、皆分かっている。上層部だけではなく参謀達もね」
ブラウン、ウィンクラーが訝しげな表情をした。
「では何故我々が裏切ったと?」
「信じられないのだと思う」
「我々が?」
ヤン准将が首を横に振った。
「無いとは言えない、しかしより大きいのはブラウンシュバイク公がこちらの作戦を見破ったという事が信じられないのだと思う」
「……」
ヤン准将が俺を見た。
「シェーンコップ大佐、貴官はリューネブルク中将を見た時、何を考えた?」
「……何故この男がここに、そう思いましたな。それと彼はもう中将ではない、大将に昇進しましたよ」
俺の答えに准将は“大将に昇進”と呟いた。“信用されていますな”と俺が言うと准将は大きく息を吐いて頷いた。
「貴官が信じられなかったように我々も信じられなかった。何故この男がここに、そう思ったよ。作戦失敗も止むを得ない、運が無かったと思った。直ぐに運ではないと教えられたがね」
「……」
ヤン准将が顔を顰めた。
「偶然なら問題は無かった、だが貴官達が要塞内に潜入すると向こうは、いやブラウンシュバイク公は見破っていたようだ。そこが信じられない。あの作戦は奇策だ、正攻法ではない。なぜそれを予測することが出来たのか、そしてリューネブルク大将をイゼルローン要塞へ配備、余りにもタイミングが良すぎる……」
「確かに……」
ブラウン、ウィンクラーも頷いている。
「ブラウンシュバイク公を甘く見るつもりは無い、彼の恐ろしさは良く分かっている。しかしそれでも思わざるを得ない、そんな事が可能なのかとね。もしそれが真実なら我々は人間以外の何か、化け物を相手にしているようなものだろう」
「つまりそれが我々への疑いになる……」
俺が確認するとヤン准将が頷いた。
「そういう事だと思う、皆恐れているんだ、ブラウンシュバイク公が見破ったと認める事を、何かの間違いだと思いたがっている」
「……」
「貴官が裏切ったと確信している人間は少数だろう、大多数が確信を持てずにいるはずだ。だがブラウンシュバイク公が見破ったと信じる事も出来ない、だから消去法で貴官達に疑いが行く」
亡命者だからといって疑われたわけではないという事か……。状況はむしろ深刻だな。
「シェーコップ大佐、貴官は自分の無実を示す物証を持っているかな?」
「いや、そういう物は有りませんな」
俺が答えるとヤン准将は頷いた。
「ブラウンシュバイク公が見破ったと言うのもリューネブルク大将の言葉だけだ、何の物証も無い。どちらか物証が有れば真実が明らかになる。しかし現状では真実を示す物は何もない、その事が事態をより複雑で厄介な物にしている」
真実が見えない、疑心暗鬼になっている、そういう事か……。
「シトレ元帥、或いはクブルスリー大将に会うことは出来ますか?」
「貴官自ら自分の無実を訴えたいという事かな? 説得したいと」
「そうです」
ヤン准将が首を横に振った。
「無駄だろう、事は軍だけの問題では無くなっている」
どういう事だ、思わずブラウン、ウィンクラーと顔を見合わせた。二人も准将の言葉に驚いている。軍だけの問題では無い? まさか……。
「ここ近年、同盟軍は敗北続きだ。当然だが敗北は政権の支持率にも影響を与える。今回の作戦には政治家達もかなり関心を持っていたらしい。そしてブラウンシュバイク公が見破ったという事に疑問を抱いている……」
「……」
「クブルスリー司令長官は分からないがシトレ本部長は貴官達が裏切ったとは思っていない。しかし先程言ったように貴官らの潔白を証明する証拠は何もない。政治家達にそれを言われればどうにもならない」
「だから証拠が有るかと聞いたのか……」
思わず唇をかんだ、そんな俺を准将が辛そうな表情で見ている。
「貴官は帝国に戻った方が良い」
准将を見た、辛そうな表情は変わっていない。
「ここに居るのは危険だ。捕虜がここに居るなど本来有り得ない、ブラウンシュバイク公がどういう意図を持ったのかは知らないが現状では貴官がブラウンシュバイク公の意を受けたスパイだと周囲には取られかねない。作戦の失敗は貴官の裏切りによるものだという証拠になってしまう」
「弁明の機会さえ小官には許されぬと」
自嘲が漏れた。
「シトレ元帥に貴官と会った事を話す、貴官が裏切っていないと言っていたこともだ」
「それを信じろと?」
「……貴官を騙すつもりなら危険だとは言わない。統合作戦本部に連れて行って捕えさせて終わりだ」
已むを得ない、予想以上に状況は悪い、同盟に留まるのは危険だろう。
「ローゼンリッターの処遇は?」
「分からない、上層部も決めかねているのだと思う。貴官は裏切ったのではないかと疑われてはいるが裏切ったと断定されたわけではない。だからこそ、此処でローゼンリッターの隊員に会うのは危険だ」
なるほど、俺だけではない、ローゼンリッターも危険だという事か……。
「出来る事なら貴官は帝国で仕官した方が良いだろう」
ブラウンとウィンクラーが驚愕を浮かべて准将を見ている。
「……小官に本当の裏切り者になれと?」
「そうだ、今のままではローゼンリッターは何も出来ない。貴官が帝国で仕官したとなればローゼンリッターは貴官を非難する事が出来るだろう」
ブラウンとウィンクラーが一瞬唖然とした後、そんな事はする必要が無いと口々に言った。そしてヤン准将に食ってかかろうとする。落ち着けと言って宥めた。
「小官一人で決められる事ではない、向こうには俺と共に捕虜になった仲間がいる。彼らの意見も聞かなければ……」
「酷い事を言っているとは思う、しかし考えてみてくれ」
ヤン准将が帰った後、ブラウンとウィンクラーが残ったが気まずい沈黙が落ちた。
「お前達も帰れ、俺もオーディンに戻る」
「ですが隊長、どうするのです?」
「ここでは答えられんな、ブラウン。リンツやブルームハルト達と相談してからになるだろう」
「もし隊長が帝国に仕官するようになれば……」
「戦場で出会うかもしれんな」
「……」
「その時は遠慮するな、お前達も俺もそんな事は許される立場じゃない」
「……」
あの男は、ブラウンシュバイク公は何処まで知っていたのかなと思った。状況は俺が想像していたより遥かに悪い。彼が俺に示したのは好意では無かったのかもしれない、現実を見ろという忠告だったのか……。いや、それも好意の一つなのだろう、現実を知ることが出来たのだから……。
帝国暦488年 2月 17日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク
「どうでしたの、カストロプは」
夕食が終わった後、何時ものように皆でお茶を飲んでいたけどエーリッヒ様はちょっと元気がない。私が問い掛けるとエーリッヒ様は困ったような表情をした。訊いてはいけなかったのかしら?
「思いの外に状況は良くなかったようだな」
お父様の言葉にエーリッヒ様が“ええ”と答えた。
「酷いものです、カストロプ公は領主としての責任をまるで果たしていませんでした。あれでは領民達が可哀想ですよ。ブラッケもリヒターも怒っていますし呆れてもいます。私欲を貪る人でしたから領地は結構発展させているのかと思いましたがそうでは有りませんでした。無責任なだけだったのでしょう」
溜息交じりの声、少し疲れているのかもしれない。顔色もあまり良くないし……。
「カストロプはまるで中世ですよ、機械など何も使っていません。全部人の力で作業をしています。おかげで耕作可能な土地が手付かずで残っている。いえ耕作地がほんの少ししかない、そう言うべきでしょうね」
「……」
「おまけに土地が酷く痩せているそうです。だから小麦の収穫高も少ない。ブラッケとリヒターは農業の専門家ではありませんがその彼らの目にも酷いと見えたようです。今土壌管理の専門家を呼んで対策を考えてもらっています。それと農業機械を購入しました。カストロプに届くにはもう少し時間が掛かるそうです」
「やれやれだな」
お父様が呆れた様に言うとエーリッヒ様が頷いた。二人ともウンザリしている。
「でも何故カストロプ公は何もしなかったのかしら」
思い切って訊いてみた、良かったお父様もお母様も何も言わない。
「必要ない、そう思ったのだろうね。領内を発展させることにはあまり興味が無かったようだ。それよりは政府閣僚になった方が効率よく稼げる、そう思ったのだと思う」
エーリッヒ様の答えにお父様が溜息を吐いた。
「四千億帝国マルクだったな、カストロプ公の私財は」
「最終的には五千億帝国マルクを超えました」
「領地経営など馬鹿馬鹿しくてやっていられないでしょうね」
今度はお母様が溜息を吐いた。お父様もエーリッヒ様も同じ思いなのだろう、表情が沈んでいる。
「無理もありません。機械を使えば耕作地は増えますが帝国製の農業機械は品質が悪く故障が多いそうです。修理には時間もかかるし費用もかかります。かなり扱いは面倒なのでしょう。それに作物に多少の余剰が出来ても輸出は難しい」
「何故ですの?」
私が質問するとエーリッヒ様が困った様に笑みを浮かべた。お父様、お母様も同じような笑みを浮かべている。
「利益が出ないんだ。多少の量では輸送コストが高くなり利益が出ない。フェザーン商人もそれが分かるから買おうとはしない。利益を出そうとすれば薄利多売、利幅は少なくても量を多く売る事で利益を出すしかない。だがそのためには耕作地を増やす、つまり機械化を徹底的に図る必要が有る。それと大型輸送船を持つ商人の協力が必要だ」
「……」
エーリッヒ様が首を横に振っている、実現するのは難しい事なのだろう。
「小麦は保存が可能だ、それに主食でもある。それでさえ輸出が難しいとなれば他の生鮮野菜はもっと厳しい。領内で加工するか、或いは鮮度を保てる輸送船を用意するか……、どちらにしろコストが嵩む……。だからどうしても農業には力を入れなくなる。力を入れるのは鉱山などの利幅の大きい産物になってしまう」
そうなんだ、そんな事になってしまうんだ。驚いたけどきちんとエーリッヒ様が話してくれたことが嬉しかった。
「カストロプはオーディンから近い。本来なら大消費地であるオーディンに近いのだから位置的には優位な筈だが……」
「義父上、その優位を生かし切れない、それが帝国の現実です。人口が減少しつつあることも良くありません。食料を必要とする人間が減っているのですから」
エーリッヒ様の言葉にお父様もお母様も黙ってしまった。
「このまま人口が減り続ければ有人惑星の放棄という事も有り得るでしょう。行き着くところは……」
お父様とエーリッヒ様がお互いに顔を見合っている。二人ともとっても怖い顔、お母様を見たけどお母様も怖い顔をしている。
「それ以上は言うな、エーリッヒ。言ってはならぬ」
「口を噤めと言われますか、しかし十年後、二十年後は分かりませんが五十年後には皆が口に出すようになります。その時ではもう遅いという事も有り得るでしょう」
お父様が大きく息を吐いた。
「お前は先が見え過ぎる、そしてそれを口にしてしまう、困った奴だ。人口減少が続けば帝国が崩壊すると言うのだろう、歯止めをかけるには戦争を止めるしかないと……。しかしお前は帝国軍三長官の一人、宇宙艦隊司令長官だ。お前が言ってはならぬ」
「……」
「今は改革を進める事が第一だ。改革で実績を上げてからの方が良い。あれもこれもでは全てが失敗に終わる可能性も有る。最悪なのはそれだろう」
お父様の言葉にエーリッヒ様が頷いた。
「そうかもしれません、しかしこの問題を放置する事は出来ません。改革と同じくらい重大問題です」
今度はお父様が頷いた。
「そうだな、しかし一つ間違えば反逆者と言われかねん危険が有る。バルトバッフェル侯爵の事を知らぬわけではあるまい」
「……」
「彼は皇族でありながら慎重論を唱えただけで排斥された。お前が例外だとは限らない」
お母様が頷いた。
「戦争を無くす方法は和平だけとは限らないでしょう」
「……エーリッヒ」
「いずれは、と考えていました。しかし帝国の現状は予想以上に酷い。本気で統一を考える時が来たのかもしれません」
お父様が目を見張った。
「出来るのか? 百五十年戦争しているのだぞ」
「……」
エーリッヒ様は答えなかった。でも口元は引き締まっている、本気なんだと思った。
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