| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第四十話 独占慾


帝国暦488年  2月 5日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「養子殿は如何したのかな? ブラウンシュバイク大公」
「朝早くカストロプに向かったよ、リッテンハイム侯」
「そうか、今日だったか」
リッテンハイム侯が残念そうな表情をした。口には出さないがエーリッヒの作るケーキを楽しみにしてきたのだろう。

妻と侯爵夫人、そしてサビーネが顔を見合わせて可笑しそうな表情を見せている。残念だな、しかしウチの使用人が作るケーキも中々の物だ。決してエーリッヒの作るケーキに劣ることは無い。もっともあれが作ったケーキだから楽しいという事は有る。

「……私も行きたかった」
「エリザベート、エーリッヒは仕事で行くのだ、我慢しなさい」
「それは分かっています。でも……」
娘が詰まらなさそうな声を出した。やれやれだな。

リッテンハイム侯がコーヒーを飲みながらどういう事だとでもいうような視線を向けてきた。
「カストロプに一緒に行きたいと駄々を捏ねたのだよ、リッテンハイム侯。オーディンから近いからな、十日程度の小旅行だ」
「駄々なんて捏ねていません」
エリザベートが口を尖らせた、まだまだ子供だ。

「そうかな、わしにはそういう風に見えたのだが」
「見間違いですわ、お父様」
わしと娘の遣り取りに皆が笑い出した。応接室に和やかな空気が漂う、ちょっと前までは考えられなかった事だ。

「なるほど、相手にされなかったか」
「そんな事は有りませんわ、叔父上。ただ仕事だから連れてはいけないと言われたのです」
「エリザベートは結構粘ったのだが上手く行かなかった。最後は大人の女性は男を困らせる事はしないものだ、そう言われてな、渋々だが引き下がらざるを得なかったのだ」
わしの言葉に皆が笑った。エリザベートだけが口惜しそうにしている。

「残念だったな、エリザベート。しかし公務だからな、我儘を言ってはいかん。公は忙しいのだから余り我儘を言うと嫌われてしまうぞ」
「分かっていますわ、叔父上」
「本当にそうだと良いのだがな、どうも最近他家の令嬢達がエーリッヒの事で騒ぐ所為で焦っているようなのだ」
わしの言葉にリッテンハイム侯が目をパチパチと瞬いた。

「なるほど、焼餅か、いや独占慾かな。子供だと思っていたがどうしてどうして、もう一人前だな」
リッテンハイム侯が声を上げて笑うとエリザベートが頬を染めて“叔父上!”と声を上げた。その様子に皆が笑い声を上げた。サビーネが“御姉様、焼餅なの?”と問い掛けエリザベートが“違います!”と答えると更に笑い声が上がった。

「カストロプといえば、あそこでは開明派と呼ばれる者達に統治を任せていると聞きましたが?」
「カストロプはオーディンに近い。統治の成果が出れば貴族達にも良い影響が出るのではないか、エーリッヒはそう考えているようだ。領民達から搾りとるだけではなく領地を開発して豊かにする事で税の増収を図る、皆にそう考えて欲しいのだろう」
わしがリッテンハイム侯爵夫人に答えると皆が頷いた。

「それにあそこが安定すればカストロプ、マリーンドルフとオーディンの後背地が安定する事になる。その辺りも考えているようだな」
「なるほど、安全保障か。確かにそれは有るな、軍人である公が熱心になるわけだ」
リッテンハイム侯がウンウンというように二度頷いた。

「残念だな、エリザベート。そういうわけだからエーリッヒもお前を連れては行けん。まあいずれ休暇を取る時も有るだろう。その時だな、何処かに連れて行ってもらう事だ。何時になるかは分からんが……」
「忙しいですものね」
わしとアマーリエの会話にエリザベートが寂しそうな表情をした。

「そう言えばエーリッヒは近々ブラウンシュバイクに行かなければと言っていたな、領地の状況を確認したいと言っていた。その時に一緒に行ってはどうかな?」
「構いませんの?」
娘が嬉しそうな表情を見せた。やれやれ、そんなに嬉しいか……。

「構わんだろう、自領に戻るのだからな。但し、邪魔かもしれんがわしとアマーリエも一緒だぞ」
娘がまた頬を染めて“お父様!”と言ってわしを睨んだ。また皆が笑った、妻が苦笑しながら“貴方、その辺で”とわしを窘めた。

一頻り笑った後、リッテンハイム侯が話しかけてきた。
「領地に戻るか、来年度からは財産目録と決算報告を出さねばならん、それのためかな?」
「うむ、まあそんなところだ。昔と違って領主というのも楽では無くなった。隠居したのは正解かな?」
「確かにそうかもしれん、羨ましい事だ」

二人で顔を見合わせて苦笑した。隠居を羨ましいとは、お互い権力欲が無くなったのかもしれん。それだけ世の中が落ち着いたという事も有るだろう。それとエーリッヒのお蔭かもしれんな、出来る息子がいると確かに安心だ。細かい所はあれに任せてこちらは大まかに押さえておけばいい。

コーヒーを飲んでいるとリッテンハイム侯が話しかけてきた。
「ところで、ここ最近美術品の値が下がっているそうだがブラウンシュバイク大公はご存知かな?」
「いや知らぬ。……もしかすると貴族達が買うのを渋っているのかな」
収入が減った以上支出を抑えねばならん、それの所為か? そう思ったがリッテンハイム侯が首を横に振った。外れたか……。

「それも有る、だがそれ以上に美術品が余っているそうだ」
「余っている?」
「売り払っているのだよ、貴族達が。少しでも現金を多くしておきたい、借金を減らしておきたい、そう思っているのだ。おかげで美術品が値崩れしているらしい」
「なるほど」

財産目録の所為か……。今年度は開示しないから来年度売るよりも今年度中に売って数字を良くしておきたい、来年度慌てて売って数字を良くしたと思われたくない、そういう事か……。その事を口に出すとリッテンハイム侯がその通りというように頷いた。女達は驚いている、アマーリエがホウっと大きく息を吐いた。

「本人が買いたがっても家族や執事が許さないらしい。借金が多くてはフェザーン商人達が寄り付かなくなる、そう言って止めるそうだ。ウチに出入りしている美術商が言っていた」
「では美術商も困っているだろう?」
「ところがそうでもないらしい」
はて、どういう事だ? お得意様の貴族達が買わぬのでは儲からぬと思うのだが……。しかしリッテンハイム侯が奇妙な笑みを浮かべている。

「向こう側に持って行くようだな」
「向こう側? 反乱軍か……」
リッテンハイム侯が“そうだ”と言うように頷いた。
「まあ実際にはフェザーンで売買する様だが帝国貴族の所有物という事でかなりの金額になるようだ。だが輸送費の問題も有るからな、持って行く時は或る程度纏まった数が揃ってからになるらしい」
思わず唸り声が出た。アマーリエとエリザベートは溜息を吐いている。なるほど商人とは抜け目のないものだ。帝国で安く買い叩いて反乱軍に高値で売り付けて儲けるか……。

「時々とんでもない物が売り出される事も有るようだな」
「とんでもない物?」
「うむ、大きな声では言えぬが……」
リッテンハイム侯が声を潜めた。はて、何だ?

「トラウンシュタイン産のバッファローの毛皮……」
「まさか……」
思わずこちらも声を潜めた。リッテンハイム侯が事実だというように頷いた。皆驚きのあまり声も出せずにいる。

「あれは御下賜品であろう?」
「背に腹は代えられぬという事だな」
今度は溜息が出た。御下賜品を売る? トラウンシュタイン産のバッファローと言えば余程の事が無ければ下賜される品では無いのだが……。

「一体どれほどの値で取引されるのかな?」
問い掛けるとリッテンハイム侯が口髭をちょっと捻り上げる仕草をした。確証が無い時の仕草だ。
「さあて、……はっきりとは言わなかったが帝国内では少なくても十億は下らぬそうだ。反乱軍に持って行けばそれ以上にはなるという事だろう」
また溜息が出た。確かに背に腹は代えられぬとなれば売りたくなる品だ、十億帝国マルクを下らぬとは……。皆も目を点にしている。

「やれやれだな、貴族達が生き残るのも容易ではない。御下賜品まで売らねばならんとは」
溜息交じりに言葉を出すとリッテンハイム侯が後に続いた。
「全くだ、それだけこれまでは優遇されてきたという事なのだろうな」
「平民達の救済だけでは足りぬな、貴族達も救済せねばならんようだ」
わしの言葉に皆が頷いた。後でエーリッヒに話さねばなるまい……。



宇宙暦797年  2月 10日  ハイネセン  ワルター・フォン・シェーンコップ



「夜はホテルでは無くこちらに戻られた方が宜しいでしょう」
「この船に?」
「大佐は捕虜なのです。ホテルに泊まるのは構いませんが捕虜というのは偽りでブラウンシュバイク公のために同盟軍の様子を探りに来たのではないか、そう疑われますぞ」

ハイネセンに到着し出掛けようとした俺に真剣な表情で忠告してきたのはフェザーンの独立商人、アルバート・マスチフだった。俺が乗ってきた独立商船ブラッドシェッド号の船長でもある。マスチフは大型犬の名前だが眼の前の船長はどちらかと言えば小柄な三十代後半の男だ。もっとも独立商船の船長だけあって胆力は有りそうだ、危ない橋を渡った事も一度や二度では無いだろう。大体船の名前がブラッドシェッド(流血)だ、普通じゃない。

「逮捕されるかな?」
「かもしれません、しかし私ならそんな事はしませんな」
「ほう、では船長ならどうするかな」
「食事に遅行性の毒を盛って終わりですな。その上で大佐が寝返ってスパイ活動をしていたという噂を流す。皆不審死は当然と思うでしょう、面倒が無くて良い」
「なるほど」

平然としたものだ。もしかすると商売で邪魔になった奴を一人か二人、殺しているかもしれん。或いは襲ってきた海賊を返り討ちにして皆殺しにしたか。いや、この男の副業が海賊だという事も有り得るな。
「忠告に感謝する、夜はこちらに戻ろう」
「気を付けて下さいよ、ここは敵地だと思う事です」
やれやれ、女達と会うのは止めた方が良さそうだ……。

宇宙港を出てハイネセンの市街に出た。公衆TV電話を使ってローゼンリッターの駐屯所に連絡を入れる。直ぐに繋がってスクリーンに若い男が映った。俺を見て驚いている。
「騒ぐな」
『は、はい』
「連隊は今誰が率いている?」
『ブ、ブラウン連隊長代理です』
「代わってくれ、騒ぐなよ」
頷くと直ぐにスクリーンが風景の映像に変わった。保留ボタンを押したらしい、ブラウンを呼びに行ったようだ。

五分程でスクリーンにブラウンが映った。俺を見て驚愕している。
『大佐、どういう事です、これは。まさか本当に帝国に寝返ったんじゃ』
「それは無い、安心しろ」
『そう言われても……』
「何処かで会えないか、出来れば人目に付かないところが良いな。お前も聞きたい事が有るだろうが俺も聞きたい事が有る」

ブラウンがホテルコスモスの隣に有る喫茶店アイーシャで一時間後に会おうと提案してきた。ホテルコスモスはハイネセンの中心地からはちょっと離れたところに有るビジネスホテルだ。その所為であまり繁盛しているとは言えないが値段が安い所為でそこそこ利用客がいるらしい。

三十分程前にアイーシャに着いた。周囲を確認したが特におかしな点は無い。ブラウンが裏切る事は無いと思うが念の為だ、用心は欠かせない。十分程前になると地上車が二台到着しブラウンとウィンクラーが降りた。二人がそのまま喫茶店に入る、地上車もそのまま待機だ。

五分ほど経ってから地上車に近付き中を確認した。乗っていたのはロイシュナー、ゼフリン、ドルマン、それにハルバッハだった。一台に二人ずつ乗っている。どうやら問題は無さそうだ。いやここまでは無いと思うべきか。四人は俺を見て驚いていたがそのままにして喫茶店の中に入った。

ブラウンとウィンクラーは店の奥にあるテーブル席に居た。俺が近付くと信じられないものを見たような表情をしている。席に着いても変わらなかった。ブラウンとウィンクラーの前にはコーヒーが有ったが未だ手を付けていないらしい。俺の所にもウェイトレスが注文を取りに来たからコーヒーを注文した。

「隊長、隊長ですよね?」
「そうだ、幽霊じゃないぞ、ブラウン」
俺の言葉にブラウンとウィンクラーが顔を見合わせた。
「どういう事なんです、何故ここに隊長が……」

ブラウンの口調は恐る恐ると言った感じだ。二人とも俺が裏切ったと思っている、まあ無理もないか……。
「俺の身分は捕虜だ、まあこれを見ろ」
胸ポケットから書類を出してブラウンに渡した。

ブラウンとウィンクラーが書類に目を通した。書類には俺が帝国の捕虜である事、一時的に同盟に戻る事、オーディンには六月三十日までに戻る事が記されている。言ってみれば一時帰還の許可証と言って良い。そして許可証にはブラウンシュバイク公のサインが有る。

「分かったか、あくまで一時的に帰還を許されただけだ。お前達の様子を見て来てはどうかと言われてな、納得したか?」
「はい」
「では今度は俺の質問に答えろ、良いな?」
二人が頷いた。

「第七次イゼルローン要塞攻略戦の失敗だが原因は何になっている?」
二人の顔が歪んだ。
「……正式には何の発表も有りません。……ですが誰もがローゼンリッターが裏切ったからだと言っています」
「政府も軍もそれを否定する様な事は何も……」
ブラウンとウィンクラーの口調には力が無かった。ウェイトレスがコーヒーを持ってきた。一口飲む、意外に良い豆を使っているらしい、味は良かった。

「ローゼンリッターに対する処分は?」
「何も有りません。ですが解隊するんじゃないか、そんな噂が出ています」
ブラウンが答えるとウィンクラーが溜息を吐いた。解隊か、有り得ない話じゃない。原因を公表せず処分も無い、そして時間を置いて解隊……。第七次イゼルローン要塞攻略戦失敗の原因はローゼンリッターの裏切りにあるという事だ。だがそうなれば何処の部隊でも受け入れた旧ローゼンリッターの隊員は厄介者扱いだろう。こいつらが落ち込んでいるのもそれが分かっているからだ。

「軍中央に失敗は俺達の所為じゃないと言っている人間は居ないか?」
問い掛けたが二人とも困惑している。心当たりが無いか、そう思った時ウィンクラーが口を開いた。
「軍中央と言えるかどうか分かりませんが宇宙艦隊司令部のヤン准将が失敗は情報漏洩が原因とは限らない、十分に調査が必要だと言っているのを電子新聞で読んだ事が有ります。他の参謀は情報漏洩が有ったと決めつけている人間が殆どだったんで珍しいなと思いました……」
「……」

ヤン准将か、エル・ファシルの英雄だな。……会って見るか、他の連中なら信じないだろうが、彼なら俺達が裏切っていないと信じてくれるかもしれない。彼を通してクブルスリー司令長官、シトレ本部長に俺達が裏切っていないという事を伝えてもらえれば……、可能性は有る、試してみよう……。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧