愛と哀しみのラストショー
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第二章
第二章
「何でも。ところで貴方ここの人なの?」
「ああ」
俺は素直にそれに答えた。
「ずっとな。ここで親が店やってるんだ」
「そうなの」
「学校もここの学校さ。今は休みだけれどな」
「そうよね。私も」
こいつもそれに答えた。
「大学の。最後の夏休みなの」
「だったら俺と同じか」
同じ歳らしい。俺も今年で大学を卒業だ。卒業したら家業を継ぐことになってる。やることは結局変わりはしねえ。ここでずっと店をやるのが俺の人生なんだと思っている。
「貴方もそうなの」
「ああ。けれど俺はずっとここにいるけどな」
「私は。一夏だけ」
笑いながら言った。
「ここにいるわ」
「遊びに来たんだな」
「そうよ。少しの間だけね」
「それじゃその間さ」
この時こう言わなかったら何もなかっただろう。俺のもやもやとした気持ちはそのままだったかも知れないが。それでも何もなかったと思う。
「一緒に遊ばないか」
「一緒に?」
「ここのこと殆ど覚えていないんだろう?」
「ええ」
帽子を被ったままこくりと頷いた。
「本当に。何処に何があるのか殆ど」
「ここにはどうして来たんだい?」
「たまたま。歩いていて」
どうやら俺とここで会ったのは偶然だったらしい。前の二回も完全に偶然だった。俺達は偶然三回も会ってしまった。本当に何かの縁だとしか思えなかった。
けれどそれがかえってよかった。俺にしても何か気が楽だった。俺は軽い調子でまた声をかけた。
「ボートにでも乗る?」
「ええ」
彼女は頷いた。
「よかったら」
「それじゃあ乗ろうぜ」
そのまま乗り場の方へ案内していく。もう歳をとった爺さんが座ってそこで待っている。ボートが何艘か並んでいた。
爺さんに小銭を渡して先頭にあったボートに二人で乗る。俺達は向かい合って座った。彼女は座ると帽子をとって自分の膝の上に置いた。
俺は漕ぎはじめた。そしてゆっくりと岸辺から離れていく。そのまま湖の真ん中へと進んでいく。
「広い湖ね」
彼女は周りを見渡しながら言った。まだ朝もやが残っている。
「ここの隠れた名所なのさ」
俺は笑ってこう応えた。
「観光客はあまり来ないけれどな」
「そうなの」
「皆海や店に行っちまうから」
「そっちの方が賑やかだからね」
「ああ。けれどこうした場所もあるんだ」
俺はボートを漕ぎ続けながら言った。
「静かに楽しめる場所もな。これは覚えてないかな」
「ええ」
彼女は申し訳なさそうに答えた。
「悪いけれど」
「別に悪くなんかないさ」
俺はそう返してフォローした。
「忘れてたんならな」
「有り難う」
彼女はその言葉に礼を言ってくれた。
「そう言ってもらえると気が楽になるわ」
「そうかい」
「この夏はここでゆっくりとしたいから。少しずつ思い出していくわ」
「それがいいだろうな」
俺はここでボートの縁に刻まれた傷に目がいった。
「おや」
「どうしたの?」
それに彼女も顔を向けてきた。
「いや、これな」
俺はその傷を指し示して言った。
「どっかの馬鹿が付けた傷だよ」
「傷?」
「ああ。何か書いてあるな」
俺は漕ぐのを止めて縁を見てみた。そこにはまた臭い文字が書かれていた。
「俺達はずっと一緒だってさ」
俺は読みながら思わず笑ってしまった。
「また臭い言葉だよな」
「ずっと一緒って」
「どうせどっかの馬鹿が得意になって刻み込んだんだろうさ。彼女と一緒にいて」
「彼女と」
「ここじゃよくあることなんだよ」
俺は説明した。ここは避暑地だから夏のちょっとした遊びに来るカップルも多い。それでこうした馬鹿なことをする奴もいる。それがこれだった。
「よくあることなんだ」
俺はまた言った。
「俺達地元の人間にとっちゃ迷惑だけれどね」
「そうなの」
「ああ。まあ慣れたけれどね」
それは本当だった。俺も子供の頃からこんな落書きとかを一杯見てきた。慣れるのも当然だった。
「けれど。何か」
「何だい?」
俺は彼女に尋ねた。
「地元の人の前でこんなこと言っていいかどうかわからないけれど」
「ああ」
「悪い気はしないわ。見ていて」
「俺も慣れてるけれどね」
また言った。
「けれどな。何か」
それでも俺は言いそうだった。けれどそれは途中で止めた。
「いや、いいや」
急に言いたくなくなった。
「どうでもな」
「そうなの」
「まあこんな馬鹿な落書きなんて忘れてこの湖を見ていこうよ」
俺はこう提案した。
「そっちの方がいいしさ」
「ええ」
けれどその落書きのことは頭に残った。そして俺達のことにそれを自然と重ね合わせた。
それが凄く自然に思えた。不自然な筈なのに。俺は段々それがわからなくなってきていた。けれど悪い気はやっぱりしなかった。もやもやとした気持ちが自然にすっきりとして穏やかで、それなのに温かい気持ちになっていくのがわかった。それが本当に自然だった。
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