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Cross Ballade

作者:SPIRIT
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第1部:学祭前
  第4話『波紋』

 登校の足取りは重かった。
 誠は改めて、唯の誘いに乗ってしまったのを後悔した。
 二人っきりの登下校、二人っきりの喫茶店。
 それに腕を組みながらの移動。
 ついつい唯の笑顔が見たくて、拒めなくて、受け入れてしまったが。
 それが世界に誤解を招くような行為だったとわかっていながら。
 誠にしてみれば、知り合ってから日も浅いし、単なる友達のようにしか認識していないつもりだった。
 山県や加藤のように、中学時代からの女友達もそれなりにいたわけで、そういうのと同じだと思っていたんだ。
 とはいえ、それをどう説明するか。
 頭の中がぐるぐるし、混乱が収まらなかった。
 教室に入ると、クラスの話が急ににぎやかになる。
 世界は自分の席で眉間にしわを寄せ、手を組んで座っていた。
 誠と世界の席は隣り合わせ。
 世界の周りに七海、刹那、それに同じく世界の友達の光が立っている。
 3人からの冷たい視線から眼をそむけながら、誠は世界の隣に座った。
 少し離れたところで、泰介が興味深げに見つめていた。


「誠…………」
 低い声で世界が声をかける。

「最近私が忙しいことをいいことに、桜ヶ丘の女の子と付き合ってるって、本当?」
「付き合っているというわけじゃ、ないんだ……。」
「でも、二人っきりでくっついたり、そこでキスしたりしたんでしょ?
七海から聞いているんだから。」
「キスって」誠は顔を真っ赤にして、「し、してるわけないじゃないか!!知り合ってからそんなにたってないんだぞ!! どんだけあらぬ尾ひれがついてんだ!?」
「嘘くさい……光も、七海も、誠の腕にその子が抱きついているのを見たって……絶対スゴイ関係になってるって、みんな言ってる……」
「だから生々しいこと言わないでくれよ!! 違うってば!」
「いっつもいっつも、くっつかれてただろ? あの平沢って奴に。」七海が口を挟んできた。「なのに伊藤、一度も拒まなかったよな?」

 確かにそうだ。
 人の腕にスキンシップ。
 恋人同士のお約束なのに、自分は誤解されるということをわかっていながら、それを拒めなかった。
 誠は、黙ってしまった。

「まあまあ、待て待て」泰介が話に入ってきた。「西園寺もこいつの彼女ならわかるだろ? こいつ優しすぎて、なかなか嫌と言えないところがあるからさあ」
「だからと言って、限度というものがあるでしょ、澤永」

 世界はそっけない。

「俺もその子と誠が、一緒に下校しているのを見たけど」
「泰介、いつの間に見たのか!?」
 誠の顔が、さらに赤くなった。
「いっつも向こうのほうからくっついていたぜ。 誠は逆に迷惑そうだった」

 迷惑、というほどではないが、恥ずかしかったのはたしか。
 ただ……。
 同時に、自分に強い好意を寄せてくれてうれしいと思ったことを、誠は思い返した。
 そして、自分自身も、好意を持っていることに。

「大体、人を好きになるってことは、その人の悪い点も含めて好きになるってことだろ? こいつのなかなか拒めないところも含めて、好きにならなきゃ、西園寺。誠の本当の彼女になるのならね」
 泰介は、急に真顔で言った。
「……まあいいけどさ、それほどまでに言うなら、あの平沢って子が誠にちょっかい出さないよう、見張っててほしいんだけどね」
 ぼやくような口調で、世界は言った。
「……まあ、できるかぎりはね。ところでさ、甘露寺。あいつが俺に興味を持ってるのって、ほんとか?」
「ああ、とはいえ、あいつは奥手だからね、強引すぎるぐらいに攻めてもかまわないと思うぜ」
 何の話だか、世界も誠もふと気にした。『あいつ』とは誰のことなのやら。

 ちらりと見ると、光が冷たい視線で泰介を見ている。
「じゃあ、どのタイミングがいいかなあ。放課後ティータイムの演奏も聞きたいしなあ……」
 ぶつぶつ言いながら泰介は去っていく。その時の一瞬、誠にウインクをした。


 昼休み。
 教室では、食堂に行かない生徒たちが、手作りのものやコンビニで買った弁当を食べている。
 誠と一緒に食事をとるにはあまりに気まずく、世界は一人で食事していた。

「世界……一緒に食べていい?」
 弁当箱を前に、頬杖をつきながら考える世界に、七海が声をかけてきた。傍らに刹那もいる。
 二人は世界をはさむような形で座り、それぞれの弁当箱を開く。

「あの平沢って子、いまだに気にしてる?」
 七海がさりげなく尋ねた。
「当り前じゃない」
「まあ、桂に比べれば地味な子だからね。平沢って人」
 刹那は落ち着いて話す。
「なんだい、刹那も見たのか」
「少しね」
「だったら、止めてくれればよかったのに、」世界はぶっきらぼうに言った。「ひょっとしたら平沢さんに誘惑されて、本当にキスとか、えっちとかしてたんじゃ……!」
「それはないでしょ。噂がたってからあんまり経過してないのに」
 刹那はどこまでもクールである。

「あんたもさあ、伊藤なんかやめちゃって、他の奴にすればいいのに」七海は呆れたように言う。「大体あんたにコクる奴なんて、山ほどいただろ。なのに伊藤以外、全員ふっちまってさあ」
「誠よりいい男なんて……」

 顔のよさや優しさ、心洗われる笑顔、気前の良さにひかれた。
 自分には到底振り向かない人間だと思っていたのに、言葉と誠の仲を仲介してから、いつの間にやら本気になっていて……。
 そんな中で、誠と結ばれるチャンスが出来て、逃すことができなくて……。
 誠に言葉を紹介してからの自分の思いを、彼女は改めて反芻した。
 その時、世界の携帯から、聞き覚えのある着うたが流れてきた。
「うわ、KARAの『ミスター』の着うたじゃん! ナウいねえ。」
「へへへ……」
 笑いながら世界は、メールを開いてみた。
「……桂さん……?」


「助かった。感謝するよ、泰介」
 同じ頃、学校の食堂で伸びをしながら、誠は泰介に礼を言った。

「いいってことよ。それに、あれは一方的に向こうがくっついてきたような感じだったもんな」
「とはいえ、甘露寺の言う通り、拒めなかった俺も駄目だよな……絶対みんな誤解するだろうって、わかっていたのに」
 カレーライスをほおばりながら、誠はぼやく。

「あまり嫌と言えないってことは、優しいってことだよな。 ま、顔がよくて、優しくて気前がよいとくれば、そりゃあ、モテるだろう。 にくいね!」
「やめてくれよ……おまけにもうクラス中で噂になっていて、かなわないんだから……。もう極悪プレイボーイのレッテル貼りされてるんだぜ……」
「ま、しょうがねえよ。人の口に戸は立てられないっていうし。
それにみんな、桜ケ丘と榊野のヘテロカップル第1号が楽しみだって、お前とあの平沢って子が第1号になるのではないかって、ワクワクしてるんだぜ?」
「ヘテロカップルってなあ…………」
 逆に誠、あきれてしまった。

「実際、平沢さんとは、どこまでいってるんだい?」
「それは……」
 浅い関係とはいえ、言い出しにくかった。それにこのお調子者、誰に口を滑らせるか。
「だーいじょうぶだ、俺はこう見えても口が堅いから、秘密は守るぜ。
別にいいんだよ。ぶっちゃけ、キスしたとか、セ……」
「だからそういう間柄じゃないんだって!! 一緒に下校したり、喫茶店でお茶したりするだけなんだってば。……あ」
 思わずしゃべってしまう。

「……ま、向こうのほうが押しまくってたもんな」
 泰介は肩をすくめた。浅い関係に多少残念そうな顔つきである。
 誠はなぜか吹っ切れた気持ちになり、
「それにキスなり何なりしなくても、あの人がそばにいてくれるだけで、癒されるんだ」
 窓の青い空を見て、続けた。
「そばにいて、笑ってくれるだけで、いいんだ…………」


 唯が教室に入ると、何やら周りの噂話が急ににぎやかになった。
「……?」
 どうしたんだろう。
 最近皆、唯が教室に入ると、彼女を見てひそひそ何か話していることが多い。
 そのなかで、律とムギ(澪は別のクラス)が、彼女を興味深げに見つめていた。

「お姉ちゃん」
 声をするほうを振り向くと、入口に憂がいた。
「憂……」
 唯は妹のそばに駆け寄る。
「実はお姉ちゃんがね、榊野学園の男の子……たしか、伊藤さんといったかな……付き合ってるっていう噂が、学校全体で噂になっちゃっているの」
「え、どうして……?」
「みんな注目してたみたいだよ。こっそり後をつける人も多かったらしいし」
「いや、付き合ってるんじゃ、ないんだけど……」
「ううん、お姉ちゃんの方が積極的だって、みんな言ってる。その人の腕に抱きついたりして」
「…………」
 事実。何も言いだせなかった。

「それより、ベラ・ノッテの無料券がまだ来ていないっていうの、あれ、嘘だったんだ……」
「いや、そういうわけじゃ……」
「もうわかっちゃったよ……お姉ちゃんとその人がベラ・ノッテでラブラブの話をしていたって、澪さんからもう聞いちゃったし……」
「ラブラブってねえ……。 でも、どうしても誘いたい人だったから……」
「しょうがないよ。お姉ちゃんにしてみれば、私以上に大切な人なんだもんね」
 肩を落として去っていく憂は、最後に付け加えた。
「お姉ちゃんは、どんなになっても、私のお姉ちゃんだからね……」

 
 放課後、音楽室。
 学祭が近づいても、練習前のティータイムは、この軽音部の場合、欠かさない。

「唯先輩、先輩が付き合っている男の人って、以前憂も見た、あの人?」
 紅茶を口につけながら、梓が目ざとく尋ねた。
「いや、だから違うって……」梓からの問いに、懸命に唯はごまかす。誠に彼女がいるとわかっていながら、隠れて付き合っているのだ。ばれたらなんと言われるか。「とりあえず、早く練習しようよ、あずにゃん」
「そうはちょっといかないです。あれから憂、なんか元気ないみたいですし」
 すでにギターをとっている唯に対し、梓は疑いの視線をあからさまに向けていた。
「まあまあ、梓」澪が話に入ってきた。「別にいいんじゃないの。バンドの仲間として、恋が実るよう見守ろうよ」
「澪ちゃん……」
 唯は目を潤ませた。

「ちくしょお……唯はうらやましいなあ」
 苦虫をつぶした表情で、律がつぶやいた。
「ひょっとしたら、桜ヶ丘で彼氏を作ったのって唯ちゃんが初めてかもね」
 さわ子がニヤニヤしながら言う。
「いや、だからそういうのじゃないんだって!」
 唯は顔を赤らめる。

「あいつは確か、伊藤って奴だけど、」澪が続ける。「私も、唯とその伊藤がくっついてるところを見たのさ。喫茶店で話している時、なかなかいい雰囲気だったよ。
それに、唯もいつも以上の朗らかな笑顔をみせていたし」
「……でも……」お茶とお菓子を持ってきたムギが不安げな表情で、言った。「噂では、キスしたとか、夜を一緒に過ごしてるとか、そこまで言われているみたいよ。そういうことはないと思うけど……」
「あ、あ、あるわけないじゃない!」唯は熟したリンゴのように紅潮しつつも、「でも、マコちゃ……伊藤君と話すようになってから、二、三度そうなる夢を見たんだよね……」
「って、女の子に言えることですか、それ!? それにしてもアレを夢にまで見るなんて、かなりの重症だなあ……」
 梓は呆れた。

「いいじゃない、夢なんだし」
「よくないです。誰と付き合うにしても、節制は守ったほうがいい。それに、羽目を外すとどんどん憂がやつれていくと思いますよ」
「だから付き合ってるんじゃないってば……あの人が好きなことは好きなんだけど……」
「じゃあ、やっぱ彼氏と認めてもいいじゃねえか」律がぼやき口調で言う。「あーあ、悔しいなあ。私も唯みたく、青春を満喫したいよ」
「……もういいよ……。先に練習するから、私」

 唯はもう付き合っていられなくなり、ギターの糸の調整を始めた。
「お前ら言いすぎだぞ、見守ってやろうって。噂もそのうち消えるだろうさ」
 澪が他の皆をなだめ、唯に続いてベースを調節する。


 日がとっぷりと暮れても、軽音部の練習は続いた。
 一旦資料をとりに職員室に戻ってきたさわ子に、男子教員が声をかけてきた。
「山中先生。 榊野学園の女の子が先ほどやってきたのですが、お知り合いですか?」
「え?」
「音楽室の場所を聞いてきましたよ。 軽音部の人に会いたいと」
「いえ、知りませんよ。……どうしたんだろう……?」
 窓をふと見ると、霧が少しかかっていた。


 この軽音部が夜まで練習を続けることは少ないが、学祭近くになると、ごくまれに寝袋まで借りて、泊りがけで練習することもある。
 唯の発案で、今日は泊まり込みで練習しようということになった。
 澪は集中力を増すためと言って、珈琲を飲みすぎてしまい、トイレに行っている。

「それにしても、あれから急に唯先輩の練習がはかどってますね。いつもはノロノロダラダラしてるのに」
 梓が冷やかす。
「いつもがんばってるつもりなんだよ、こっちは」
 唯はいつも通り、むくれてみせる。
「榊野に彼氏が待っているもんな」
 律はまた、唯の触れられたくない話題を持ち出した。多少妬んでいるものと思える。
「だーから、いいかげんやめてよ」

 その時、急にがらりと戸が開いた。音楽室の。
「あ、澪ちゃ……じゃない……?」
 その子は澪ではなかった。
 戸をあけたのは、唯と同じくらいの背丈の(澪は唯より背が高い)、黒髪を腰まで垂らした女の子。
 黒いブレザーに、胸元に赤スカーフという、榊野の学生服を着ていて、胸が妙に大きい。
「だれ、貴方……」
 言いかけて唯は、思わず息をのんだ。
 その少女にある、暗い炎のたぎった瞳に、圧倒されたのだ。
「いやあ、すまんすまん……あれ、貴方、あの時の……?」
 トイレから戻ってきた澪は、その子を見てすぐに気付いた。
 その子が、あの時に出会った、桂言葉であることを。
 ……しばらく、沈黙が場を覆った。


「平沢さんですか……貴方が…………?」
 最初に口を開いたのは、言葉であった。
「え、ええ……そうだけど」
「なぜ伊藤君に……誠君に近づいて……誘惑なんかするんですか……?」
「誘惑……」
「聞きました。誠君が貴方に誘われて、貴方の家に一緒に行ったって。一緒に腕組んでたって」
「ち、違うよ……ただ喫茶店に誘っただけだってば」
「誠君は私と付き合ってるんです。ちょっかいかけないでください」
 低い、だが芯のこもった声で、言葉は言った。
「あれ、伊藤君と付き合っているのは貴方じゃなくて、もっと髪の短い、ちっちゃな子だったと思ったけど」
 言ってから、誠と付き合っている時の世界の朗らかな笑顔を、唯は一瞬思い出した。
「それは……。その子が誠君を誘惑して、一緒にしたから……」
「した……何を……?」
 言ってから唯は、言葉の顔がかすかに赤くなったのを見て、その行為が人に言えないものであるのを感じた。
 もっとも、自分も夢に見たことであったが。

「唯…………あんた横恋慕してたんか…………?」
「というより、二股も三股もかけるような不誠実な男と付き合ってた、ということですよね」
 律と梓が、横から勝手なことを言う。
「まあまあ、黙って聞いてあげたら?」
 ムギが懸命に二人をなだめる。
 ふと澪は、言葉が胸ポケットの中をさりげなく探っているのを察した。いやな予感がして、表情を曇らせる。

「とにかく、もうこれ以上、誠君にちょっかいださないで! 近づかないでください!!」
 声を荒げた言葉に対し、唯はうつむき加減で、しかし、しっかりした声で、言った。

「いやだ」
「え?」
「……あの子や、貴方が伊藤君のこと好きなら、私も……伊藤君の……マコちゃんのこと好き!」
「え…………?」
 一瞬、凍りついた空気が、場を覆った。
 律も梓も、口を半開きにし、ムギは口を両手で覆った。
 澪は、唯と言葉の顔をかわるがわる見ながら、ますます表情を険しくした。
「初恋なの」唯は言葉に対して、ゆっくりと、言い聞かせるようにつづける。「2年になってから、近くのコンビニで見かけるようになって、一目ぼれして……。
でも学校も違うし、なかなか声かけられなかった……。貴方とは違って……」
「私とは…………?」
「本当は、貴方のことが妬ましいと思えるくらいなんだよ。貴方は同じ学校だから、きっと気軽に会えて、気軽にマコちゃんと話せたかもしれないけど」
「そんなことないです。昔は楽しかったです、確かに。でも、ちょっと喧嘩したのを機に、友達に取られてしまって。 それがどれだけ辛いものか、貴方、わかっているんですか!?」
「……それでも……どっちにしても、ゆずれない。
どうしても、あきらめられないんだ……」
 分かってもらえない。
 そう思い込んだ言葉は、学生服の裏の胸ポケットを探りはじめた。

 その時、
「待ってくれ!」
 割って入ったのは、澪だった。
「唯も、貴方も、トーンダウントーンダウン」
 むりくりに、笑顔を浮かべた。
「……これができると思いますか」
 低い声で、言葉が答える。
 澪は、言葉の目をじっと見つめ……。
「……できないとは、わかっているけど。それでもな。
そっちでもいろいろとあるみたいだな。付き合っていた恋人を取られて、気が立ってるんだよね」
「……本当に、取られています。その上、この人も誠君をとろうとしていているんですから」
「……そりゃあ、怒るのも無理はないわな。 でも一番悪いのは、取った奴じゃないのか。唯は事情を知らなかったんだし」
「さっき、誠君に彼女がいるって、この人言ってましたよね……」
「う……」澪は言葉が途切れた。「とにかく、貴方が伊藤ってやつの本当の彼女なんだろ? それより取り戻す方法を考えた方がいいんじゃないのか? 唯は伊藤と、まだそれほど親しくないんだし。お互いに敬語で話しているんだぜ」
「男女の関係、どうなるかわかったもんじゃありません。それにこれ以上、誘惑する相手が増えると困るだけです」
「いや、それはわかるけど……」澪は戸惑ってから、「まず第一に、彼氏をとった相手の説得はできないのか? 私が唯によく話しておくからさ、そっちを優先させるべきだと思うけど・・・。」
「そう……ですね……」
 ようやく言葉が、納得した。そのように澪には思えた。

「何やってるの?」
 教師の顔、教師の声で、さわ子が声をかけてきた。
 気まずい雰囲気が、音楽室の外からも感じられたらしい。


 さわ子は一応、このことを榊野の教職員に報告すべきと思ったようだが、澪は必死に説得を続ける。
「ま、待ってくださいよ……。別に暴力沙汰とか、そういうのを起こしているわけじゃないんですし、なかったことにできない?」
「そうは言われても……一応教師としては、向こうにも何らかの連絡をとったほうが」
「大丈夫です。本当はおとなしい子だと思うし」
「澪、こいつの知り合いか?」律が目をしぱたたいて尋ねた。「何で、んなこと、言えるんだ?」
「知り合い……というほど会ってはいないけど、態度からしてそうだろう。」
 成程、言葉は澪の横で、はにかんだ顔でかしこまっている。
「いや、でも大人しい人ほどキレると怖いからねえ。そんなんでいいのかなあ……」


 とりあえず……ということで、他の先生に相談を持ちかけるために、さわ子は教員室の中に入った。
 唯達は、練習のために音楽室に残る。
 澪と言葉は、教員室の前のベンチで、肩を並べて、座った。

「私のこと、かばってくれるんですか……?」
 言葉がまばたきして尋ねた。
「貴方の気持ちも、分かるから……」澪はそう言いかけてから、あわてて、「いやいや、私は彼氏なんて恥ずかしくて作れないから、彼氏をとられた貴方の気持が分かるなんて言えないけど……。
ただ……わかりたいし……貴方を助けたいって、思ってる。」
 本音が知らぬ間に出ていることが、自分でも信じられなかった。
「……どうしてですか……? 学校も違う見ず知らずの私を……」
 妙な顔で、言葉が訪ねた。
「それは……」
 澪は思いが、喉まで出かかった。
 初めて会ったときからの思い。
 きざもキザ、恥ずかしいと思いつつも、気がつくと澪は、大声で言葉に言ってしまっていた。

「貴方の、笑顔が見たいからっ!
貴方が苦しんでるのが、耐えられないからっ!!」

「え……」
 しばしの沈黙が流れる。
 澪はパッと顔を赤らめ、
「ごめん……つい大声出しちゃって。 でもね、初めて会ったときから、貴方になんか親近感のようなものを感じていたんだ。 どこか不器用で、人付き合いが苦手なところも似ているし」
「いえ……。でも、ありがとうございます」
 戸惑いながらも、言葉は頭を下げた。

「あのさ……」
「はい?」
「初めて会った時、学生証落としていったよね……。ほら、マックでぶつかった、あの日」
「あれ、貴方が拾ってくれたんですか。 よかったあ……次の日血眼になって捜したんですよ。
ありがとうございます」
「気をつけてね」優しく微笑み、澪は続けた。「あの、確か名前……桂って、言ったよね。」
「そうです。桂……言葉です。貴方は?」
「澪だよ。秋山澪。……これから、もし、あの伊藤って奴のことで悩み事や心配事があったら、いつでも相談してよ。 メール、交換しないか?」
「そ、それは……」
 言葉は戸惑う。その飛びぬけたプロポーションゆえ、女子から冷たくされていた言葉である。この人の言うことも、どこまで信じられるか。
 澪は言葉の、多少ためらいの混じった表情を読み取り、
「……わかった、教えたくないなら、いいよ。ただ、私のメールアドレスだけ、送らせてくれない?」
 自分のメールを送れば、万が一の時に連絡もつくだろう。
 言葉はきょとんとしつつ、
「そ……それならいいですけど」
 思わずうなずき、赤外線通信で澪のアドレスを受け取った。


 幸い、このことはなかったことにしよう、という結論になったとか。
 澪は嬉しかったが、言葉は少し複雑な気分であった。自責の思いもある気がした。
「桂!」
 玄関で言葉と別れるとき、澪は声をかけた。
「なんでしょう?」
「学祭当日、私たちの……いや、私の演奏、出来たら聴きに来てほしいんだけど」
「え……?」
 言葉は、目をしぱたたく。
 澪はすぐに頬を赤らめ、しかし笑顔で、
「その……貴方にだけは、私のベースを聞かせても、恥ずかしくないと思って……」
「秋山さん……」言葉は少し間をおいてから、「実は、誠君も放課後ティータイムの演奏を聴きたいと言っているんで、一緒に聴くつもりなんですよ」
「そ、そうか……」何となく澪は、ほっとしていた。「それじゃ、何か悩みがあったら、遠慮なく打ち明けてよ」
「は、はい……」
 あいまいに答えて、言葉は校舎を出た。
 ふと澪は、一瞬不安になった。
 唯を誠から引き離すことで、唯が今までのように、あの時のように笑ってくれなくなるのではないかと。


「澪……」
 こっそりと二人の会話を盗み聞きしていた律に、唯が声をかけてきた。
「どうしたの、りっちゃん?」
「いや……」律は振り向いて、「澪って人見知りがちょっと激しいじゃない。自分からライブを誘うことなんて、今までなかったのに」
「そういえば、そうだね」

「それより、唯、どうすんだ? あんなこと言って……」
「やっぱり、どうしても、あきらめられないもの、」唯はうつむき加減に、「どういうことがあったのか、あまり分からないけれど、桂さんがあきらめられないように、私だってあきらめられないんだよ。 
学校も違うから、あまり声もかけられなかったし……。 私の『好き』は、ずっと我慢する『好き』なんだ……。
でも、もう我慢できないんだ」
「唯……」
「マコちゃんに彼女がいるとは知ってたけど、それがかえって思いを強くして……思わず、声かけちゃった」唯は絞り出すように続ける。「声をかけるたび、一緒にいるたび、すごくうれしくて、ニコニコしているマコちゃんを見て、もっとそばにいたくなって。本当は彼女になりたい。無理だなんてわかってはいても、
思い……止められないんだ……」
 大雑把な律も、何も言えなかった。
 この時唯には、泊りがけで練習するのをやめにしたいという思いが、頭の中の大半を占めていた。


 校庭に出てから、胸ポケットにある果物ナイフを確認し、言葉は走り出していた。
 何やら、思いが制御できなかった。
 誠を横取りしようとする世界や唯への、波のついた憎しみと、
 こんな自分をかばってくれた、澪への思いとが。
 その思いがないまぜになって、なぜか果物ナイフまで持ってきた自分が、馬鹿らしく感じられた。
 話がこじれたら、唯と世界の首をナイフで切るつもりでいた。
 しかし澪にかばわれてから、はらわたがよじくれるほど腹を立てていた自分が情けなく感じられた。
 校門まで出てくると、
「桂さん!」
 聞きなれたハキハキした声が届く。
 世界が、校門で待っていた。

「どうしたの? こんなところに呼び出したりして。 それにどうして桜ヶ丘の前で?」
「それは…………」理由を言いだせなかったが、思いを抑えることができず、「誠君のこと……」
「誠のこと? だったら、誠も連れてきた方が……」
「誠君のこと、誘惑しないでくださいっ!」
今までのうっ憤を絞り出すように、言葉は言った。
「西園寺さんの紹介で誠君を知って、なのに……なのになんで、今更割り込むようなことをするんですか?」
「違う。私も……ううん、桂さんが誠のこと気にする前から、誠のことが好きだったんだもの」
「だったら、なぜ私に誠君を紹介するような真似をしたんですか!?」
「だって……あのときは、誠が桂さんのことを好きだったから、そう思ったから……」
「どうせ自分に振り向いてくれないだろうから、誠君の好きにさせたかったからですか!? 
それとも、あの時は本気だったとでも言うんですか!? そんなの理由になりません!」
 気がつくと言葉は、手持ちのカバンを地面に落とし、世界の方を揺さぶりながら声を荒げていた。
 下校する桜ヶ丘の生徒たちが、じろじろと2人を見つめる。
「お、落ち着いてよ桂さん、とりあえず、裏で話そう」
言葉の手を払いのけながら、世界は言った。


 細い裏道。
 ここなら、人目につかない。
 霧が濃くなり、木々をぼやけさせ始めている。
「どうして、私と付き合っているのを知ってて、誘惑したんですか?」
「誘惑って……」
「誠君と屋上で……してたじゃないですか!」
「!!」
 触れ合う練習……そんな、自分でもわけのわからない理由で、誠とお互いにスキンシップをかけた結果がそれだった。
「それは……」
「誠君は私のことだけを思ってくれていたのに、どうして…………」
「それは……誠と交わった証がほしかったし……」
「でも結局、そのせいで誠君は西園寺さんのところへいっちゃったじゃないですか!! あんまりです!!」
「……そのことは、申し訳ないとは思っているけど……」
「もう近づかないで下さいよ! 仲介ももういいです!!」
「…………。……近づく」
 きっぱりと言った。世界まで。
「私、誠のこと好きだし。誠だって、私のこと好きだって言ってくれたんだもの!!」
「……西園寺、さんに……?」
「私、うれしかった。 誠君が私のことを好きなら、私だって」
「貴方が誠君を誘惑するから、誠君もおかしくなったんだと違いますか?」
「そんなことはない。誠は、私を選んでくれた。うん、そうだよ。誠は私のことが好きだし、私だって誠のことが好き。本当は片時も離れたくないんだ!」
 言いきって、去っていこうとする世界の腕を、言葉はつかむ。
「違います、誠君は、私のことが好きなんです。」
「でも……迷わないって、もう決めたんだから。もう誰も近づけさせない……貴方も……」
 世界は、言葉の手を払いのけ、去ろうとする。
 邪険にされたと思い、言葉は、もう我を忘れていた。
 無意識のうちに、胸ポケットから例のナイフを取り出し、その蓋を外した。
 去っていく世界の背に突き立てようと、腕を振り上げた時、かすかに、声が聞こえた。
『学祭は……軽音部のライブを見たいから、その後でいいかな……』
『私の演奏、出来たら聴きに来てほしいんだけど……。
貴方にだけは、私のベースを聞かせても恥ずかしくないと思って……』
 その声で、視界が、一瞬、純白のスクリーンのように白くなった。
 元に戻ると、世界の姿はもうなかった。
 言葉は、何やら自分のやろうとしていたことがばからしく感じられ、急いでナイフに蓋をした。


「……?」
 泰介と下校する途中、誠は桜ヶ丘の方角を向く。
「世界……言葉…………平沢さん……」
 つぶやくと、泰介が、
「どうした、誠?」
 振り向いて尋ねる。
「……なんでもない」
 誠は首を振り、泰介に追い付く。ごまかし半分に、ちょっと質問する。
「泰介は学祭の日、誰とつるむんだい? ひょっとして黒田とか? 中学時代からの同級生なんだろ?」
「おいおい、あんな奴と一緒に童貞卒業するなんて……。あいつよりも特上の人を見つけてな。甘露寺に言わせると、俺に気があるんだとよ」
「誰とだよ?」
「教えなーい」

 男水入らずの話を続けようとすると、
「あ、誠!」
 突如、世界が誠に駆け寄り、腕に飛びついた。
「せ、世界!?」
 頬を赤らめた誠に対し、彼女は何事もなかったかのような笑顔を浮かべる。
 朝とはうってかわって積極的なアプローチである。
「ヒューヒュー! 誠! 熱いぞ!!」
 はやし立てる泰介。
「やめてくれよ……」
「じゃ、俺はお邪魔虫になるようなので、ずらかるから」
 泰介は、速足で去って行ってしまった。
 誠は、自分の腕に抱きつく世界の肩越しに、壁の脇で様子を見つめている言葉を発見した。
 飛び出そうとする言葉の前に、七海が出て、遮る。
「行こうよ、誠。 今日はうちに寄ってかない? うち、母さんも夜勤で誰もいないし。」
 世界に誘われ、強引に引っ張られ、言葉が彼の視界から外れる。
 霧がまた少し、濃くなり始める。
 風が急に強くなったので、道端の銀杏が夜空に舞い始めた。



続く
 
 

 
後書き
警戒心を強化し、唯も言葉も誠に合わせないようにしようとする世界。
当然皆の心は乱れ始め……といったところ。
相変わらず拙い文だけど、最後まで読んで欲しいです。 
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