銀河英雄伝説~美しい夢~
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第三十九話 次なる課題
帝国暦488年 1月 20日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク
「御苦労様でした」
「いえ、それほどの事では。何と言っても反乱軍との戦闘は有りませんでしたから……」
「それでも二カ月もイゼルローン要塞に居たのです。借家住まいでは色々と気苦労も有ったでしょう」
「恐れ入ります」
ブラウンシュバイク公爵家の応接室に男達の笑い声が上がった。
ラインハルト達が戻ってきた。律儀だよな、戻ってくるなりケンプ、レンネンカンプ、ファーレンハイトとやってくるんだから。明日、宇宙艦隊司令部での報告でも良かったんだ……。
「ケンプ提督、御家族には随分と寂しい想いをさせてしまいましたね」
「あ、いえ、そのような事は。これまでにも何度も有りましたから問題は有りません」
大きな身体を縮めてケンプが恐縮している。こいつ、撃墜王なんだけどワルキューレとかに身体が入ったのかな。あれ、結構操縦席は小さいんだ。まさか特注のワルキューレを使っていたとか……。いやワルキューレに入らなくなってパイロットを辞めたとか……。有りそうだな、訊く事は出来ないけど。
「しかしクリスマスも新年も一緒に祝えなかったでしょう。奥方はともかく御子息は寂しがっているのでは有りませんか?」
「はあ、それは」
「すこし休暇を取ってはどうです、暫くは戦争は無いでしょう」
「有難うございます、家族とも相談してみます」
照れるなよ、ケンプ。ちょっとこっちも恥ずかしいじゃないか。
「ケンプ提督だけではありません、皆さんも少し休息されては如何です」
“はあ”とか“まあ”とかいう言葉が上がった。
「遠慮はいりません、届を出してください。休息を取るのも大事です」
なんか皆困惑したように頭を下げた。こいつら休みを取るのに慣れていないんだな。いかんな、積極的に休みを取らせよう。そうじゃないと俺も休みを取れん。猛烈社員を持った上司の悲哀をこいつ等は分からんのだ。
「ミューゼル提督」
「はい」
「グリューネワルト伯爵夫人に面会されては如何です。陛下にはこちらからお願いしましょう」
「そうして頂けるのでしたら……」
「リヒテンラーデ侯に口添えをお願いしますよ」
「有難うございます」
シスコンラインハルトにはこれが一番だ。うん、俺って良い上司だな。ココアを一口飲んだ。皆もコーヒーカップを口に運ぶ。
「ところで後程報告書を出して頂きますがイゼルローン方面軍は如何でしたか?」
俺が問い掛けるとほのぼのした空気が消え代わって引きしまった空気が応接室に満ちた。四人の男達も表情を引き締めている。
「イゼルローン方面軍司令部が出来た事で外からは目立ちませんが要塞司令部と駐留艦隊司令部の関係に問題が有ると思います。直接ぶつかり合う事が無くなっただけに相手を無視する様子が見えるのです」
ラインハルトが発言すると他の三人が頷いた。
「やはりそうなりますか」
「はい。好き嫌いは別として最低限の信頼関係は必要だと思います。しかし現状ではそれが見えません。本来なら互いに意思の疎通を図るべく努力するべきなのですが……」
ラインハルトが言葉を濁した。
「そのような努力は見えない、そうですね?」
「はい、方面軍司令部が出来た事でむしろその努力を放棄しているようにも見えます」
ラインハルトの言葉に他の三人が頷いた。元々無きに等しいものが完全に無くなったわけだ。最悪だな。
「グライフス方面軍司令官は何と?」
「何とか両者を取り持とうとしているのですが……」
ラインハルトが沈痛な表情を浮かべて首を振った。妙だな、普通なら冷笑でも浮かべそうなんだが……。グライフスと親しくなったのかな。
「こちらにはそのような状況報告は来ていませんが?」
「上級司令部の責任者としては下級司令部の横の連携が無いとはなかなか言い辛いと思います。本来ならグライフス方面軍司令官の責任で解決する事ですから……」
「なるほど」
そうだろうな、部下が仲が悪いんです、何とかしてください、とは言い辛いよな。
「今回の攻防戦、反乱軍が交戦せずに退いてくれたのは幸いでした。もし戦闘状態に突入していれば……」
「していれば?」
ラインハルトが口籠った。方面軍司令部は俺の発案だ。実戦に問題ありとなれば暗に俺を非難する事になりかねない。ラインハルトも面と向かっては言い辛いのだろうな。
「遠慮はいりません、していれば?」
「要塞司令部と駐留艦隊司令部が相手の事等考えずに行動していたかもしれません。責任は全て方面軍司令部に押し被せてです」
言い終わってふっと息を吐いた。
「或いはそれを防ごうとして方面軍司令部に非常な負担をかける事になった。それが原因で重大な損害を被る可能性が有った、という事ですか……」
「はい」
やはりな、一朝一夕では解決できないか……。
駐留艦隊司令部、要塞司令部の人員を一新するしかないな。グライフスには最大限の協力をすると約束している、それを実行するべきだ。最前線で仲間割れを起こす様な馬鹿は要らん。全員更迭したうえで明らかに左遷と分かるポストに送る……。
最前線に配属された以上、周囲からはエリートと見られていた男達の筈だ。それを左遷した上で協力しなかったことが左遷の理由だという噂を流させよう。新たな司令部要員にとっては十分な警告になるはずだ。ラインハルトから報告書が出たらエーレンベルク、シュタインホフに相談してみよう。二人とも反対はしないはずだ。
「やはりミューゼル提督にイゼルローン要塞に行って貰って良かったと思います。おかげで向こうの状況が段々分かってきました」
俺が労うとラインハルトはホッとした様な表情を浮かべ“恐れ入ります”と答えた。他の三人もホッとしている。失礼だな、俺はそんな怖い上司じゃないぞ。話題を変えるか。
「イゼルローンでは今回の改革はどう受け取られていますか?」
俺が話しを振ると四人は明るい顔色になった。
「将兵からは好意的に受け取られています。何と言っても税が軽減されたのが大きい。それと領民達の控訴権も認められました」
「カストロプ公を始め不正を行っていた貴族達が処罰された事も将兵達は喜んでいます。最前線の兵士達は安全な場所で悪事に耽る様な者達を極度に嫌いますから」
ケンプ、レンネンカンプの答えも口調が弾んでいる。うん、良いね、最前線の兵士から評価されるというのは大事だ。何と言っても彼らは命をかけて国を守っているんだからな。彼らが高評価をしているという事は士気も上がるし今後の防衛戦でも十分に期待できると言う事だ。問題は要塞司令部、駐留艦隊司令部の不和だけだな。
「ですが税金を使って貴族を救済しようとしている事については多少不満が有るようです」
「……」
「政府からは救済しなければ帝国経済に混乱が生じると説明が有りましたから已むを得ないとは思っているようですが……」
やっぱりそうか、そうだよな、不満は有るよな。救済を求めてきた貴族は五百家を超え、救済金額は総額で二千億帝国マルクに上った。当初の予測の二倍以上だ。皆呆れ果て激怒していた。ゲルラッハ子爵なんか領地経営も出来ない馬鹿は全員銃殺刑にしてやりたいと言ったくらいだ。
俺も同感だ。カストロプ、ノイケルン、カルテナー等潰した家が有ったからそれの接収財産で賄ったがそうでもなければとんでもない騒ぎになっただろう。ノイケルン、カルテナー、両家ともカストロプ程じゃないがたんまり貯め込んでいた。接収財産は合わせて一千五百億帝国マルクを超えた。フェザーンからインサイダー情報を貰って株で儲けていたらしい。見返りが何だったのか、気になるところだ。
「確かにファーレンハイト提督の言う通り多少の不満は有るようです。しかしその分は政府に返済させますから政府に対する不満と言うよりは貴族に対する不満でしょう。我々と違って税を払っていないのに借金を作るとはどういう事だと」
「なるほど」
ラインハルトの言葉はまあ半分は俺に対する気遣いかな。だが無条件に救済しているんじゃないと言う事を理解してくれるのであれば十分だ。大事なのは政府が信頼できると思わせる事だからな。
「なにより貴族は監督官を受け入れなければなりません。あれは破産管財人の様なものだと将兵の間ではもっぱらです。自尊心の塊のような貴族にとっては屈辱でしょう、いい気味だと笑っています」
レンネンカンプの言葉に皆が失笑した。貴族って嫌われてるよな、俺も今じゃ貴族なんだけど。
まあ確かに嫌がった。でもね、金を借りてる立場というのは弱いのだよ。文句は言っても勢いが無い。それに不当に利子を取っていた金貸し共からその分を取り戻してやったからな、かなり借金は軽減された。それだって政府だから出来たわけで連中じゃ出来なかった。
連中は政府の命令を受け入れざるを得ないのだ。あんまりぐずぐず言う奴には潰すと脅した。借金を政府が金貸し共に返した以上、領地経営に失敗した貴族なんて潰しても経済危機は起こらない。ゲルラッハ子爵は銃殺刑だと語気荒く言った。馬鹿共は真っ青になって謝ってきたな。
「しかし将兵達が驚いたのは貴族に決算報告書の提出を義務付けた事です。あれは我々も驚きました」
ラインハルトの言葉に皆が頷いた。確かにこれまでなら有り得ない事だ。だが改革を行うとなればいずれは出た話だろう。
「反対が大きかったのではありませんか?」
「それはもう、……しかし意外な味方がいましたから」
「と言いますと」
「フェザーン商人ですよ」
俺とラインハルトの会話にファーレンハイトが“なるほど”と頷いた。他の二人、いやラインハルトも入れれば三人だがファーレンハイトは彼らに比べると経済に明るいようだ。
「改革を進める以上帝国政府は貴族に対して特別扱いはしなくなると彼らは想定しているのです。これまでは貴族という事で比較的危険が少ないと判断して取引を行ってきましたが今後はそうはいかなくなる。しかし取引相手としては貴族は非常に魅力的です。という事でリスクの有無を判断出来る材料が必要となる」
「なるほど、それが決算報告書ですか」
ラインハルトが頷いた。
「それと資産目録です。領地経営の状態と家の財政状態、それを開示しろ。そうでなければ貴族との取引は安心して出来ない、そう言ってきたのですよ。実際に今回救済した貴族達の借金の理由は殆どが遊興費です。領地経営の失敗が原因の借金はごく僅かです。彼らの要求は極めて妥当でしょう」
「フェザーン商人の要求を断れば商人は近付かなくなります。そうなれば自領の特産品の売買に影響が出かねない、財政状況にも悪影響が出る。そして政府を怒らせれば益々貴族達の先行きは危うくなる」
「家を潰すくらいなら、そういう事ですか」
「ええ、そういう事です、ケンプ提督」
決算報告書、資産目録の一件ではフェザーン商人の協力が大きかった。改めて思ったのはフェザーンの自治領主府とフェザーン商人は別だという事だ。自治領主府はどうしても政治的な動きを行うが商人にとっては経済活動が第一だ。帝国の改革は自治領主府にとっては面白くないだろうが商人にとっては必ずしも否定するべきものではない。
ルビンスキー対策の一つとしてフェザーン商人を味方に付けるというのが有るだろう。ルビンスキーが帝国に敵対し辛くするのだ。上手く行けばフェザーン内に反ルビンスキー、親帝国勢力を作ることが出来るかもしれない。そのためには今以上にフェザーン商人が活動しやすい経済環境、社会環境を作る必要が有る。すなわち、改革の継続だ。
「まあ決算報告書、資産目録の提出は今年度分からですが開示は来年度分からになります。流石にすっぴんでは出辛いでしょう、多少は化粧をして外に出られるようにしないと……」
俺の言葉に皆が笑った。貴族達の多くが資産状況の改善、領地経営の改善に取り組んでいる。今まで遊んできた罰だ、少しは汗をかくと良いさ。
決算報告書、資産目録の提出は作成に手間がかかるが貴族にとってもメリットは有る。自分の領地がどうなっているか、資産状況がどうなっているかが分かるんだからな。実際ブラウンシュバイク公爵家がそうだ。養子の俺だけじゃない、大公も大公夫人もなるほどと言って唸っている。
二人とも大まかには押さえていても詳細には把握していなかったのだ。ブラウンシュバイク公爵家の資産目録は作成途上だがその内容は結構凄い。カストロプ公爵家のそれを遥かに凌いでいる。帝国きっての実力者って評価が良く分かったよ……。
決算報告書、資産目録が開示されればフェザーン商人達は貴族達を選別するだろう。おそらくフェザーンの格付け会社は貴族の格付けを行うはずだ。つまり領地経営、資産状況が悪い貴族は自然と淘汰されることになる。それを避けたければ領内開発と資産状況の改善に励むしかない。
問題は辺境の貴族達だ、こいつらの資産状況、領地経営の状態は決して良くないはずだ。このままでは益々不利益を被る事になる。それを防ぐためには開発の援助を行うべきだな。幸い馬鹿な貴族達が毎年借金を政府に返してくれる。最低でも今後四十年間、毎年五十億帝国マルク程は返済されるはずだ。そいつを使って辺境を開発する、財源が確保されているのだ、フェザーン商人達も辺境は将来的には有望な市場になると認識するだろう。積極的に取引をしようとするはずだ。
貴族達の放埓の抑制は思ったより順調に進んでいる、そう考えていいだろう。問題は平民達の権利の拡大、社会的地位の向上だな。カストロプの状況を確認する必要が有るな、一度行ってみるか。リヒターやブラッケ達も関心を持たれているとなれば励みにもなるだろう……。その後は俺も領内統治に視線を向けないといかんだろう。忙しいな、全く忙しい。軍と政府とブラウンシュバイク公爵家か……。身体が幾つ有っても足りん……。
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